うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

支出なくして成長なし

 今朝の新聞に、欧米諸国の日本化を指摘するイギリスのエコノミスト誌の記事が載っていた。記事の内容は、ギリシャをはじめとするPIGSの債務問題で揺れる欧州と債務上限法案を巡って民主党と共和党がチキンレースを繰り広げてきた米国を揶揄するものであった。欧米諸国の日本化(日本病の罹患)については、以前に当ブログで指摘したが、同じ日本化でもこの記事が云わんとするところは筆者の考えとは真逆のものだ。エコノミスト誌は、欧米諸国が苦境に陥った要因を日本と同じく国民に耳触りの良い政策ばかりで時間稼ぎに終始したことや必要な改革の断行が遅らせたためと指摘するが、この論法は世間知らずのマスコミが好んで使う幼稚なもので、次の2点で大きな勘違いをしている。

 先ず1点は、“国民に耳触りの良い政策”なんてバブル崩壊以降殆どなされて来なかったという事実を無視している。小渕政権時の公共投資への梃入れや定率減税政策等の効果を打ち消すように小泉アホ政権以降、真水の財政支出が絞り込まれるなど次々に経済への逆噴射政策が採られ続けてきた。その後民主党に政権が代わっても、なぜか経済政策だけは財務省の言いなりのまま緊縮財政が維持されてきた。仮に、国民に耳触りの良い政策が採られてきたなら、これほど経済環境が低迷するはずがない。内需の縮小による企業業績の低迷、給与所得の低下、事業やポストの縮小、雇用の縮小、自殺の増加などこの間に起こった不幸な事象を挙げればきりがない。ようやく団塊の世代が職場から去り始め、本来なら若者世代に雇用のお鉢が回ってくるはずだったのだが、現実は大きな期待外れに終わっている。これのどこが耳触りの良い政策なのか。

 もう1点は、彼らの云うところの“必要な改革(現実は有害な改悪)”は遅れるどころか強引に断行されてきた。行財政改革という美名の下で政府支出が削られ公共投資が大きき落ち込み、民間事業者は事業機会を大きく逸失する羽目になった。また、過度な入札のオープン化により結果として地域の小規模な事業者が大企業に押し出される結果になった。また、社会保障費も削減され年金の支給開始年齢の引き上げが企業の雇用負担を増やし、結果として若者の雇用機会を阻害している。企業においては、CSRとか株主重視の経営、過度な消費者重視、トレーサビリティ、食の安全・安心、顧客情報の管理強化等といった1円の儲けにもならない下らない制度を押し付けられ、現場の負担や事務コストばかりが増えている。このように、官民ともに、このバカバカしい改革に十分すぎるほど付き合わされてきたことは誰の目にも明らかだ。

 いまだに日本経済が苦境の真っただ中から抜け出せないのは、政治家や官僚ばかりではなく、マスコミ、エコノミスト、企業家、専門家のみならず多くの国民が上記のような勘違いを続けていることによるものだ。苦しい時に、無駄の削減とか工夫や我慢といった安易な方法に逃げ込んできたツケをまさに払わされているのだと言える。

 経済の回復や成長に必要なのは、支出(需要、消費や投資)と供給力とのバランスの維持に尽きる。長引く不況の下で過度な無駄排除への信奉や財政赤字への過剰な忌避感がそのバランスを崩してきた。不況を放置してきたために、支出(内需)が大きく落ち込み巨大な供給力との間のバランスを著しく欠く状態が続いている。いま必要なのは、このバランスを均衡させるような支出を長期に亘り実行することだ。先ずは政府が財政支出を行い民間支出の呼び水になることが求められる。

 米国では、ティーパーティー運動なる頭のおかしい小さな政府の狂信者が、政府支出の増加に一々文句をつけているようだが、支出なくして如何にして収入を確保しようとするのだろうか。支出と収入とは、原因と結果と同じく対になる存在であり、もう一方がなくしては存在しえないものだ。ティーパーティーのようなバカの言うことに従えば、内需はやがてシュリンクし、企業は必要な売上を外需に頼らざるを得なくなる。だが、世界中のどこにせっせと日本のために安定的に資金をつぎ込んでくれる国があると言うのか。

 以前のブログでも書いたように、『雨はイヤ、でも水不足も困る』というネジの緩んだ連中の言うことは支離滅裂で、ティーパーティーとか新自由主義者構造改革主義者等といった世間知らずの連中(松下政経塾の出身者も含む)もこの類だ。『雨(財政支出)はイヤだ、でも水(売上)は欲しい、雨が降らないから真水(内需)は干上がっているし、こうなったら海水(外需)に頼るしかない、でも海水は塩辛い(通貨が異なる)し淡水化(市場開拓、円高)するコストもかかる』などと永遠に解けないパズルを前に悶々と悩んでいる様は滑稽でしかない。

 少なくとも日本には、振りすぎた雨が引き起こす問題(インフレ)への対応策やスキルは十分にある。治水や堤防・ダム工事(金融引き締め)など洪水対策に大きな問題はない。降ってくる雨を制御することはできても、一向に振ってこない雨(デフレの放置)ばかりはどうしようもない。残された手段は、せいぜい雨乞いか神頼みくらいなのだが、何故かこうした非生産的な手法を好む輩が多くいる。日本に蔓延る根性論や精神論もこの辺りから来ているのだろう。