うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

「国際公約」に弱い人の頭の中は開国前夜状態

 『国際公約』…いまだに明治維新あたりで思考停止している政治家や国民には、たまらなく甘美な言葉である。

 サミットやAPECダボス会議なんかに出席した時の首相が、つい興奮してポロリと「構造改革」とか「財政再建」とか口にしようものなら、翌日の新聞で御用マスコミが「○○首相は構造改革を世界に約束した」、「財政再建は日本の国際公約である」などと書きたてる。政権が代われば、「CO2を25%削減」とか「自然エネルギーの割合を20%に」、「TPPは第三の開国だ」等々、更にどうでもいいような政策が国際公約へと格上げされる。

  “●●は日本の国際公約”だとアナウンスされる場合、●●の部分に入る政策キーワードは、ほぼ例外なく、デフレに苦しむ日本にとって都合の悪いものとなる。景気対策が必要な局面で緊縮財政を強要されたり、過当競争に苦しむ業界を尻目に規制緩和が叫ばれたりするのが、それに当たる。こういった動きに不満を漏らそうものなら、「日本の構造改革行財政改革を国際金融市場が注視している」とか「日本の脱原発への取り組みを世界が注目している」とかいった牽制球が、マスコミからすかさず投げ込まれる。戦後70年近く経つのに、いまだに海外や世界からの視線や評価に異常なほど神経質な日本人には、この牽制がよく効くのか、一球投げられただけで塁上に釘付けとなる。

 だが、なぜ、いつも日本ばかりが常に世界中の国や機関から監視される必要があるのだろうか。まるで、日本の一挙手一投足が世界中から査定されるかのような言い草には、強い違和感を覚える。オバマ政権の国内向け公約(国民皆保険制度、社会基盤への財政支出等)が履行されていなくても、日本人はそれを注視しているわけでもなく、公約を守れとアメリカに言いがかりをつけるわけでもない。なのに、日本の首相が調子に乗って口を滑らせた程度の約束事を金科玉条のごとく“公約扱い”するなんて可笑しなことではないか。

 そもそも、諸外国は、カネを貸しているわけでもなく戦争相手でもない日本のことなど殆ど気にしていないはず。世界一の金融資産と所得収支を誇り、有り余るような生産力を持つ日本は、単に経済学の定石通り適切な財政政策や金融政策を実行すれば、ほぼ確実に経済問題の呪縛から解き放たれる。だが、諸外国はそう簡単にはいかない。隣国との紛争、人種問題、民族対立、麻薬組織との抗争、貧困、汚職、教育、難民…等々、経済問題以前に克服すべき課題が山積しており、とても日本の構造改革の進捗状況をいちいちチェックする余裕なんてない。第一、日本の財政再建が進んだとして、一体それが諸外国(例えばフランスや中国)に何のメリットをもたらすというのだろうか。世界各国が日本の(自称)国際公約の達成を注視しているなんて空想に過ぎないことくらい、ちょっと考えてみれば判るはず。

 それでも日本の国際公約の存在を信じて止まない人には、アメリカやドイツ、中国の国際公約がどんなものか具体的に並べてみろと言いたい。