うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

日本はこれからも経済成長できる

 先日、ある経営者と話をする機会があり、その経営者は「この間、日本は人口が減って構造的な問題を抱えているからずっとデフレが続くんだっていうベストセラー本を読んだよ。俺もそのとおりだと思ったね。なにせ日本は少子高齢化社会を迎えるんだから、もう右肩上がりなんて無理だよ。これからは皆の意識を変えていかないとね。」などと得意げに語っていた。

 彼の言う“皆の意識を変える”とは、何を指すのか。右肩上がり(の経済成長)は望めないなんて言うくらいだから、デフレによる経済の縮小均衡を前提に、これから先は企業の売上増加は望めないという意味なのだろう。随分と軽薄な経営者である。

 売上増加が見込めないなら残る手段はコスト削減しかないが、コストカットのやり過ぎは社内の人材やモチベーション・モラルの劣化に直結するため、自ずと限界がある。ただでさえ、20年もの間デフレ不況に怯えてコストカットに邁進してきた日本企業には、厭戦ムードが蔓延しており、コストカットみたいな空襲から逃げ回るような消極的手法をこれ以上続ければ、経営基盤そのものが崩壊しかねない。

 雇用条件の悪化や若者の雇用機会の消失といった大きな犠牲の上にやっとこさ捻出した収益も、労働者へ分配されることなく企業の内部留保に積み上がるばかりだ。このため、雇用者報酬も減少の一途を辿り、それが消費の低迷や企業業績の悪化を引き起こし、結果として税収の低下や社会保障財源の危機につながっている。

 こういった一連の社会構造の経済連関に目を向けず、やれデフレだ、グローバル化だのとマスコミに乗せられて経済成長をいとも簡単に諦めてしまう輩が企業経営をやっていること自体おこがましい。“皆の意識を変える=経済成長を諦める”なんて経営者が本気で信じているのなら、日本の経済活動は早晩終わりを迎えるだろう。

 件の経営者も、口ではマクロな経済成長など望めないと言いながら、その同じ口から社内では今期の売り上げは前年比プラス●%必達だなんてハッパを掛けて社員をウンザリさせていることだろう。意識を変えろと偉そうに言う当人の意識が全く変わっていないのだから、社員が気の毒である。

 デフレが長期化するにつれ、構造問題や人口減少、少子高齢化グローバル化国債問題などあらゆるキーワードを駆使してデフレを受け入れよとか経済成長を諦めよといった類の幼稚な論調が後を絶たない。こういった意見は、財政支出を嫌う知識層(マスコミ、政治家、官僚、エコノミスト、経営者、コンサルなど)に非常に強く支持されているばかりではなく、浪費や贅沢な生活習慣や様式を忌避(もしくは反省)する主婦層やスローライフ的な隠遁生活が好きな層(原発も嫌い)にも受け入れられ、いまや多くの国民がこれを支持していると言っても過言ではない。

 だが、経済成長を諦めるということは、給与の削減や生活レベルの低下、雇用とりわけ若者層の雇用機会が大きく棄損されることを意味するが、彼らはそういうことを理解して言っているとは思えない。おそらく、自分の生活や雇用はさておき、世の中の流れがこうだから多少の犠牲はやむを得ないなんて無責任な考えしか持っていないだろう。こんな軽い気持ちで未来の日本の行く末を悪い方向に先導されてはたまらない。人口減少だといったところで、そのペースは緩やかで、この先の経済成長によりいくらでも取り返しのつくものである。下図のとおり2005-2009年の日本の人口減少率は0.2%に過ぎず、誤差の範囲と言ってもよい。この程度なら、きちんと財政金融政策を行ったうえで労働分配率を適切な水準に維持すれば、一人ひとりがいつもの買い物の際にチョコレートや缶ジュースを一つ余計に買うだけで十分に経済成長を実現できる。

 問題なのは人口減少そのものではなく、財政政策を嫌うあまりに、国民個々人が消費支出を伸ばせないような素人じみた経済運営を長らく放置してきたことに尽きる。日本と同時期に人口減少に見舞われたドイツやロシアでは立派に経済成長(実質ではなく名目で)を果たしている。人口がとか少子高齢化がなんていうのは、単なる言い訳に過ぎない。

 将来的に人口の下降カーブを止めて上昇カーブを描かせるためには経済成長が欠かせないのは当然のこと。国債は将来世代へのツケ送りなんて嘘を巻き散らして、縮小均衡する社会を放置すれば、必ずや後世の日本人からなんて情けない祖先であったかと厳しく批判されることだろう。

 我々には、経済成長を基礎にした強固な社会基盤を後世に残していく責務がある。斜に構えて勝手に成長を諦めてしまうような役立たずは、日本人である必要がない。

Photo_2