うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

本当のモラルとは

 先日、出張先で読んだ地元紙に、地震津波災害への原発の安全対策について千年に一度の規模の大地震や大津波に備えるべきという専門家の意見が掲載されていた。当地で江戸時代に起こった巨大地震により多数の被害者が出たという記録(古文書の走り書き)があったことを基に、国内の原発の安全対策の甘さを指摘するという趣旨の記事だった。
 世間的に東電原子力保安院に文句が言いやすいためか、こういった後講釈的、あるいは片手落ちの批判が新聞や雑誌に氾濫している。
 この手の幼稚な批判をする者は、あらゆる災害を想定した万全の安全対策がもたらす莫大なコストを誰が負担するのかという現実問題が見えていない。そういったコストは、当然、財政負担か電気料金上乗せで広く国民が負担することになるが、実際には今回の東電叩き騒ぎでも判るように、電気料金値上げなどもってのほかという雰囲気で、ましてや財政支出なんて、いつものように国の借金云々にブロックされて到底やれるはずがない。
 訳知り顔で、想定外なんて言い訳だなどと東電に言いがかりをつける輩は、安全対策の想定基準(震度●、津波の高さ●mまで)を具体的に示すこと。それに必要な負担の支出(財政支出を含む)に文句をつけないことだ。いちゃもんばかり付けられたうえに、必要なカネは出さないと来ては電力各社も手の打ちようがない。
 そもそも、毎日のように度を越したレベルで原発への安全対策は口やかましく言われるが、実際に今回の震災で原発事故による直接の死者はいない。
 一方、津波地震による直接の被害は、3万人近くの死者・行方不明者、10万人もの避難者、20-30兆円ともいわれる損害額など、件の原発とは比べものにならないくらい莫大だ。なのに、政府もマスコミも多くの国民も、関心を寄せたり非難の矛先を向けたりするのはなぜか原発に絡むことばかり。
 今回の大震災の被害を痛み、心底から今後の震災や津波対策を講じようとするならば、防波堤の強化や避難所の増設、海岸沿いにあるあらゆる施設の移設、通信設備の増強、食料の確保、避難マニュアルの策定、被災者に対する公的支援、都市計画そのものの見直しなど莫大な公共投資を必要とする作業に心血を注ぐことこそが対策の本丸と言えるだろう。だが、マスコミをはじめとしてこういった投資がぜひ必要だという声が一向に出てこないのはなぜか。
 原発問題なんて本当の被害はせいぜい風評被害等に過ぎず、直接的な被害の大半は大津波によるものであることは明白だ。ならば、原発云々よりも津波地震対策により多くの資源や資金を投じることこそが重要になる。これらに必要な公共投資は実際に起きた被害に基づく対策であり極めて有意性が高い。
 マスコミや政府、それに多くの国民が原発対策を声高に叫んだり、その結果として放射能絡みの風評被害を巻き散らかしたりしているのは、単に原発が嫌いだからという単純なイデオロギーの問題だ。彼らは、自分が嫌いな公共事業を誘発するようなものは、たとえそれが必要な対策であっても敢えて触れようとはしない。だからこそ、たまたま起こった原発問題に対して、これ幸いとばかりにヒステリックな非難を浴びせて、復興事業から目を逸らそうとしている。
 いま重要なのは、今回の災害を無駄にせず次に起こる同様の災害に対して具体的な対策を講じることだ。それは原発問題に後講釈で文句をつけるという低レベルなことではなく、津波地震の被害を最小限に抑えるにはどうすべきかといった当たり前かつ具体的な対策を実行することだ。復興事業に伴う公共事業を避ける逃げ道として東電スケープゴートにすることは、被災者の生活再建から目を逸らそうとする卑しい行為である。
 被災者への財政支援を、過去の被災者とのバランスを欠きモラルハザードを招くものと批判する珍妙な意見も多くあるようだが、被災者の生活基盤を何とかしたい、救援の手を差し伸べようという人間としてごく当たり前の感情を持ち合わせていないような輩こそ“モラルハザード”そのものなのではないか。