うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

『冷房』は控えめに!

 東日本大震災の被災地の復興をそっちのけにしたバカバカしい議論が熱を帯びている。TVや新聞・雑誌に溢れ返っている “復興財源ねん出のための増税”、“国家公務員給与の削減”、“原発の稼働停止”の三バカ議論のことである。

 このうち公務員の給与削減は、5-10%の削減で組合も了承し既に決着済みで、公務員に異常な嫉妬心を持つマスコミや多くの国民にとってまさに溜飲が下がる思いだろう。国家公務員の給与総額は年額で60兆円(みなし公務員含む)とも言われているが、今回の給与削減により単純計算で3-6兆円の消費抑制圧力がかかることになり、需要不足に更に拍車がかかることになろう。この莫大な消費や需要の消失を一体誰が補填するのだろうか。これは日本経済にとって全くの逆噴射政策と言え、デフレ脱却を目指す国家が採るべき手段とは到底思えない。

 こういった給与引き下げや諸手当の削減、復興財源確保のための増税論議などといった「痛みの分かち合い型」の行動は、いかにも日本人が好きそうな行動だが、実際の支援に役立たないばかりか支援を邪魔する結果にしかならない。

 今回の大震災により、被災地の住民は「人命」、「財産(ストック)」、「雇用(フロー)」という3つ大きな命綱を失った。「人命」ばかりは如何ともしがたいが、少なくとも「財産」の原状回復くらいは国家の資力で問題なく補償できる。一世帯当たり家屋や家財・車両などの補償費および当面の生活費として3,500~4,000万円程度の補償を早急に行うべきだ。阪神大震災で被災者を見殺しにした愚行を繰り返してはならない。そのために管理通貨制度という柔軟な通貨供給制度が整備されているのではないか。「雇用」の回復についても被災企業の債務補填や内需拡大策の実行による取引の優先斡旋などによってある程度は下支え可能で、それでも手に余る場合は公務員として雇用する手もある。大切なのは、復興という「目的」をいかに早期に達成するかであり、手段の清濁などは些細な問題である。

 TVや雑誌、あるいは街頭のあちこちで“がんばろう東北”とか“東北を応援しよう”といった文字を見かけるが、いつの間にか「がんばろう」や「応援しよう」が『我慢しよう』にすり替わっていないか。掛け声だけで資金を出さなければ被災者は永久に救われない。本当に困っている被災者にとって、他の国民が自分たちに同情して消費を控えたり節電をしたりして困窮生活を送られても決して空腹が満たされることはない。病気に罹った時に、横で他人が一緒にうなされていても自分の病気が治るわけではないのと同じこと。単に鬱陶しいだけである。外国人のアーティストならいざしらず、日本人が“被災者の皆さんとともに祈りましょう”的な態度では被災地は救われない。

 復興支援の名目で給与を削り、増税によって国民全体の消費が抑制されてしまっては、復興どころか、ただでさえ下がり気味のGDPがさらに落ち込み、新たに多くの“経済被災者”を生み出す結果になろう。GDPを増やすのは消費の伸びが絶対に必要であり、消費が所得の内数である以上、健全な経済成長には所得の伸びが欠かせない。

 原発に関しても、相変わらず常軌を逸した意見が罷り通っている。新聞の投書欄に目を通しても、将来的なエネルギー政策の転換を議論すべきというならまだしも、いますぐ全ての原発を止めろ、とか、生活水準を下げてでも節電に耐えようなどといった現実離れした扇情的な意見が目につく。

 実際にドイツでは、国内にある旧式の原発を一時停止させ、フランスから電力を輸入せざるを得ない事態となり国内で大きな議論を呼んでいる。衆知のようにフランスは世界有数の原発大国であり、自国の原発はNOだが隣国の原発が作った電力はOKというドイツの矛盾した態度に厳しい批判がある。そもそもエネルギーや食糧という国家運営の根幹に関わる問題を安易に海外に依存しようとする姿勢がいただけない。原発問題に過剰反応するあまり、誠に拙速な政策判断をしてしまったと言えよう。そもそもドイツは、自然エネルギーが国内発電の電源シェアの11%に達しクリーンエネルギーの優等生として持ち上げられているが、一方で、環境負荷低減や温暖化防止の先導国を自認しているくせに、石炭による発電が電源シェアの50%近くを占めるCO2排出大国といった矛盾も抱えている。

 資源エネルギー庁によると、2010年時点で日本国内の原発は54基、総発電量は4,884万KWに達している(電源シェアの約2割)。一方、自然エネルギーはと言えば、2008年時点で風力発電は1,517基/185万KW、太陽光発電は214万KWに過ぎない。気の早い原発廃止派の意見どおり直ちに、あるいは段階的に国内にある全ての原発を止めたとして、いったいどうやって電力を賄うつもりなのか。仮に全てを自然エネルギーで賄う(施設建設の問題から無理なのだが)として、現在の12-13倍の発電能力を備える必要があるが、誰が莫大な投資資金を負担するのか。中国企業にでも門戸を開くつもりなのか。

 風力発電太陽光発電設備の拡大に政府が大規模な資金投資をするというなら賛成するが、未曽有の大震災にさえ金を出し渋るような政府にそんなことができるはずもなかろう。風力や太陽光は発電の安定さに欠ける(風力発電稼働率は平均40%ほど)うえに、巨大な風車が海岸線に多数林立させたり、広大な面積の太陽光パネルの設置が必要になったりと漁業や海運、景観に与える影響が多大であることを考慮すると、自然エネルギーはあくまで補完的な位置づけと理解すべきだ。原発廃止云々でオダを上げてエネルギー政策の大転換なんて偉そうにご高説を垂れるくらいなら、現在のタービンによる発電方法ではない新たな実用レベルに耐えうる発電方法を開発するようなチャレンジをこそすべきだろう。

 デフレと震災のダブルパンチを受けたにもかかわらず、政府やマスコミから出てくるのは的外れな対策ばかりだ。いまこそ小泉政権以降の経済逆噴射政策により大きく毀損した社会基盤の再整備を実行するべきだ。個別の産業政策ではなく、教育・医療・治安・公共施設・食糧・防衛など国民が幅広くそのベネフィットを享受できる社会基盤の再整備を行い、長期にわたり大規模な資金を投じることが重要だ。バラマキだなんていう次元の低い批判を気にする必要はない。公共事業を通じて官から民へ供給される資金は、民間企業に安定的なビジネスチャンスを与える役割を果たし、民間の投資を活発化させ、実体経済や金融市場に十分な資金循環をもたらすだろう。何のかんのと言っても、民-民のビジネスだけでは十分な資金循環や雇用の確保が難しく、現実には官-民あるいは官-民-民のビジネスによる下支えが欠かせないことはこの20年にも及ぶデフレ不況で実証済みだ。きれいごとでは経済は回らない。

 政府の経済運営は、基本的に民間とは逆張りの経済運営が必要になる。民間の投資や消費が活発な時は政府の支出を抑制し、逆の状態なら支出を増やして実体経済を支える必要がある。ところが、現実にはバブル期に支出を増やしてデフレ期に公共事業を減らすようなトンチンカンな経済運営が罷り通っている。その結果、バブルを膨張させたり、デフレを深刻化させたりといったダッチロール状態に陥り、最後はどうしようもなくなって倫理観の欠如などといった精神論や根性論しか言えない輩の台頭を許すことになる。

 これは日本のみならず先進諸国も同様である。いつの時代にも、洋の東西を問わず『部屋を暖めようとして冷房のスイッチを押したがる』間抜けな人間がいるものだ。そういう輩に限って中途半端な倫理観を振りかざすから始末が悪い。

 “入るを量りて出ずるを為す”なんていうのは民間企業がやることで政府のやるべきことではない。政府に求められるのは、チマチマと税金を掻き集めることではなく、国家の進むべき前向きなグランドデザインを国民に示すことだ。そのうえで、管理通貨制度の下で国債発行や政府紙幣などの手段を講じて実現に必要な資金を間断なく投じるとともに、研究開発や技術開発の高度化や発展を促すべきだ。国内の需給バランスの調整や需給レベルそのものを向上させることによって経済を安定的に成長させることができ、国家としての信用力の維持向上にもつながる。国債残高や金の保有量なんていうケチな指標が国家の信用力を担保する訳ではない。

 政府やマスコミ、識者や財界、官僚などが大所高所の立場で神学論争している間にも、被災者の生活は刻一刻と苦しくなる。先ずは被災者個人の生活立て直しのために補償金の支払いなど復興に向けた具体的な努力をすべきだろう。

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