うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

財政支出が嫌いな6つの理由

 TVも新聞も雑誌も口を開けば東電いじめの原発の話題ばかり(その割に東京から離れようとしないが…)で、大震災からの復興財源の話が一向に具体化しない。一部に、日銀の国債引き受けを主張する議員もいるようだが、財務大臣と経済財政担当大臣の財政破綻教コンビを筆頭に、あろうことか野党第一党をも巻き込んで火消しに躍起になっている。このままでは、日銀の国債引き受け(直接引き受け)や政府紙幣発行といった前向きな政策を採用される可能性は極めて低い。

 共同通信社世論調査でも六割以上の国民が復興増税におおむね賛意を示しているという情けないデータもある。復興財源の捻出に既存予算の組み替えで済めばよい方で、最悪消費税(法人税相続税ではなく、なぜか消費税)の増税となる可能性が高い。長引く不況で弱り果てている時に戦後最大の自然災害という重荷を背負わされた状態で、国民はどういう訳か最悪の選択をしようとしている。これまでの経過を見ると、マスコミや一部エコノミストらによる財政破綻教の布教活動は、見事なまでに奏効したようだ。

 需要不足によるデフレ不況下で増税財政支出の削減、雇用の流動化等といった消費減退政策を積極的に支持する国民は、安土桃山時代や江戸時代の隠れキリシタンそのものである。自らが信じた教義のためなら拷問(=失業や生活苦)に耐えるというけなげな姿勢は、一日中ボサーッとワイドショーや新聞を眺めている国民へのマスコミらによる熱心な布教活動の賜物なのだろう。

 江戸時代のデフレ推進政策を三大改革と崇めたり、昭和恐慌後の日本を更なる苦境に陥れた浜口・井上コンビを「男子の本懐」と祭り上げたり、構造改革と銘打った逆噴射政策によりデフレ不況を不動のものとした小泉・竹中バカコンビを熱狂的に支持したりと自虐的な経済政策を好む国民であり、財政支出国債発行はトコトン毛嫌いされる。ましてや政府紙幣発行などもってのほかで、口の端に乗せるのも汚らわしい(もしくはそもそも存在を知らない)と思っているだろう。皆が大好きな坂本竜馬や維新の志士たちが明治政府立ち上げ時の財源に政府紙幣を多いに活用したなんて史実を聞いたら、きっと嫌な顔をするのではないか。

 財政支出、とりわけ積極的な財政支出を嫌う理由は次のようなものだ。

① 日本は既に多額の借金を抱えており、これ以上増やせない。

② 日銀による国債に直接引き受けや政府紙幣の発行は市場や諸外国から放漫財政とみなされ、円の信認を失う(+国債の格付けが下がる)し、日銀の独立性が損なわれる。

③ 放漫財政はハイパーインフレを招く。

国債や円は暴落し、金利が上昇する。結果として国債の利払い負担が増え財政がさらに悪化する。

財政支出に頼るような生産性の低い企業が温存され、産業構造の転換が遅れる。

⑥ 国に頼り切るような甘えた企業や人材が生き残るのは不公平だ。

 まず、①について、国債の問題を語る際に重要なのは、発行残高の絶対額ではなく残高が積み上がった割に名目GDPが伸びていない、むしろ減っている(2000年/502兆円→2010年/477兆円)という点にある。これは、政官一体となった財政緊縮ムードの中で単年度予算の国債費を除く真水予算を切り詰めてきた(特に公共事業費)ことに起因するものだ。無駄な支出の絞り込みや会計検査の過度な厳格化により積極的な財政支出が控えられ、支出範囲の柔軟性も損なわれ、公から民への資金の流れが徐々に狭まってしまった。結果として地方の中小企業から順に経営が行き詰まり、雇用や給与が削減され消費が衰退し税収が下がる。社会保障費が増える中で税収が増えないから更に赤字国債に発行が必要になるといった悪循環を繰り返した結果なのだ。出すべきカネを惜しんだことによる財政運営のミスである。戦力の逐次投入を繰り返して部隊を全滅させる愚を繰り返したにすぎない。

 幸い国債の9割以上が内国債で世界有数の生産力や勤勉な国民性を持つという恵まれた環境にあるのだから、積極的な財政支出により国民の経済成長期待を刺激すればよい。国債とは国民の財産でもあるのだから、その残高ばかりに目を奪われる必要はない。国内にある莫大な生産力をフルに活用できれば自然に名目GDPや税収も上がり、国債残高とのバンランスも取れてくるだろう。

 

 次に②③④について、確かに当初は市場関係者の混乱を招くかもしれず、円の信認云々は別として(先の格付け引き下げや大震災の折もなぜか円の信認は上昇したが…)、国債の格付けは下げられるかもしれない。しかし、それは、あくまで財政支出の使途が、既存の赤字補填やPBの維持といった必要最低限かつ消極的なものに止まる場合である。大震災からの復興を織り込んだ日本全体の国土・産業復興計画といった前向きな投資という題目を設定し、必要十分な量の資金を惜しげもなく投入することが肝要だ。国内には数百万人規模の潜在失業者がおり、既述のとおり十分な生産力も備わっていることからも極度なインフレを招く恐れは殆どない。世界的に生産力は極度に発達した現代では、発展途上国ならいざ知らず、まともな先進国で年に数10%を超えるようなインフレを起こすこと自体が難しい。(そもそも格付け会社のスキル自体が怪しいのだが…)

 ましてや、十分な財政支出により国内の購買力が上がり(海外諸国にとっても商機が増える)、それが更なる生産力強化をもたらす(国力が上昇する)のだから、国債や円が暴落するする恐れもない。ディマンドプル型の経済成長に伴うある程度の金利上昇はむしろ好ましいもので、金融機関の経営基盤も強化されるし、国民の利子所得も増えるだろう。金利上昇による国債の利払い負担も増加するだろうが、経済活動の活発化による税収増加もあるし、政府紙幣発行による国債や利払い基金を別建てで積み上げておく方法もある。

 最後の⑤⑥に至っては、もはや思想の問題だろう。自分だけが努力している、自分だけが得すればよい、他人が幸せになるのは我慢できないなどといった卑小な精神の持ち主はいつの時代にもいるものだ。生産性が低かろうが高かろうが、そこで働く従業員にとっては余計なお世話である。国中の企業が全て生産性の高い企業ばかりなんて夢物語はあり得ない。勝者が生まれるのは敗者のおかげである。生産性の高い(と自慢する)企業とて、対極に生産性の低い企業の存在があればこそ高い収益を上げられるのだ。誰かの損失がなければ誰かの収益は生まれない。生産性が低かろうが、公共事業に寄り掛かっていようが、キチンと売上さえ立てば、経済にとって立派な消費主体となり得るのだ。そこが肝心なところだ。

 

 経済は聖人ばかりでは成り立たない。