うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

お前こそ「危機感」を持て!

 12月22日付の日経新聞の朝刊に面白い記事があった。

 「展望なき欧州産業の焦り」という見出しで、自動車輸出などに支えられてマクロ経済指標が好調なドイツで、国民の消費が伸びていないこと、その原因は中間層の所得が伸びず生活防衛意識が強まっていることがレポートされている。また、ドイツ国内の大手化学メーカーが、新興国との人件費競争に押されて生産拠点を東南アジアに移転するなど雇用の場が失われているとのこと、主力の自動車産業もEV化の流れによりエンジン部品が不要になるため、将来的に大幅なリストラが避けられないと雇用の維持に悲観的な見通しであることも記されていた。

 記事では、これらドイツが抱える悩みは欧州全体に共通するもので、スマートフォンでアップルに押されるノキアなどを例に挙げ、欧州企業の技術革新やマーケティングの遅れを指摘している。また、国家レベルでITインフラなどの成長戦略を描こうにも、財政問題がネックになり先に進めず行き詰まり感が漂っており、「今のままでは失われた10年を招く」というバローゾ欧州委員長のコメントが添えられている。

 同じように、一部の企業(輸出にしか目がない自称グローバル企業)にのみ収益が蓄積し、他の下請け企業や従業員に資金が還流しないために内需が停滞する事例は他の国にも広がっている。成長著しいお隣の韓国も似たような状況で、グローバル競争への対応を盾に、資金を貯めこみ国内に還流させようとしないサムソンに対して、李大統領やその側近が厳しく批判したという記事もある。(“笑うサムスン泣く国民、韓国経済に落とし穴儲け過ぎの財閥企業に大統領が苦言呈す”http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4146

 新自由主義が蔓延する現代では、上記のように“日本病”への罹患が世界的に広まりつつある。バブル崩壊→輸出型大企業のわがままを放置→国内への資金還流不全→実体経済の低迷→デフレ到来→財政政策への忌避(金融政策のみ)→金融市場の異様なにぎわい→不動産や商品市場等の局地的なバブル発生→給与減・一部の商品価格増→消費力低下→内需への絶望感・外需への期待という誤ったループを、日本と同じように多くの国が辿っている。

 収益を上げた企業がカネを出さず、財政支出もしたくないという状況を強いられると、内需に依存せざるを得ない多くの企業や国民の収入は減り、当然内需は低迷する。そこで、“もう内需拡大はありえない、外需を開拓すべし”、“TPPへ積極的に参加すべき、平成の開国だ”といった声が大きくなる。こういった意見は、(マクロな視点は欠落しているが)社会的に立場の強い人間が好んで使うため、世の中に広まりやすい。

 だが、上記の欧州や韓国はおろかアメリカも含めて世界各国が、輸出振興に注力している事実を冷静に眺めれば、輸出の爆発的な拡大や外需頼みの国家経済運営など夢物語であることに気付くべきだ。新自由主義に洗脳された多くの国々(日本を含む)では、国内の実体経済に資金が還流する仕組みになっていない。当然国内の購買力が上がらず(購買力は所得の内数)、内需は低迷・縮小を余儀なくされる。重要なのは、それが日本だけでなく、世界各国で起こりつつあるという点だ。

 各国とも互いが互いの懐を狙っているような状態で外需を拡大させ続けるのは至難の業と言えよう。モノを必死に売り込もうとする相手にモノを売ろうというのだから、押し売りにモノを買わせようとするのと同じことだ。外需とは、まさに、中小企業診断士の言う“レッドオーシャン(競争が厳しく収益が期待できない市場)”で、叩き合いによるダンピングを余儀なくされるか、アメリカにおけるプリウスのようにイチャモンを付けられるのがオチだろう。

 このように呑気に外需への憧れを語るのは、いいモノを作れば売れるはずという単純なイノベーション信奉と技術革新が新たな需要を創出するという考えが根底にあるからだろう。こういった考えは、明治時代~戦後の日本などモノがない時代には通用しても、生産力が極度に発展した現代では通用しない。七輪や大八車がガスコンロやオート三輪車に変わったような時代の遺物と言えよう。いいモノなど、いまでも市場に溢れ返っている。問題は、それを購入する資金が国内に十分還流しないことにある。

 サンマと大根を交換し合うような呑気な時代と違い、あらゆる分野で飛躍的に商品アイテムが増大した現代では、それらの交換手段としてのマネー(現預金)の価値が益々高まっている。商品、それも魅力的な商品が次々と市場に供給されれば、それらを欲しがる国民の消費欲求も拡大する。その欲求を満たすために最も重要視されるのが“マネー”であり、消費アイテムが増えれば増えるほどマネーへの選好が強くなる。マネーは、交換ツールとして唯一無二に近い存在なのだから当然だろう。市場には、あらゆる企業から“いいモノ”が次々と投入され溢れ返る。一方で、それらを購買するためのマネーが実体経済に十分に供給されないと、強烈なデフレ圧力となり経済が低迷する。いいモノを作れば売れると信じて懸命にモノを作り続ける企業の欲求を満たすためにも、消費に使えるマネーが存在しなければならない。つまり、政府→企業→国民→政府・企業…といった実体経済の資金循環を円滑に回していくことが極めて重要なのだ。グローバル競争が厳しいから…、これ以上借金を増やすから財政支出はイヤだ…などというワガママを放置することが許されるようなノンビリした状況ではない。

 このまま内需拡大策を放棄し続ければ、間違いなく内需主体(GDPの9割以上)の国内経済は崩壊する。そうなれば、企業の開発投資も低迷し、新自由主義者の大好きなイノベーションの創出など望むべくもない最悪の状態に陥るだろう。技術立国、モノづくり、イノベーション創出を本気で願うなら、内需という国内基盤をしっかり充実させることが重要だ。まずは、下請け企業や従業員に正当な対価や賃金を支払うこと、国内の雇用、とりわけ新規雇用の拡充を図ることが重要だ。

 経団連経済同友会の連中は、マスメディアを通じて、“もはや国内市場に伸びる余地はない、外需を取り込め”、“国内に安住するな、新興国との競争は厳しい、危機感を持て”などと偉そうに説教を垂れているが、従業員の努力に報いるつもりなどさらさらない。無駄に競争や危機感を煽るより、自らが襟を正して国内の購買力を高める方がよほど効果的だろう。彼らの言っていることは単なる精神論に過ぎない。十分な報酬の裏付けもなく強制される努力や工夫は、社内の人間関係を悪化させるだけ、もしくは下請け企業が割を喰うだけで、その多くは実を結ばない。

 いまの経営者(日本病を患っている世界中の経営者)は、グローバル競争を盾にして給料を上げなくても(下げても)そこそこ働いてくれる従業員への甘えに支えられ、デフレに心地よさを感じている、まさに“茹で蛙”状態にあると言えよう。彼らは、いいモノを作れば売れていたひと昔もふた昔も前の時代で思考が停止しているため、モノづくりを支える需要(所得)の創出という大切な視点が欠如している。需要と供給が両輪の関係にあることに気付いていないのだ。

 いい加減に、“いいモノを作れば、世界のどこかにいる誰かがきっと買ってくれる”といった間抜けな幻想は捨てなければならない。そんな幻想に囚われた経営者が、今日もあちこちで“新興諸国の追い上げは凄い、右肩上がりの成長など二度とできない、危機感を持て”などと社員の向けて偉そうに訓示を垂れていることだろう。彼らにこそ「危機感」を持てと言いたい。