うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

努力が報われる社会を

 “財務省国債や借入金などを合計した「国の借金」が9月末現在、864兆5226億円になったと発表。”、“会計検査院は08年度決算検査報告を公表。不正経理や無駄遣いなど717件、2364億5000万円に上る。”、“行政刷新会議の「事業仕分け」がスタートし、独立行政法人の地方移管や予算削減を求めたほか、事業環境が変わった場合に使う「国土・景観形成事業推進調整費の「廃止」を結論づけるなど、厳しい判断が相次いだ。”などなど、今日はうんざりするニュースが3つも続いた。もちろん、国の借金や行政の無駄遣いに対してではなく、こういった財政再建至上主義(=国全体の支出・資金還流の縮小)の馬鹿げた論調がまかり通りことに対してである。

 恐らく、多くの国民が、このニュースを聞いて、もう国債は増やせない、とにかく無駄遣いを減らせと憤っていることだろう。だが、その無意味な憤りは、自らの生活水準の切り下げという結果しか生まない。

 小泉改革(改悪)にマスコミや国民の多くが間違った声援を送っている頃に、構造改革規制緩和によって既得権益を排除し頑張った者が報われる社会を作るなどという論調が盛んに取り上げられていたが、結果はご覧のとおりである。多くの非正規労働者を生み出し、長時間労働に苦しむ労働者はリストラにより家計の所得は大きく毀損した。また、企業にとっても、度重なるリストラや技術革新、コスト低減努力を強いられたにもかかわらず、売上げの漸減を余儀なくされている。

 バブル崩壊後の20年というもの、多くの国民や企業は、出口のないトンネルに放り込まれ報酬のない努力を強いられてきた。これが努力が報われる社会なのだろうか。普通に努力した者が、普通に報酬を得られて、普通に暮らせる社会をこそ目指すべきであり、家計や企業の資力が疲弊している現状では、大規模かつ長期の財政支出によってしか、それを実現できる手立てはない。

 緊縮財政を続けて国家の借金を多少減らすことが、何の意味もないどころか、経済成長によるデフレ脱却を阻害することに気付こうとしないものが多すぎる。この借金の多寡という倫理的な問題に縛られて、多くの国民の生活が崩壊していることに目を向けなければ、結果として社会の崩壊を招くだろう。その時に、国の借金が減っていたとしても全く意味がない。

 緊縮財政などのいわゆる出口戦略は、経済成長が一般の国民にも十分に認識できインフレ率が2桁に届くなど、今では夢のような状態が確認できた後でよい。

 喫緊の課題は、冷え切った経済を立て直し、ニーズのある新規事業への投資を現実化することである。そのためには、国民から広く事業ニーズを聞き取り(これまでの業界団体の陳情ではなく、希望する国民からの聴取)した上で、十分な財源を与えることだ。頭の固い構造改革主義者は反対するだろうが、政府紙幣国債の日銀引受で財源を手当てすればよい。いま大切なのは、通貨の信認ではなく、国民の生活や技術力の維持向上だろう。通貨の信認などというのは、所詮、その国の生活力や経済力によって担保されるのだ。

 こういったWILLリスト的なものを作成しようとすれば、きめ細かな要望が数多く挙がってくるだろう。そういったものを実現すれば、公務員の雇用や介護や医療への資金手当ても増やすことができ、介護や医療が本当の意味で成長産業となることができる。外国人を連れてきて安月給で働かせるようなやり方では、絶対に成長産業にはならない。

 こういった形で幅広い産業や分野に多くの資金が流れれば、商機も増え雇用の拡大にもつながる。つまり、努力した者が真に報われる社会になる。縮小するパイをめぐって不毛な罵り合いをしている場合ではないのだが、相変わらずそのことに気付こうとしない国民が多すぎる。