うずらのブログ

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危険な改革礼讃

 先週あたりはGMの破綻ネタがTVや新聞、雑誌で大きく採り上げられた。大概は、環境に良い小型車(低燃費車)の開発に遅れたこと、短期的な利益のみを指向してピックアップトラックなどの大型車に固執したこと、経営陣の巨額な報酬、労組や退職者の好待遇などを批判する論調だ。

 要するに、80年以上にわたり世界ナンバー1を誇ってきた輝かしい歴史にふんぞり返って必要な改革を怠り、時代の変化に対応できなかったということを言いたいようだ。特に、ハイブリッド車などの環境対応車の開発に後ろ向きであったことが厳しく批判されている。確かに、アメリカのメーカーは、GMに限らずフォードやクライスラーもデザインが古く、大型車に偏ったラインナップという印象がある。

 ただ、これらの批判で気になるのは、利益率の高い大型車への固執や従業員の好待遇=改革の遅れ と一括りにしてしまっている点である。むしろ、「改革(新自由主義的な意味での)」なるものに固執したからこそ悲劇的な幕切れを迎えてしまったのではないか。

 トヨタのカムリやホンダのアコードなどがアメリカで普及し始めたころ、アメリカの自動車メーカーはネオンという極めて低価格な小型車を投入(結局売れなかったが…)したり、GMがトヨタと共同でキャバリエを開発したこともあった。GMがスズキに資本参加を始めたのこの頃ではなかったか。つまり、この時点ではアメリカの自動車メーカーも中・小型車の開発に強い意欲を見せていた証拠である。

 なのに、いつの頃からか大型車やピックアップトラックばかりになってしまったが、その時期は、経営者は株主のために企業の最大利益を目指すべきという新自由主義的な経営観が蔓延した時期と重なる。

 新自由主義的な経営者は、大概が社内改革にはやたらと熱心だが、その割には創造性に欠けている。事業部制による独立採算、成果主義、経営と資本の分離、コンプライアンス対策など内部組織をいじくりたがり短期的な利益に異様な執念を燃やす。一方で、肝心の製品開発や販売体制の整備など企業にとって収入や収益の源泉となる仕組みや方針を具体的に示す能力が低いため安定的な収益を上げる構造を築くことができない。要するに経営論ばかりの内弁慶な評論家にすぎないため、経費の削減はできても売り上げを伸ばすことができないのだ。GMもこういった無能な経営陣に食い物にされたのだろう。

 GMが、普通の感覚を持った経営者の下で経営されていたなら、そこは長い歴史や技術を持つ一流メーカーのことだから、自然と時代の変化を読み取って、環境車の開発でもリードできる流れになっていたと思われる。しかし、現実的には、何時の頃からか短期の利益のみを追求し、長期的な研究投資を怠ったために、燃費の悪いガラクタばかりのラインナップになってしまい、1台買ったらもう1台サービスしますなんていう異常な販売手法をとったり、自動車製造の利益よりローンの金利収入のほうが多いなどといった本末転倒な状態になってしまった

 新自由主義者が大好きな「改革」が産んだ悲劇を真摯に反省すべきだ。