うずらのブログ

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選挙制度の重み

 最近、国会議員世襲に対する規制の適否についての議論が盛り上がっている。

 同一選挙区からの世襲議員の出馬を制限するなど、一定の規制を唱える者がいる一方で、渦中の世襲議員からは、“憲法が保障する職業選択の自由に抵触する”、“選挙民の判断を尊重すべき”などと卑しい言い訳が聞こえてくる。

 日本には600万近くの事業所(つまり会社)があり、6千万人以上の人が働いている。その職業も、大きくはサラリーマンとそれ以外に大別できるが、細かく分ければ数え切れないほどあるはず。

 そのあまたある職業の中で、例えば国会議員の息子が、議員というたかが1つの職業を選択できないとしても、それに何の不都合があるのだろうか。国会議員がだめなら地方議員になる手もあるし、官僚になることだってできるはずだ。国会議員の(おそらく)ダメ息子による世襲によって、その選挙区内で政治家を志す人がいるとすれば、世襲の黙認は当該選挙区在住者から“国会議員”という職業を選択する自由を事実上奪っていることになる。

 自分に都合の良い時だけ憲法遵守を声高に叫んでいるが、彼らは、リストラや派遣切り、就職難などによって不十分な生活水準を強いられている数多くの人々に対して憲法第25条(生存権)を適用して救いの手を差し伸べようなどとは間違っても言わない。

 今回の世襲騒動以前に、多くの国民は政治家のレベルの低さに呆れ果てている。

 そろそろ、民主主義という理想を体現できていない現行の選挙制度の廃止を検討してはどうだろうか。マスコミの宣伝によって品性の低いタレント議員や世襲議員が楽々と当選する現状に大きな危惧を覚える。彼らは、口を揃えて“改革が必要だ”と念仏を唱えるが、結局は賃金や権益のカットによる国民の生活水準の切り下げにしかならない。かといって、政治家のレベルは国民のレベルに比例するなどと斜に構える傍観者にも同意できない。

 カネと時間や労力の割に無能な当選者しか生み出さない選挙制度を廃止して、裁判員制度と同様に、国民や住民から無作為で議員を抽出してはどうだろうか。経済、年金、介護、教育、福祉、外交、防衛、科学技術、産業育成、農業、漁業などいくつかの部会制とし、各部会で50名程度、全体の統括委員会的なもの(=内閣)を設けて数十名−100名程度とする。首相は議員の互選による。抽出された議員の任期は1期3−4年限りとし、年報酬は1000万円ほど、任期完了後は以前の職場に復帰できることを保証する、各人ごとの秘書は付与せず部会ごとに秘書的なスタッフを10−20名程度設置するなどといった具合だ。

 これにより、派閥が解消されること、選挙対策が不要になること、国民が直接政治に参加できること、政教分離が進む(宗教団体の組織的な政党活動ができなくなるという意味)ことなどのメリットがある。

 一方で、民主主義の放棄につながらないか、専門知識を持った政治家がいなくなる、素性の怪しい者が抽出され議員の質が低下しかねない、官僚に政治が支配される、選挙による信任がないため議員の価値が低下する等々数多くの批判があると思うが、そもそも資金力、社会的な地位、知名度、地盤などがなければ当選はおろか立候補すらおぼつかない現行制度よりはマシなものになるのではないか。