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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

国債原理主義者の愚

『聞き捨てならない国債に対する安倍首相発言』(BLOGOS 3/8 久保田博幸/慶応大教授)
http://blogos.com/article/213088/
「3月7日の日経新聞の日本国債という特集記事のなかで、次のような安倍首相の発言が紹介されていた。「デフレ脱却を考えると国債を返し過ぎだ。国債は実質的には日銀が全部引き受けている。いまはマイナス金利だし、実質的に借金は増えない」
この発言は昨年秋、複数の与党議員を前に首相が漏らしていたものだそうである。また次のような首相発言も記事のなかで紹介されていた。「政府と日銀は親会社と子会社みたいなもの。連結決算で考えてもいいんじゃないか」(中略)
もし国債の信用を落としたいのであれば、償還をやめるなり、日銀に本当の意味で国債直接引き受けをさせるなり、日銀保有国債は政府債務と相殺したりしてみれば良い。
なぜそれをしてはいけないかといえば、あたりまえだが国債の信認を維持させるためである。その信認を崩せばインフレ圧力は確かに強まろう。しかし、ほどよい信認低下などできるわけがない。いったん日本国債の信用が低下すれば、ユーロ危機の際のギリシャ国債のように誰も日本国債を買わなくなってしまう。(後略)」

久保田氏の記事中にある“安倍首相の変節”を以って、「安倍ちゃんも、ようやく経済を理解できるようになったか…」と感心するつもりはない。

安倍氏が公式の場で発言しているのは、2019年10月の消費税率10%への引き上げや、PB黒字化目標の堅持、聖域なき歳出改革や社会保障改革などの緊縮政策ばかりであり、財出拡大志向への変節は、あくまで確度の低い憶測や伝聞に過ぎないからだ。

筆者は、浜田変節名人やシムズ論文の発想も、それらに異を唱える久保田氏のような緊縮論者の反論も、どちらも気に喰わない。

その理由は、シムズ論争の渦中にある賛同者も反対者も、その発想や議論の根幹が、
①“国債の信認”や“インフレ率の調整”という小手先の手段を弄るだけのテクニック論の域を出ていない
②政策目標が「国債残高の多寡問題」に止まる矮小な議論に過ぎない
ことにある。

両者の議論はあまりにも次元が低すぎる。

片や、国債残高を一定量に抑えるには高度なインフレによる国債の発散が必要で、それには消費増税の延期や財出により政府の信認を意図的に落とすべきと主張する。

これに対する反論は、一旦政府の信認が低下すると通貨が暴落し、ハイパーインフレが起こり、国債デフォルトリスクが顕在化する。安易な財出は避け地道に歳出改革と社会保障改革に取り組むべき、となる

彼らの頭の中には、“真の国富たる生産力や供給力の維持向上を図るには、どういった産業政策が必要か”、“凍り付いた需要を刺激するに経済政策はどうあるべきか”、“国民生活の向上に向けて、克服すべき優先課題は何か”といった視点がまったく無い。

シムズ信者も、アンチシムズ派も「国債・信認・インフレ」の三つの言葉の周囲をぐるぐる回り、目先のテクニック論に拘泥するばかりで、政策がカバーすべき対象は誰なのか、最も優先的に解決すべき課題は何か、といった政策の拡がりが感じられない。

両者の目的を突き詰めると、「国債を減らすべし」という点で一致する。
異なるのは、シムズ信者は政府や通貨の信認低下&インフレを「是」とし、アンチ派はそれを「否」とする点だけで、要は、国債削減という目標達成の手段やアプローチの違いで揉めているだけなのだ。

筆者が、信者VSアンチの議論に物足りなさや違和感を覚えるのは、この点に尽きる。

我が国は20年以上もの低成長下で1,000兆円もの国債を抱えながら、インフレや信認低下に襲われるどころか、円高&空前の低金利、つまり、政府や通貨の信認の強固さにずっと悩み続けている。

しかも、悩みの真因が財出不足による実体経済の需要不足にあるが誰に目にも明らかなのに、それを決して認めようとしない。

こんな国で、通貨の信認低下を真剣に危惧したり、信認低下を発火点とするインフレを起こそうなんて考えたりすること自体が、あまりにもバカバカしい空想であることに、いい加減気付けないのか?

筆者は、インフレを人為的に起こそうとするエセ学者と、インフレにビビッて緊縮と改革を連呼するだけのインチキ学者とのくだらぬ論争にジャッジを下す気にもなれない。

「お前たちの政策目標は、その程度なのか?」、「そんな安っぽい政策で国民が満足するのか?」とひたすら呆れるだけだ。

命より税金惜しむクズばかり

『<大震災6年>「1者応札」苦渋の容認 競争性に疑問も』(毎日新聞 3/12)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170312-00000002-mai-soci
「8割台だった岩手県発注の建設工事の平均落札率(予定価格に対する落札額の割合)が東日本大震災後、9割台に上昇している。
同県は従来、入札に1事業者しか参加しない「1者応札」を認めていなかったが、震災後に入札不調が続出したため1者応札を認めるようになったことが一因とみられる。
復興工事を急がなければならないという事情はあるが、専門家からは競争性を疑問視する声が上がる。
 岩手県は競争性確保のため2008年1月、1者応札の場合は入札を取りやめ、条件を見直して改めて実施する制度を導入した。だが震災後、人材不足や資材高騰などを背景に1者応札が急増。10年度に3%だった入札不調が、11年度には9%に跳ね上がり、「復興を進めたくても進められない状況」(県の担当者)に陥った。このため11年11月から1者応札を認めた。(後略)」

バカマスコミの連中みたいに、口先では被災地の復興を唱えながら、いざ工事が始まると、入札手続きの瑕疵を問題視し、復興の足を引っ張るクズがうようよしている。

“復興促進よりも、公共工事に無駄ガネを使わせたくない”というのがクズどもの本音だから、工事業者が足りぬ地元の実状なんてそっちのけで、公共事業叩きに邁進している。

記事では、法政大名誉教授の五十嵐氏の「1者応札の落札率が90%台後半というのはかなり高い。いまだに仮設住宅に住む被災者がいる住宅関係の工事は別としても、港湾や道路などで1者応札を認めるほどの緊急性、緊迫性があるのか。入札のやり直しは2、3カ月あればできる。そのくらいは受け入れ、競争性を確保しなければならない」というコメント引っ張り出して、復興事業の入札が“お手盛り化”していると批判している。

しかし、こんなものはヤクザ紛いの下劣な言い掛かりに過ぎない。

他の公共工事にも言えることだが、100%に近い工事落札率のどこが問題だというのか?
「発注側(=自治体)が公的積算根拠に基づき予算付けした予定価格=支払ってもよいと認めた価格=落札率100%」なのだから、まったく適法ではないか。

五十嵐氏は、90%台後半の落札率が高すぎるなんて文句を垂れているが、これでも当初予定価格より数%ディスカウントされた価格だから何の問題もなかろう。

この記事を書いた毎日新聞の記者は、復興事業の意味や意義を全く理解していない。

2万人近い死者・行方不明者と40万個以上の建築物損壊、停電800万個以上、断水180万個以上という未曽有の大惨事をもたらした東日本大震災により、東北地域の太平洋沿岸を中心に、何の罪科もない地域の住民の方々は、耐え難いほど深い傷を負わされてしまった。

復興事業は、こうした被災者の生活再建と今後二度と同じような惨事を避けるために行われているのであり、何よりも、工事進捗のスピードと構造物の頑強さが求められる。

スピーディーさと堅牢さというニーズを求める以上、価格競争を旨とする入札制度に掛けること自体が本末転倒な発想であり、ましてや、入札不調ゆえにやむを得ず採った「1者応札」を不適切な手法であるかのように貶める記事を書く記者の神経を疑う。

世間知らずの幼稚な記者には、「お前は、東北復興よりも、無駄カネ叩きを優先させるつもりか?」と問い詰めておきたい。

さて、復興事業関連の工事といえば、岩手・宮城・福島の沿岸で進められている防潮堤工事が挙げられる。

防潮堤工事は計600か所で総延長400㎞、最大高さ15.5m、総事業費1兆円かかると言われる壮大な工事で、「海が見えない工事でいいのか」、「自然に対して傲慢になっている」、「防潮堤の裏には山と畑しかないからムダ」、「海が見えないと、海のリスクに対する感度が鈍る」といった類の批判が殺到している。

筆者は、震災復興の問題を、反原発運動や反公共工事運動にすり替えたいだけの薄汚いゴミ虫が吐く戯言など聞く気はない。

過去に何度も大津波に遭い、そのたびの貴重な人命と莫大な財産が失われてきた東北地方太平洋沿岸地域の住民の方々を、二度を悲惨な災害のリスクに晒したくないというのが、復興事業の究極目標である。

海が見えない、自然破壊云々と寝ぼけたことを言うバカ者には、いい加減に目を醒ませと言っておきたい。

また、「海が見えないと海のリスクに鈍感になる論」には、まったく根拠がない。

現に、明治三陸地震(死者1.8万人)、昭和三陸地震(死者行方不明者2,600人)、チリ沖地震と過去に何度も大津波に襲われてきた東北地方太平洋沿岸地域の人々は、毎日のように海と接し、海から多大な恩恵を受ける(地元の人々は「太平洋銀行」と呼ぶらしい)一方で、その恐ろしさを誰よりも知っていたはずだが、不幸にも、先の大震災で耐え難いほどの被害を蒙ってしまったではないか。

海という巨神がもたらすリスクは、人々が蓄積してきた知恵や経験を、いとも簡単に乗り越えてしまうことがある。
防災意識というソフトだけでは対応しきれぬ事態をカバーするために、防潮堤工事というハードの手助けが必要なのだ。

防潮堤工事の内容が不十分であり、もっと堅牢な構造にすべきといった前向きな批判ならともかく、「公共工事=ムダ」という程度の低い次元からの批判なら、居酒屋にでも行って勝手にやってもらいたい。

たったの1兆円で400kmもの防潮堤が整備できるのなら安いものではないか。
この先人口減少社会を迎える我が国にあっては、一人ひとりの人命は、これまでにも増して重くなるため、自然災害から国民の命や財産を守る事業は国家の存在意義そのものであり、何より優先すべきである。

税金惜しさに、命を守る貴重な事業の足を引っ張る汚い守銭奴には、次の記事をよく読んでおけと言っておく。

『普代守った巨大水門 被害を最小限に』(岩手日報
http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_309.html

風評被害を撒き散らすクズ

『日本食品、禁輸続く=近隣国で警戒-新市場開拓で光も・原発事故6年〔深層探訪〕』(時事通信 3/11)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170311-00000033-jij-soci
東京電力福島第1原発事故から6年。日本の農水産品には依然、外国から厳しい目が向けられる。特に中国など近隣国・地域の警戒は根強く、禁輸が継続。(中略)
農林水産省によると、震災直後には54カ国・地域が日本の農水産品の輸入を制限。今は33カ国・地域に減り、大半が産地証明があれば輸入可能とするなど規制を緩めた。衛生基準に厳しい欧州連合(EU)も昨年、大幅緩和に踏み切った。しかし、中国、台湾、香港、マカオ、韓国、シンガポール、ロシアは、それぞれが決めた野菜や魚など、特定地域からの食品に対し門を閉ざしたまま。(後略)」

東日本大震災という未曽有の大惨事が起きてから6年が経過するが、被災地の復興がままならない。

東北地方の太平洋沿岸地域を中心とする被災地の方々が受けた被害は、
①家族や親族、知人などを失くした、或いは怪我などを負ったという人的被害
②不動産や家財、金融資産、雇用などを失った財産的な損害
原発事故などにより居住地を失った生活面の損害
原発事故に託けた放射能絡みの風評被害
などに大別され、上記の記事は④の風評被害に該当する。

諸外国の連中が、日本産、とりわけ東北産の農水産品に対して、放射性物質の有無を持ち出して薄汚い言い掛かりをつけるのは、即刻止めてもらいたい。
特に、中韓露あたりの食品管理意識や流通網、保管体制がいい加減な後進国から文句を言われる筋合いなどまったくない。

食の安全云々に拘るつもりなら、最も大切なのは、消費者の口に入る寸前の川下工程の衛生管理であり、市場で魚を剥き出しで放置し、ハエがたかっても平気でいるような土人国の連中が、何を偉そうに言うか、と怒鳴りつけたい気分だ。

腐った鶏肉を加工するような中国人、発がん性物資が検出された辛ラーメンを平気で食べる韓国人、日本人の3.5倍近くもマヨネーズを食べるロシア人に、食の安全なんて言葉を口にしてほしくない。

この点はEUも同罪で、食の安全よりも、民度の低い移民の連中が惹き起こす犯罪リスクに対する身の安全を図る方が先決ではないか。

東北各県では、公的機関を使った地元産品の放射性物質検査をきちんと行っており(本来ならやる必要もない余計なコストなのだが…)、農水産品に関して安全面の問題は無い。

放射能云々よりも、温度管理のいい加減なトラックやコンテナで運んだり、購入した食材を何週間も冷蔵庫に放置したりする方がよほど不衛生だろう。

日本は、諸外国の根拠なき言掛りには毅然たる態度を取るべきで、政治色の強い日本食品禁輸措置に対しては、対象国の主産品の禁輸対抗措置を取るべきだ。
生意気なEUからワインやチーズの輸出を止めてもよいし、ロシア産キャビアの輸入を止めてもよい。

ご紹介した記事では、宮城県産の「ホヤ」が主要輸出先の韓国(生産量の7割が韓国向け)からの禁輸措置により、大量に廃棄せざるを得なくなった例が挙げられていた。
先の震災で養殖ホヤはすべて流出し、その後、漁業関係者の多大な苦労を経て、種苗の育成を含め5年もの歳月をかけ、ようやく生産・出荷に漕ぎ着けた挙句の禁輸措置には、さぞや、やりきれない想いだろう。

この手の薄汚い風評被害を失くすには、何よりも、当の日本人が被災地や被災者を全力で支えようとする気概が欠かせない。

意図的に偏見の目を向けてくる諸外国に対抗するためには、先ず、我々が身を挺して同胞を庇う姿勢が必要だ。

しかし、現実には、原発事故を針小棒大に報じるバカマスコミの口車に乗せられて、日本人自身が真っ先に放射能に怯え、被災地に対して汚い偏見の眼差しを向ける有り様だ。

先日とある新聞を見ると、東北の被災地の方々が、“家族の命を奪った恨めしい海だが、多大な恩恵をもたらすことを思えば敵には回せない”と語ったことを美談風に書いたコラムを読んだが、それならば、日本の電力供給の根幹を支え続け、国民の社会生活に膨大な恩恵をもたらしてきた原子力発電に対しても、同じような敬意を払うべきだろう。

原発事故に端を発する風評被害がこれほど根強いのは、事故発生後の政府の対応の不味さと、放射能リスクを煽り続けたバカマスコミやそれに賛同する反原発脳のクズどもせいであることに疑いない。

福島第一原発の事故は、明らかに、定外の大津波により惹き起こされた災害であり、東電の責めに帰すべきではない。

誰もが避け得ない災害に見舞われた以上、冷静かつ迅速な対応により被害を最小限に防ぐ行動と、それを資金面や技術面から国がバックアップすることこそが最重要課題であろう。

だが、当時の政府は、法に定めた賠償責任を放り出し、東電関係者を生贄として国民からの批難を集中させ、自らは事故対応の現場から逃げ出したのだ。

こうした政府腰抜けぶりが、被災者の復興そっちのけで、反原発運動と放射能リスクの風評被害を撒き散らすことにしか興味のないクズどもの跋扈を許したと言ってよい。

クズどもは、福島を「フクシマ」呼ばわりしたり、玩具みたいなガイガーカウンターでそこら中の放射線量測定ごっこに熱を上げたりしていたが、いまでも測定ごっこは続けているのか?

本当は、もう放射能リスクなんて存在しないことくらい、皆解っている。

福島県内を走る東北自動車道の一日の交通量は30万台、磐越自動車道は2万台、常磐自動車道は20万台以上にも及び、県内の空港や駅にも、震災前と何ら変わらぬ量の乗降客があり、誰もが日常生活を取り戻している。

原発付近で作業する作業員や取材に入るマスコミの中に、宇宙服みたいな防護服を着ている者もいないし、町民全員が外に避難した無人の町でも、野生化した牛やシカ、イノシシなどが元気に走り回っている。

ありもしない放射能リスクに怯えるふりや演技をせねばならぬのは、反原発を生き甲斐や飯のタネにするクズどもだけで十分だ。

国民が命を守る行動だけに専念できるよう

『「長靴業界」発言の政務官が辞任』(ロイター 3/10)
http://jp.reuters.com/article/idJP2017030901001705
務台俊介内閣府政務官(60)は9日夜、岩手県の台風被害の被災地視察を巡り「長靴業界はだいぶもうかった」と発言した責任を取って辞任した。松本純防災担当相に辞表を提出し、受理された。政府は10日午前の閣議で辞任を決定する。事実上の更迭で、安倍政権への打撃になるのは必至だ(後略)」

2011年に東日本大震災が起きた3月11日という厳粛な日を目前に控え、頭のおかしな与党の高慢ちき議員の馘が飛んだ。
務台氏は、以前、水害に遭った岩手県の被災地を視察した際に、こともあろうか長靴を忘れて、ほんの数mの小川を渡るのに、現地職員に負ぶってもらうという醜態を曝した札付きのクズだ。

こんなレベルの低い人物(彼は東大卒らしいが…)が政治の世界で踏ん反り返る一方で、被災地では、現地の公務員らが激務で自ら命を絶ってしまうという悲惨な事態が起きている。

『震災・原発対応で疲弊か 福島で職員9人自殺』(河北新報 3/8)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201703/20170308_63026.html
福島県と県内市町村の職員の自殺者が2016年度だけで9人に上ることが7日、自治労福島県本部のまとめで分かった。うち5人は今年1~2月に集中していた。
 東日本大震災東京電力福島第1原発の複合災害への対応に追われていることなどが背景にあるとみて、県本部は「心のケアが急務だ」などと指摘する。(中略)
 避難区域を抱える双葉郡8町村と南相馬市飯舘村の労組組合員を対象に昨年3~5月に実施した調査では、時間外勤務が月平均31時間以上との回答が38.0%に上った。200時間以上の職員も2人いた。全体の56.1%は通院や薬の服用をしていた。(後略)」

被災からの復興という極めて重要度の高い業務に当たりながら、被災者と行政との板挟みに遭い、激務と過度なストレスから、大切な命を絶たざるを得なかった職員の方々のこれまでの奮闘ぶりに深い敬意を表するとともに、ご遺族の方に心から哀悼の意を表したい。

世間では、復興事業の使い残しが多すぎる、震災を口実に無駄な事業を突っ込んでいるんじゃないかと、くだらぬクレームを付けたがるクズも多いが、こうした事態を招いたのは、復興業務に当たる公務員の絶対数不足と、復興事業を含めた国の直轄予算事業の手続きの煩雑さによるものだ。

しかも、ただでさえ面倒くさい行政手続きに加えて、事業に余計な嘴を差し挟める議員連中の調整も加わるから、現地の公務員らの御苦労も如何ばかりかとお察しする。

そもそも、国や県の予算執行に際して、やたらと厳しい支給要件や面倒な執行手続きを課したり、予算支出の検査を過度に厳しくチェックしすぎたりするのも問題だろう。

財務省会計検査院みたいに、国家予算を自分の懐と勘違いし、予算執行の粗探ししかできない連中に余計な口出しをさせぬためにも、自然災害の復興予算は政府直轄で立案・執行・管理するような新たな仕組みづくりが必要ではないか。

復興で最も重要なのはスピードであり、予算執行の適正さなんて二の次だ。
要件や支出目的のチェックにばかり目を奪われていると、住民の生活再建という大局を見失うことになる。

復興事業には、怪しからぬ輩や団体も絡んで様々な不正事案が起きているが、そんなものは個別にピンセットで摘み出せばよく、一部の不正チェックにばかり気を取られていると、肝心の復興予算の分配が疎かになる。

我が国の国土面積は全世界の0.25%を占めるのみだが、自然災害による被害額は17%を占めており、世界有数の自然災害国家であると言えよう。

日本にとって、自然災害は戦争以上の脅威をもたらす最大のリスクだと言っても過言ではなく、それに対する物心両面の備えは欠かせるものではない。

我が国の防災に対する基本的な考えは、以下に示すとおり、「減災」と「地域ネットワーク単位での自助意識向上」に委ねられている。

東日本大震災は,我が国の防災対策に多くの教訓を残した。特に,災害の発生を防ぎきることは不可能であること,大規模な災害が発生した場合は人命を守ることが重要なこと,災害対策のあらゆる分野で,予防対策,応急対策,復旧・復興対策等の一連の取組を通じてできるだけ被害の最小化を図る「減災」の考え方を徹底して,防災政策を推進すべきことが再認識させられた。(平成25年度版防災白書より)」

「(※「防災1.0(伊勢湾台風)」「防災2.0(阪神・淡路大震災)」「防災3.0(東日本大震災)」を経て)「防災4.0」では、地域、経済界、住民、企業等の多様な主体のそれぞれが、防災を「自分ごと」として捉え、相互の繋がりやネットワークを再構築することで、社会全体のレジリエンスを高め、自律的に災害に備える社会を、「防災4.0」の目指す姿と捉えている。(平成28年度版防災白書)

いかなるハード整備を以ってしても、大規模な自然災害を防ぎきるのは不可能だという考え方自体を否定するつもりはないが、だからと言って、防災や減災に資するハード施設整備を放棄するのは間違っている。

災害への備えや被災後の健康維持などの教育といったソフト事業のみで対応するのは、あまりにも非現実的だ。

特に、我が国では、自然災害の被害をまともに受けやすい山間地域や海岸部、河川流域、離島には、高齢者が数多く暮らしており、避難行動すらもままならぬケースも多いと推測される。

防災対策はハードとソフト両面の強化が肝心であり、どちらかに偏った対策では意味がない。

筆者としては、従来のハード整備事業やソフト教育と並行して、自然災害時の政府による資産補償制度の創設が、減災の一助になると考える。

大規模な自然災害、特に日本人を悩ます水害(津波などを含む)は、平凡な日常生活を前触れなく襲うケースが多い。

いまの防災は自助が基本だが、とっさに適切な避難行動を取れるものは少ない。
家や車、預貯金、家財等々、資産の流失が気になり、危険だと解っていながらも避難を躊躇して家に戻ろうとして災害に巻き込まれたり逃げ遅れたりするケースも多い。

また、運よく命が助かっても、資産を失った喪失感を抱えながら長引く避難生活を強いられることによるストレスから体調を壊したり、命を絶ったりする方も多いと聞く。

マスコミの連中は、「命を守る行動を」とか、「命があって良かったね」なんて他人事みたいに言うが、被災して身ひとつで寒空に投げ出された方は堪ったものではない。
命だけ助かったとしても、一切の財産を失って(借金だけが残ることもある)、どうやって前を向いて生きて行けるというのか。

こうした不幸な事態を少しでも緩和するとともに、自然災害発生時に、誰もが命を守る行動に専念できる公的災害補償制度を求めたい。
民間生損保への配慮が気になるなら、見舞金という位置づけでもよい。
日本人の平均資産額に一定額の補償金を上乗せして、被災者全員に迅速に支給できる制度が理想だ。(世帯当たり5,000~6,000万円程度が目安)

津波で家や財産が流されても、後で必ず国が補償してくれるという安心感を国民全員が常識として共有できれば、目前に迫る災害からのサバイバルに立ち向かう気力も出てくるというものだ。

突発的な自然災害発生時には、誰もが一旦は慌てふためき狼狽するだろう。
しかし、何かあったら国が補償してくれるという安心感さえあれば、財産のことなど気にせずに、自分と家族の命を守る行動に専念できる。
そうした個々の行動が、財産を気にして災害に巻き込まれるリスクを低減させ、迅速なサバイバル行動による人的被害の低下にもつながるはずだ。

自然災害は国民誰しもが直面しうるリスクであり、何よりも人的被害を最小限に止めるという最重要課題をクリアするためには、国家がカネを惜しんではならないだろう。

東京都知事はクズ揃い

築地市場の土壌からヒ素、基準の2.4売 13年調査』(朝日新聞デジタル 3/7)
http://www.asahi.com/articles/ASK375SFBK37UTIL056.html
築地市場(東京都中央区)の敷地内の土壌から環境基準の2.4倍にあたるヒ素などの有害物質が検出されていたことが、7日分かった。都道の建設工事にあわせて都が2013年に検査した結果で、同日に公表された。同市場の土壌から基準超の有害物質が検出されたのは初めて。(中略)都の土地の履歴を調べた調査によると、同市場の敷地には戦後、有機溶剤を使ったとみられるクリーニング工場などがあり、都は「敷地全体に土壌汚染の恐れがある」とみている。」

築地市場豊洲移転問題について、これまでエントリーで触れる機会はなかったが、筆者の見解は次のとおりだ。
①「築地」という国際的なブランド価値を考慮すれば、そもそも移転ではなく大規模改修で対応すべき
②ただし、①は豊洲市場建設前に決着しておくべき議論であり、新市場というハードが完成した今となってはもはや取り得ない選択肢だ
小池都知事のくだらぬパフォーマンスのために豊洲移転問題が悪用されることに、都民は厳しい眼を向けるべき
④政争の具と化した豊洲移転問題に費やされる都庁職員の膨大なエネルギーは単なるムダ

一言でいえば、「豊洲問題化利権に集る小池のババァとそれに群がるコバエどもはすっこんでろっ‼」ということだ。

朝日新聞の記事によると、築地大橋建設の際に橋台部分の土壌で、地下90㎝から水1ℓあたり0.024㎎のヒ素(環境基準は1ℓあたり0.01㎎以下)と、同1.3㎎のフッ化物(同0.8㎎以下)が検出されたが、都は「アスファルトに覆われており、健康に影響はない」とコメントしている。
これは、3月初旬頃に築地市場の汚染問題が取りざたされた際に、「(築地は)コンクリートアスファルトでカバーされている所なので問題はない」と答えた小池知事と同様に間抜けすぎるコメントだ。

小池氏の受け答えを聞いて、“コンクリートで覆われているのは豊洲も一緒だろ?”と、誰もが心の中で突っ込みを入れたに違いない。

築地市場は、都も「敷地全体に土壌汚染の恐れがある」と認めているように、豊洲以上に土壌が汚染されている可能性が高い。

また、築地市場の不衛生さを指摘する声も多くある。
ベンゼンで騒いでいますが、これは煙草の副流煙にも含まれています。築地で魚を扱う人たちには喫煙者が多い。咥え煙草をしながら、ターレ(運搬車)に乗って仕事をしている者もいます。そういう連中は大半がポイ捨てですよ」
「だから、外国人観光客がマグロに手を触れて、記念撮影なんてことができてしまう。中国人観光客の中には、場内で立ちションをしている奴もいます。築地は不衛生極まりない」
「自分はトイレの汚れが気になる。トイレ内には水溜めがあって、用を足した後、長靴の汚れを水で流すよう促されています。しかし、ほとんどの者がトイレの汚水に触れた長靴のまま、場内を歩き回る。その地面の上をマグロなどの商品が引きずられていくわけです」
「築地には大量のネズミが潜んでいる。ここに住みつき、魚をエサにしているのは間違いない」
【参照先URL】https://www.youtube.com/watch?v=8jn08FJwLyI

こうした実態を放置して、築地市場の衛生状況を裏付ける科学的調査も為されぬままに、豊洲市場のみを一方的に不衛生呼ばわりするのは、あまりに杜撰かつ公平性に欠ける処置であり、小池氏の悪質なパフォーマンスに利用されたと言われても仕方がない。

そもそも、築地に限らず、行儀の悪い市場関係者や仲買人が行き来する市場に厳格な衛生管理を求めたり、ちょっとした不衛生ぐらいで大騒ぎしたりする方がどうかしている。
市場というエリアは、元々その程度のもので、これまで大きな問題も生じていなかったのだから、それでよいのだ。

小池氏は、そうした実状を無視して、“食の安全が侵される”とか“計画にあった盛り土がされていない”とか難癖をつけ、針小棒大に騒ぎを拡大させて自身の求心力拡大に利用し、それにバカマスコミやコバンザメみたいな“小池チルドレン”の連中が乗っかっただけのことだ。

豊洲移転をぐずぐず引き延ばしていては、余計な維持コスト(年間70億円とも言われる)がドブに捨てられることになる。
これでは、税金の無駄遣いでしかなく、小池氏の決まり文句の“都民ファースト”どころか、“都民ワースト”にしかならない。

財政力が豊かで緊張感に乏しいせいか、東京都政は、いつもくだらぬ話題で大騒ぎしたり、右往左往したりしている。

東京都民は、“東京が稼いだ税金を、穀つぶしの地方にバラ撒くのはけしからん”と生意気なことをぬかし、二言目には“2020年のオリンピック開催”云々と自慢げに語りたがるが、選出される知事のレベルは大阪府並みに低く、選ばれた知事も問題児ばかりだ。

都民の民度なんて、たかが知れている。

家計消費を増やすには

世の中には、「マネタリーベースを拡大させて予想物価上昇率を引き上げれば、実質金利が引き下げられて民間投資や住宅投資が拡大し、景気が刺激される」と信じ込む変わり者がいる。(※リフレ派&エセ教科書学派)

つまり、「インフレ予想」が家計や企業の投資・消費意欲を刺激するという訳だが、現実はそう上手くは行かない。

所得や売上・収益上昇が先行するディマンドプル型のインフレなら良いが、生活必需品や製造コストの値上がり負担を強いられるだけのコストプッシュ型インフレが起きた場合、家計や企業が取るのは「支出の削減と節約」という防衛行動のみだ。

そして、いま、実体経済で起きている消費縮減のスパイラルは、まさにこれに当たる。

『固定費ずしり、緩まぬ財布 スマホ・保険料・光熱費…支出の1割に』(日経新聞 2/27)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13399770W7A220C1NN1000/
「ちょっぴり収入は増えたけど、財布のひもは緩めない――。こんな世帯が増えているようだ。税や社会保障の負担が増えているのが一因だが、それだけではない。通信費や生命保険料、電気代といった「固定費」が年々膨らみ、家計をじわりと圧迫している。(後略)」

記事では固定費増加事例として、
スマホやネット通信費は年間19万7千円と、10年前から6万8千円も増えた
・掛け捨て型の保険の費用は年10万2千円と初めて10万円を超え、10年で2万7千円増えた
・電気代は11万5千円と同7千円増加し、上下水道代も上がっている
などを挙げている。

また、記事によると、スマホ・ネット料金、生保の保険料、電気代の合計額が約41万円と、10年前より10万円も増え、消費支出に占める比率は1割を超えたそうだ。
こうした固定費負担の増加が消費の重荷になり、家計は防衛行動を取らざるを得ず、預貯金に回す金額は逆に19万6千円も増えている。

要するに、大手通信キャリアの価格カルテルや低金利下での保険会社の運用難、東日本大震災後の誤った再生エネ推進政策の負担のツケ回し等々、政策の失敗による負担増を押し付けられた形の家計は、好まざるインフレに耐えかねて、支出を増やすどころか、支出切りつめと節約にひたすら励んでいる。

これでは「インフレ期待」など起こりようもない。

“無難な経済運営”と評されるアベノミクスの施政下で実際に起きているのは、
「家計調査によると、2人以上の働く世帯の実収入は632万4千円でリーマン危機前の10年前を1万5千円上回った。しかし消費支出は371万5千円と、12万8千円減った。
 内訳からは「減らせるところから減らしていこう」という強い意思がにじむ。世帯主のこづかいは7万4千円、贈答品も含む交際費は5万1千円減った。衣類も1万8千円減った。
 耐久消費財では家電の落ち込みが目に付いた。買い控えや製品単価の下落で2万円近く落ちた。(日経記事より抜粋)」
という惨状であり、家計の消費マインドはかなりネガティブだ。

アベノミクスのおかげで雇用が改善し収入も上がったと自慢するバカ者もいるが、満足のレベルがあまりにも低すぎる。

10年前と比べた実収入の伸びが、たったの年1万5千円 (月1万5千円の間違いではないのか??)でしかないことに、家計はかなり強く不満を募らせている。
消費支出が10万円以上も減っているのは、そうした不満や危機感の表れだろう。

通信費や電気代だけでなく、食料品や日配品などの値上がりも家計を圧迫しており、家計が財布の紐を絞める理由には事欠かない。

こうした窮状を逆転させるには、家計が明確な「所得増加期待」を確信できる政策、つまり、家計所得をダイレクトかつスピーディーに増加させる大胆な経済政策が必要になる。

消費税廃止、社会保険料負担の軽減、恒常的定率減税最低賃金の大幅引き上げ、公教育費負担の軽減、公的医療費負担の軽減など、打てる策はいくつもある。
同時に、企業側の負担も考慮して、積極的な財政政策を打ち、人件費原資を捻り出すための事業所得を獲得しやすくなるような経済環境を創出する必要もある。

人々の財布の紐の固さは、デフレ圧力の強さに比例するのだから、選択すべき政策は誰の目にも明らかだ。

家計にカネを使わせようとするのに、政府がカネを使わずに済まそうとするなんてあり得ない。
財源など気にせずに、国民や企業が驚愕するほど巨額の財政支出を明言し、予算付けを望む業界や団体から広くニーズを募ればよい。

政府が、そのくらいの積極性と覚悟を示さぬ限り、デフレ志向に染まり切った家計や企業の心理を動かすことはできぬだろう。

ジャンク政策

『次は「異次元の財政政策」か 冒険やめて地道な改革を』(日経新聞客員コラムニスト 平田育夫 2/27 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO13383860V20C17A2TCR000/
「デフレ脱却へ敗色濃厚な異次元の金融緩和策に代わるのは「異次元の財政政策」なのだろうか。安倍晋三首相と近い浜田宏一内閣官房参与(米エール大名誉教授)が「目からウロコが落ちた」とはやすのは米国発の経済理論。積極財政でインフレを起こせばデフレ脱却にも財政再建にも役立つという。放漫気味な日本の財政運営を応援するような内容だ。
 だが日銀緩和だけではなく、新たな案も財政破綻を招きかねない劇薬である。冒険的な政策はそろそろやめにして、次世代のため財政改革や成長戦略を地道に実行するときではないか。(後略)」

正直言って、外人経済学者の新説を聴かされるたびに目からウロコを落としている浜田氏が、安倍首相にどれほど影響を与え得るものか大いに疑問だ。

よって、日経がオロオロ心配せずとも、安倍氏はこれからも財政再建の道をひた走るに違いないが、日経は、安倍首相がシムズ論文を鵜呑みにして財政再建の手綱を緩め、大規模な財政政策を打つのではないかと相当警戒しているようだ。

コラムニストの平田氏は、シムズ論採用後の安倍政権の経済政策について、次のようにシミュレートしたうえで、『異次元緩和もシムズ説もインフレをテコに成長と税収増を促し財政再建を狙うという横着さがある。増税などに比べ政治的に容易でも、成否は読めず、失敗したときの代償は大きい。(中略)やはり財政改革と成長促進策を着実に進め、社会保障などが持続する社会に改革したい。成長促進では、完全雇用に近い今、需要追加より生産性向上など供給力強化のほうが大切だ。』と否定している。

【平田氏のシミュレート】
▼第1幕 政府が財政健全化目標や増税の延期を表明。インフレにはならず。
▼第2幕 そこで政治主導の積極財政が続く。日銀の異次元緩和も継続。
▼第3幕 「団塊の世代」全員が75歳以上となる25年が近づいて医療費急増による財政悪化が懸念され、物価が上がり始める。
▼第4幕 貯蓄の外貨への転換による円安などで物価が一段と上昇。だが日銀は金利上昇を嫌い厳しい引き締めをためらう。政治家は緊縮財政に動かない。
▼第5幕 人々の不安心理も重なりインフレが年10%超に加速。海外への資本逃避のほか政府と円の信用失墜、金融システム不安など経済は大混乱に陥る。

平田氏の妄想の逞しさには脱帽するほかない。
特に、第2幕の政治主導の積極財政なんて、いまの安倍政権や自民党の連中には、絶対に無理だ。(民進党や維新のバカどもにも無理だろうが…)

なにせ、憲法改正草案に財政規律条項を盛り込もうとしたり、政府の諮問会議に世情に疎い識者を集めて財政再建論や歳出改革論の後押しをさせたりするような輩に、積極財政など期待する方がどうかしている。

それはさておき、先ず、第3幕の団塊世代後期高齢者化による医療費急増に起因するインフレ発生説とやらに釘を刺しておく。

確かに、2025年の医療給付費は54兆円と推定され、2015年(40兆円前後)より14~15兆円ほど増加する見通しだ。
だが、2015年より10年前の医療給付費は26~27兆円ほどであり、2015年→2025年間の増加額は、2005年→2015年の実績と大差ない。

無論、これに莫大な介護費用が付随するから話は単純ではないが、要は、その間にGDPをきちんと伸長させ、医療給付費の対GDP比率を適切な範囲内に抑えておれば何の問題もない。

平田氏の「医療費増加=急激なインフレ」論が、何を根拠にしているのか謎だが、2025年までの間に日本経済が急激な経済成長を遂げることを前提にしているのなら、そこで発生するインフレはディマンドプル型の望ましいものであるし、対GDP比で一定範囲内に収まっていれば問題は発生しない。

逆に、経済成長を前提としないのなら、急増する医療費負担に耐えかねた国民は他の支出をきつく絞り込むはずであり、インフレよりも深刻なデフレを心配すべきだろう。

次に、第4幕の「貯蓄の外貨への転換による円安などで物価が一段と上昇」なる幻想にもモノ申しておきたい。

平田氏は第5幕の政府や円の信頼失墜という幻想に絡めて、「高インフレ→通貨の信認下落→円売り→外貨買い」というインフレ恐慌発生ルートを想定しているようだ。

しかし、2015年末の個人金融資産残高1,740兆円のうち外貨資産は42兆円と、たったの2.4%でしかなく、長期トレンドで見ても大して増えていない。
しかも、平田氏の云うとおり、円の信用失墜→大幅な円安傾向ともなると、ますます外貨購入にブレーキが掛かり易くなるから、急激な円の外貨転換なんて起こり得ない。

平田氏の数々の妄言は、「財政改革や成長戦略を地道に実行する」、「需要追加より生産性向上など供給力強化のほうが大切だ」という結論に導くための前菜でしかない。

だが、彼の大好きな財政改革は実体経済に投じられる資金量の縮減させるもので、成長戦略とやらは資金の裏付けが伴わぬ政策である。
さらに、需要不足下の供給力強化は、不毛な競合と安値競争を生み出すだけの愚策でしかない。

要するに、平田氏の提案は「不況やデフレを深刻化させる毒薬」ばかりで、まったく話にならない。

財政政策を「冒険呼ばわり」する神経は緊縮脳のドシロウトそのものだ。

彼の説く「地道な改革」こそ、デフォルトリスク300%の超ジャンク債である。