うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

緊縮主義者は、国民負担に甘えるフリーライダー

『海外反応! I LOVE JAPAN

http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51950589.html

「イギリスの郵便局が毎年発表する『Long Haul Holiday Report(長距離休暇レポート)』で、東京が物価の安い旅行先第1位に選ばれた。同レポートが示す東京のコスパは、他を寄せ付けないまさにぶっちぎりのトップとなっており、デフレで常態化した低価格競争と、このところの円安が影響したと見られている。(略)」

 

日本経済はバブル崩壊以降、橋本行革や小泉構造改悪によって緊縮政策へと方向転換し、20年もの長期にわたり躓きっぱなしで、その間、成長を続ける諸外国からおいてけぼりを喰らってしまった。

 

東京の物価は世界一高いなんて言われたのは遠い昔のこと。

バブル期には、日本人が香港やハワイ、シンガポールなどへブランド品の買い物ツアーに出かけるのが当たり前だったが、いまや、大挙して押し寄せる外国人観光客にとって「日本=物価が安くて安全な国」でしかない。

 

我が国が“世界で唯一の非成長国”に落ちぶれてしまった原因は、

国債増発はご法度」

法人税率引き上げは世界の潮流に逆行するからダメ」

所得税の累進強化は成功者のやる気を削ぐからダメ」

といった根拠ゼロの怪しい経文を頑なに信じ、消費税率UPや社保負担増加という形で低中所得層の国民にツケ回してきたからに他ならない。

 

緊縮政策によるマス層の所得低下が国内需要を凍りつかせ、産業の生産性や収益性を弱体化させるという教科書通りの経済失政をこれだけ続ければ、誰がやっても失敗以外のゴールに辿り着くことはなかろう。

 

『消費税と「賃金税」のどっちがましか』(アゴ池田信夫)

http://agora-web.jp/archives/2038748.html

「消費税の増税はマクロ経済的には賢明とはいいがたいが、政治的には意味がある。社会保険料は(企業負担分も含めて)労働者から徴収する賃金税なので、その負担増には企業や労働組合が反対するからだ。社会保障支出は超高齢化で激増するので、これを賃金税だけで負担すると現役世代の負担が重くなる。

消費税が「逆進的だ」と批判する人が多いが、貧乏人も大富豪も月額1万6410円徴収される国民年金保険料こそ逆進的な「人頭税」だ。(略)」

 

池田信夫が卑怯なのは、増大する社会保障財源の捻出手段として、法人税増税累進課税強化、国債増発などを端から排除し、「消費増税or賃金税(社保負担増)」しか選択肢がないかのように誘導している点だ。

 

彼は、法人税所得税増税について、「消費税を敵視する人がよくいうのは「大企業はもうけて内部留保がたくさんあるんだから法人税増税しろ」という話だが、これは不可能だ。グローバル化に対応して法人税を下げる租税競争が強まっており、アメリカが法人税率を21%に下げた現状では、日本の30%をさらに下げる必要がある。同じ理由で、ゆがみの大きい所得税増税することも考えられない」、「政治的には法人税所得税増税という選択肢はなく、消費税か賃金税か国債かの3択になる」などとアホな意見を吐いているが、まことに厚かましく図々しい。

 

財界やそれをヨイショする幇間芸人の連中は、国際競争の観点から法人税引き下げ競争に負けられない、と言い張るが、法人税率引き下げの効果は確認できない。

ただ単に企業を甘やかすだけの“えこひいき政策”と非難されても仕方なかろう。

 

法人税率は1980年代後半から引き下げ一途で、基本税率の最高税率は43.3%から23.4%にまで低下している。

特に、1999年に30%→25.5%へ大幅に引き下げられて以降、国際競争力や労働分配率の向上が期待されたが、そういった効果はまったく確認されていない。

 

日本の国際競争力(*国単位の競争力であり、企業の競争力ではないことに注意)は、90年代初頭まで1位を保っていたが、1997年以降急落し、2018年時点で25位に沈んでいる。

また、労働分配率も最近は67~68%にまで低下し、75%を超えていた2000年辺りと比べても非常にみすぼらしい。

 

そうした惨状の一方で、「企業の内部留保、446兆円=6年連続で最高更新-17年度末」という強欲ぶりを見せつけられてもなお、アホの池田氏は、国際競争力云々と言い張るつもりか?

【参照先】

https://www.integrity.or.jp/hojinzei-zeiritsu-suii/

https://www.mri.co.jp/opinion/column/trend/trend_20180802.html

https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2018/01/watch_1801.pdf

https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_eco_company20180903j-05-w390

 

結局、法人税をまけてやっても、企業は浮いたカネを懐に貯め込むばかりで、従業員に報いようともせず、国富(生産力・技術力)の育成に使おうともしない。

 

企業は、国民の犠牲の下に、「法人税率軽減・超低金利・雇用流動化・非正規雇用増加」というクアドラプル(quadruple)メリットを長年享受しておきながら、何の恩返しもしようとしないドラ息子や放蕩息子の類いとしか言えず、そんな恩知らずを甘やかす必要はない。

 

社保負担が必要なら、法人税率をもっと引き上げ、高額所得者への累進課税をより強化し、「社会に巣喰う悪質なフリーライダー」のだらけ切った根性を叩き直すしかない。

それが嫌なら、国債や貨幣の増発による財源調達に賛成すべきだ。

1997年をピークに国民の平均所得がダダ下がり状態のいま、需要不足を加速させるだけの消費増税や社保負担増という選択肢は絶対にあり得ないのだから…

 

池田氏はコラムの中で、次のようにとぼけたことを述べており、それらのアホらしさを指摘して本稿の締めとしたい。

 

国債の負担は社会保障と同じで、gを名目成長率、nを生産年齢人口増加率、rを長期金利とすると、それが将来世代の負担増にならない条件(動学的非効率性)は、g+n>rとなることである』

 

国債発行により行われるインフラ整備や諸々の事業、給付金などは国民生活を支える糧や基盤となる財産となる。

▶また、国債は、通貨発行権により最終的な弁済能力が保障された(*実際に残高を減らす必要はないが)「国民の資産」であり、将来世代への贈与財産にこそなれ、負担やツケ回しになどなりようがない。

池田氏おススメの消費増税や社保負担増(賃金税)は、そもそも名目成長率を引き下げ、「国民所得減少→雇用不安低下→婚姻率低下→少子化→生産年齢人口減少」をもたらす悪手中の悪手であり、g+n>r をg+n<rへと悪化させ、将来世代に大きなツケと禍根を残す。

 

国債という選択肢を認めると、政府の予算制約がゆるんで放漫財政になるリスクもある』

 

▶財政規律の厳格化が不況をもたらし悪化させたことに対する反省の色がまったく見えない大バカ者だ。

▶放漫財政は、民間経済に所得・雇用の安定、消費活性化、長期投資意欲の醸成という効用をもたらすという事実を意図的に無視する暴論。

▶政府予算の制約は、民間経済の投資や消費意欲を消極的にさせる最大のリスクである。

 

『負担が重くサラリーマンに片寄る賃金税より、税率がEUの半分以下で高齢者も負担する消費税の増税のほうがましだ』

 

▶消費増税はサラリーマンをはじめすべての国民負担を重くするだけの最悪の税制。

▶消費税は、経済の根幹を成す消費・投資に対する罰則やペナルティであり、経済成長を目指す国家として触れてはならぬ政策だ。

▶社保負担の財源を巡り、負担の持って行き場を議論するのは最悪の愚策。誰の負担にもならぬ政策(国債・貨幣増発)を粛々と進めるのが当然の常識だ。

同床異夢のリフレ派と貨幣負債論者

『リフレ派とMMTは別物 見え隠れする財務省の目論見』(高橋洋一霞ヶ関ウォッチ)

https://www.j-cast.com/2019/05/09357025.html?p=all

MMT(現代貨幣理論)という言葉が、新聞やテレビでも取り上げられるようになっている。(略)

 この考え方は、アメリカの主流経済学者からは批判されている。筆者も、文献を読んだが、さっぱりわからない。通常の経済理論は、誤解のないように数式モデルで構成されているが、MMTには雰囲気の記述ばかりで、まったく数式モデルがないからだ。(略)

 日本では、リフレ派の主張は、しばしばMMTの主張と混同される。筆者からみると、MMTで数式モデルがないのでどうして結論が出てくるのかわからない。(略)

 リフレ派の議論は、アメリカ主流経済学者も賛同するし、定量的な議論の上に、財政再建は終わっているとか、財務省にとって目障りだ。

  財務省からみれば、MMTを潰せば、リフレ派も自動的に抹殺できると思っているフシがある。(略)」

 

リフレ派の連中はMMTのお仲間に分類されるのがお嫌いなようだ。

 

「数式がない!」、「アメリカの主流経済学者も批判している!」とまくしたてるが、数式ばかり並べたリフレ理論が、“実行後6年以上経過→インフレ目標未達のまま”という体たらくでは何の説得力もないし、自らの知見や理論で反論できず、“アメリカ”、“有名学者”という権威に縋らざるを得ないのは、情けないことこの上ない。

 

また、高橋氏は、財務省がMMT批判に乗じてリフレ派潰しを画策しているかのような幻覚に怯えているようだが、そもそも財務省は、既発債と日銀当座預金の両替でしかない、つまり、新発債増発につながらない量的金融緩和政策をそれほど警戒しておらず、敵視もしていない。

国債の所有者が民間金融機関から日銀に変わるだけのことゆえ、緊縮政策に直接害を及ぼすものではないから、財務省として“ほとんど相手にしていない(=眼中にない)”、という方が正確だろう。(リフレ派を抹殺云々以前に、リフレ理論はもう死んでいる)

 

高橋氏は、何の経済成果もあげられず嘲笑され、過去の遺物と化したリフレ理論に代わって、積極財政策が時代の脚光を浴び始めたのが妬ましくて仕方ないだけだろう。

 

リフレ派がMMTを妬み嫌う一方で、MMT論者、特に、貨幣負債論や租税貨幣論固執する連中もまた、リフレ派を嫌っている。

 

『上念司のMMT批判』

https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12461080884.html

「「MMTは事実を語っているだけの故に、様々なウソや詭弁を明らかにします。単刀直入に言います!MMTを批判するとリフレ派になっちゃうゾ!」(略)

 新自由主義者構造改革礼賛で緊縮財政とグローバル化を推進し、金融緩和のみで経済成長が可能とする典型的ネオリベ野郎のリフレ派が、予想通りMMT(現代貨幣理論)にイチャモンを付け始めました。(略)

 リフレ派は反緊縮を装っても、MMTの対極に位置する経済思想です。事実だけを語るMMTと異なり日銀当座預金の残高が増えると景気が良くなるという『又貸し』理論を掲げるリフレ政策でデフレ脱却に失敗したのは当然です。(略)」

と、こちらもリフレ批判のボルテージ全開だ。

 

リフレ派と貨幣負債論者(MMT支持者と同一とは限らない点に注意)…。

片や、実質金利低下予想を操作して貸出増や負債拡大による経済拡大を訴え、片や、国債と貨幣の本質を誤解したまま両者を混同し、経済成長は負債拡大によってのみ達成されると強弁する。

 

負債拡大を経済成長の梃だと考える点で両者は見事に一致しており、互いにいがみ合う理由が理解できない。

両者の中傷合戦なんて、所詮は貨幣の本質を曲解した者同士による、“金融緩和か、財政政策か”という同族嫌悪やコップの中の諍いでしかなかろう。(負債好き者同士、もっと仲良くすればよいのに…)

 

リフレ派は積極財政を嫌悪し、地方経済や公共インフラの崩壊を放置する。

貨幣負債論者は直接給付型の政府支出を毛嫌いし、国民の所得不足を加速させる。

 

ともに、「国民を困窮から救うよりも、ワイズスペンディング(支出目的の取捨選択)が大切」という自己責任論まみれの陳腐な発想だ。

 

彼らは経世済民の基本を忘れている。

何よりも「民を濟(すく)う」のを優先すべきなのに、「労働意欲が失われる」とか「悪平等が生じる」とくだらぬ言い訳を並べて、国民がたやすく貨幣を手にするのを邪魔しようとする。

 

そこにあるのは「経世済民」ではなく、「経世済“財”」だと非難されても仕方あるまい。

 

四方八方からの批判にビクともせず、『必要なのは雇用を考えることだ。MMTの目的の一つは、連邦政府で雇用の受け皿をつくることだ。財政政策で連邦政府が雇用を保障し、誰でも仕事を得られるようにする。1千万人が現れたら1千万人を雇う。誰も来なくなれば完全雇用を達成したとということだ』と言い放つケルトン教授の心意気を見習うべきだ。

【参照先】https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43709760T10C19A4000000/

 

リフレ派は、量的緩和さえやり続ければ民間経済主体が負債拡大に走り出すと妄想し、貨幣負債論者は、政府が「貨幣とは負債である故に「国の借金」は増えて当然だ」とアナウンスすれば国の借金に対する国民の疑念も晴れると自信満々だ。

 

彼らは、家計や企業による「負債の拡大」など、いともたやすく実現できると高を括っているが、現実は甘くない。

 

実質金利が下がろうが、予想インフレ率が上がろうが、カネを持っていない国民や企業は、自己防衛のため、値上がり前の駆け込み消費よりも節約の強化を選択する。

また、貨幣が負債だと聞かされた国民は、「国債ばかりか、お金も負債なんだって?? いったい誰が国の借金を払うんだよっ‼ 負債で借金を返せるのか? もう、カネの発行も止めろ(# ゚Д゚)」と、大逆ギレ必至だろう。

 

とある貨幣負債論者のブログから、貨幣負債論を語った箇所を抜粋する。

「MMTの基本は、貨幣の発行のしくみ、つまり、「現代のおカネは、(ほぼ)すべてが銀行の信用創造によって作られている」という点を理解することにあります。

信用創造によっておカネが作られるとは、世の中のおカネは、貸し出しによって作られるということを意味します。言い換えれば、「世の中のおカネは、すべて、誰かが銀行から借金することによって作られている」ということです。

逆に言えば、銀行から借金する人が居ないと、世の中からおカネが無くなることを意味します。借金しないと、おカネが不足するのです。これは事実です。(略)」

【参照先】http://noranekoma.blogspot.com/

 

経済を還流する貨幣の多くが、預金→融資(貸出)を通じた信用創造で生み出されたのは確かであり、その構造は、負債を背負う債務者が、資産を所有者する債権者から与えられる信用によって成り立つ。

 

貨幣負債論者は、「貨幣という負債の塊を増やし続ける」ことで、信用取引を永久に拡大し続けられると強弁するが、信用拡大を支えるために必要な“根源的資産”の存在を見落としている。

 

経済成長に伴い、投資や消費拡大を通じた企業や個人が借入(負債)を拡大するのは事実だが、「不況→負債拡大→好況」と一足飛びにはいかない。

負債が順調に拡大するには、その前提として“好況状態の経済”が存在する必要がある。

 

民間が負債を嫌うなら、政府が国債を増やし負債を拡大すればよいのだが、現実には、「民間がカネに困り節約に苦心しているのに、政府がバラ撒きなんてけしからん!」と国民の大反対に遭い、国債増発など望み薄の状況だ。

 

“国民総借金恐怖症”なる難病を克服するにあたり、「貨幣はもともと負債だから、負債を増やさぬ限り経済成長なんてありえないだろ?」という屁理屈が通用すると思う方がどうかしている。

 

借金恐怖症の病根は、負債の返済原資を見つけられず、負担を負わされるのを恐れる国民の不安感や不信感にあり、「皆さんが欲しがる貨幣は負債ですよ」なんて言った日には、「えっ? お金が借金だなんて… こりゃ、日本も終わりだわ」とパニックを招くだけだろう。

 

それが信じられないなら、自分の家族や知人に「貨幣は負債だよ。解るよね!?」と聞き、相手の反応を見ればよかろう。

 

“誰かの負債が、他の誰かの資産”であり続けるためには、債務者の信用を裏付ける資産、負債の返済に疑念を抱かずに済む資産がなければならない。

 

債権者が信用取引に応じ、債務者の負債拡大に協力するのは、負債の対価として受け取る貨幣が、国が最終的に保障する“国民共有の資産である”との理解が広く共有されているからに他ならない。

 

負債と資産による無限の相互創出行為の行き着く先は国家が保証する「資産」でなければ、経済活動は萎縮し、やがて破綻してしまうだろう。

民間経済主体に負債負担の責任を押し付け、負債拡大に期待しまくった挙句、資産(貨幣)不足という現実に抗えず惨敗したリフレ理論や構造改革論の失着を思い起こせばよい。

 

国家が通貨発行権を発動して創造する貨幣は、生まれながらの「資産」であり、資産として実体経済の海に流入し、貸借契約という取引に使用され初めて負債へと姿を変える。

もともと資産としての役割を与えられた貨幣は、民間経済における使用用途に応じて、負債や資産に形を変えているだけに過ぎない。

 

また、貨幣負債論者は、スペンディング・ファースト(支出が財源確保に先行)と信用創造の仕組みが同じ、つまり、民間銀行の信用創造のメカニズムが政府支出でも起きているゆえ、貨幣は負債だと主張する。

 

「財源を確保してから財出項目を決めるのでは遅すぎる。まず、国家がやるべき政策を定め実行に移す。財源は国債や貨幣増発で後から捻出すればよい」とし、そこから「税は歳出の財源ではない」という結論に導くスペンディング・ファーストの発想には、筆者も大いに共感する。

ペンディング・ファーストは、税に依存せず通貨発行と国債増発を主軸とする歳入構造改革を訴えてきた筆者の主張とも軌を同一にするものだ。

 

ただし、それは「預金が先か、貸出が先か」という信用創造論争とは別問題だ。

 

ペンディング・ファーストとは、税収に縛られない歳出構造により社会的課題や政策課題解決のスピードUPを図るための理屈づけであるのに対して、民間銀行の信用創造における「貸出ファースト論争(預金が先か、貸出が先か)」は、ただ単に“誰かの負債”と“他の誰かの資産”とを無限拡大させる着火点が「預金or貸出」なのか、という先陣争いでしかなく、両者を同一の概念で論じるのはまったく無意味だ。

 

「そもそも、政治や政府の役割はカネ集めではない。財源探しに熱中して国民に負担を押し付けるのではなく、幾多の社会的課題解決を優先し、国民生活の向上に専念すべき。そのためには、国民に抵抗感の強い税に依存せず、貨幣や国債増発でスピーディーに財源を確保すればよい」というのが、スペンディング・ファーストの存在意義であり、“貨幣は負債です”なんていうバカげた空想論を唱えるためではない。

 

その点を勘違いした貨幣負債論者は、「政府は税収は一切関係なしで、日銀に借金をして(政府短期証券の発行)つまり貨幣を発生させて、国民に支払いを行っています。負債によって発生した貨幣は、返済で消滅しますが、政府支出も同じで税で徴収された貨幣は消滅するのです」などとアホなことを抜かす。

 

この一文には二つの誤りがある。

 

一つは、借金でも負債でもない政府通貨発行を意図的に省き、貨幣発生ルートを国債だけに限定し、貨幣は負債によってしか発生しえないと大嘘を述べている点だ。

読者の皆様もご存じのとおり、政府は国債発行(負債発生)という方法だけでなく、貨幣製造(造幣益発生)というルートからも貨幣を供給することができるし、現にやっている。(硬貨製造)

 

もう一つは、税で徴収された貨幣が消滅するという勘違いだ。

国庫に収納された税は、次年度の予算として再び民間経済へ放出されるし、よしんば、それを国債償還に充てたとしても、それを受け取る金融機関の口座に入金されるだけだ。

そこで消滅するのは「負債⇔資産、債権⇔債務」の関係だけであって、決済に使われた貨幣そのものは消えない。

 

そもそも、税制や信用創造国債複式簿記あたりの仕組みやメカニズムから、貨幣の本質を説明しようとすること自体がおこがましい。

 

貨幣は、税(金納制度)とか簿記が世に登場するよりも遥か以前に存在し、太古の昔から人々の生活に根付いているのだから、後付けの制度で貨幣の正体を暴こうなんて、土台無理に決まっている。

 

愚かな貨幣負債論者には、「貨幣は国民共有の資産である」と暗記してもらうしかない。

緊縮主義者の経済センスのなさはジャンクの証し

すでに何度も拙ブログで述べてきたが、MMT(現代貨幣論・現代金融論)に対する筆者の見方は、

①積極財政による社会的課題解決が最優先(スペンディング・ファースト)

②貨幣は負債から生まれる(貨幣負債論)

③税こそが貨幣を駆動させる(租税貨幣論)

というMMT三要素のうち、①には全面同意するが、②③は何の根拠もない空想論でしかない、というものだ。

 

政府紙幣発行や国債を主軸とし、税に頼らぬ財政支出構造を組み立て、それを財源とする積極財政に基づく社会構造の再改革に踏み切るにあたり、貨幣負債論と租税貨幣論はまったく無用であるばかりか、邪魔にしかならない。

 

貨幣負債論と租税貨幣論のバカバカしさを指摘すると、「うずらの野郎はMMT否定派だ‼」と騒ぐアホもいるが、筆者は「国民生活や国富の維持向上のためなら、誰の負債にもならぬ“貨幣”を躊躇せず活用すべし」を持論としており、目指すべきベクトルはMMT論者と同じだと思っている。

 

さて、我が国は、“中間層の没落や不公正な税制、平均所得の低迷、医療・介護・年金など国民負担率の悪化、雇用の不安定化、最低賃金の低迷、就学コストの上昇、少子化の進行、婚姻率の低下、地方人口の減少、老朽化インフラの放置、科学技術力の疲弊、産業競争力の低下”等々、数え切れぬほど膨大な社会的課題を抱え、その症状は悪化の一途を辿っている。

 

我々が20年以上の長期不況から何時まで経っても足抜けできないのは、“政・官・財・報・学・民”、つまり、ほぼ国民全員に近い層が、貨幣や財政に対してまったく無理解、あるいは、大きな誤解を抱えたままであるのが最大の原因だろう。

 

まったく明ける気配すら感じられない平成不況の闇は、

・国家財政を家計簿と見間違え、

・政府の借金を国民の借金だと勘違いし、

・国家による通貨発行権を知らず、

・経済成長と幸福の追求を諦め、

・本当の国富が何であるかまったく考えようともしない、

あまりにも幼稚で怠惰な国民が自ら招いた厄災なのだ。

 

長期不況という切迫感の薄いぬるま湯に浸かった茹でガエル(国民)は前進するのを嫌い、緊縮主義者(反国民主義者)の唱える念仏を聞きながら衰弱死するのを願っているように見える。

 

『日本は「トンデモ経済理論」MMTの成功例か』(JBPRESS 池田信夫)

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56283

「(略)MMTも、無限に財政赤字を増やせると言っているわけではない。彼らもインフレが起こったら財政赤字の拡大を止めるべきだというが、どうやって止めるのかについての説明は曖昧だ。

 政治家は景気対策が好きなので財政赤字を増やすのは簡単だが、減らすのは大変だ。それは日本の消費税をめぐる騒動をみてもわかるだろう。インフレになったら、すぐ政府が歳出を削減するとか増税すると想定するのは現実的ではない。(略)

金利はなぜ上がらないのか。MMTには金利や物価を決める理論がないので、それはわからない。MMTはゼロ金利を前提するだけで説明できないゼロ金利限定の理論なので、金利が上がったら使えないのだ。(略)」

 

拙ブログでもお馴染みの池田氏は、骨の髄まで緊縮主義が染み渡っている。

彼が積極財政やMMTを支持する日など永久に訪れることはないが、コラムの内容があまりにも酷すぎるので、緊縮主義者を支持する国民へのあてつけの意味からも、その矛盾や過ちを指摘しておきたい。

 

緊縮論者は、不景気には無関心な割に、ありもしないハイパーインフレには強い警戒感を抱きがちだ。

 

池田氏は、積極財政派はインフレ防止策に無警戒だと不満げだが、金融政策を筆頭に為替政策や財政支出額の調整、税率や課税対象の見直し、関税の活用、投資や金融取引規制など手段はいくらでも転がっている。

何なら、手始めに高額所得者の所得税率や社保負担率、法人税率などを大幅に引き上げてもよい。

 

また、彼は、「政治家は景気対策が好きなので財政赤字を増やすのは簡単」だと時代錯誤も甚だしい妄言を吐いているが、筆者は少なくともこの20年間に“景気対策が好きな政治家”なんて見たことも聞いたこともない。

そんな奇特な政治家がいれば、日本が長きにわたり不況に苦しめられることはなかったはずだが?

 

彼のような緊縮主義者は、“国債増発=金利高騰”という時代遅れの公式を信じ切っているから、「金利はなぜ上がらないのか」という理由が解らぬようだ。

こんなものは、

・長期不況がもたらした需要不足による企業や家計の投融資意欲の低下

・日銀の量的緩和政策による金利調整

・日本国債に対する絶対的な信頼感

で簡単に説明がつく。

 

池田氏は、「MMTはゼロ金利を前提するだけで説明できないゼロ金利限定の理論なので、金利が上がったら使えない」と述べ、金利がゼロ水準からちょっとでも上昇すると積極財政論やMMTが瓦解するとでも言いたげだが、見当違いも甚だしい妄想だ。

 

かつて政策金利(前身の公定歩合を含め)は、1970~80年代に最高9%にまで達したことがあり、その期間は、我が国が積極財政方針を取り力強い経済成長を実現していた時期と見事に重なる。

 

緊縮主義者の連中は、積極財政への方針転換を阻止するために、ハイパーインフレとか次世代へのツケ回しを盾に文句をつけたがるが、そんな陳腐な言い訳は何の役にも立たない。

高度な生産力を有し、極度の需要不足に苦しむ我が国ではハイパーインフレなど発生しないし、「国債通貨発行権で保障された政府負債=国民の資産」は次世代への財産贈与であってツケ回しではない。

 

超低金利やゼロ金利というぬるま湯で長風呂したせいか、未来永劫ゼロ金利が続かないと金利高騰で財政破綻するかのような大バカ論を吐く者も多い。

緊縮主義者の連中は、金利にアンカーを架ける量的緩和政策をつかまえて、財政規律を弛緩させる愚策だと非難するが、ゼロ金利の罠に嵌まっているのは自分たちの方ではないか。

 

だが、そもそもゼロ金利なんてのは“緊急避難措置”であり、金利正常化に耐えられないほどひ弱な経済状態を前提とするのがおかしいのだ。

 

池田氏はコラムの後半で「MMTはゼロ金利という前提条件が変わると成り立たないが、正しい点もある。それは経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定だという主張だ。財政の健全化は経済の健全化の手段なので、均衡財政は政府の目的ではありえない」と一つだけまともなことを言っている。(枝葉の部分や前後のニュアンスにツッコミどころはあるものの…)

 

“経済政策の目的は財政の安定ではなく経済の安定だ”

“均衡財政は政府の目的ではありえない”

 

このレベルの常識を理解していながら、いまだに緊縮主義や新自由主義的発想から抜けられないのが不思議で仕方ない。

 

だが、コラムのさらに後段で「安倍首相は今のところギャンブルに勝っているが、それは今が経済的には「平時」だからである」のくだりを見て、やはりこいつはポンコツだと納得させられた。

 

20年不況や前代未聞のゼロ金利を「経済的平時」と言い切るセンスのなさ、感度の鈍さは、経済論者としてもはや致命的だ。

所詮、ジャンクはジャンクでしかない。

巨大ブーメラン リフレ派を直撃す!

【ときわ総合サービス研究所】

『弊社はMMTの信奉者ではありませんが、リフレ派のみなさんの一部にMMTを排斥するスタンスの人がいるのはほんとに意味がわかりません。「流動性のわなのもとでは財政が有効」という理解に立って、積極財政/反緊縮論のひとつと受けとめて暖かく見守る、ってことでよいような。』

飯田泰之

『同感な部分もありつつ,拒否反応が出る理由もわかる.

・内生貨幣論+政府負債による負債=資産創造の重視の座りが悪く感じる

・財政の使い道としてのJGPに代表されるように,計画経済っぽさを強く感じるあたり』

https://twitter.com/iida_yasuyuki/status/1124618212698509314

 

上記は、MMTを巡り、リフレ派の一人である飯田泰之氏のTwitter上で交わされたやり取りを抜粋したものだ。

 

MMTに対するリフレ派の反応はすこぶる悪い。

 

MMTの理論的支柱の一つである「貨幣負債論(貨幣は負債から生まれる)」の思想は、負債拡大型の経済成長が大好きなリフレ派の連中とほぼ同根だと思うが、考え方や思想のベクトルが近似しすぎると、かえって近親憎悪を増幅させるのだろう。

 

さっそく、高橋洋一、上念司、田中秀臣の“リフレ派近衛兵三人衆”が、TwitterMMT批判を展開している。

[参照先]

https://twitter.com/YoichiTakahashi/status/1126146171922108416

https://twitter.com/smith796000/status/1119861702336622592

https://twitter.com/hidetomitanaka/status/1124141516996337664

 

それにしてもリフレ派の連中は、”理論だ、数式だ、教科書を読め”だのと頭でっかちな割に、相変わらず頭が悪い。

 

『オレは数式表示のないMMTをきちんと理解できない』

▶数式表示のあるリフレ理論を実践しても日本経済が不況のどん底なのは、どうしてかな??

▶数式表示のない理論を理解できないのは、お前の頭が悪すぎるだけじゃないの?

 

MMTなんて変化球使わんでも、普通にインフレターゲット達成するだけで日本経済は相当復活するよ』

▶需要喚起にまったく影響力のない金融緩和一本足打法こそ、ストライクゾーンをかすりもしない“変化球”なんじゃないの?

▶数式表示があるのに「たった2%のインフレターゲットを普通に達成」できないクズ理論がどうしたって?

 

MMT支持者はワルラス法則を勉強しろ』

▶「各経済主体は予算の制約のもとで各人の効用を最大化するように消費量を決定する」というワルラス法則において、“予算の制約限度額の上限”をUPできるのは財政政策。金融緩和一本足打法でそれができるの?

 

バカ三人衆のくだらぬ中傷には、上記のような対応でよかろう。

 

数式や変化球云々は、「経済成長の成果を積極財政派に持って行かれるのが癪に障る」というレベルの低い嫉妬を隠すための言い訳でしかない。

 

まぁ、“ステージ・チェンジ”がお得意の彼らのことだから、P.クルーグマンあたりがいつものように変心すれば、金魚のフンのごとくコロリと意見を変えるに違いない。

 

さて、最後に、冒頭にご紹介した飯田氏のTwitterにも触れておこう。

 

飯田氏が「財政の使い道としてのJGPに代表されるように,計画経済っぽさを強く感じる」とコメントしているとおり、財政政策に消極的・否定的な論者は、「ハイパーインフレ財政破綻・計画経済」の三つのキーワードを使いたがる。

 

いずれも根拠不明な妄想の類いであり、これまで幾度となく論破済みだ。

とくに、“ハイパーインフレ財政破綻”は、当のリフレ派の連中も明確に否定している。

 

飯田氏がMMT批判に当たり“計画経済”を持ち出したのは、こうした背景を受けてのことと思うが、財政政策を計画経済化させぬ最も良い方法を教示しておく。

 

それは、特定の分野や産業に歳出を偏重・固定化させぬよう「聖域なきバラ撒く」ことに尽きる。

 

計画経済とは、「一国における経済発展やその他の基本的経済活動が国家計画の作成・遂行を通して行われるとき,この国民経済は計画経済と呼ばれる(世界大百科辞典)」経済体制のことを指す。

 

要は、国家主導の経済計画・運営を指すものだが、積極財政論者はそんなものを求めているわけではない。

 

積極財政論が唱えているのは、家計や企業が“明日は今日よりよい日になる”という希望の下で消費や投資に勤しめるよう、国家がその原資となる貨幣(所得や収益に直結するマネー)をきちんと供給せよ、という極めて常識的な論である。

 

つまり、民間主導の経済成長と適正な分配による国民生活の向上を実現させ、国富たる生産力や技術力を永続的に発展させることこそが目的なのだ。

 

積極財政論を唱えると、「計画経済だ! 社会主義だ!」というバカ論がオウム返しで噴出するが、計画経済を嫌うのなら、国家が特定の産業や団体だけに肩入れし、経済を主体的にコントロールするような体制を招かぬよう、あまねく広く分厚くバラ撒く「聖域なきバラマキ」に賛同すべきだろう。

 

飯田氏は、“積極財政論=計画経済”という妄想に囚われているようだが、筆者に言わせれば、むしろ、

①金融緩和政策により、国家が人為的に実質金利の低下期待を創作&拡散させ

②2%のインフレターゲット(目標)を定める

というリフレ理論こそ、ガチガチの「国家主導型計画経済」なのではないか??

緊縮は令和不況の始まり

平成時代は20年不況に直面した衰退の時代だったが、次なる令和時代が明るい時代となり得るかどうか非常に心許ない。

 

いまだに「国債=国民の借金」、「国民の借金は国民全体で負担し返済すべき」と考える大バカ者が若者の中にもウヨウヨいる。

【参照先】「日本財団「18歳意識調査」-国の借金どうするか-」

https://blogos.com/article/358848/

 

さらに、GWをまたぐ10連休に文句を垂れる社畜がワンサカおり、いまだに不況の原因が需要不足にあるという事実を理解せず、景気回復のためには懸命に働くしかないという誤解が蔓延している。

【参照先】「10連休「うれしくない」4割=家事も仕事も「休めない」」

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019041300257&g=soc

 

このままなら、令和は平成から不況のバトンを引き継ぎ、深刻な30年不況へと突入するのを避けられまい。

 

『考えるだに恐ろしい"令和経済"のジリ貧 「異次元緩和」という時限爆弾』(4/20 PRESIDENTオンライン 小宮一慶/経営コンサルタント)

https://president.jp/articles/-/28428?page=1

「(略)そして、何よりも注意しなければならないのは、平成25年(2013年)の異次元緩和開始時には135兆円だったマネタリーベース(日銀券+日銀当座預金)が、なんと現時点で4倍近い500兆円にも達していることです。

それだけじゃぶじゃぶに資金を供給しているのです。

その裏では、政府が発行する国債の半分程度にも上る470兆円以上の国債を日銀が保有しており、さらには、日本企業の株式も大量に日銀が保有しています。非常に大きなリスクを日銀が取っているのです。一方、それをいいことに、政府が国債残高を増加させています。対名目GDP比の財政赤字は約200%と、先進国中最悪です。(略)

平成の時期に、世界の中での経済の地位を大きく落とした日本経済が、リカバリーを果たすのはそれほど容易でないことは想像に難くないことです。

10月には消費税導入も控えています。もちろん、AIやロボットの発達など、明るい材料もありますが、人口減少や高齢化はますます進みます。多少の犠牲を伴う、徹底的な「変革」が待ったなしで必要なのではないでしょうか。」

 

令和経済に対する認識や見通しは、筆者と上記コラムを書いた小宮氏とでは大きく異なる。

 

筆者は、緊縮気味の財政運営が所得不足や需要不足を助長し、それが不況を悪化させるのを懸念し、一方の小宮氏は、異次元金融緩和政策が財政規律を弛緩させ、国債が膨張し、財政再建が遅れることを危惧している。

 

不況克服の手段として、なぜ、財政再建(緊縮財政+増税社会保険料負担UP)が有効なのか?

 

小宮氏には、実体経済に緊縮政策や増税という毒をばらまけば経済成長できるという「珍説」の合理性と、不況下にあるいま、経済をシュリンクさせるだけの「奇手中の奇手」をあえて選択すべき理由をきちんと説明してもらいたい。

 

彼は、日銀が470兆円もの国債や企業の株式を保有することが“大きなリスク”で、それをいいことに政府は野放図に国債を増やして無駄遣いしていると批判する。

 

まず指摘しておきたいのは、日銀が国債を大量保有することで実質国債残高は大きく減り、ネットの利払いコストも大幅に減る。(政府⇔日銀間の取引は相殺されるため)

しかも、通貨発行権を有する政府にとって、自国通貨建て債務の返済能力に限界はなく、たとえ国債が何千兆円になろうとも返済が滞る事態などありえず、日銀の国債保有にリスクなど存在しない。(企業の株式は別→私企業の株などわざわざ日銀が買う必要はない)

 

彼は国債発行残高の積み上がりに文句をつけたいようだが、先進国として国債発行額が増え続けるのは当たり前のことであり、ぐだぐだと騒ぎ立てるのはド素人の証拠だ。

 

ちなみに、量的緩和国債大量発行という大嘘を流す論者は多いが、量的緩和日銀が買っているのは既発債のみであり、新発債の多寡に直接的な影響を及ぼすものではない。

政府発行の新発債の発行高は、H28/54兆円→H30/48兆円にまで減らされており、金融緩和のせいで政府がじゃぶじゃぶ国債を刷りまくっているなんてのは、根拠ゼロの大嘘だ。

 

小宮氏はAIやロボットの発達を“明るい材料”と評しているが、需要のないAIや買い手のつかないロボットの、いったい何が明るいのか具体的に明示すべきだ。

マーケットなき新技術などまったく意味がない。

カネを払う者が誰もいないロボットなんて、廃棄コストの嵩むガラクタ以下だ。

 

彼も経営コンサルタントを称するなら、供給が経済を創るという産業革命以前の前近代的発想を改めるべきだろう。

 

彼は、「多少の犠牲を伴う、徹底的な「変革」が待ったなし」との決め台詞でコラムを〆ている。

 

彼のような反国民主義者は、消費増税社会保険料・年金支給開始年齢・医療介護負担などの引き上げという“国民にとっての大負担”すら、“多少の犠牲”くらいにしか思っていない。

面倒なことは全部虫けらども(=国民)に押し付けておけばよいと軽く考えているのだ。

 

ここで、緊縮主義者に言いくるめられがちな国民に問いたいのは、大増税や社保料負担増といった自己犠牲を払って大けがを負うのがよいのか、大規模な財政金融政策を実行し、所得UPを図る中で多少のインフレを甘受するのがよいのか、冷静に判断してもらいたいということだ。

 

『負担・我慢・緊縮』の不況スパイラルか、『景気過熱・所得増・物価UP』の成長路線か、いずれを選択すべきか、常識を以って考えれば答えは自ずと出るだろう。

 

国民主義者の言う“徹底的な「変革」”とやらの妄言の先に待っているのは、限りなき貧困と絶望のみである。

貨幣負債論はバカの極み

あなたが会社から受け取った給料、住宅購入のため銀行から借りたローン、昼食に食べたラーメン代として財布から支払うお金、年末の旅行資金として銀行に積み立てる貯金…

 

『貨幣(お金)』は、それを手にし、使う人々の目的に応じて様々な形に変化する。

 

ある人にとっては「所得」となり、他人からモノやサービスの提供を受け取るための「支払い手段」にもなる。

それを貯蓄すれば「金融資産」になるし、家や車を買うために借りると「借金や債務」にもなる。

 

“貨幣の本質とは何か”という真理を追究するにあたり、経済活動をたえず循環し続ける貨幣のある一時点だけを切り取るのは、誤解や誤用の素となる。

 

「水」は、それを容れる容器の形状に応じて、いかように変化する。

コップに注げばコップの形になるし、浴槽に溜めれば浴槽の形になるだろう。

 

スーパーの飲料コーナーに並ぶ大量のペットボトルを見て、「水の真の姿はペットボトルの形状だ」と断定する者がいるとしたら、間違いなく周囲から嘲笑を買うだろう。

 

貨幣の一形態のみを捉えて、「貨幣は負債だ」と言い張る輩も、これを同じ過ちを犯している。

 

最近、新聞をはじめとするマスメディアが、MMT(現代貨幣論、現代金融論)の話題を採り上げる機会も増えてきた。

 

緊縮主義(反国民主義)という既得権益者にとって、まさにトマ・ピケティ以来の“外圧”と言え、財務省マスゴミの連中は、自分たちの権益を護ろうと、MMTに対して、「異端」だの「支離滅裂」だのと猛烈な批判を浴びせている。

 

筆者は、積極財政による活力に満ちた社会を目指す立場から、

  • 「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」
  • 「税は政府の財源では無い」
  • 「貨幣供給量は、量的緩和ではなく財政赤字の拡大によって増える」
  • 「財政規律よりも財政拡大を優先し、失業者をなくすべき」

というMMT論者の主張には大いに賛同する。

これらは、「機能的財政論に基づく積極財政金融政策を以って、財政問題など歯牙にもかけず実体経済への資金供給(貸すカネではなく、直接的に所得へ化けるカネ)を最優先とし、社会的課題の解決に邁進すべし」という筆者の従前からの主張と軌を一にするからだ。

 

積極財政論やMMTが、まともな形で議論の俎上に上り、少なくともリフレ理論なみに経済論壇の一角に確固たる地位を占め、経済理論の一派として根付くことができるのか、まさに剣が峰と言ってよい。

 

この大事な時に、MMTを支持する国内の論者が、MMTを活用してどういう社会形態を創ろうとするのか、緊縮政策と構造改悪による破滅寸前の日本経済をどのように立て直すつもりなのか、彼らの熱意がいまひとつ伝わってこないのを非常に危惧している。

 

日本におけるMMT信者は、MMTとは何かという点の説明にばかり気を取られ、肝心の経済政策は“消費税の増税凍結や減税、廃止”のみに止まり、家計や企業の凍り付いた消費意欲を掻き立てる具体的な政策提案に欠けている。

 

消費税の廃止あたりの主張は、積極財政論者によって、すでに十年以上前から訴えられており、MMTが実現すべき経済政策が消費税廃止の一点突破のみというのは、あまりにもインパクトに欠け、“経済学における天動説から地動説へのパラダイムシフト”を自称するMMTの沽券に関わるのではないか?

 

「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」、「税は政府の財源では無い」とまで言い切っている以上、無限にある財源を活用して、

 

・歳出規模の大幅拡大

社会保険料や医療費の国庫負担割合引き上げ(難病治療は全額国庫負担)

・幼児教育~大学までの教育費無償化(給食費を含む)

・一人月3万円のベーシックインカム実施(既存の社会保障制度は温存)

・自然災害被害者への国費負担による見舞金支給(一人2,000万円)

・ロスジェネ世代の正規公務員への登用促進

年金受給年齢の60歳への引き下げ

・科学技術費や防衛費の倍増

・すべての公共インフラ設備を30年以内に更新

・公共交通機関の維持向上への国費投入(JRの国営化)

原発再稼働に向けた電力会社への国費投入

 

くらいの積極的な提案をしてもらいたい。

 

筆者は、国内のMMT信者(=貨幣負債論信者)の主張を聞くにつけ、理論を活用して社会のために何をやるかよりも、理論の支柱となる「貨幣負債論」や「租税貨幣論」という根拠ゼロの書生論の証明にばかり熱中しているようにしか見えない。

 

こんなありさまでは、MMTを攻撃的に紹介するマスゴミ財務省の連中の批判に耐えきれないし、MMTの本質を国民に理解し賛同者を増やすことなんて不可能だろう。

 

国民の関心に爪痕を残すには、論の合理性(そもそも、貨幣負債論や租税貨幣論に合理性など微塵もないのだが…)に固執して、信用創造とか古代メソポタミアのツケ払い帳といった、貨幣の本質を説明するのに何の役にも立たぬ例を引き合いに出し、辻褄の合わぬ説明に四苦八苦するのではなく、MMTがいかに国民に希望を与えられるのか、いかに国民生活を向上させられるのかを、もっと熱心に説くべきだ。

 

貨幣負債論の信者たちは、『信用創造(=貨幣発生)でMMTが分る』、『通貨の発生と消滅が解ればMMTが解る』と主張するが、正直言って、信用創造論をいくら捏ね繰り回しても、貨幣の本質には辿り着けないだろう。

 

一般的に信用創造とは、「銀行などの金融機関が本源的な預金を貸し出し、その貸出金が再び預金されてもとの預金の数倍もの預金通貨を創造すること(デジタル大辞泉)」を指す。

これに対し、貨幣負債論者は、「貸出による預金創造論(=預金を元手に貸し出しを行うのではなく、貸し出しによって預金が新たに創造される)」を主張するが、はっきり言って早とちりでしかない。

 

貸出により預金が創造される(貸し出されたカネが支払い手段として使われ、それを受け取る者の預金に化ける)のは当然だが、それは従来の信用創造の範疇で十分に説明できる事象であり、何も目新しいものではない。

 

問題なのは、金融機関が預金という元手ゼロの状態でも、政府の国債発行を基に循環する資金により、金融機関は貸出の原資を得て民間事業者への貸出が可能という貨幣負債論者の主張である。

 

これは、「政府が日銀に直受けさせて国債を発行し、それを財源とする政府支出を行い、民間に資金が行き渡るまで、民間経済の資金需要が一切発生しない」という極めて特殊な環境を前提とする空想上の世界なら成立するかもしれないが、現実には通用しない。

 

預金なしで貸出が可能なら、銀行は定期預金キャンペーン(低金利時代に入ってからあまりやっていないが)をしてまで預金集めをする必要はないし、面倒なだけで収益性の低い預金管理事務や決済事務にコストをかける必要もない。

 

貸出のみで預金を創造できるのなら、高度成長期にオーバーローン状態(預貸率100%超)が恒常化していた事実を説明できない。

貸出額と同額の預金が発生するうえに、人々がこぞって持ってくる預金を受け容れざるを得ない以上、貸出額が預金額を上回るはずがないからだ。

 

さらに、かつて北海道拓殖銀行兵庫銀行、太平洋銀行、新銀行東京日本振興銀行などが不良債権や信用不安に端を発する預金流出により破綻した事実も説明できない。

 

貸出だけで預金を創造できるという主張は、「貸出さえ伸ばせば、預金(貨幣)が創造され景気が良くなる」というリフレ派のポンコツ金融緩和一本足打法にも通じるものがあり、非常に危うい。

 

そもそも、我が国に国債が存在する遥か以前から貨幣は存在していたのだから、国債発行に絡めたエセ信用創造論を以って貨幣の本質を証明すること自体に無理がある。

 

国債発行や信用創造は貨幣活用の一形態にすぎず、それだけで貨幣の本質を説明するのは、カレーライスを例にしてお米の本質を証明できたと吹聴するがごとき愚行だ。

 

貨幣は国債がなくとも創造できる(政府紙幣)以上、国債発行や信用創造から貨幣の本質にアプローチするのは無駄な行為でしかない。

経済行為とそこで使われる貨幣というツールの本質は、まったく別物なのだ。

 

国債発行は政府の負債、信用創造(預金と貸出の連鎖)は預金者と銀行や企業間に発生する負債。

つまり、貨幣負債論の信者は、負債を起点とする経済活動の枠内に貨幣を押し込め、「貨幣は負債の発生から生まれる」と結論付けたがる。

 

だが、これこそ、冒頭に紹介した水の事例と同じ過ちだ。

 

経済活動の中で無尽に行われる取引には、権利と義務を伴う“資産・負債(債権・債務)”に係るものもあれば、一方的な所得や収入、資産に化けるものもある。

 

信者たちは、量的に多い金融取引を以って貨幣の姿だと勘違いし、“水の本質はペットボトルの形状だ”というのと同じレベルで、貨幣の本質は負債だと初歩的な思い違いをしているだけにすぎない。

 

世の中にある貨幣は、現金よりも金融機関の預金口座に入っているものが圧倒的に多い。

預金口座に入った瞬間に、それを受け容れる金融機関と預金者との間に貸借関係が発生し、さらに預金を貸出として動かすたびに金融機関と借主との間にも貸借関係が生まれるため、この世の貨幣はすべて貸借関係の延長線上にあると勘違いしてしまうのだろう。

 

実体経済内にある膨大な量の信用取引や貸借契約と、そこで使用されるツールとしての貨幣の本質をごちゃまぜにしてはならない。

貨幣はあくまで道具であり、たまたま貸借契約の清算に使われるから、負債や債務であるかのように映るだけのことだ。

 

経済の成長は、国債増発を起点とする民間経済による負債の膨張によって支えられているのは事実だ。

それゆえ、貨幣負債論の信者は貨幣の本質を負債と見間違うのだが、明治創成期の1,000万倍にも膨張した国債(政府の負債)の信用や、天文学的な数値に及ぶ民間経済の信用取引(民間経済の負債)を最終的に保障するのは、国家が有する通貨発行権である。

 

実体経済が膨大な負債を抱えきれるのは、政府紙幣、つまり、円という貨幣の通貨発行権という「絶対不可侵かつ国民共有の資産」の存在があるゆえなのだ。

 

「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」というMMT論者が大好きな定理、つまり、円という貨幣を基点として発行される国債や、円を媒介とする信用取引の類いは「国家が持つ自国通貨の発行権という大権」の下に庇護されている、という事実を忘れてはならない。

 

そして、通貨発行権の資産性は、国家の生産力や供給力、流通基盤、法の順守力、国民の勤勉性等々といったモノやサービスを創り出す力、それを流通させ国民生活の向上に活用する力によって担保される。

 

もし、貨幣が負債だとしたら、実体経済下の膨大なる負債を担保する資産が消失してしまうだろう。

なにせ、取引相手の信用を担保し、負債の清算に使われる貨幣そのものの資産性が失われるのだから信用取引自体が成立せず、経済活動における「信用」、「与信」という概念すら危うくなってしまう。

 

国家は、政府紙幣発行により、国債がなくとも貨幣を発行できるし、発行された国債(政府負債)の信用を最終的に保障するのは徴税権ではなく、通貨(貨幣)発行権という絶対的な資産である。

その一事を見れば、貨幣負債論など、まったく根拠のない暴論であることが解る。

 

貨幣負債路の信者の中には、「貨幣負債論は絶対的な真理。理解できないなら暗記しろ」とアホなことをほざく者もいるが、貨幣負債論が相手にされないのは、白を黒と言い張る大嘘を論拠とするがゆえであり、彼らには、「貨幣負債論など暇人の寝言。それが理解できないなら、負債の対価として何を、誰に、何時までに返済するのか、箇条書きで答えてみろ」と言っておく。

 

ついでに、彼らが大好きな“租税貨幣論”のいい加減さにも触れておこう。

 

貨幣負債論&租税貨幣論の信者は、「税を通貨で政府が受領するから人々が通貨を使う。要するに徴税力に象徴される強力な国家権力が通貨制度の前提になっている」と主張する。

だが、同じ口で「税は財政支出の財源ではない」と言い張る矛盾に気付かないのか?

 

彼らは「民間の余剰資金を吸上げてインフレを抑制する」ことこそ税の役割だと述べるが、国家が貨幣を召し上げるためのツールにすぎない税を崇拝して、貨幣を使おうとする変わり者なんてこの世に一人もおるまい。

 

中南米、東南アジア、アフリカ諸国のように、納税に使えない米ドルが一般的に通用する国々の現実を見ても、租税が貨幣流通を駆動させるなんて寝言を吐く馬鹿者の神経を疑う。

 

貨幣は国家が発行する絶対的かつ国民共有の“資産”であり、資産であるがゆえに、国債実体経済下のあらゆる信用取引という負債の永続的な膨張が許されるのである。

よって、貨幣を負債呼ばわりするのは、経済活動における負債の存在を自ら否定する暴挙としか言えない。

 

「誰かの負債は、他の誰かの負債」という定理を、債権・債務の関係にある両者の外側から最終的に保障しているのが、唯一、国家のみが発行権を有する“貨幣”特有の資産性なのだ。

 

貨幣負債論信者は、信用創造(一般的な信用創造とは異なる定義だが…)を貨幣発生と結び付け、貨幣が負債であるかのように騙るが、正直言って、彼らのブログをいくら読み込んでも、挙げられた諸々の事象や説明文と、貨幣は負債であるという結論がまったく結びつかず、彼らが自信満々に“そもそも貨幣は負債なんです”と言い張る根拠をどこにも見出せない。

整合性のない公式や理論を暗記しろと言われても、誰もやろうとはしないだろう。

 

最後に、最近見たMMT絡みのネット記事を紹介する。

 

MMTと呼ばないでくれ』(東京新聞)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019050102000129.html

「自国だけの通貨を持っていれば、その通貨は限りなく供給できるので、国の財政赤字が増えても気にしなくていい-。米国発の極論とも言える考え方が注目を集めている。

 「現代金融理論」(MMT)と呼ばれる。米ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が提唱者だ。(略)

バブル崩壊以降、大半の日本人や日本企業は支出を切り詰めてきた。将来が不安だからだ。みなが家族のために、会社の存続のために少しずつ支出を削り、頑張った。

 この結果、極端なインフレは起きず、海外から無用な借金もせずに済んだ。つまり国の政策というより「民」の涙ぐましい努力が経済危機を何とか防いできたのではないか。

 こうした努力は経済指標では測りにくい。ただ、日本人が生活を守るために懸命に続けた知恵の結晶を、MMTなどと机上の理屈で呼んでほしくはない。」

 

東京新聞は、国債が累積する中で我が国に目立ったインフレが起きなかったのは、国民が涙ぐましい努力で生活を切り詰め、消費を抑えてきたおかげだと自慢げに騙っている。

 

平成不況下にインフレが起きなかった(生活必需品の価格はかなり高騰気味だが…)のは、緊縮財政がもたらした所得低下が需要不足を蔓延させた所為でしかなく、褒められるどころか、不況を悪化させた結果として非難されるべきものだ。

 

だが、緊縮主義者という生き物は、使うカネがなく、満足に物も買えなかった平成不況の惨状すら、「国民の涙ぐましい努力」と美談風に騙る卑怯な連中であり、緊縮主義へのシンパシーが強い国民も、お涙頂戴風の三文芝居にコロッと騙されるのがオチだ。

 

こんな状態で、「貨幣は負債だ。貨幣は負債によって発生するのだから、経済成長のためには負債をもっと増やさないといけません」なんて言った日には、経済のケの字も知らず、負債や借金を毛嫌いするだけの一般国民から猛反発を喰らい、「貨幣も負債だって? それじゃあ、1,000兆円もある借金をどうやって返すんだよ??」、「自国通貨建ての国債なら国は破綻しないなんて言ってるけど、自国通貨だって、所詮は負債なんだろ? “負債建て”の国債をバラ撒いてはたんしないわけないだろ‼」と詰問され、何も言い返せず即終了だろう。

 

どうも、貨幣負債論信者の主張を聞いていると、貨幣は負債だという持論の証明が目的化し、その手段として負債の極大化を強弁しているようにしか見えない。

 

本来なら、国民共有の資産である貨幣を大量にばらまき(=活用)経済を活性化させ、、人材教育や育成、国民生活の向上を図り、国富たる生産力を増大させるべきなのだ。

そうすれば、民間経済の取引量も増えて資金需要も盛り上がり、嫌でも負債や債務は膨張するだろう。

 

彼らは、無限の財源を活用して、日本が抱える膨大な社会的課題を解決するための政策に踏み込もうとせず、ベーシックインカムのような直接給付による刺激策を嫌うが、それは、貨幣に固有の資産価値を見出し、それを無償で民に渡すのを惜しむ発想があるに違いない。

 

「働かざるもの食うべからずだから、ベーシックインカムには反対」なんていうバカ者もしかりだが、そういった主張の根っこにあるのは、結局、本人も気づかぬうちに貨幣が持つ資産性に囚われ、それを他者が無償で手にするのが気に喰わないという下品な妬みでしかない。

 

真に貨幣が負債なら、それが他人の手に渡るのを嫉妬する必要はなく、それを妬む者など一人としていないはずだから…

貨幣負債論は積極財政論やMMTを墜落させる

(*)GW中の記事投稿を休ませていただきます。次回の投稿は5月9日(木)の予定です。

 

 

財政赤字容認、米で論争激しく 異端「MMT」左派・若者が支持 大衆迎合に利用懸念』(4/13 日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO43692690S9A410C1EA3000/
『米国発の異端の財政拡大論「MMT」 日本では懸念も』(4/17 朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASM4K0436M4JULFA018.html

アメリカのMMT論争がいかなる決着を見るか定かではないが、結果としてメインストリームに躍り出るのは難しくとも、せめて経済論壇の一角に確固たる地位を築いて欲しいと願っている。

日本のマスコミは、太平洋の向こう側で過熱する経済論争が飛び火するのを恐れ、MMTに対して“異端”だの、“大衆迎合”だのとレッテルを貼り、予防線や防御壁を拵えようと必死になっている。

筆者としては、
・自国通貨の発行権を有する政府は、財源の制約なくいくらでも支出が可能
財政支出の制約となるのはインフレ率のみ(=歳出による供給力の向上が不可欠)
財政赤字の解消など不要であり、歳出拡大による社会的課題の解決という大命題を最優先すべき
という従前からの持論と一致するところが多いため、MMT理論の普及を擁護したい立場だが、MMTが広く支持を得て国民の間に根付くためには、かの理論を信奉する支持者が陥りがちな貨幣負債論や租税貨幣論という大いなる勘違いを正しておかねばなるまい。

MMT支持者、特に、日本国内にいる生真面目で頭でっかちな信者たちは、MMT理論を支える貨幣負債論と租税貨幣論に目を輝かせたがる。

彼らは、「ラーメンに喩えると、貨幣負債論はスープで租税貨幣論は麺。貨幣負債論と租税貨幣論のハーモニーこそがMMTだ」なんてアホなことを言うが、貨幣負債論のスープと租税貨幣論の麺の組み合わせなんて、“出汁の効いてない味噌汁と茹ですぎのパスタ”をぶち込んだ出来損ないのゲロ不味ラーメンみたいなものだ。

どうも日本のMMT信者の様子を見ていると、積極財政論の普及や、それを活用した社会的課題解決や国民生活の向上を目指すよりも、貨幣負債論と租税貨幣論の布教活動に熱を上げているようにしか見えない。

我が国に着弾したMMT砲弾が、守旧派の緊縮財政派(=反国民主義者)を破壊するのか、あえなく自爆して味方を殲滅してしまうのか、MMT理論に注目が集まりつつある今が、非常に重要なターニングポイントになるだろう。

そこで、かの理論が国民の支持を得て、積極財政政策拡大の着火剤となれるよう、MMT理論の根幹を腐らせる悪いガン細胞とも言える貨幣負債論と租税貨幣論の過ちを指摘しておきたい。

なぜ、それらがガンなのか。
それは、政府による歳出拡大を主張するのに、“負債”を出発点や帰結点にしたがる点に尽きる。

彼らは、負債こそ信用の証しだと言うが、負債を追う者の信用を最終的に担保するのは、負債ではなく「資産」の多寡である。
借金王が存在を許されるのは、借金の返済を保証する資産の存在があるからにほかならない。

経済の発展とともに負債総額が増大し続けるのは当然だが、負債のビッグバンが容認されるためには、それ以上のスピードで膨張する資産の存在が必要だ。

国民や民衆は負債にマイナスのイメージしか抱けぬ生き物だから、負債を強調し過ぎる経済論者は、自ら足枷を嵌めたまま競争に挑もうとするようなものだ。

国の借金恐怖症に駆られる民衆を説得するのに、負債拡大論だけで十分だと高を括っていると、「借金を永久に積み上げる気か(# ゚Д゚)」、「借金は借金だろっ! 孫やひ孫にツケ回しする気か?」と猛反発を喰らって痛い目を見ることになる。

近代以降、膨大な額に膨張し続けてきた国債残高のグラフを示すだけで国民が納得すると思っているのなら大間違いで、それを担保する通貨発行権という資産面からのアプローチが欠かせないし、税と国債に頼り切ってきたこれまでの歳入構造を、通貨発行(政府紙幣)を主軸とする構造へ転換するようきちんと提言すべきだ。

負債や債務が増えることへの心理的抵抗感を拭い切れない民衆を黙らせ、歳入・歳出の規模や構造のパラダイムシフトを図るためには、資産拡大論を主とし、負債拡大論を従とする積極財政論を組み立てるべきだ。

以下、貨幣負債論&租税貨幣論信者の主張を並べて、順番にその矛盾点や勘違いを指摘していく。

【主張1】
『貨幣とは移動可能な借用書』

⇒素朴な疑問として、なぜ「借用書」という表現を使うのか、さっぱり理解できぬ。
普通に「貨幣とは移動可能な資産、もしくは債権(債券)」と表現する方が遥かに理解しやすいのに、わざわざ負債や債務のイメージを前面に出す意味が解らない。
貨幣を受け取る代わりに商品を差し出す行為を負債と呼び、その連鎖を表現するために借用書という言葉を使うのだろうが、人々が貨幣に求める機能はモノやサービスの取得であり、それらの販売者が負う義務など後回しだ。
モノやサービスの販売者にしても、自分たちがモノを造りサービスの提供に勤しむ最大の動機は“貨幣という絶対的な資産”を手に入れるためであり、自らに課された義務を果たすためではない。
管理通貨制度の下、国家による強制通用力が保障された貨幣の受け取りを拒否する変わり者など存在せぬ以上、あえて負債サイドから貨幣の役割を説明する必要は微塵もない。
貨幣負債論者は、「貨幣は負債」という幻想を押し付けたいがあまりに、無理な説明をしていないか?
貨幣とは、“それを差し出せば、誰もが喜んでモノやサービスを提供したがる資産である”という方が遥かにスッキリする。

【主張2】
『貨幣の返済期限は預金と同じで、いますぐだ』

⇒残念ながら、預金の返済期限は“いますぐ”ではない。定期預金や積立預金にはきちんとした払い戻し期限(満期)があるし、普通預金当座預金とて、窓口やATMの開設時間外には引き出せない。
そもそも、貨幣に“返済”という概念すらない以上、返済期限など存在しない。
この世には、貨幣の返済を迫る相手もいないし、何を以って返済しろというのかまったく理解できない。
貨幣に返済期日があるというのなら、発行元の印刷局造幣局に出向き返済を迫ってみるがよかろう。間違いなく、守衛さんに追い返されるだけに終わるだろうが…

【主張3】
『貨幣という負債は、貨幣によって返済する』

⇒正直言って、「貨幣が負債というのなら、何を以って返済するのか?」という問いに対して、これほどレベルの低い答えが返ってくるとは思わなかった。
この程度の答えを聞かされるくらいなら、質問しなければよかったと心底ガッカリしている。
民間での商取引や政府の国債償還に当たり、負債や債務の返済に貨幣を使うのは当然のこと。
筆者が聞きたかったのは、貨幣負債論者が、日銀券ばかりか政府発行の硬貨(政府紙幣)まで負債性を帯びると主張する以上、政府や日銀が貨幣を所有する国民に対して、何を以ってその負債とやらを清算するつもりなのか、ということだ。
貨幣に負債性など無いから、そもそも返済の必要性も術もないというのが正解なのだが、なぜか貨幣による商取引の返済や清算行為を持ち出すような詭弁を弄するとは、情けないことこの上ない。
返済や清算を迫られるのは、債権・債務の関係が生じた場合のみであり、貨幣はそれに使われるツールでしかなく、貨幣自体が負債性を負うわけではない。
貨幣負債論者は、債権・債務という商行為と、そこで使われる貨幣というツールとの区別ができていないから、意味不明な負債論に惑わされているのだろう。
負債を負債で返済するなど愚の骨頂であり、貨幣を貨幣で清算するのは単なる「両替」でしかない。

【主張4】
『政府が発生させた貨幣=負債は政府の負債なのだから、政府が負担して通貨を発行し返済すればよい』

⇒政府が発行した国債(政府の負債)を貨幣発行(政府紙幣)で返済するならともかく、政府が造った貨幣を貨幣で返済するなど、無駄の極致、バカの極みだろう。
自分が何を言っているのか解っているのか??
貨幣が負債で、その負債の返済財源に、別の負債である貨幣を充てるなんて、「えっ! 借金を借金で返すの?」と国民に嗤われるだけだ。
貨幣負債論者は、企業が仕入れ債務を、他社が振り出した約束手形(振出し者の債務)で支払う例を挙げ、これを正当化しようとするが、手形発行高がピーク比で93%も減ってしまった今、約束手形による債務支払いなんて極めて稀でしかなく、借金を借金で返す行為を正当化する理由にはならない。
もっとマシな説明をしないと、貨幣(お金)の本質への理解を歪ませ、MMTそのものの品位を貶めることになるとアドバイスしておく。

【主張5】
『世間一般で思われている、銀行預金を又貸しして融資を行っているというのは間違い。実際は借手が書いた借用書という負債と、銀行から見ると負債である銀行預金の負債と負債を交換しているだけ』

⇒貨幣負債論者は、“融資が預金を創造する”という表現を好む。
確かに、銀行がA社に融資した貸付金は、A社の預金口座に入金され、それが使われたとしても、支払先の預金口座に入金されるだけだから、融資が預金へと姿を変えるのは正しい。
だが、融資さえやっておれば預金を創造し続けられるとでも言うかのような表現は、あらぬ誤解を生むし、実態に即しているとも言えない。
かの悪名高い日本振興銀行新銀行東京といった素人銀行が、いい加減な融資で不良債権を噴出させ、結局は預金不足による資金繰り破綻で倒産した事実から、融資拡大だけで銀行経営を維持することなど不可能なことがよく解る。
全銀協の資料では今年3月末の総預金が756兆円に対して貸出総額は501兆円と相変わらず預貸差は250兆円以上もあるが、預金÷貸出=1.5倍でしかなく、借金(貸出・融資)が信用創造の源だと言い切るには、あまりにも迫力が足りない。
せめて、この値が5~6倍くらいにならないと、信用創造機能がフル稼働し、融資が預金を創造しているとは言えないだろう。
1.5倍程度の値なら、融資は預金の又貸し説の方が数倍腑に落ちる。

【主張6】
『税金は政府の財源では無い。だけど、無税国家には反対。無税にしちゃうと、租税貨幣論が成り立たないから…』

⇒「我々は、政府と国民の関係を公共サービスの対価として税金を払っていると思い込むのは天動説と同じ間違い。実際は、税金は政府支出の財源ではなく、税収とは無関係に通貨(お金)を発行して国民に支払っているのだ」とまで言い切っておきながら、無税国家の可能性を否定するのは自己矛盾も甚だしい。
税収と無関係に政府が自由に支出できると聞かされた国民は、当然、大幅な減税や無税国家の出現を期待するだろうが、臆病な彼らがそこまで踏み込むことはない。
税を国家財政と切り離すのなら、税の役割を「社会的不公正の是正」と「高インフレ防止用の消火器」に限定すべきだが、なぜか、租税貨幣論というポンコツ理論を持ち出し、税に貨幣流通の駆動力の役割を負わせようと必死になる。
この世の中に、税があるから貨幣の通用力や流通力を信用するというオメデタイ人間なんて残念ながら存在しない。(一部の特殊な理論の信者を除いて…)
現実には、貨幣が好きすぎて脱税という違法行為に手を染める者も多い。パナマ文書で脱税を晒された脱税者たちは、税制を否定し嫌いつつ貨幣を信奉するわけだが、こうした守銭奴たちを見るにつけ、租税貨幣論など空想上の書生論でしかないことがよく解かる。
そもそも、自分の身の回りを見渡しても、納税を動機として円を使用する変わり者など誰一人いない。筆者も長年いろんな人と会ってきたが、国税が怖いから円を使うなんてバカを見たことがない。
貨幣を嫌う者は滅多にいないが、税を嫌う者はごまんといるという一事をとっても、租税貨幣論が成立する余地など一ミリもない。
法定貨幣ゆえに国内での通用力が保障されているという事実こそが、貨幣を駆動させるのであり、税制云々はほぼ無関係だ。

【主張7】
政府紙幣とは、正に借用書であり、負債そのもの』

⇒現実にある政府紙幣は、政府発行の硬貨のことを指す。これを負債と言うのなら、硬貨が、政府のバランスシート上のどこに負債勘定として計上されているのか明示してもらいたい。
併せて、政府のバランスシートの資産勘定に「現金・預金」と計上されている事実にどう反論するのか拝見したい。
硬貨が政府の負債であるなら、一般常識からして、それを所有する者が政府に何らかの対価(負債の清算)を求めることができるはずであり、明日にでも造幣局へ出向き、500円硬貨を突き付けて「俺に借金を返せ!」とゴネてみるがよかろう。
日銀発行の紙幣だけでなく、政府紙幣まで借用書とか負債扱いするに至っては、「バカ論もここまで来たか」と天を仰ぎたくなるが、積極財政を唱えつつ、負債をばら撒こうとするおかしさに気付かないのか?
紙幣(貨幣)は無論のこと、政府紙幣(硬貨)も負債ではなく、政府や中央銀行実体経済を動かすために供給する資産以外の何物でもない。
そうした基本すら理解せず、積極財政を主張するなんて如何わしいことこの上ない。
「貨幣が負債なら、いつ、誰に、何を以って返済するのか?」という問いに、まったく意味のある回答すらできていないし、「負債である貨幣を増発して、世の中が借金だらけにならないのか?」、「貨幣という負債を、貨幣という別の負債で返済するのはおかしいだろ?」、「税金があるから貨幣が流通するなんて、いったい誰が信じてるの?」という国民の疑問にも、納得できる回答が返ってこないし、これまでに出てきた回答もジャンクなものばかりで呆れ返っている。

〖結論〗
・貨幣負債論の信者は、信用取引の定義を曲解し、それを普遍化しすぎるあまり、この世の取引をすべて「誰かの負債は誰かの資産」の公式に押し込めようとするが、それが間違いのもと。それが通用するのは、両者が債権・債務の関係にある場合のみであり、経済行為の大半を占める消費においては、貨幣とモノやサービスとのやり取りが一瞬で決済されるケースがほとんどで、そこで使われる貨幣は受け取った者にとって“資産”であり、誰の負債にもならぬまま実体経済を循環し続ける。

・貨幣は負債(国債・融資)によって発生するというのは一面的な理解に過ぎない。現実には、政府紙幣(硬貨)の発行というルートでも造り出せ、それは負債とは言えない。国債そのものが政府の負債であるのは間違いないが、その負債性は、国債により生み出された貨幣にまでは及ばない。貨幣は、国債という政府債務を償還するために用いられるツールでしかなく、ツールそのものが負債性を帯びることなどない。

・積極財政論の拡大のためには、国民に蔓延する国の借金恐怖症の払拭が不可欠。国債という政府債務の拡大を懸念する国民を黙らせるには、何らかの財源を示さねばならない。国債の永続的膨張を正当化するためには、政府の通貨発行権という絶対的資産の存在が欠かせない。よって、政府紙幣を負債呼ばわりするのは、積極財政論の支柱を自ら切り倒そうとする裏切り行為だ。

・貨幣が流通するのは、国家が定めた法廷貨幣として通用力を保障されているからにほかならず、税制の存在は、一国が有する供給力や流通基盤、金融システム、法律遵守力など様々な社会基盤の一つに過ぎない。現に、租税を嫌う資産家が誰よりも貨幣を選好する一事を見ても、租税のみが貨幣を駆動させるという戯言が、誰の信用も得られない虚言や空論でしかないことが解る。

・社会的課題解決を放り出し、メソポタミアのツケ払い帳のような下らぬ事例を根拠に、貨幣負債論へ強引に誘導しようとするのは、経世済民の目的を忘れた何よりの証拠。国民生活向上のために何をすべきかではなく、論拠薄弱な書生論の布教活動に勤しむ様は、まことにみっともない。

・貨幣負債論や租税貨幣論という現実を説明できぬ虚言を吹聴する信者は、積極財政による社会的課題の解決というMMTの根幹を蔑ろにし、「財政拡大=負債拡大=国民負担増大」というルートから緊縮主義者に攻撃材料を与えるだけの邪魔者でしかない。

・このままでは、積極財政論やMMTは貨幣負債論という“お荷物”のせいで墜落を余儀なくされるだろう。貨幣負債論の信者たちは、「自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない」、「政府は財政赤字を気にせず、社会的課題解決に果敢に対処すべし」という積極財政論の柱をいま一度噛みしめてもらいたい。