うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

根回しもできぬクズ、それに期待するバカ

統一会派、わずか2日で破談=民・希双方にダメージ』(1/18 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011701228&g=pol
民進、希望両党の執行部がもくろんだ統一会派構想は17日、正式合意からわずか2日後に破談となった。安全保障関連法や憲法改正といった根幹政策の違いを棚上げして進めようとしたことに対し、双方の党内で強い反発を招いたためだ。
野党勢力の結集に向けた動きは仕切り直しを余儀なくされたが、展望は開けそうになく、22日召集の通常国会を前に、両党にダメージを残した。(略)」

トップ同士の正式合意が、いとも簡単にひっくり返されるのだから、野党の結束力のなさには呆れ返るばかりだ。
まさに、制御不能の幼稚園児といったところか…

民進・希望・立民の所属議員の多くは、元々旧民主党出身にもかかわらず、土壇場のどんでん返しで醜態を晒すありさまだから、何もコメントする気になれない。

挙句の果てに、希望の党の玉木代表は、この期に及んで“分党”を提案し、再分裂の火種を撒き散らす体たらくだ。

やはり、新自由主義者と緊縮主義者の醜悪な集合体である旧民主党の連中(※自民党も同じだけど…)は、何をやらせても幼稚で大人げない。

巷にはアベノミクスを礼賛する声も多いが、その実態は「壮大なる現状維持経済」と「移民&過当競争推進による社会基盤の破壊」でしかなく、野党サイドには経済成長や富の分配、社会福祉制度の充実といった切り口で攻めるチャンスはいくらでもあった。

しかし、結果は見てのとおりで、野党の連中は、時に与党を凌駕するほどの緊縮策や不況容認とも受け取れる消極策ばかりを採り、安倍政権や与党の延命をアシストし続けてきたではないか。
彼らは真の野党ではなく、「自民党の党内野党」に過ぎない。

ネットには、「機能的財政路拡大のためには、野党議員を動かせ! 政治は結果! 野党議員こそインフルエンサーに相応しい!!と息巻いていたお坊ちゃん(※しかも、自分では何も行動せず…)もいたが、社会人として基本中の基本である「根回し」や「報連相」レベルの動きすら取れない園児たちに、いったい何を期待するつもりか??

新社会人未満のバカ議員に機能的財政論を説くなど、野良狗に英会話を教えるようなもので時間の無駄にしかなるまい。

さて、根回しや報連相不足と言えば、このニュースだろう。

『年金受給、70歳超も選択肢=高齢社会対策大綱案-政府』(1/18 時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011700428&g=soc
「政府が中長期的な高齢者施策の指針とする「高齢社会対策大綱」の改定案で、公的年金の支給開始年齢を70歳を超えても選べる制度を盛り込んだことが17日、分かった。高齢者の就業を促すとともに、年金財政の安定につなげることが狙い。(略)
 大綱改定案は、65歳以上を一律に「高齢者」として扱うことはもはや現実的ではないと指摘。全ての人が意欲や能力に応じて活躍できる社会を目指すとした。(略)」

政府・与党の連中は、国民に何の根回しも相談もなく、年金受給開始年齢を勝手に引き上げようとしている。

一年ほど前に、日本老年医学会が高齢者の定義を65歳から75歳に変更してはと提言した際に、年金受給開始を遅らせるための世論喚起だと批判を受け、政府は火消しに走ったことがあったが、やはり、あの提言は年金受給条件改悪のための露払い役だったようだ。

政府は、受給年齢引き上げが高齢者の就業を促し、人手不足解消に役立つとの論建てだが、そんなものは年金支給をケチりたいだけで何の論拠のない詭弁にすぎない。

ワーカホリックで生涯現役を美談にしたがる日本人のことだから、70歳への引き上げにも唯々諾々と従い、せいぜい、「議員歳費と公務員の人件費を削れ」、「無駄な公共事業を止めろ」と愚痴るだけだろう。

しかし、高齢者の就業と年金受給条件の劣化は、本来、二者択一の選択に付されるべきものではない。

高齢者に働いてもらいたいなら、働き口の斡旋システムを充実させればよいだけのことで、年金受給を遅らせる言い訳にはならない。

60歳を超えても現場で働き、そこで得た収入と年金収入とを合わせた豊かな所得を原資に、より高付加価値な消費をすればよかろう。

その方が、需要不足(=消費者不足)に悩む各企業にとっても大きなメリットがあるし、使える所得が増える国民サイドにとって願ってもないことだ。

政府の改正案では、受給開始年齢を70歳まで遅らせた場合に、受給額の上乗せを図る方針とのことだが、こんな朝三暮四レベルのせこいまやかしで国民の年金不安を増幅させるのは、社会保障制度に対する将来不安を煽り、消費にブレーキを掛けるマイナス効果しか生まない。

このままでは、年金受給開始年齢は65歳→70歳→75歳へと徐々に引き上げられるだけで、朝三暮四どころか“朝三暮二”レベルの詐欺行為だ。

国民は、こうした詐欺行為が何の相談もなく、後出しじゃんけんで堂々と論じられることに対して猛烈に罵倒すべきだが、緊縮と忍耐が大好きな日本人には、何を言っても無駄なのか…

家計簿言論人

『消費者心理、4カ月ぶり悪化 野菜値上がり影響 29年12月消費動向調査』(1/9 産経新聞
http://www.sankei.com/economy/news/180109/ecn1801090037-n1.html

内閣府が9日発表した平成29年12月の消費動向調査によると、消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上世帯、季節調整済み)は前月比0・2ポイント低下の44・7となり、4カ月ぶりに悪化した。台風などの天候要因でレタスをはじめ野菜が値上がりしたことなどが悪影響を及ぼした。もっとも、より長い期間でみた改善傾向は変わらず、内閣府は基調判断を「持ち直している」で据え置いた。(略)」

世間にはアベノミクスが大成功を収めたと大騒ぎする盲目の徒もいるが、ボーナス月の12月調査にもかかわらず、なぜか消費者心理が冴えない。
消費者態度指数は、昨年9~11月の3か月間連続で前月比プラス(といっても、43.3→44.9に微増しただけ…)を記録したが、肝心のボーナス月に再度マイナス化してしまった。

この消費者態度を長期トレンドで俯瞰すると、平成26年3月調査以降なだらかに改善しつつあるものの、指数値は30台後半から45を切る程度と非常に低調で、悪いなりに45~50辺りをウロチョロしていた平成16~18年期と比べて絶対値があまりにも低すぎる。

ちなみに、指数値50は、「暮らし向き」「収入の増え方」「雇用環境」「耐久消費財の買い時判断」の4項目をそれぞれ5段階評価し、すべての項目で「変わらない」と答えた場合の値だから、それを大きく下回る現状を好況呼ばわりするのは、単なるデマかバカでしかない。
【参照先】http://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/shouhi/this_year/201712shouhi.html#bukka

また、今回の調査では、1年後の物価見通しは「上昇する」と回答した割合が80%で前月より1.4ポイントアップし、五カ月連続で前月比増となったが、自己啓発や外食などへのサービス支出DIは、ここ3年ほどの間、平成市営30年1~3月期の「コンサート等の入場料(+1.2)」を除き(安室奈美恵効果か?)、すべてマイナス値のまま、つまり、支出を今より減らそうとしている人の割合の方が多いのが実状だ。

リフレ派が吹聴する金融緩和政策万能主義によれば、物価上昇予想は家計の消費を促すはずだが、人々はインフレ予想に背中を押されて消費に走るどころか、ますます消費にネガティブになり、財布の紐をきつく締め上げ、専守防衛態勢を選択している。

仮に、財布や通帳がおカネで満たされ所得も安定した状態なら、家計はインフレ予想に敏感に反応して高くなる前に消費に勤しむだろうが、フローもストックもボロボロの状態では、インフレ予想は消費に対するモチベーションには成り得ず、単に生活を脅かす不安要素でしかない。

5年もの歳月を費やしたアベノミクスの成果といえば、精々現状維持がいいところで、別に大したものではない。
しかも、来年秋には消費税率の再引き上げが迫っており、GDPの根幹を成す個人消費者の先行きは非常にネガティブになるだろう。
安倍政権は、緩めのアクセルと強めのブレーキを同時踏みしているだけに過ぎない」。

では、凍りついた消費者マインドを氷解するのに必要な政策とは何か?
それは、「所得の明確なる上昇」と「将来にわたる上昇期待の継続」である。

消費に対して悪感情しか抱けぬ消費者のマインドを転換させ、「購買単価の上昇(高付加価値商品・サービスへのシフト)」、「購買量の拡大」、「購買スピードの加速」という消費過熱の三要素を現実化させるには、当然、原資が要るし、消費行動を促すきっかけも必要になる。

そうした原資やきっかけは構造改革ごっこや野放図な移民流入から生まれる筈がないし、返済義務を負うマネー(=金融緩和政策でブタ積みされたマネタリーベース)を数百兆円積上げたところで起爆剤とは成り得ない。

最も重要かつ効果的なのは、消費や投資に直接使えるおカネを所得名目で家計の懐に突っ込んでやることで、『骨太かつ聖域なき、間断なき財政支出による持続的かつ万遍なきバラマキ』と、それをサポートする金融政策無くして消費者心理の好転など有り得ない。

消費に使えるカネ無くして消費を増やせる“奇術”があるというのなら、ぜひ知りたいものだ。

だが、残念ながら、経済論壇の主流を占めるのは、いまだに衰退と縮小を善しとする緊縮師ばかりで、日本は成長できないというPessimismで溢れ返っている。

次のURLからアクセスできる池田信夫氏のコラムも、そうした緊縮師の怨念が詰まっている。👉http://agora-web.jp/archives/2030450.html

池田氏はよく知られた緊縮論者であり、こと経済論においては、財政危機を煽って日本経済を縮こまらせるコラムしか書かず、反原発派と慰安婦ゴロ退治にしか役に立たない人物だが、今回の短いコラムも虚言が満載だ。

彼曰く、
「PB黒字化なんて大した問題ではない。それは財政赤字の一つの目安に過ぎず、それを黒字化したところで、日本の財政が危険な状況にある現実は変わらない。たとえば長期金利が2%上がると、GDPの1割が吹っ飛ぶ」
高齢化して労働人口の減る日本で、そんなバラ色の未来を前提に財政の見通しを立てるのは無責任」
だそうだ。

まず、長期金利が突然2%上がるという仮定だが、池田氏は日ごろから量的金融緩和政策を頭ごなしに否定しているのだから、どういう過程を経て長期金利が上がるのかを先に明示せねばなるまい。

そのうえで、幸運にも金利が上がったならば、“有事の円買い・日本買い”が大好きなマーケットの連中による日本国債の買い注文が殺到し、我が国の国債が世界一の安全資産であることを再認識させられるだけのことだ。

また、金利上昇は投融資需要の先食いを起こして企業の設備投資を活性化させ、家計においては、波及効果が限局的な株価上昇とは違って、預金金利上昇による消費刺激効果も期待できる。

金利UPに伴う政府の利払い負担や日銀保有国債の陳腐化が気になるなら、国債の直受けや永久債化すればよい。

つまり、2%程度の長期金利上昇でGDPが1割も吹き飛ぶことはない。

既存の常識や法規に囚われたまま財政至上主義を妄信するのは、成長と分配を拒絶する無能の徒の所業である。
財政法なんて、経済状況に応じていくらでも改正すればよいだけのことだ。

次に、池田氏は、“高齢化し労働人口が減る日本国民は暗黒の未来を甘受せよ”と主張するが、まさに、国や国民の未来に対する責任を放棄しようとする唾棄すべき売国奴の言である。

少子高齢化による労働人口減少に見舞われるという苦難を宿命づけられたからこそ、税収に頼り切った財政構造を断ち切り、紙幣増刷や国債増発を歳入の柱に据えて、経済政策(=需要創出力)の自由度をより高め、国富たる供給能力や生産性の向上を図る努力をすべきなのだ。

彼みたいな国債償還や財政赤字に怯えるだけの家計簿言論人こそ、日本の生産性を貶める最大のガンであり、無駄口をたたく暇があるなら、経済成長に資する提案の一つでもしてみろと言っておく。

日本人にカネを使わせろ!

『17年の訪日客消費額、4兆4161億円 過去最高を更新』(1/16 日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL16HPG_W8A110C1000000/

観光庁が16日発表した訪日外国人消費動向調査によると、2017年累計の訪日客による旅行消費総額(速報)は4兆4161億円と16年(3兆7476億円)に比べて17.8%増加した。初の4兆円超えとなり、通年ベースでの過去最高を更新した。
 国・地域別では、中国が消費額全体の38.4%を占め最大だった。中国の消費額は14.9%増の1兆6946億円。次いで台湾が9.5%増の5744億円だった。
 訪日外国人の1人当たり消費額は1.3%減の15万3921円だった。中国人の1人当たり消費額は0.5%減の23万382円だった。(略)」

インバウンドの増加は、斜陽化した百貨店やホテル産業にとって、まさに干天の慈雨といってよく、日本百貨店協会によると、国内百貨店の昨年1 月~11 月までの免税売上は約 2,425 億円(前年同月比 146.5%)と大きく伸びており、消費底割れを防ぐ防波堤になっている。

また、観光業界でも、平成28年の外国人延べ宿泊数は7,088万人泊と、ここ10年間で3.1倍に膨張し、全体の稼働率押し上げに大きく貢献しており、特に、東京・名古屋・京都・大阪・福岡では70%以上の高い稼働率を維持するなど、消費の波及効果もさることながら、ホテルの新設・改修などといった民間投資を後押ししている。

一時の爆買いは鳴りを潜め一人当たりの消費額こそやや減っているが、マスとして捉えたインバウンドの消費力は一定の勢いを維持している。
新たな買い手や需要家の出現は、国内企業の売上・収益向上に資するものだから、報道各社が好意的に採り上げること自体に異存はない。

だが、インバウンド消費という“来訪型の外需”を歓迎するのは良いとして、「インバウンドという援軍のお陰で消費が下げ止まった。さらに国内客を刺激して内需拡大へ反転攻勢を仕掛けよう」という声が、どこからも聞こえてこないのは何故か?

誰もが約4兆円のインバウンド消費力を称え、景気回復の切り札的な役割を期待したがるが、減税や財出などで蛇口をひねれば、その程度の需要原資は簡単に引き出せる。

例えば、消費税を廃止するだけで年間17兆円を超える巨大な需要力が出現するから、国内消費に与えるインパクトの強さは、インバウンド消費の比ではない。
勤労者世帯の平均消費性向は約70%と推計されるから、少なくとも17兆円×0.7≒12兆円くらいの需要拡大効果が見込まれる。

当然、「消費税廃止による減収分をどう補填するのか?」という緊縮バカからの非難も予想されるが、そんなものは国債や紙幣の増発で賄えばよいし、文句があるなら大企業中心に法人税を大幅に引き上げてやってもよかろう。

一国の経済力を高度なレベルで維持更新するために重要なのは、政府の懐(=税収)を肥やすことではなく、経済活動の主力プレーヤーたる民間企業や家計を豊かにし、その財務力や所得水準を上げ続けることである。

実体経済下の資金循環の中心点を民間側に置く、つまり、企業や家計の金回りを良くしておきさえすれば、政府にカネが無くとも何ら問題はない。

政府なんて、政策実行や再配分のために、政策立案→歳入→歳出という過程で一時的にカネを通過させる機関に過ぎないから、税収確保に躍起となり民需を圧迫するようなことがあってはならない。

本来、政府に通貨発行権が与えられているのは、政府の懐具合に関わりなく、実体経済の温度を一定のインフレ率に保ちつつ、民需を刺激できるフリーハンドを確保するためなのだ。

不兌換紙幣に基づく管理通貨制度が整備され、国家の大権たる通貨発行権が用意されたのも、国の借金がどうとか、税収が足りないとか、政府の勝手な都合に民間の経済活動が振り回されぬための周到な配慮であることを忘れてはならない。

民需拡大に資することならば、政府は手段の清濁を一切無視して、大胆かつ積極的な経済政策を選択すべきだ。
インバウンド景気で百貨店や観光業界が救われるのは結構なことだ。
そうした僥倖をさらに増幅させるためにも、大型減税や財出をフル動員して内需を思いきり刺激すればよい。

内需の過熱により、量を捌くことは無論のこと、例えば1泊1万円のホテル代が1.5~2万円の値付けも可能となり、より高額で高付加価値な商品やサービスへシフトする。
そうなれば、人手不足云々の影響(※筆者は本気にしていないが…)を最小限に抑えたまま、企業収益の改善にもつながるだろう。

毛虫はモノを騙るなかれ

世に経済論は数あれども、まともに検討に値するものはごく稀だ。
なぜなら、世に蔓延る自称経済論のほとんどは、“経済”とは何かという基本ルールを知らぬまま、己の観念論や、べき論を騙っているにすぎないからだ。

「経済」という語句を検索すると、
『経済とは、人間が自分達の生活環境をよくするために行う活動で、サービス・商品の生産・分配・消費・浪費などをすることによってお金を循環させること。
また、それらを通じて形成される社会関係である。
元々は中国の古典の言葉、経世済民。世を経(おさ)め、民を済(すく)う、の意味である。(ニコニコ大百科)』
と説明されている。

ここで重要なポイントは、
①民(国民)の生活向上に資するための活動であること
②商品やサービス生産活動とそれらの消費活動との間断なき循環を指すこと
③お金は生産と消費との循環に用いる道具に過ぎず、消費であれ、浪費であれ、その行為の清濁よりも循環という行為そのものが尊ばれること
の三点であり、これこそが経済を語るうえでの原理原則だ。

・財政健全化を最優先したがる緊縮財政派
・改革こそが生産性を上げると信じて疑わぬ構造改革
・インフレ予想が実質金利を引き下げ投資や消費を刺激すると主張するリフレ派
・大量生産・大量消費は地球環境を破壊すると妄想する成長否定派
等々、経済論壇は群雄割拠(とは言っても、緊縮財政派が圧倒的多数を占めるが…)の状況だが、いずれも経済の基本ルールを無視したまま、知ったかぶりをして理想の観念論をがなり立てているだけだから、景気が良くなるはずがない。

彼らは、口先ではロケットをうまく飛ばそうと構造や設計を弄り回し、軽量化を図るのには熱心だが、肝心の燃料だけは絶対に入れようとしない。
挙句に、ロケットを飛ばすと近所迷惑だからと打ち上げそのものを止めるよう主張するバカもいるから困ったものだ。

そんな経済論議を眺めていると、時々、上記のいずれにも属さぬ“珍種”がチョロついているのが目に入る。

その珍種は、口では庶民への分配を騙りながら、その方法や財源はまったく示さぬという如何わしさで、敢えて分類するなら「寄生目(もく)-私怨科-エセ分配属」とでも呼ぶべきか。

そのエセ分配属は次のとおり主張する。
GDPを構成する政府支出や投資は国民を幸せにできない
財政支出を増やしても国民の収入は増えず、却って税金が上がるだけ
③全額企業負担による最低賃金引き上げこそ救国の秘策
④しかし、最賃をいくら引き上げるべきか計算できない

彼らは庶民への分配が第一と叫ぶが、肝心の政策スケールは芋虫みたいにこじんまりしている。
生来気が小さいせいか、寝ても覚めても分配・分配と繰り言を吐く割りに、どうしても緊縮派に遠慮してしまうのか?

企業収益を削ってでも最賃を上げろと言いながら、投資(=企業が行う支出)は国民の懐を豊かにできない、と小学生以下の矛盾を堂々と主張する様には、こちらが恥ずかしくなる。

「政府支出で、あなた、幸せになりますか?」なんて妄言をうっかり吐いてしまうのも、実社会の経験が浅く、乗数効果や経済の連環を知らぬからだろう。
自分の給料がどこから来るのか想像できぬ幼子の視野は、針の孔より小さく狭いものだ。

最賃引き上げには筆者も賛成だし、いまの700~800円から1,000円を目指すなんて生易しいものではなく、思い切って2,000~2,500円くらいを要求すべきだ。
1,000円程度の最賃なんて、フルに働いても年収200万円台にしかならず貧困から抜け出せない。

だが、反射神経でしかモノを騙れないエセ分配属みたいに、最賃引き上げの責任をすべて企業におっ被せるのは無謀な暴論でしかない。

空前収益を上げる一部の上場企業ならまだしも、全企業の99%を占める中小零細企業で黒字なのは全体の1/3しかなく、しかも、そのうちの8割近くは、財務上の利益はごくわずかで実質は赤字なのに、銀行対策上の理由で決算書を粉飾していると主張する大手税理士法人もある。(=本当に黒字を出せるのは全体の5~6%だけ)

こんな状態で、中小零細企業に最賃引き上げ原資を全額負担させてしまえば、我が国の中小企業は財務パニックを引き起こすこと必定だ。

これだから、反射神経でモノを騙る毛虫は信用されないのだ。

財務力がペラペラの零細企業に人件費負担を押し付けても経営者を夜逃げに追い込むだけだ。

国民の実質所得を増やすためには、モノの順序というものがある。

政府が大規模な財政支出を打ち続け、下請けに対する取引条件改善と労働分配率向上を、法律強化と世論醸成の硬軟織り交ぜて普及させるという間接的給付ルートが一つ。

加えて、減税や社保負担軽減、教育無償化、医療負担軽減、児童・介護給付金、年金受給条件緩和などといった直接的給付ルートを同時に刺激し、国民の所得水準を名目・実質ともに大幅に引き上げるべきだ。

我が国の喫緊の課題は、あまりにも低過ぎる家計収入水準の絶対値を引き上げることであり、それをスピード感を以って実現するには、企業負担もあることながら、政府による大規模な財政支援が不可欠だ。

それくらいの理屈が解らぬから、いつまで経ってもエセ分配属は毛虫や蛆虫扱いされるのだ。

まぁ、「財政支出を増やしても国民の収入は増えず、却って税金が上がるだけ」なんて程度の低い寝言をほざくなら、試しに、最大の効果を狙って財政支出をゼロにしてみればよかろう。
毛虫の勤務先が倒産し、失業保険も吹っ飛ぶかもしれぬが、そのくらいの荒療治をせぬ限り、バカの目が覚めることもあるまい。

機能的財政論批判はいつもワンパターン

今年で平成も30年を迎えようというのに、少子高齢化・買い物弱者対策・農業の担い手不足・教員の過重労働・公共インフラの老朽化・科学研究レベルの低下・待機児童問題・介護従事者不足・医療難民対策etc…といった具合に、我が国は常に様々な社会問題を抱え対策に頭を悩ませている。

新聞やTV、雑誌などでこうした問題が採り上げられ、専門家や識者らが喧々諤々と対策を論じるが、行き着く先は決まって「財源問題」であり、そこで議論が行き詰まった挙句に、“問題の先送りor公共事業・防衛費の削減or国会議員(もしくは公務員)を減らせ”という生産性のない議論に逆戻りしてしまうのがオチだ。

「やるべきことは山ほどあるが、肝心のカネがない」というレベルで済むうちはよい。

だが、財源を言い訳にして、この先も永遠に問題解決を先送りしている間に、問題解決に当たることができる人材が枯渇し、「いくらカネを積んでも、やれる者がいない」という最悪の事態を招くことになる。

“燃料を買うカネがないから、火を点けられない”という段階から、“燃料は手に入ったが、火の点け方を知る者が誰一人いない”といったレベルまで劣化してしまうと、もはや手の打ちようがない。
多額のコストを支払い、火の点け方を知る者を海外から雇い入れるしかなくなった時点で、我が国は後進国の仲間入りすることになる。

供給力や生産力・サービス提供力、それを支える国民一人一人の勤勉さや技術こそが日本にとって最重要の『国富』であり、財源やカネなんてものは、そうした国富を永続的に養成し続けるための手段や栄養分に過ぎない。

大切なのは、国民生活をより豊かにするためのモノやサービスの生産力であり、貴金属との兌換性を解かれた通貨を神聖視することではない。
供給能力や生産力の拡大に応じて、インフレ率を睨みつつ必要なだけ消費や投資に直接使える通貨(カネ)を供給し、それらに対価を与えてやればよい。

だからこそ、近代国家は窮屈な金本位制を破棄して管理通貨制度を採用し、通貨発行を国権の下に組み入れたのだ。

筆者が日ごろから機能的財政論を基に、政府紙幣発行や国債増発による積極的な財政金融政策を訴えるのは、国富たる供給力が需要不足(=カネ不足)により弱体化・陳腐化するのを恐れるからに他ならない。

だが、相変わらず世論の大半は、いくらでも創りだせるカネを国富と勘違いして信奉し、社会に山積する諸問題解決には税収UPが不可欠だと思い込んでいる。

『アバ・ラーナーの機能的財政論は間違い (6)』(楽天ブログ「メシと為替とトレードと」より)
https://plaza.rakuten.co.jp/uminoue/diary/201305260000/

上記ブログのエントリーは四年半以上前に書かれたものだが、他の論者や識者からの機能的財政論や積極財政論に対する反論のレベルは、正直いって、当時からほとんど進歩がない。

件のブログ主の機能的財政論に対する批判の要点は次のとおりだ。

①政府債務(内国債)が国民の財産と考えることは良いが、それを現金で償還する場合は、必ず徴税というプロセスを踏むから、徴税分だけ国民負担が増えるはず。
仮に徴税せず通貨発行により償還したら、市場から財政ファイナンスと取られて大幅なインフレとなり、実質値で大幅な損失を被る。(フリーランチはない)

国債が存在しない場合、国内民間貯蓄は国内外の実物資産などに投資される。これらの投資は将来金利を生み、将来世代は元本と収益を受け取ることができる。
その際、将来世代が投資の果実を享受するためには、将来時点で貯蓄を保有しているのみでよく、元本と収益を受け取るのに何か追加の負担をする必要はない。

③一方、内国債を発行すると、元利支払いの原資は将来世代への課税により調達しなければならず、増税分だけ将来世代の負担が増す。
貯蓄が内国債以外の実物資産に投資されていれば税金など支払う必要はなく、元本と収益を受け取り全額消費に廻せるはず。

まず、①だが、国債償還財源確保のためにいちいち増税していたらキリがないし、国民の猛反発を喰らうだけだ。なぜ、三方大損必至のバカな選択をしたがるのか理解に苦しむ。
そんな面倒なことをせずとも、償還期を迎えた既発債をロールオーバーし、国債(=資金の出し手にとっての資産)を膨張させ続ければよいだけのことだ。

通貨発行→財政ファイナンスハイパーインフレという手垢のついた批判も聞き飽きた。
黒田バズーカにより日銀はすでに400兆円もの既発債を保有し、その分だけ政府債務は消滅しているのだが、これを以って“政府は日銀の財布を打ち出の小槌にして実質的な財政ファイナンスに手を染めている”との批判も根強くある。

だが、マーケットはそれに動揺するどころか微動だにせず、有事の円買い常態化する始末で、ブログ主が懸念する大幅なインフレなどまったく起きていない。

次に、②の“国内外の実物資産にさえ投資すれば、元本は保証され、将来にわたり金利収益を手に入れられる”という妄想には呆れ返る。
投資家気取りの連中は、本当に頭でっかちで実体経済の仕組みを理解していない。

如何わしい投資商品をむやみに勧めるインチキ業者に限って、「投資=ノーリスク&ハイリターン」であるかのような詐欺紛いのセールストークをしたがる。
しかし、実物資産にしろ、金融資産にしろ、投資商品が収益(リターン)を生むためには、収益の源泉たる実体経済下の商行為における事業の成功が不可欠だ。

投資マンションから期待どおりのリターンを得るためには、100%近い入居者を確保せねばならないし、入居者が家賃を滞りなく支払えるだけのマクロ単位での雇用・所得環境が欠かせない。

件のブログ主は、実物投資さえすれば自然と収益が得られるかの如く主張するが、トンだ妄想もいいところで、そんなうまい話があるなら、平成バブルが弾けることもなかったろうし、投資で失敗する者などいるはずがなかろう。

最後の③についても、①の主張に対して指摘したとおり、国債償還を増税で手当する必要などないことさえ理解できれば何の問題もない。

資金の出し手にとって大いなる資産価値を持つ国債をつかまえて、借金だの、負担だのと悪質なレッテル貼りをし、イメージを意図的に歪めようとするバカ論者は、財政の自由度を奪い、需要不足を恒常化させ、国富たる供給力の弱体化に手を貸す“間接的売国奴”だと言える。

我が国のみならず、管理通貨制度下にある国では、国債償還財源を増税に頼ることは稀であり、何処も増額ロールオーバーを繰り返して平気な顔をしている。

ブログ主氏の主張どおりなら、マーケットが財政ファイナンスを懸念して通貨が暴落し、とうの昔に世界各地でハイパーインフレが起きていてしかるべきだが、そんなニュースは聞いたことがないし、当のブログ主自身も、暴落必至の“円”を後生大事に抱え込んでいるに違いない。

カネの価値と、モノを創ることの価値との違いを理解できないバカには、何を言っても始まらないが、我々の先進的な生活水準が何によって支えられているのか、という点に思いを馳せてみれば、どちらを重宝すべきかという結論に至るはずだ。

銃口は敵に向けろ!

いつも緊縮派や構造改革派、リフレ派の妄想や寝言に文句をつけてばかりの拙ブログだが、今回は少々趣向を変え、機能的財政論に基づく積極的な財政金融政策を唱える勢力(ここでは積極財政派と記す)への批判について触れたい。

ただし、“批判”といっても、緊縮派やリフレ派など外部からの手垢まみれの幼稚な批判ではなく、従来、財政政策に融和的態度を取っていた層からの批判、つまり、内部やその周縁部にいる者からの批判や諫言めいた指摘の類を指す。

ご承知のとおり、積極財政派の存在は極めて少数だ。
例えるなら、一升炊きの米櫃の中の一粒のコメのようなもので、筆者はこれまでその割合を1%未満などと表現してきたが、実数を正確にカウントすれば小数点は左側に二桁ズレ、恐らく人口の0.05%もおるまい。

よって、財政政策が政治や政策に反映されることもなく、積極財政派は、四半世紀にも及びそうなほど不況が長引くのを横目に、即効性のある財政政策がゴミ同然に遇われるのを、臍を噛みつつ眺めるよりほかなかった。

一向に夜明けが見えぬ忍従に耐えかね、論を捨て、緊縮派やリフレ派へ転向・変心する者も多く、中には、財政政策を批判し財源の蛇口を閉めながら庶民への大型分配を唱えるというミミズ以下の低能ぶりを発揮する阿呆もいる。

こうした惨状を憂慮してか、積極財政派の言論活動の拙さを指摘し、「主張を世に知らしめる工夫が足りない。もっと女性をうまく使え」、「知的エリートを自負する排他的な態度を改めろ」、「論の正しさよりも、リフレ派みたいに広く人材を受け容れ、素朴で人間味溢れる対応を取れ」云々と、各方面から様々な批判がある。
(※リフレ派のロジックこそ、人間心理や人間味とは数億光年もかけ離れた空論なんだが…)

だが、内部への批判や叱咤がお得意で、熱心に諫言したがる方々に限って、自身の主張や活動がまったく疎かでお粗末なのは、とても残念だ。
得意顔で内部批判する暇があるなら、積極財政論を広めるエントリーの一本でも書いてほしいものだが、せいぜい、つまらぬゴシップ記事や読書感想文に多大なエネルギーを割くだけだから、言行不一致も甚だしい。

彼らは、是是非非の態度を装い、客観的立場から格好良く諫めているつもりかもしれぬが、筆者は、「是是非非」という言葉を軽々しく使い公言したがる輩ほど、背信や変心を屁とも思わぬ賤しいコウモリ野郎だと思っている。
いい大人が、時に応じて態度や思想をコロコロ変え、誰にでも噛みつこうとするのは、まことに見苦しい。

コンサルタントの世界では、「内部批判や不機嫌な態度で組織内に生じたネガティブパワーを払拭するのは、その3倍のポジティブパワーが要る」と言われているが、ただでさえ超少数民族の積極財政派には、これ以上のポジティブパワーを浪費する余裕など残っていない。

また、とあるビジネスサイトでは、“会社に籍を置きながら、上司や所属部署、会社などを徹底して批判する人”、いわゆる内部批判にばかり熱心な役立たずの特徴を次のとおり分析している。
①認めてほしいから批判する
②批判する割に未練がましく組織を離れようとしない
③平気で裏切る
④自分に自信がない
⑤不満や劣等感が強すぎ
⑥使命感や責任感がない

まさに、積極財政派をグチグチ批判するしか能がない軽輩の徒そのものではないか。

だが、連中がこうした恥ずかしい態度を取らざるを得なくなるのも、積極財政派の主張がいつまで経っても世に普及せず、現実の政策に反映されないが故のことだろう。

彼らには、「焦らず腐らず辛抱して、ただ時を待て」と言いたい。

どうも、政治論壇や経済論壇では、特定の思想や主張が“政策デビュー”するには、まず多数派形成が必要だと考える者が多いが、現実は決してそうとは限らない。

太古の昔から我が国のマジョリティ・オピニオンを占めてきたのは、勤勉を尊び贅沢を戒める「緊縮思考」であり、政・官・財・官・学のリーダー層だけでなく、国民の大半は消費や投資が尊ばれる世の登場を望んでいない。
つまり、これまで一貫して世論の多数派を制してきたのは「緊縮派」であり、それは未来永劫変わることはない。

享保・寛政・天保年間に庶民を苦しめた江戸のデフレ促進策が「三大改革」呼ばわりされ拍手喝采を浴び、日本を不況のどん底に貶めた橋本行革や小泉改悪が称賛されるのも、(メンヘラ女みたいに)幸せ恐怖症に陥り、奢侈を毛嫌いする日本人の特性がよく表れている。

こうした緊縮主義が蔓延する日本が世界有数の経済大国にのし上がれたのは、元禄時代や化政時代、あるいは、戦後復興期や高度成長期、バブル期、バブル崩壊直後のリーダーたちが、緊縮好みの世論を振り切り、多数世論を無視した積極財政政策を推し進めたおかげなのだ。

「我々は皆、リフレ派である」と冷笑ものの捨て台詞を吐いた原田日銀審議委員ではないが、日本人は緊縮派が多数だからと多数意見が罷り通っていたら、いまごろ日本は、東洋に浮かぶラオス並みの後進国として、国民全員がコメ作りに励みイノシシやシカを追う農村生活を余儀なくされていただろう。

持論が認められず駄々をこねる者に言いたいのは、世論のマジョリティを握らずとも、特定の経済思想を政策に反映させることはまったく不可能なことではない、ということだ。

現に、アベノミクスの先兵として、リフレ派悲願のインフレ・ターゲット政策が初めて政策として実行されたではないか。

正直言って、インタゲ政策の真意を理解できる者なんて千人に一人もおるまい。
おまけに、インタゲ政策による量的金融緩和やゼロ金利政策は、財政規律を弛緩させる、金融機関の収益を毀損すると各方面から集中砲火を浴びつつも、5年以上にわたりダラダラ続けられている。

だが、こんな少数意見(&いい加減な理論)であっても、時の政権と波長さえ合えば立派に政策として採り上げられるし、たとえ5年間もの歳月を浪費し常に目標未達という失態を続けても、周囲が失敗を糊塗してくれるのだ。
(※日銀券ルールの撤廃と400兆円もの国債の実質的無効化という功績は評価)

積極財政策が萌芽せぬことに憤りや諦観の念を感じる者も多いだろうが、多数派工作に焦燥するあまり周囲(=味方や内部)に当たり散らすのは止めてもらいたい。

多数派でなくとも政策として陽の目を見るチャンスはいくらでもある。
時機を得て政策を世に問う時が来るまで辛抱強く論を磨くことに専念していればよい。

多数派に阿ることなく、少数派らしく、ニッチな分野で尖った発想を磨き、エッジの効いた論を展開する差別化戦略をこそ重視すべきなのだ。

今回のエントリーを読み、「何だ、お前も内部批判する者を批判しているだけじゃないか?」との異議もあるだろうが、筆者は別に構わない。

そもそも、味方や内部の者の揚げ足を取り、刃を向けたがる連中のことを内輪とか内部の者なんて思っていないし、積極財政派なんて、元々“超少数民族”なのだから、いまさら数を減らしても大した影響はない。

内部批判をして悦に入っているバカ者には、味方ヅラをするつもりなら、その銃口を本来向けるべきターゲットに向けてみろと言っておく。

税が主役の時代は終わった

政府は、幼児教育の無償化を柱とする「人づくり革命」と、企業の実質的な税負担軽減を盛り込んだ「生産性革命」による2兆円規模の「経済政策パッケージ」打ち出している。
(政府・与党は、不況色の強い「改革」という文言に見切りをつけ、「革命」に衣替えする意向のようだが…)

政策パッケージの財源は、2019年10月に実施予定の消費増税による1.7兆円と、企業の拠出金0.3兆円を充てることになっているが、たかだか2兆円くらいの経済政策を打つのに、消費増税が人質に取られるのは間尺に合わない。
家計や企業は増税による恒常的な負担増に悩まされることになり、長期的に縮小傾向にある勤労者世帯の可処分所得は一層低下するだろう。

ここ20年来の不況により、経済政策の中身よりも財源の確保を何より重要視する「財源ファースト論」が蔓延する一方で、歳出増につながる財政政策は蔑視され、不況脱出の大きな障害になっている。

財源ファースト論の支持者は、歳出の恒常的抑制を前提とし、上に手厚く下に重たい税制の導入を狙っている。
彼らは、持てる者に都合のよい税制を目指し、消費増税や高額所得者・法人の税率引き下げという国民への負担押し付けでしかない税制改悪を「歳入改革」だと称する強欲な痴れ者だ。

下記にご紹介するコラムは、そんな痴れ者のアホな御託が満載だ。

『税制の抜本的な改革を!<歳入改革>』
(GLOBIS知見録 堀 義人:グロービス経営大学院 学長 グロービス・キャピタル・パートナーズ 代表パートナー)
https://globis.jp/article/1059

堀氏の主張は次のとおり。
①競争原理を働かせ経済成長に資する税制 → 法人減税 実行税率を25%まで引き下げろ
②頑張った人が報われる税制 → 所得税最高税率を引き下げろ
③なるべく多くの人が公平に負担するシンプルでフェアな税制 → 所得税の課税ベースの拡大・消費増税・各種控除の廃止により、低中所得者により多く負担させろ

堀氏のように、持てる者に優しく持たざる者に厳しい税制を好む輩は、「高額所得者=頑張った人」という幼稚で根拠不明な妄想に囚われている。

彼のような妄想家は、自分たちが税を負担するのを嫌がるくせに、税制自体に強いこだわりを持ち、他人に税が課されるのは何の痛痒も感じない。

“それほど税金を払いたくないのなら、いっそのこと無税国家にしましょうか?”と彼に提案してあげたいが、無税国家なんて絶対にありえないと100%否定するに違いない。
彼に限らず、所得税最高税率法人税率引き下げに熱心な連中に限って、税制そのものに縋りつき、しかも、それを他人に負担させようとするものだ。

だが、“税”を信奉するのは、堀氏みたいな“税制タダ乗り論者”だけではない。
ほとんどの国民が、税収こそ歳入の柱であるべきだと自然に考えているだろう。

巷には、「歳入=税」という公式がまことしやかに常識化しているが、歳入とは何かを改めて確認すると、「歳入の主要部分は、租税から構成されるのが通常である。その他、使用料・手数料や交付金・負担金、公債(国債・地方債)、通貨発行益などがある。租税法律主義(租税を徴収する根拠は必ず法令に明記すること)に準じて、租税以外の歳入についても必ず法令に根拠を置くことが近代国家では原則となっている。歳入とは、歳出に充てうるものを指す。すなわち、フローである。」(Wikipediaより)とあるように、歳入とは様々な政策の実行に必要なフローを手当てするための手段に過ぎず、その調達は税に限定されているわけではない。

税の役割を過大視したがる連中は、国家運営の経費は税という“会費”で賄うべきだという固定観念に囚われ過ぎなのだ。
国家の財政運営は、そこいらの自治会やサークルと違うことを理解できないのが、筆者には不思議でしかたがない。

自治会の運営経費だって、自治会費だけでは賄いきれず自治体からの補助金収入があるのが普通だというのに、1億人を超える人口を抱える我が国の国家財政を税だけで賄おうとする発想そのものに呆れ返る。

我が国には6,500万人もの就業者と380万者もの企業が存在し、膨大な量の製品やサービスを生み出すべく日夜努力を重ねている。
そうした経済活動を円滑に継続・発展させる原動力は、売上や給与という名目で支払われる対価であり、その対価の正体は「円という通貨(貨幣)」に他ならない。

不断の経済活動を支え続けるには、供給された製品やサービスに見合う分量の貨幣量が必要であり、既存のストックをぐるぐる廻すだけではまったく足りない。
政府が国債や紙幣発行を通じて貨幣量を増やさぬ限り、対価を得られぬ生産者や労働者の苦労や努力は無駄に終わる。

税という制度自体が、そもそも、国家財政運営の原資を主体的に賄う性格のものではなく、“税は国家なり”を体現するための徴税権行使を通じた権力の確認行為、あるいは、酒やたばこなどの奢侈を抑制する懲罰行為的な色彩が強い。

よって、歳出の原資を税だけに限定してしまうと、経済活動量に見合うだけの資金を確保できず、「歳出削減+増税=不況」という永遠のスパイラルを繰り返さざるを得なくなる。

民間金融機関や事業者が消費や投資に使える貨幣を勝手に創ることはできない以上、唯一それを為し得る政府(日銀を含む統合政府)が、歳出というお題目の下で国債発行や紙幣増刷という手段により実体経済下の貨幣量をコントロールするしかない。

税が歳入の主役を務めることができた時期はとうの昔に終焉を迎えたのだ。