うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

ムービング・ゴールポスト発動!

『ムービング・ゴールポスト…サッカー等の競技から派生した隠喩。試合終了後にも関わらずプロセスや試合の規準(ゴール)を、相手に対して故意に不利な新しいゴールに勝手に変更する行為(Wikipediaより)』

 

ムービング・ゴールポストという言葉の定義は上記のとおりだが、ネット上では、持論に綻びが生じるたびに主張の内容や論拠をコロコロ変え、他人の手柄を自分のものであるかのように騙る詭弁屋を揶揄するときにも使われる。

 

ゴールポストを動かす名人と言えば稀代の詭弁屋揃いのリフレ派で、過去にもお得意の金融政策一本足打法の打率が下がるたびに、「俺たちは財政政策を否定しているわけではない」、「高橋是清の円札大量発行は金融政策の範疇だ」、「MMTはリフレ派の亜流だ」などと、醜い詭弁を吐き散らしてきた。

 

財政政策の下支え無くして金融政策が効果を発揮できない事実を素直に認めればよいのに、“金融政策さえやっていれば財政政策なんて不要”、“財政政策は欲まみれの政治家と土建屋を太らすだけの愚策”と罵詈雑言を吐いてきた自分たちのプライドが許さないのか、財政政策の効果や手柄を、なんとか金融政策一本足打法のものにすり替えようと必死になっていたのを思い出す。

 

いまや彼らの情熱は、“とにかく自分たちの負けを認めたくない。そのために、いかに詭弁を弄し屁理屈を捏ねるべきか”に注がれ、口を開くたびに矛盾や自己否定のブーメランが飛び出すポンコツマシーンと化している。

 

さて、前言や論拠をコロリと変え、掌をくるくる返す醜態を晒すのはリフレ派の専売特許かと思っていたが、つい最近まで経世済民を訴えてきた論者にも、同じような病気を発症する者が現れた。

 

『本家MMTレイ&ミッチェル予定通り来日へ!』

https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12527378138.html

 

かの御仁のMMT原理主義者っぷりはかなり重症で、当該コラムでも、

「私のレイの入門書を読んだ感想として、MMTとのシンクロ率は95%くらいですかね?」、

MMTの論理を超簡単にまとめると、貨幣は負債であるという貨幣負債論と、通貨は国家の創造物で有るという租税貨幣論のコラボレーションが、現代貨幣理論のコア思想です。この基本だけ押さえれば、MMTは完全に理解可能です」、

と力説しておられる。

 

MMTを教条的に運用したがる野蛮人に限って、“租税貨幣論こそMMTの一丁目一番地だ”と間抜けなことをぬかすが、税金が政府支出の財源ではないと主張しながら、政府発行の貨幣(国民共有の資産)の信用の根源を租税に求める大矛盾に疑問を覚えないのか?

 

租税に使えるか否かを貨幣価値の判断基準に据える変わり者なんて、滅多にいないし、カネが好き過ぎる者ほど税を嫌う(脱税や節税に走る)のが世の常だから、租税貨幣論なんて根拠ゼロの空論中の空論でしかなく、一丁目一番地どころか、「番外地」のゴミ捨て場と呼ぶのが相応しいだろう。

 

それはさておき、かの御仁のコラムで驚いたのは、彼が前言を軽く翻し、“税は財源ではない”というMMTの大原則をあっさり否定してしまったことだ。

 

彼はコラムの中で、

「税は政府の財源だ!と語るのが、日本人には、しっくり来るし、MMT的にも、税金を徴収する事で、政府支出の余地を作ると説明しているのですから、税は政府の財源と捉えるのは、間違いではないのです」、

「「税は税源では無い」は表現として間違いです」、

「正に税こそが政府支出の文字通り源泉となっている」、

と騙りだし、『税金は政府支出の財源ではない(=通貨発行こそ真の財源、財政赤字は問題ではない)』というMMTのコア思想を足蹴にしている。

 

以前に自ブログで、

MMTのコア思想:税金は政府の財源では無い」、

「我々が今迄、思い込んで来た政府と国民の関係は『公共サービスの対価として税金を払っている』ですが、それは天動説と同じで間違いです。実際は、税金は政府支出の財源では無く税収とは無関係に通貨を発行、つまり信用創造、英語ではマネー・クリエイションで文字通り、お金を創出して国民に支払いをしています」、

「税金は政府支出の財源では無い!という衝撃的な事実に対する人々の反応は、だったら無税国家にすれば?でしょう」、

と得意げに騙っていたのだが、前言を全否定しておきながら、一言も反省の弁すらないのには呆れるよりほかない。

【参照先】『MMTとは何なのか?』

https://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-12454594457.html

 

これほど醜悪なムービング・ゴールポストがあろうか?

 

彼が“政府支出における税金不要論”の否定派に転じたのは、租税不要論→政府支出無限論→無税国家論やベーシックインカム論の拡大を嫌ったためであり、『本家MMTレイ&ミッチェル予定通り来日へ!』というエントリーで、「MMTを都合良く解釈し、無税国家や給付金の理論的な後ろ盾としてMMTを悪用する連中が出て来る」と文句を垂れている。

 

これぞ教条主義者の悪い癖であり、自分が気に喰わない無税国家論やベーシックインカムを断罪するためなら、MMTの根幹たる“政府支出における税金不要論”ですら簡単に切り捨てるさまは、まさに「目的と手段のすり替え」と言えよう。

 

彼にとって重要なのは、

①貨幣負債論や租税貨幣論を護り、MMTの教義の純度を高めること

②無税国家論やベーシックインカム(庶民救済策)を否定すること

の2点であり、経世済民よりも教義に重きを置く教条主義者や原理主義者に変貌しつつある。

 

筆者は、以前のエントリーでMMT原理主義者を指して、持論が危うくなると定義や論拠をコロリと変え、反論に困ると「教科書を読めよ!」で躱そうとするのは“リフレ堕ちのサイン”だと批判したが、彼は、さっそく、リフレ病特有のムービング・ゴールポスト症状を発症しており、もはや「完堕ち」の感を否めない。

 

彼は自ブログで、「MMT入門書の最後でレイは「問題は理論ではなく表現」だと語っています。人々に伝える分かり易い物語が、必要なのです」と騙っておられるが、彼のエントリーのどこをひっくり返しても、肝心の“分かり(解り)易い物語”とやらがどこに書かれているのかさっぱり解らない。

 

かの御仁は、「ご飯(租税貨幣論)にカレー(貨幣負債論)を掛けたカレーライスが、MMTなのですが、カレーライスは美味いけど、貨幣負債論(カレー)も租税貨幣論(ライス)もクソだ!という輩がいたら、貴方は、一体本当はナニを食べたのですか?と聞きたくなります」とおっしゃるが、そもそも、租税貨幣論は腐った生ごみ、貨幣負債論は酔っ払いのゲロでしかなく、到底食えたものではない。

(なぜ、租税貨幣論をご飯と、貨幣負債論をカレーと呼べるのか、まったく理由が示されていない)

 

ご自分では解りやすく伝えたつもりなのだろうが、彼のMMTに関する解説や比喩は、決めつけや思い込みばかりで、前提条件や入口要件も的外れゆえ、解りやすい云々のレベルにすら達していない。

 

筆者は、彼がいまだ経世済民の士であることを疑ってはいないが、一度リフレ堕ちした以上、回復には相当の時間を要するだろう。

 

残念ながら、MMTerを称する論者の中にも、経世済民の目的を失念し、教義の純度をひたすら追求する盲目の徒が多くいる。

 

時には彼らの矛盾や誤りを指摘しながら、その覚醒と復帰を気長に待ちたい。

国民の財布には、もうお金がない

“人々はなぜカネを使おうとしないのか?”

これほど容易に答えられる問いは他にないと思うが、小学二年生でも速攻で回答できそうな問題に頭を悩ます大人たちを見るにつけ、日本人の劣化ぶりを嘆かざるを得ない。

 

『消費増税で真に注意すべきは「駆け込み需要が見えない」ことだ』(三菱UFJリサーチ&コンサルティング研究主幹 鈴木明彦)

https://diamond.jp/articles/-/213712

 

上記コラムで鈴木氏は、「10月からの消費税率10%への引き上げまで1ヵ月を切ったが、駆け込み需要があまり出てきていない」現状を踏まえ、「これまでの消費増税のときと異なって、景気は調整局面に入り、消費者マインドも2年近く悪化が続いている。政府の対策がなくても駆け込みが出てくる雰囲気ではなかったのではないか」と分析している。

 

“折からの景気後退局面により消費マインドが冷え込み、3度目の消費税率引き上げを控えた消費者は財布の紐を緩める選択ができなかった”という結論だけならよい。

 

だが、鈴木氏は、その後もくだらぬ御託を並べた挙句、「消費が減少すれば、やはり消費税を上げると景気が悪くなる、だから、今後、しばらくは消費増税を封印しようという雰囲気が強まるかもしれない。しかしこれは、財政赤字社会保障費の今後のことを考えると問題だ」と述べ、増税断行すべしと訴えている。

 

「人々がカネを使わず、恒例の増税前の駆け込み消費すら起きない理由は、現にカネがなく、将来の収入も増える見込みがないから」で終了なのだが、鈴木氏のように、国民が低収入に困窮している事実を認めず、庶民の収入を増やすのを善しとしない輩は、なんのかんのと理由をつけ、増税やむなしという結論に持っていきたがる。

 

彼は、駆け込み消費が起きない理由について、

・2014年の増税時(5%→8%)に今回の10%への増税は織り込み済みだから、出てくる駆け込みは限られる

・今回は2%ポイントと小幅の増税なので、増税前に購入しておこうという気持ちにならないのかもしれない

・“駆け込み祭り”に乗り遅れまいという消費モードが盛り上がるのは、景気回復局面であり、過去2回の消費税率引き上げの時はそうだった

・高齢化が進み人口減少時代に入ったなかで、個人消費の基調は構造的に変わっている

とアホな分析をしている。

 

まず、前回(2014年)の増税時に将来の10%への引き上げ分(※当時は2015年10月を予定)まで織り込んだ駆け込み消費が起きたのでは、という分析だが、今年2月の流通ニュースによると、「認知状況では、8割以上の人が10%への消費増税を認知している。前回の認知度は62.3%で、今回は80.7%となり、前回の消費増税時よりも 18.4ポイント増加した。

消費増税までの間に、「事前に購入する/買い置きする」などの対策を、何かしら検討していると答えた人は、7割近くとなり、駆け込み需要がある」と予想されていた。

【参照先】https://www.ryutsuu.biz/promotion/l022646.html

 

前回よりも多くの人々に増税が認知され、7割近くが事前購入などの対策を講じると答えていたという調査結果がある以上、2014年に駆け込み需要の先食いが起きたというのは、あまりにもバカすぎる推論だ。

 

次に、今回の増税幅はたったの2%Ptだから、人々にスルーされたというのもおかしい。

 

常識で考えれば、消費刺激力において、2%Ptと3%Ptとの間に格段の差異があると思う方がどうかしている。

前回の3%Ptアップ時に3.3兆円もの駆け込み需要が起きたのに、今回の2%Ptがスルーされたのか、たった1%Ptの違いで大きな差異が出るはずがなかろう。

 

長年に亘り、モノを買うたびに8%ものペナルティを課されてきたのに、このうえ更に2%Ptの重しを乗せられる国民の痛みを、鈴木氏はまったく理解していないのではないか?

2%Ptもの増税を“小幅”と言い切る無神経さに、それが如実に表れている。

 

また、彼は、「景気動向指数で確認すると、89年4月の消費税導入、97年4月の消費税率引き上げ(3%⇒5%)、そして14年4月の消費税率引き上げ(5%⇒8%)と、過去の消費増税の際は、いずれも増税前まで景気動向指数は上昇(回復)していた」と述べている。

 

景気動向指数(CI指数)を確認すると、いずれも増税6か月ほど前から景気動向指数(CI指数)は上昇傾向にあるが、増税発動とともに急降下している。

(1989年3月~4月:104.2→101.6、1997年3月~4月:97.1→94.7、2014年3月~4月:105.7→100.8 「2015年=100」)

【参照先】https://www.esri.cao.go.jp/jp/stat/di/di.html

 

鈴木氏は、景気動向指数が上向いている局面なら増税も許容されるかのような言い草だが、万年病み上がり体質の日本経済において、景気回復局面(といっても、回復度合いとやらは微々たるものだが…)で行うべきは、増税ではなく、更なる景気刺激策でなければなるまい。

 

だいたい、指数の基準となる2015年の値が、四半世紀も昔よりも低いなんてこと自体おかしいではないか?

こうした体たらくを放置したまま、駆け込み消費の理由探しに右往左往するなど、まったく意味がない。

 

最後の高齢化や人口減少の影響云々も滑稽でしかない。

 

我が国の人口はピークの2008年/1億2,808万人から減ったとはいえ、その減少率は10年間でたったの1.5%に過ぎず、減少人口の大半はお金を自由には使えない若年人口が占めており、人口減少自体が由々しき大問題なのは間違いないが、これを駆け込み消費減の主要因に挙げるのはあまりにもバカげている。

 

鈴木氏はコラムの締めに、「今回の増税では一見、駆け込み需要が出ていないように見えても、消費増税後の個人消費が下方に屈折する可能性があるが、それは覚悟していなければいけないことなのだ」と述べている。

 

要は、「この先増税の影響でいくら個人消費が落ち込んでも文句は言うなよ! それが日本の消費の実力だろ? 財政赤字社会保障費のことを考えたら、消費税増税以外の選択肢なんてあり得んだろ(# ゚Д゚)」と言いたいわけだ。

 

増税前の駆け込み消費すら起きぬ原因は、「消費に使えるカネがなく、今後入ってくる見込みもない」だけのことだ。

 

懐にカネがないばかりに、値上がりすることが判っているのに店へ駆け込む元気すらない…

もはや日本経済には終了の赤ランプが灯ったと言えよう。

 

我が国は、国民がモノやサービスを満足に消費できぬような貧乏国家に片足を突っ込んでいるという自覚を持つべきだ。

 

いま議論すべきは、増税を前提とした弥縫策の在り方ではなく、ご臨終寸前の個人消費をいかに回復させるか、それを早急かつ効果的に実行するためにどんな経済政策を打つべきかであろう。

 

消費税廃止は無論のこと、社会保障費の国民負担の大幅な削減や直接給付金、大学までの学費無償化、国庫負担による公共料金の大幅値下げ、年金支給年齢の60歳への引き下げなど、あらゆる手段を総動員する覚悟が必要だろう。

 

緊縮絶対主義やくだらぬ政策選択論は要らない。

消費税が許されるタイミングなんて無い

『"消費税10%"でハリボテ景気は完全崩壊する~もはや日本銀行は手も足も出ない』(小宮一慶 経営コンサルタント)

https://president.jp/articles/-/29677?page=1

「(略)景気を現場で敏感にとらえている人の景況感を表すのが、内閣府の「景気ウォッチャー調査」です。別名「街角景気」とも呼ばれています。小売店の店頭で販売をしている人、ホテルのフロントマン、タクシードライバー、中小企業の経営者たちなどを対象に、毎月、各地域で調査を行っているものです。

この指標は「50」が良いか悪いかの境目ですが、昨年初あたりから「50」をずっと切っており、最近は特にその落ち込みが大きくなっています。(略)

前回2014年、5%から8%へ消費税を増税した時にはその影響で人々はぱたりとモノを消費しなくなりました。GDPの半分強を支えるのが、「家計の支出」。これがガクンと大きく落ち込んだのです。それも4年連続です。(略)

現状の財政状況や高齢化での社会保障の伸びを考えると増税は避けられないでしょう。しかし、景気減速懸念が強い中での消費税増税後の日本経済はかなり厳しい。それが私の結論です。」

 

元々、小宮氏は、緊縮財政や構造改革的政策への親和性が強く、財政政策や異次元金融緩和政策に消極的な意見の持ち主だ。

 

コラムでも、前回増税時(5%→8%)にはインバウンド消費が救世主になったかのような表現が見受けられるが、そんなものはくその役にも立たない。

 

観光庁によると、昨年度のインバウンド消費額は史上最高の4.5兆円に達したが、衰えたとはいえ550兆円にもなる我が国のGDPから見れば、たいして大きな額ではない。

しかも、前回増税時のインバウンド消費額は2兆円ほどでしかなかったから、それが増税によるGDPの落ち込み(302兆円→294兆円へ8兆円も減ったらしい!)をカバーしたなんてのは大げさすぎる。

 

インバウンドの消費効果を否定するわけじゃないが、昨今の“日本人がカネを使わずとも、外国人に金を使って貰いさえすればよい”、“日本人にカネを渡すのは気に喰わないから、代わりにカネ遣いのよい外国人に使って貰え”といった奴隷根性や同胞への妬み丸出しの浅ましい発想には反吐を吐きたい。

 

日本人にだけ消費のペナルティ(消費税)を課し、足りない分は外需で補おうなんて、あまりにも主体性が無さすぎるし、初歩的な経済観念が欠落している。

 

消費の低迷は供給サイドの飢餓に直結し、経済の活力を奪う禁じ手ゆえ、経済政策の手綱を握る者は常に消費力(需要力)の養成に気を配らねばならない。

 

元来、我が国は世界屈指のインフレ対応力を備え、その実力や実績も申し分ないのだから、少々のインフレなど恐れず、国民の消費力をガンガン引き上げる努力をすべきだ。

 

公共事業でも直接給付金でも、国民の懐を豊かにする政策なら積極的にやればよい。

外国人の財布に頼ることなく、国内の供給力をフル稼働させるだけの消費力を、まずは政府主導で創る必要がある。

「国は需要創造に本気だ」という姿勢さえ示せば、あとは勝手に民間主導の持続的な経済発展に移行していくものだ。

 

さて、今回のコラムでは、彼にしては珍しく、増税に否定的な論を張り、好調を伝えられる日本経済をハリボテと揶揄し、消費増税個人消費の足かせとなり日本経済の失速は免れないと指摘している。

 

筆者も、この辺りの認識に異論はない。

 

現況の日本経済は、需要(消費や投資)の卵となる所得の絶対水準と、非高齢者世帯の貯蓄の蓄積が明らかに不足しており、目先の支出もさることながら、将来を見据えた支出増などまったく期待できる状態ではない。

 

日本経済は明らかに疲弊しきっており、このまま積極財政に舵を切ることがなく、消費税率の引き下げや消費税の廃止も行われないと仮定すれば、10%への増税がなくとも不況の深刻化は免れまい。

 

ましてや、消費税率10%への引き上げなんてご法度中のご法度。溶鉱炉に自ら身を投げる自殺行為と言え、こうした愚策を支持したり容認したりする大バカ者は万死に値する。

 

一方の増税否定論や反対論も決して少なくはないが、かなりの温度差や濃淡があり、“将来的に増税は避けられないが、いまは消費増税をやるべきタイミングではない”といったほぼ増税容認論に近いものから、“消費税自体が存在してはならない税であり、即座に廃止せよ”という正真正銘の否定論までさまざまある。

 

経済の基本は、生産と消費が間断なく漸増し続けることにあり、その発展の過程で生産やサービスの能力や質の向上が促され、国民生活をより豊かなものへと変えていく。

 

消費税という悪税は、消費という行為に負荷をかけペナルティを課し、生産行為がより多くの価値を獲得するのを阻害する。

端的に言うと、生産サイドがより多くの売上や収益を上げるのを邪魔し、被雇用者に分配される所得を食い散らかすだけの病原菌でしかない。

 

こんな質の悪い伝染病を経済活動に導入すべきタイミングがあるとは到底思えない。

 

現状では、税率10%への引き上げが眼前に迫っているが、それどころか、消費税そのものを即座に撤廃し、平成元年の導入以降、国民や企業から無駄に絞り取ってきた累計300兆円以上もの消費税収の還元を行うべきだ。

 

国民一人当たり月3~4万円の生活向上給付金の創設や、社会保障負担の半減(国庫負担率の引き上げ)など方法はいくらでもある。

国債増発や日銀による国債直受け、貨幣増発など財源捻出にも問題はない。

 

要はやる気の問題だ。

妙に先回りして、起きもしないハイパーインフレに怯えるのではなく、“消費なくして売上も利益もなし、需要なき経済はシロアリに喰われたハリボテ未満”という危機感をまず認識せねばなるまい。

「教科書読めよ!」は“リ・フ・レ・堕・ち”のサイン

原理主義

聖典などに根拠をもつ教義・規範などを厳守し、世俗主義に対抗しようとする宗教的思想・運動。一般に、原理・原則を重視し、その徹底をはかろうとする立場。市場原理主義など。」(三省堂デジタル大辞林)

 


教条主義

「事実を無視して、原理・原則を杓子定規に適用する態度。ドグマティズム。」(三省堂デジタル大辞林)

 


原理主義”と“教条主義”って同じ意味だと思っていたのですが、意味を調べてみると微妙に違うんですね。初めて知りました。

 


原理主義って聞くと、イスラム原理主義とか、キリスト教原理主義市場原理主義といった血なまぐさい戦争や争い、あるいは、冷酷な切り捨てや格差の放置といった悪いイメージばかり連想しますよね。

 


要は、他者への慈愛や思いやりが決定的に欠如し、人間を粗末・粗雑に扱う偏狂的で自己中心的な冷血野郎の考え方ってわけです。

 


原理主義者や教条主義者に共通する特徴は、

 


①宗教や教義、原理・原則を絶対的真理だと信じ、それを杓子定規に解釈して金科玉条のごとく崇めたてる

 


②目的よりも手段の清濁に固執し、手段を目的化しがちになる

 


③自分が信教する教義に対して他者が寸分でも違う解釈をするのが我慢ならず、フンガフンガと癇癪を起こす

 


④主張や論理に大きな違いがある者よりも、教義の解釈や適用範囲に小さな違いがある相手をより敵視しがちになる(=異教徒との闘いよりも、門閥・派閥争いに熱中しがち)

 


⑤キリストやマホメットの弟子を称する者たちが宗教解釈の違いを巡り醜い争いを繰り返したように、教祖よりも、弟子を自任(自称)するチンケな連中ほど、より原理主義教条主義に陥りやすい

 


⑥自身が①~⑤の罠に陥っていることにまったく気づいていない

 


といったところでしょうか。

 


まったく…、大人げないというか、柔軟性や寛容さがないというか、はたまた、しなやかさや強靭さに欠けるというか、一言でいうとマクロ的視野が欠如していますね。

 


さて、進撃の庶民のメンバーたる論者たちは、経世済民(国富強靭化と国民生活の向上)の実現を目的に、積極的な財政金融政策の実行を訴え、長い間、緊縮バカや構造改悪バカ、金融緩和絶対主義を唱える詭弁屋(リフレ派)との論争を繰り広げてきました。

 


今年に入ってからMMTという援軍を得て、積極財政論も大いに話題を集め、超少数民族から少数民族へとクラスチェンジを果たせそうな手応えを感じています。

 


ですが、困ったことに、一部のMMT信者に、MMTの教義や原理・原則を厳格適用せよと顔を真っ赤にして吠え散らかす輩がいます。

 


この手の”困ったちゃん“は、ネットパトロールをしては、「MMTの教科書に書いていないことを喋るな!」、「MMT の教義を一ミリでも動かすのは許さん!」と番犬みたいに吠え掛かります。

 


彼らは、MMTを支持する論者を、

「偽装MMT(給付金やベーシックインカム(以下、BI)を認める困ったちゃん)」、

原理主義MMT(デフレへの危機意識が薄いカルト信者)」、

「日本版MMT(それ以外)」

と区分し、

MMTを巡る言論戦は既に始まっている。偽装MMT原理主義MMTと日本版MMTのバトルロワイヤルになるのは確実。日本版MMTはこの戦いに勝利する必要がある!」などと檄を飛ばして悦に入る始末です。

 


【参照先】

https://shin-geki.com/2019/09/03/%E5%81%BD%E8%A3%85mmt%E6%B1%A0%E6%88%B8%E4%B8%87%E4%BD%9C%E3%81%AE%E6%9A%B4%E8%B5%B0%E3%81%A8%E5%A6%84%E6%83%B3

 

 

 

まったく…、バカもほどほどにしてもらいたいものです。

 


私みたいな貨幣負債論や租税貨幣論否定論者相手ならともかく、MMTを初期段階から学び、積極財政を世に問うてきた仲間や味方に銃口を向けてどうするんですかね?

 


「┐(´д`)┌ヤレヤレ MMTを巡る言論戦なら、緊縮バカやリフレの詭弁屋さんとやってくださいよ… 積極財政を訴える者同士でバトって何の意味があるんですか?」と呆れ果てます。

 


だいたい、雲霞のごとく押し寄せる緊縮支持派に周囲を取り囲まれた圧倒的不利な戦況を無視したまま、“日本版MMT”なんて定義不明のカテゴライズをして悦び、挙句の果てに、同じベクトルを持つ論者に果たし状を叩きつけるとは何事ですか!

 


現状認識すらできぬ彼の幼児性には、愚物や愚鈍以外に適切な表現が見当たりません。

 


さて、日本版MMTの先導者を自称する彼は、給付金やBIが特にお嫌いなようです。

 


彼は自ブログで、

 


・すべての国民に理由もなくカネをばらまくBIは麻薬である

 


南極大陸に黒人難民だけが移住する架空国家を建国し、給付金天国化(といっても、BIで月7万円程度を給付するだけの話…)すれば、通貨は瞬時に大暴落しハイパーインフレが勃発する

 


・貨幣が負債だと解るとマクロ経済が理解できる

 


と主張していますが、いずれも根拠のない詭弁でしかありません。

 


過去に、

「極端な主張を掲げてバランスを狙え」、

「議論のボールをできるだけ遠くに投げろ」、

国債が数千兆円に増えても大丈夫です」、

「庶民に寄り添うのが真の保守だ」

と声高に叫んでいた御仁が、一旦教条主義に陥り、原理主義病に罹ると、これほど安易に掌を返すのかと唖然とさせられます。

 


教条主義原理主義が厄介なのは、発想の柔軟性が損なわれ、しなやかさを失うことです。

 


柔軟性を損なうと思い切った提言や提案ができなくなり、しなやかさを失くすと弱者や庶民への温かい眼差しも失ってしまいます。

 


教条主義者がボールを遠投できなくなり、BIを麻薬呼ばわりするまでに落ちぶれたのは、発想の柔軟性やしなやかさを失くしただけでなく、大胆な提言を世に問う“勇気と気概“まで失くしてしまったからでしょう。

 


教条主義者は、BIに対して「理由もなくカネをばらまく麻薬」だと腐しますが、これは幼稚なルサンチマンに過ぎません。

 


令和日本を襲う消費不況の原因は、時の政府が二十年以上に亘り経済失政を重ねてきた結果であるのは明白です(この点は教条主義者も認めています)から、この間に失われた国民の逸失利益を政府が補償するのは当然です。

 


BIでカネをばらまくのは、「弱り切った消費力を短期間で回復させるため」という理由に加えて、「政府の失政により生じた経済被害に対する補償や弁償である」というきちんとした理由もあります。

 


・日本の長期不況の原因は需要不足

・需要不足は、国民の所得不足に起因する消費力不足を払拭せぬ限り解決不能

・二十年以上も所得不足に見舞われた国民の財布は枯渇しており、歳出拡大による雇用創出といった中長期的対策だけで需要不足を補填するのは困難

・中長期的対策と並行して、国民の財布を膨らます短期かつスピーディーな経済政策が必要

・現実と将来の所得不足という二重苦に見舞われた国民に消費への意欲と自信を与えるには、聖域なきバラマキを恐れず、直接給付するが合理的かつ効果的

というわけです。

 


そもそも、勤勉かつ倹約家の日本人のことですから、月に三〜四万円貰ったところで仕事を放り出して怠けることもありませんし、世界に冠たる生産力を誇り需要不足に悩み抜いてきた我が国がイパーインフレになることもありません。

 


この程度の理屈も解らずに、今まで積極財政を騙っていたとは呆れますね。

己れの勉強不足を猛省すべきです。

 


自身が、緊縮バカやリフレ派相手に、積極財政の無限性とハイパーインフレなど杞憂でしかないと自信満々に論じてきた過去をどう言い繕うのでしょうか?

 


また、彼の“南極に黒人移民国家を創り給付金天国化するとハイパーインフレが起きる説“は、あまりにも荒唐無稽でコメントする価値もありません。

 


「生産能力ゼロの不毛の大地、勤勉さも遵法精神も技術スキルもない人種、給付金以外の労働収入ゼロ」という現代日本にまったく当てはまらない前提条件を基に、ありもしない与太話(ハイパーインフレ)を煽るのは、言論をもって経世済民を問う論者としての神経や資質が疑われます。

 


最後に彼の十八番の「貨幣が負債だと解るとマクロ経済が理解できる」という妄想に触れておきましょう。

 


債権債務の取引上で行われる貸借行為において、「誰かの負債は、誰かの資産」というのは真です。

 


しかし、貨幣は負債や資産の数的・量的単位を示すものであり、それ自体は負債ではありません。

 


「誰かの負債は、誰かの資産」を敷衍し過ぎるあまり、貨幣を、その発行元たる政府(日銀含む)の負債に仕立てようとするなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあります。

 


貨幣に“負債”の色が付くのは、発行体から市中へ放出された後に、それを受け取った者の間でなされる経済取引の中で発生する話であり、貨幣は政府を含む国民共有の資産なのです。

 


人々の生活を豊かで便利にするのは、国民の労働(モノの生産やサービスの提供)の賜物であり、それ以外の何者でもありません。

 


これぞ国富と言うべきでしょう。

 


割り箸一本作る術を知らない私が、なに不自由なく暮らせるのも、他の誰かが働いてくれるおかげです。

 


では、国民を労働へと誘ってくれる最大の要因は何か。

 


それは貨幣(所得)を獲得したいという欲求です。

 


我々が安心・便利に暮らすには国富(生産・サービス力)が不可欠であり、国富の養成や維持向上には、対価となる貨幣の間断なき供給が欠かせない。

 


ゆえに、貨幣は国民共有の資産なのです。

 


貨幣を負債視する、それも発行元たる政府の負債と決めつけるのは、国民の借金恐怖症をいたずらに刺激し、国債発行抑制や歳出削減の雑音を大きくするだけの愚行です。

 


消費税にすらまともに反対できない国民が、「オレたちの資産を増やしたいから、政府はどんどん負債を増やせ」なんて、間違っても言うわけありませんよ。

 


「貨幣を負債だと誤解すると、マクロ経済はシュリンクし、劣化の一途を辿る」というのが真実です。

 


さて、件の原理主義者の方ですが、少し前にご自身のブログのコメント欄で、持論に反対するコメントに対して、

『レイのMMT入門が出ましたが、そちらは熟読されましたか?
私と議論がしたかったら、先ずは基礎知識を身に着けて頂きたいです。』

と反論しておられました。

 


異論や異見に対して、「教科書読めよ!(*`ω´)」の一言で反論した気でいる辺り、詭弁屋揃いのリフレ派の連中にそっくりですね。

 


原理主義教条主義に陥り、視野が極端に狭まる

 


・特定の政策による一本足打法固執する

 


・政策選択論ばかり唱え、使える選択肢を邪教呼ばわりしてドブに捨てる

 


・反論に困ると“教科書読め”で逃げを打つ

 


こういった醜態を晒すのは「リフレ堕ち」した愚か者特有の症状です。

 


そういえば、リフレ堕ち患者の特徴がもう一つありましたね。

 


それは「ムービング・ゴールポスト」です。

 


恐らく彼も、数ヶ月後には、

「オレは最初からBIを否定したことは一度もない。ネオリベに騙されぬよう警告を発していただけだ。給付金は、MMTが認める広義の財政政策に当たる」

などと、コロリと掌を裏返していることでしょう。

太陽エネルギーよりも効果的な消費エネルギー

『消費増税を撤回せよ!「太陽黒点説」で占う日本景気崩壊の恐れ』(QUICK企業価値研究所 シニアアナリスト 柊 宏二)

https://diamond.jp/articles/-/213741

 

柊氏はコラムの前半で、景気循環と太陽の黒点数の増減が連動するという「太陽黒点説」の是非について触れ、黒点減少が惹き起こす冷夏や太陽エネルギーの低下が、人々の消費マインドを冷やし消費に悪影響を及ぼしているかもしれないと、同説を肯定している。

 

太陽黒点と地球の気候変動との関係については、専門家の間でも諸説あるようで、筆者は特に興味ない。

 

それよりも、コラムを書いた柊氏の経済環境に対する認識と、対策に関する考え方に意見を述べてみたい。

 

まず、彼は、タイトルにあるとおり、「日本景気の崩壊を防ぐためには、幼児教育無償化など増税の影響を緩和すべく予定する経済対策だけ実施し、消費増税を見送る、もしくは消費減税を実施すべき」と、消費税率引き上げの凍結や減税を訴えている。

 

また、日銀の量的金融緩和政策に対して、「マイナス金利政策は、貸出増加や円高の食い止めに効果はなかったように思えるし、銀行収益への打撃や運用資産の減少懸念による消費マインド悪化など、副作用の方が圧倒的に大きかったとみている。某メガバンク首脳が「マイナス金利政策になったからお金を貸してくれ、といってきた企業など1社もない」と言い切っていた姿が印象的だった」と一刀両断している。

 

と、ここまでは、まあ良い。

 

消費増税など以ての外の愚行だし、需要なき投資環境における超低金利は貸出促進にたいした効き目がないのは、6年半にも及ぶ黒田バズーカの敗着により実証済みだ。

 

恒例の駆け込み消費すら起きぬほど寒風吹き荒ぶ不況下に、増税を強行するなど頭がくるっているとしか思えない。

増税凍結や減税は当然のこと、消費税そのものの即時廃止まで踏み込まねばなるまい。

 

論者の中には、消費税廃止だけですべて上手くいくと断言する粗忽者もいるが、個々人の絶対的な所得水準が貧困層一歩手前の惨状にまで落ち込んでいる現状を踏まえると、たとえ消費税が廃止されても、漸減傾向が続く消費の衰弱速度が多少緩やかになる程度の効果しか望めないだろう。

 

消費税の減税や廃止は、不況を打開し、好況への転換を図るのに不可避かつ有効な一手であるのは間違いないが、勝負を決める一手とまでは言えない。

 

サラリーマンの平均年収は430万円前後だが、階層別の最頻値は200~300万円で、400万円未満の階層が46%以上を占める。

 

たとえば、年収300万円世帯(4人家族なら貧困層にカテゴライズ)の消費税負担は年額13万円前後とされる。

消費税廃止により家計の実質所得がその分だけ増えるのは望ましいが、現実に増える収入は月1万円ほどしかなく、爆発的な消費を促すパワーは期待できない。

 

消費税廃止により、凍結状態の消費マインドをゼロ℃付近に戻せるだろうが、常温や過熱状態にまで引き上げるには明らかに力不足であり、もう一つ二つ別のエンジンが要る。

 

端的に言えば、年収300万円という天井を大幅に引き上げてやれ!、ということに尽きる。

でないと、絶対的貧困レベルにある者が積極的にモノを買おうなんて気を起こすはずがない。

200~300万円の年収が400万円→500万円と目に見える形で増え、将来も増え続けるぞと確信すれば、人々は先を争って消費に勤しむようになるだろう。

 

消費税廃止は、ボロ屋の割れ窓を修理し、住人を凍傷や凍死から救う役目は果たせるが、部屋を適温まで温め、空腹を満たすには物足りない。

 

ここから先は、超積極財政による聖域なきバラマキが効果を発揮する領域であり、

公共投資を通じて様々な分野の予算を拡大させ、民間にビジネス機会と収益の種を提供し、ロングスパンでの投資や人材育成を促すルート(国富強靭化)

②直接給付や社会保障費負担の軽減、大幅減税により、国民所得を名実両面からダイレクトに増やし、需要力強化を促すルート(内需強靭化)

という二本の大動脈を活性化させるべきだ。

 

さて、冒頭の柊氏だが、コラム中盤まで消費税凍結や減税に踏み込む勢いだったのに、なぜか終盤以降は大失速し、財政金融政策無効論を叫び始め、太陽エネルギー増大に経済活性化を託すなど、まるで太陽教信者であるかのようなグダグダぶりを晒している。

 

彼は構造改革狂信者のようで、

「日本では生産年齢人口が2000年代に入る前に減少に転じ、その後も減少が続いている。人口減が続くことで、日本経済の潜在成長率は低下し、財政政策も金融政策も効かない状態に陥っている」、

「今後、時間がかかっても、地道に潜在成長率を高める施策を積み重ねていけば、製造業の高度な技術力を背景にポテンシャルの高い日本経済は、再び浮上できる素地は十分ある」、

2020年代には太陽エネルギーが再び増大し、我々の経済活動をフォローする可能性がある。ただ、そのときまでに地道に潜在成長率を高める施策を積み重ね、財政や金融への依存体質を抜け出し、成長体質に変貌することが重要だ」

と目を血走らせて叫んでいる。

 

彼の幼稚すぎる妄想に突っ込みを入れるのも面倒だが、

・我が国の潜在成長率が低下したのは、財政政策の忌避や放棄による需要力低下が主因である

財政支出なしで需要は生まれず、それを養分とする供給は衰えるだけ。積極財政の実行以外に製造業の潜在成長率を高める施策など存在しない

・太陽エネルギーを浴びて悦ぶバカはお前だけ。何の経済的効果も成果も挙げられない構造改悪や成長戦略など企業のゾンビ化を生むだけ。財政政策や金融政策に依存せぬ経済政策などお花畑に棲む低能児の妄想でしかない

と指摘しておこう。

大河の主人公は、荻原重秀か高橋是清で

積極財政論のニュースが報じられ、財政政策を支持する論者の意見が徐々に拡がりを見せる中、緊縮バカどもも“イラつきMax”に達しているようだ。

 

『再来年のNHK大河ドラマに「松方正義」を推す理由』(アゴラ 有地 浩 日本決済情報センター顧問 元財務省大臣官房審議官)

http://agora-web.jp/archives/2041087.html

「来年(2020年)のNHK大河ドラマ明智光秀を主人公とした「麒麟が来る」で決まっているが、再来年のテーマは何になるか現時点ではまだ発表がない。(略)

 もし明治以降の時代の物語を取り上げるのであれば、私としては是非とも松方正義を取り上げてほしい。(略) 私が松方を推すのは、彼が我が国の中央銀行日本銀行)を作った男だからだ。今ほど中央銀行制度が危機に瀕しているときはない。(略) アメリカのトランプ大統領のように、中央銀行の独立性を無視してFRBの政策に露骨に介入しようとする政治家も現れてきている。さらにはMMT理論のように、中央銀行の独立性を否定して、中央銀行は政府の財政資金バラマキのためのツールとしての地位しか与えない議論が支持を広めようとしている。

こういう時だからこそ、今歴史を振り返って、中央銀行がなぜ必要になったか、冷静に考える必要があると思うのだ。(略)」

 

緊縮バカにとって、「自国通貨建て債務の不履行はあり得ない」「極度なインフレにさえ注意すれば、財政赤字には問題がない」、「財政政策の財源は通貨発行とそれに見合うだけの生産力であり、税金ではない」という“経済の常識”が人目に触れるのが我慢ならぬほどイラつくようで、ついに、大河ドラマのテーマにまで嘴を差し挟んできた。

 

有地氏おススメの松方正義と言えば、西南戦争後も富国を目指して積極財政策を採った大隈重信に対抗し、不換紙幣の回収・焼却や日本銀行の設立、金銀本位制導入、政商への官営模範工場払い下げ、煙草税や酒造税などの増徴、政府予算の縮小などといった緊縮策を断行し、「松方デフレ」と揶揄される大不況を招いたいわくつきの緊縮バカである。

 

喩えるなら、新井白石松平定信水野忠邦浜口雄幸らのごとく、実利よりも安っぽい理念を、国民よりも自らの思い込みを優先させ、中二病っぽいヒロイズムに酔うだけの、頭でっかちで融通の利かぬゴキブリでしかない。

 

松方が惹き起こした明治初のデフレ不況は、

「松方財政によるデフレーション政策は、繭の価格や米の価格などの農産物価格の下落を招き、農村の窮乏を招いた。このデフレーション政策に耐えうる体力を持たない窮乏した農民は、農地を売却し、都市に流入し、資本家の下の労働者となったり、自作農から小作農へと転落したりした。一方で、農地の売却が相次いだことで、広範な土地が地主や高利貸しへと集積されていった。

一部の農民は、経済的困窮から、蜂起活動に走り、各地では自由党による激化事件に参加して反政府的な暴動を引き起こすようになった(当時、農村は自由党の支持基盤であった)。

また、官営工場の払い下げにより政商が財閥へと成長していったことと相まって、資本家層と労働者層の分離という資本主義経済の下地を作ることとなった(Wikipediaより)」

とされ、食糧生産力の低下、農村の窮乏、都市と地方との人口バランス崩壊、貧富の格差拡大、治安の悪化という不況と社会不安をもたらした大罪人と言える。

 

有地氏は、不況の権化たる人物を大河ドラマの主人公に据え、一年中垂れ流すよう求めているが、増税強化と歳出縮小で国民から財や所得を奪い、財閥や特定企業との癒着により国有財産を恣意的に放出した落第政治家の生涯なんて、辛気臭くてとても見る気になれまい。

 

近代国家の道を歩み始めた明治初期に国家としての基盤も危うかった我が国で、食と雇用を縁の下からしっかり支えたのは、何と言っても農村(庶民)地域であり、そうした社会基盤をこともなげに足蹴にし、庶民の生活を疲弊させた元凶こそ、松方の経済失政である。

 

彼の惹き起こした不況と、それに端を発する数え切れぬほどの不幸の積層を思えば、その失政を正当化し、神格化するなど以てのほかだ。

 

松方正義の経済音痴ぶりは、世界恐慌の最中にもかかわらず、金本位制復活と緊縮政策の断行により、当時の日本を昭和恐慌のどん底に叩き込んだ浜口雄幸井上準之助のバカコンビにも比肩する。

 

我が国の国民が、平成不況からいまだ脱しきれず、度重なる増税社会保険料負担増に耐えかね、生活困窮に苦しむ中で、明治や昭和初期に経済失政を恣意的に断行し、国民に塗炭の苦しみを味わわせた大罪人を大河ドラマの主人公に推すなんて、あまりにも常識がないというか、その無神経ぶりに強い憤りを覚える。

 

日本に蔓延しがちな緊縮礼賛主義や我慢美徳思考を打ち破り、周囲からの白眼視や批判をものともせず、真の経済常識を一途に説き実行してきた人物や偉人こそ、大河ドラマの主人公に相応しい。

 

所得や資産の絶対量不足から、いまの日本人は生活力の向上や将来の展望に対する自信をすっかり失ってしまった。

 

肩を窄めて下を向く日本人たちに、成長マインドや幸福を追求する欲求を再び植え付けるためには、大不況→大好況という経済的大転換を成しえた努力家や信念の人の生きざまを、ぜひ映像化してもらいたいものだ。

国民の所得と自信向上の実現に費やせる時間は想像以上に少ない

今年7月に、積極財政論者でありMMTの提唱者の一人であるニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が来日したことは記憶に新しいことと思います。

 

彼女は講演の中で我が国が採るべき経済政策に触れ、「消費者の支出こそが経済のけん引役であり、財政政策で人々の所得と自信を向上させることが必要」(日経新聞記事より)だと言い切りました。

 

私は、従前から、「平成不況により、我が国は最も重要な国富(供給力や技術力)を失いつつある。そして、国富の崩壊や欠落を招いた最大の病根は、国民の所得と自信の喪失である」という危機感を持っており、そういった認識を図らずも彼女と共有できたことは非常に有意義でした。

 

では、財政政策の実行を通じて日本人が取り戻すべき「自信」とは、いったい何なのでしょうか?

 

私は、

①日本はこれからも他国を凌ぐ勢いで経済成長できるという自信

②“明日は今日よりもっと良い日になる”という希望を下地とする飽くなき幸福追求への自信

③真面目かつ人並みに働きさえすれば、所得は十分満足できるレベルで増え続けるものだという自信

だと思います。

 

世界一勤勉な日本人が生み出す製品・商品・サービスの付加価値が貶められ、正当な対価が支払われずに買い叩かれた挙句に、空前の人手不足と言われながら、いまだに最低賃金が1,000円にすら届かない惨状が放置されているのは、日本全体を需要不足、つまり、“絶対的な所得水準不足”の暗雲が覆いつくしているからにほかなりません。

 

緊縮政策と野放図な規制緩和政策という経済失政が20年以上も続く中、我が国のサラリーマンの平均年収は、H9の462万円をピークに7.5%も減っています。(H29データ)

 

「なんだ、減ったといってもたったの7%だろ? 別に問題ないじゃん」というアホもいますが、比較対象となるH9が、すでに20年以上昔、つまり、ふた昔も前の出来事であることを忘れていませんかね?

 

常識的レベルの経済政策さえ採っていれば、年収ってのは、たとえ少しずつでも上昇するのが当たり前です。

我が国が、せめて先進国並みの2%程度の成長率を維持しておれば、いまごろサラリーマンの平均年収は700万円越えを達成していたはずですよ。

(※私は、積極財政策を採っていれば、4%くらいの成長率を十分に達成できたはずだと思っていますが…)

 

“不況だから仕方ない”、“たったの7%しか減ってない”という安易で自堕落な気の緩みが、700万円-462万円≒240万円もの差異を生んだのです。

しかもその差異は20年もの間累積しますから、均すと労働者一人当たり累計で2,400万円もの所得を失ったことになります。

 

雇用の質が劣化し、年収は20年も昔より減り続け、将来や老後に備えた貯蓄すらまともにできないのに、消費税率は上がり、社会保険料負担は増える一方という五重苦の中で、人々が消費や投資に積極的になれるはずがありません。

 

20~30年前と比べて驚くほど高機能・高性能な製品やサービスを造る能力を有しながら、まったく売れず在庫の山…、財布の紐が固い日本人を相手にしても商売にならないから、カネ遣いのよい中国やシンガポール、タイ、インドネシアを相手にせざるを得ず、現地の役人や代理企業にぼったくられ、痛い目に遭う。

 

一方、日本人労働者は、不当な規制緩和により、雇い主から東南アジア辺りの奴隷並みの低賃金と比べられ、「タイ人ならお前らの1/10で雇えるぞっ!」と脅され、雇用の場がいとも簡単に海外へ流出する様を指を咥えて眺めるしかありませんでした。

 

こんな失敗を繰り返す中で、日本人は雇用と所得を失い、同時に自信や自尊心すら失くしてきたのです。

 

私がケルトン氏の言葉に感銘を受けたのは、おそらく日本に来たこともない彼女が、日本人や日本経済が患っている症状を的確に分析し、その病根と処方箋をズバリと指摘したからです。

 

『消費者の支出こそが経済のけん引役』

『財政政策で人々の所得と自信を向上させる』

 

この二つの重要な言葉を政策に適切に反映させ、日本経済を再び力強い成長軌道に乗せ、その果実を遍く広く分厚く国民全体に行き渡らせねばなりません。

 

“十分に質の高い雇用を国民に提供すること”、“国民に対する直接給付金により経済失政で失った逸失所得を早急に補填すること”という双方向からの所得増進策(=需要力強化策)が必要です。

 

ここで、「公共投資による既存保障制度の拡充か、新たな給付金か」という二者択一論に固執するのは、経済のイロハすら理解せず、現状認識が甘すぎる大バカ論の類いでしょう。

 

積極財政による経世済民を真摯に志す者なら、「公共投資もやるべし、給付金もやるべし」というシンプルかつ合理的な結論に到達できるはずです。

 

“給付金は人々を堕落させ、仕事を通じた尊厳や自尊心の向上を妨げる”という素人じみた批判もありますが、完全失業状態で給付金だけで暮らす厄介者という極々一部の超特殊事例を前提とする夢想論にはおつき合いできかねますね。

 

給付金制度は、真面目に働く日本人の給料があまりにも低すぎるゆえ消費に対する自信を持てない、というジレンマを可及的速やかに解決できる最適解のひとつです。

 

積極財政論者たる者、国民が消費に自信を取り戻し、経世済民の一助になるのなら、くだらないプライドや自負心はドブに捨てるべきでしょう。

 

公共インフラ投資、社会保障拡充、地方交付金増加、教育・科学技術・国防予算拡充、農業人材育成、国産エネルギー開発、医療研究予算拡充等々、オーソドックスな財政政策の実行は急務かつ不可欠です。

 

それらは、中長期的な視点から国民の所得と自信を向上させる政策であり、不況克服という眼前の大問題を解決するためには、短期的な時間軸から、直接給付制度のような即効性のある政策を打つことも必要なのです。

 

一部の積極財政論者にありがちな「給付金嫌悪論」は、租税貨幣論や貨幣負債論と並ぶ三バカ論としか思えません。

 

私は、

『消費者の支出こそが経済のけん引役』

『財政政策で人々の所得と自信を向上させる』

というケルトン氏の言葉に、次の言葉をつなげたいと思います。

 

『国民の所得と自信向上の実現に費やせる時間は想像以上に少ない』