うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

財政支出は成長を顕在化させる

『日銀の「出口」の先には何があるのか~地方銀行の危機は日本経済の危機』(8/24 JBPRESS 池田信夫

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53893

 

池田信夫のトンチンカン経済論の結論は「緊縮財政」に行き着くのがオチだが、上記コラムでも相変わらず妄想を振り撒いている。

 

緊縮信者たちは、20年以上前から、日本経済は財政破綻国債の紙くず化、円の大暴落、キャピタルフライトetcに襲われ壊滅すると国民を脅かし続けてきたが、市場金利は史上稀にみる超低金利で推移し、為替ディーラーは有事の円高に怯える始末で、“アンゴルモアの大王”が襲来する気配は一向にない。

毎年大恥をかかされ続けた信者たちが、かえって気の毒になるほどだ。

 

さて、コラムの中で池田氏は、次のように主張している。

①日銀が長期金利をコントロールできるというのは錯覚で、国債相場の暴落で日銀や市中銀行の財務が大打撃を喰うリスクがある

②潜在成長率下落の主因は労働人口の減少であり、金融緩和ではカバーできない

③長期停滞は財政出動で脱出するしかないという反緊縮思想は、EUでは意味あるが、日本には当てはまらない

④日本の財政支出(社会保障特別会計補正予算を含む)は2000年代以降、ほぼ一貫して増えており、日本は「反緊縮」の先進国だ

財政支出で潜在成長率は上がらない。潜在成長力は民間部門の成長力だから、財政出動が終わると元に戻ってしまう。持続的に経済を成長させるには、潜在成長率を上げることが重要だ

 

緊縮絶対主義の“池田流詭弁術”にかかると、事実が簡単に歪められてしまうから注意が必要だ。

 

まず①の日銀によるイールドカーブコントロールについて、日銀は長短金利のコントロールにある程度成功しているが、現状みたいに極端すぎる低金利誘導は不要というのが筆者の意見だ。

 

日銀は量的緩和政策を通じて国債をもっと買取り、政府の実質債務削減に貢献しておればよい。

日銀にこの先の政策を要求するとしたら、量的緩和で政府債務を骨抜きにする間に、政府に対して、積極的な財政政策を打ち金融緩和効果を実体化するよう提言することだろう。

 

次に②だが、成長率低下の要因を労働人口減少といった供給サイドに求めるのは、根底から間違っている。

 

そもそも、“潜在成長率”なんて言葉自体が非常に怪しい概念に過ぎず、こんなものは需要量の調整で何とでもなる。

最新のハイテク工場やスーパーコンピューターも、その生産力に対価を与える「需要」がなければ、ただのゴミに過ぎない。

 

成長率UPに最も効果的な需要創出を毛嫌いし、生産力を無駄に遊ばせておけば、雇用の質は低下し、雇用の口も減らざるを得ないのは必然であろう。

 

労働人口の多寡に拘る周回遅れのバカ者は、労働生産性や付加価値の向上を前近代的人海戦術で実現できるとでも思っているのか

 

また、③の反緊縮思想(=積極財政主義)は、EU以上に我が国に当てはまるのは子供でも解る。

バブル崩壊以降平成9年辺りまで日本経済が成長し続けられたのは、紛れもなく公共投資をはじめとする財政支出の伸びによるものであったし、その後に蔓延した緊縮財政下で日本経済が沈滞を余儀なくされた間に、一時的に成長できたのは、小渕政権や麻生政権、鳩山政権、安倍政権(初期限定)に財政支出を増やした時だけ、という結果がすべてを物語っている。

 

民間企業は、口先では政府の無駄遣い云々と愚痴をこぼすくせに、いざ政府投資(財政支出)がなされると、小躍りしてビジネスチャンスの回収に走り回っているではないか。

 

構造改革だ、人づくり革命だと、いくらきれいごとを言っても、現実の経済がピクリとも動かない。

消費や投資を誘発するのに、言葉や理念の力だけではあまりにも弱すぎる。

 

「経済」の真の意味やメカニズムを理解している者なら、経済活動を活性化するために何が必要か、たちどころに解るはずだが、素人の池田氏には難しすぎるのか…

 

次いで④の日本の財政は反緊縮だという妄想は、新聞社説をライバル視するバカブロガー(兼ポエマー)もよく唱えているが、国債費を除く政策経費や社会保障費の推移を見れば、我が国の財政運営は間違いなく「緊縮主義」であり、それこそが、先進国で唯一の低成長国に甘んじてきた醜態の最大の原因だ。

(参照先)

http://ecodb.net/country/JP/imf_ggrx.html

https://www.nikkei.com/edit/interactive/budget2015/

 

誰の懐も傷めない財政支出を危険視するあまり、実体経済で行われる経済活動の食料や血流となるべき資金(所得やうりあげに直結する貨幣)が不足し、需要の停滞を招いたことが、雇用の質を悪化させ、ひいては成長率の低下を惹き起こしていることに気づこうとしないジャンク論者に経済を語る資格はない。

 

最後に⑤の「財政支出で潜在成長率は上がらない」というのは、経済を知らぬ池田氏の妄言だ。

 

財政支出は、家計や企業へ所得や売上・収益という“果実”を直接的に与える最高の経済政策だから、潜在成長率どころか「顕在成長率」を間違いなく上げることができる。

 

80年代後半から90年代初頭に潜在成長率が4~5%にも達していたのは、積極的な財政支出に裏打ちされた民間経済が競って投資や消費を増やし続けたことで、生産資本の稼働率が上がったことによるものだ。

 

池田氏は、「財政出動が終わると、(民間部門の)成長率は元に戻ってしまう」と、暗に財政支出の成長率引き上げ効果を認める発言をして墓穴を掘っているが、そもそも、財政支出を止める必要など微塵もないし、国家や政府が存続する限り財政支出が無くなることなどあり得ないから、財出を減らす前提で経済を語ること自体がどうかしている。

 

緊縮信者の連中は、よく「財出を止めた途端に経済が停滞するなら、財出の意味がない」なんて惚けたことをぬかすが、財出を止めるということは呼吸を止めるのと同じ自殺行為だから、そんなバカげた条件を出すのは、自らの低能ぶりを晒すだけだろう。

 

ついでにもう一つ池田氏の妄想を指摘しておく。

彼は、「(我が国の潜在成長率低下の)大きな原因は、日銀の論文も指摘しているように金融仲介機能の劣化だと考えられる。これは今、欧米で起こっている現象と似ている。債務危機によって銀行が融資に臆病になり、リスクを取らないで国債を買うようになったのだ。企業も銀行融資の引き上げでつぶれることを恐れ、「内部留保」を積み上げるようになった」と騙っているが、それは二重に間違っている。

 

一つは、金融機関は融資に臆病になどなっていないという点だ。

 

ここ7~8年の貸出態度判断DIを見ても、DI(「緩い」-「厳しい」)は大きくプラスを記録し、大企業と中小企業とのポイント差もほぼないくらい融資に積極的な姿勢を示している。

(参照先)http://jp.gdfreak.com/public/detail/jp010501005000000010/9

 

世の中には、「銀行は決算書や担保ばかり見て、うちの事業を評価してくれない」と文句を言う経営者も絶えないが、これだけ融資が容易で超低金利下の環境で借りられないような財務不良先は、恐らくバブル期でも借りられまい。

銀行に文句をつける前に、自らの事業計画が評価に値するようエビデンスを揃える努力をすることだ。

 

もう一つは、企業が銀行融資の引き上げでつぶれることを恐れて内部留保を積み上げているという部分だ。

 

現状、内部留保を積み上げられるほど恵まれているのは、ごく一部の大企業や元々無借金経営を続けていた優良企業のみで、そういった企業は、そもそも銀行融資なんて頼っていないから、融資引上げ云々以前の話だ。

 

内部留保蓄積に専念できるほどの企業なら、銀行は土下座してでも借りて欲しいくらいだから、融資引上げなどあり得ない。

 

池田氏は、あちこちで独自の経済論を騙っているが、もう少し実体経済のリアルな動きを勉強すべきだろう。

消費税廃止を訴えないでどうする

『自動車業界団体が政府・与党に減税要求 消費増税にらみ』(9/14 NHK NEWSWEB)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180914/k10011629181000.html

「来年度の税制改正で、自動車メーカーの業界団体は、政府・与党に対し、「自動車税」の引き下げなど自動車に関わる税金を大幅に減税するよう要望する方針を固めました。消費増税に伴う販売の落ち込みなどを踏まえた要望ですが、税務当局は否定的で、税制改正の大きな焦点となる見通しです。(略)

車を持つ人が、毎年課税される「自動車税」を、来年10月の新車から「軽自動車税」並みの水準に引き下げることや、車検の際に課税される「自動車重量税」について、一時的に上乗せしている税率を廃止するよう求めています。

また、来年10月以降、「自動車取得税」の代わりに導入される予定の、燃費に応じて課税される新たな制度でも税負担の軽減を要望しています。(略)

ただ、財務省総務省は、代わりの財源がない中での減税には否定的で、年末に向けた税制改正議論の大きな焦点となる見通しです。(略)」

 

自動車に掛かる自動車税などの諸税やガソリン・軽油税などの引き下げに反対する庶民はおるまい。

 

特に、自動車税は、軽自動車(年額18,000円)と他の普通乗用車(年額29,500円~)との差が大き過ぎ、ヴィッツやマーチあたりのコンパクトカーユーザーの不満は大きいのではないか。

車種によっては200万円以上する軽自動車も珍しくないのに、どうして120万円程度から買えるコンパクトカーに高い税金が課せられるのかと。

 

日本自動車工業会JAFなどの自動車業界は、毎年、自動車関連税の減税や税率軽減を提起しているが、エコカー減税以外、大した成果を上げていない。

なぜなら、NHKが“消費増税に伴う販売の落ち込みなどを踏まえた要望”と報じているとおり、そもそも業界の態度が“消費税増税ありき”で、増税を前提とした弱腰の姿勢にしか見えないからだろう。

 

増税による個人消費の落ち込みが自動車販売減少につながるのを本気で懸念するなら、我が国最強の業界団体たる自工会(自動車7社の営業利益は4兆5千億円にもなる!)なら、政官界にいくらでもゴリ押しが利くはずだし、業界で多数受け入れている財務省経産省天下り組のコネを使って根回しすればよいではないか。

 

昨年の国内内自動車販売台数(バス・トラック含む)は518万台と、ボトム期(460万台/2010年)より回復しつつあるが、ピーク期(780万台/1990年)と比べて4割近くも落ち込んでいる。

 

しかも、前回の消費増税の時には、国内販売台数が529万台→493万台へ7%もの大幅減少に見舞われており、来秋の増税を指を咥えたまま看過すれば、再度500万台割れの悪夢に魘される羽目になるだろう。

 

増税ショックは、何も自動車ユーザーだけを襲うわけではない。

増税分だけあらゆる消費支出枠が削られ、それらが連関し合い、自動車購入に割ける消費枠を減らし、新車購入や乗り換えを諦めざるを得ないユーザーが増える。

 

とあるデータによると、新車の購入平均価格(軽自動車を除く)は298万円だそうだから、消費税率が8%→10%へUPすることにより単純計算で6万円近く負担が増える。

よって、年間3~4万円の自動車税率を少々弄っても、ユーザーはイニシャルコストが大幅UPすることに尻込みし、新車購入を躊躇うだろう。

 

自工会は、不当に重すぎる自動車諸税に軽減を求めるのは良いが、同時に消費税の廃止や減税をもっと強く訴えるべきだ。

 

「足枷の錘が増すから、もっと旨い肉を食わせろ」ではなく、「まず足枷を外せ。そして、もっと旨い肉とデザートを食わせろ」と訴えねばならない。

 

9月には、労働者所得に係る統計の不備や恣意的なデータ操作が明らかになり、国内の消費の実態は、政府の大本営発表より遥かに衰えていることが判明した。

 

「(全国百貨店売上の)7月の大幅な減少の主因は日本在住者の消費減少である。百貨店売上高から免税売り上げを引いた実質国内売り上げは7.3%の減と大幅なマイナスだった。6月は1.2%のプラスだったが、その前の5月は4.0%のマイナスで、国内消費は低迷し続けているというのが実態だ(現代ビジネスより)」との指摘のとおり、近年、インバウンドの消費力減退に加えて、国内消費の落ち込みが鮮明になりつつある。

【参照先】https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57500?page=2

 

百貨店のみならず、スーパーでの日常消費も衰弱気味であり、日本チェーンストア協会のデータを確認すると、ここ10年の加盟店総販売額は、2009年/6兆3,498億円→2018年/6兆3,148億円と、増えるどころか0.6%減少する始末だ。

途中で東日本大震災があったとはいえ、一昔前より消費額が減っているなんて普通ならあり得ない。

 

アベノミクス効果が散々喧伝されてきたここ4~5年の推移を見ても、やはり販売額は増えていない。

【参照先】https://www.jcsa.gr.jp/public/data/tokei_H30_1_6.pdf

 

こうした長期にわたる消費不調を見るにつけ、緊縮財政や消費増税の威力を思い知らされるが、緊縮信者や反積極財政派のバカどもは、惨憺たる現実を受け容れるのを頑なに拒否し続けている。

 

いくら消費が落ち込んでも、“台風のせいだ~、猛暑のせいだ~、大雪のせいだ~”と耳を塞ぎ、聖域なき歳出改革により無慈悲な予算カットが横行しても、“歳出規模は過去最大だ~、公共事業のやりすぎで財政破綻する~”と眼を背けてきた。

 

一歩も部屋から外に出ず、現実社会を知らぬ妄想肥大気味のひきニートポエマーには理解できぬと思うが、消費者の所得不足感は相当に逼迫しており、これ以上の税率引き上げは消費の大減退を発生させ、経済活動に強烈な冷や水を浴びせることになるだろう。

税率UPから2~3年後にGDP500兆円割れを惹き起こしても不思議ではない。

 

危険な崖や落とし穴の存在を警告する道路看板がわざわざ明示されているのに、役に立ちそうにない安全装備を重ね着し、待ち受けるリスクに向かって猛進する愚か者につける薬はないが、何の罪もない反増税派や積極財政派の正当な訴えが掻き消されぬよう、今後も積極財政金融政策と消費税廃止を強く訴えていきたい。

反原発ゴロによる議論の圧殺

9月19日に北海道電力から、地震後に停止した苫東厚真火力の3基のうち出力35万kWの1号機の復旧完了と、企業や一般家庭への節電要請解除の発表があった。

これを受けて、「北海道、復活」とか、「もう電気は足りてるから、原発再稼働なんて必要ない(# ゚Д゚)」と早合点する連中もいる。

 

北電の資料によると、苫東厚真1号機復旧後の需給見通しについて、地震前ピーク需要の383万kwをかろうじて満たす供給量(391万kw~Max431万kw)を何とか確保できたが、「なお、火力発電所や京極発電所の大型電源のトラブル停止等、万が一の事態が生じた場合には、需給バランスの安定を図るため、あらためて節電のあり方を含めて検討させていただきます」と釘を刺しているではないか。

【参照先】http://www.hepco.co.jp/pdf/18091801.pdf

 

発電供給構成の中身を見ても、バイオマスなどの再生エネや自家発電という安定性に欠ける三軍選手や北本連系という他社からの借り物頼みで、北電プロパーの電源と呼べるのは火力と水力合わせて331万kwしかない。

 

むろん、これから苫東厚真の2号機と4号機の稼働が見込まれ130万kwの発電供給量が追加で確保できる見通し(※3号機は2005年に廃止)だが、これらとポンコツ選手や借り物選手を合わせても、ようやく真冬の発電ピークに対応できるかどうかというギリギリの綱渡りが続く。

 

原発ゴロは、泊原発の老朽化云々としきりに騒ぐが、最も古いものでも平成元年稼働の泊と比べて、苫東厚真の1号機は昭和55年、2号機は昭和60年とかなり老朽化している。

 

また、他の火力発電所も砂川3号機昭和52年、奈井江1号機昭和43年、伊達1号機昭和53年と、いずれ劣らぬベテラン揃いで、発電の現場では24時間体制で、多発する故障や補修と闘い、廃止一歩手前の老体に鞭を打ち、いつ大事故が起きないかと冷や汗をかきながら、必死に電力の安定供給に努めているのが実状だろう。

 

北電が保有する主な火力発電所12カ所のうち、運転年数30年超のものが10カ所を占めるという、まさに薄氷を踏むようなギリギリの発電体制を余儀なくされており、どこかの発電所が緊急停止でも起こせば、たちまちブラックアウトの再来に見舞われても不思議ではない。

 

そもそも、原発施設の堅牢さは火力発電所とは比較にならぬから、運転年数が新しく、地震や自然災害に対する耐久性能も高い原発を再稼働させるのは、非常に適切かつ合理性が認められる。

 

泊原発の発電設備容量は合計207万kWで北海道内の電力需要の約40%を賄うことができる。

これを速やかに再稼働させれば、真冬のピーク期でもブラックアウトのリスクに怯える必要がなくなり、北海道の観光業界を苦しめている風評被害も一掃できるだろう。

 

何より、泊を稼働させている間に老朽化した他の火力発電所をオーバーホールする十分な時間とカネが生まれるから、今後の将来を見越した北海道内の発電体制の再構築に多大な貢献ができるのではないか。

 

だが、現実には、地上波のTVを中心に、司会からコメンテーターまで一様にブラックアウト発生の全責任を北電に無理矢理押し付けようと必死で、「原発再稼働」の一言を口に出すのさえ憚られる空気が蔓延している。

まさに、言論封殺と言葉狩りが横行する「野蛮で攻撃的な報道の横暴」だ。

 

先日も、北海道内の水産加工会社の経営者と電話する機会があったが、彼は、「今度の停電で倉庫の冷凍物がやられて滅茶苦茶になった。被害は数百万円になるかも…」と嘆息を漏らし、その後、電話口にも拘らず急に小声になり、「こんなことを言うと怒られるかもしれないが、本音を言うと、そろそろ原発を動かしてもらいたい。こんなこと(※大停電)がもう一度起きたら、うちは倒産する。再生エネの賦課金のせいで前から電気料金も高いし困ってるんだ」と漏らしていた。

 

社長なんだから、誰に遠慮することなく堂々と本音を言えばよいのにと苦笑いしたが、社長たる者が周囲の社員に話を聞かれるのすら憚られるほど、原発の話がタブー視されるのは尋常じゃない。

 

原発ゴロが世論を制圧する社会では、原発再稼働の言葉を発するのも勇気が要るが、ちょっと突けば本音が聞けるものだ。

 

『大停電に関する北海道民のご意見①』(9/19 アゴラ編集部)

http://agora-web.jp/archives/2034786.html

「“日本初のブラックアウト”を体験された北海道民の皆様の率直な思いをお尋ねしたところ、数人の方からご意見を投稿いただきました。いずれも現場にいた方ならではの切実な思いを綴っていただきました。マスコミ報道では伝わらない「声なき声」がそこにありました。(略)」

 

上記サイトには、航空業界勤務の島田さん(男性:仮名)という男性からの意見が紹介されている。

「現在子供2人の4人家族です。多分、ほとんどの道民が心配しているのは冬同じ事が起きたらどうするか?と言うことです。職場でもその話でいっぱいで、対策を皆で考えています。今はとにかく、節電に努める毎日です。

本州の人は北海道の冬を理解するのは難しいとは思います。信じて貰えないかも知れませんが、少し前の冬、アイスバーン状態になった駐機場に止めてある大型旅客機が、風に煽られ朝見たら180度反転してた事がありました。北海道の冬は何もかもが凍り、時に信じられない事が起きます。ある人が、2、3日電気がなくても住めなくなるよりましだと言ったそうですが、北海道の冬はその2、3日で人が死にます。住む住めない所の話ではありません。(略)

本当に切実です。小さい子供達もいます。震える姿を想像をしたくありません。凍死なんかで子供達を失いたくありません。ジャーナリスト方々次第で、もしかしたら我々は死ぬかもしれない、生かされるかもしれない、、大袈裟かもしれませんが、そんな現状のような気がします。」

 

島田氏は、投稿の後段で次のように主張している。

・期間限定的な運用で構わないから原発を動かして頂きたい

・道民の誰もが思っている事なのに、テレビでは原発の是非に触れようとしない。北海道のテレビ局もそうだ。

・せめて、あらゆる選択肢をテーブルの上に並べて議論してもらいたい。議論すら出来ない現状では死んでも死にきれない

 

恐らく彼は、真冬のブラックアウトを危惧し、原発の補助的運用を訴える折衷案の支持者と思われるが、彼みたいな常識的で穏当な意見すら勇気を振り絞らぬと声に出せないほど、いまの言論空間は、反原発ゴロによる検閲が横行し、自由度を完全に失っている。

 

自分たちが信奉する偏った思想にとって都合の悪い事実を数の暴力で隠ぺいするのは、知性と理性を兼ね備えた大人のする態度ではない。

 

原発派の連中は、前代未聞のブラックアウトを惹き起こした事実と向き合い、自らの責任をしっかりと認識したうえで、冷静かつ合理的な議論を行うべきだ。

バラマキよ永遠に

自民党総裁選から見えてくる、日本経済のとても悲しい未来』(8/31 DIAMOND Online 岸博幸 慶応大大学院メディアデザイン研究科教授)

https://diamond.jp/articles/-/178634?page=1

自民党総裁選は安倍晋三首相と石破茂氏の一騎打ちとなりましたが、安倍首相の圧勝となる可能性が高く、両者による討論会も最低限しか行なわれないようで、つまらない総裁選になりつつあります。(略)」

 

開票前から結果の明らかな選挙ほどつまらぬものはない。

自民党総裁選は本日投開票されるが、石破氏の勝利を予想する者は誰もおるまい。

 

上記コラムで岸氏は、いかにも改革かぶれの緊縮信者らしい見解を述べている。

 

石破氏に対しては、日本創成会議、地方創生機構、経済金融総合対応会議などの会議体設置を訴えるのみで改革に邁進する具体的な政策がまったく見えない、と批判している。

 

一方、安倍首相に対しては、憲法改正に本腰を入れるため公明党の協力が必要で、来春の統一地方選公明党を勝たせるために地方票取り込みを狙って大規模なバラマキをやりかねない、と危惧している。

 

政権奪取当初ならいざ知らず、二年目以降の安倍政権は、政策経費は髪の毛ほどの微増に抑制、補正予算は毎年縮減といった具合に、聖域なき歳出カットの御旗の下で「緊縮的財政運営」に終始しており、地方への大規模なバラマキなんてやるはずがない。

 

緊縮信者の濁った眼には、安倍政権が“積極財政派”に映るようだが、事実誤認も甚だしい。

 

また、安倍首相が本気で憲法改正を発議するのではと懸念しているようだが、政権発足後6年近くも経ち、その間、公明党や維新などを含め、ほぼ改憲勢力を維持してきたにもかかわらず、発議はおろか、まともな議論すらやってこなかったのだから、この先数ヶ月で事態が急に動くとは到底思えない。

 

しかも、来年は統一地方選、新天皇の即位、参院選、消費増税と政治的ビッグイベントが目白押しであり、改憲の機運やタイミングを計るには都合が悪い。

恐らく安倍ちゃんは、こうした行事を言い訳にして改憲をはぐらかし続けるだろう。

 

さて、今回の岸氏のコラムを読んで気になったのは、「年末の予算編成でバラマキを行なうのは、もちろん来年10月の消費税再増税に伴う景気の落ち込みを防ぐ観点からも、必要ではあります」、「財政出動による景気浮揚の効果はせいぜい1年半くらいしか続かず」という記述だ。

 

つまり、彼のようなガチガチの緊縮信者であっても、財政政策の経済効果を少なくとも“短期的”には認めざるを得ないという点だ。

 

これまた緊縮石頭で有名な池田信夫氏も、別のコラムで、「たとえば政府が瓶に1億円を入れて深い穴の底に埋めると、GDPは1億円ふえます。企業がこれを掘り出す人をやとうと、彼らの給料も出るのでGDPは1億円以上ふえるでしょう。これを乗数効果といいます。むしろ景気回復のためだけなら、むだづかいのほうがいいのです。(略)」と、財政政策が乗数効果を伴い景気回復に役立つことを(嫌々ながら)認めている。

【参照先】http://agora-web.jp/archives/2029110.html

 

重度の緊縮信者を以ってしても、景気回復のスピード感で財政政策に勝るものはないと平伏せざるを得ないのが現実だが、彼らの負け惜しみが真価を発揮するのはこの後だ。

 

“財政危機の日本がバラマキを永遠に続けることはできない。金利が上がり、インフレになるからだ”とお決まりの脅し文句が飛んでくる。

だが、幼稚な脅迫文はすでに散々論破されており、もはや何の迫力もない。

 

我が国の国債は、大半が自国通貨建ての内国債で、かつ、所有者も国内機関で占められている。

また、発行額の4割以上を事実上の政府機関である日銀が保有しており、実質債務額はその分だけレスされる。

 

そもそも、十分な生産能力と通貨発行権という大権を有する近代国家であれば、自国通貨建て債務の返済に頭を悩ます必要などない。

 

よって、日本が財政危機というフレーズはまったく誤りであり、いまだにこうした言葉を使うのは、現実逃避を繰り返す経済素人だと断じてよい。

 

さらに、金利高騰やインフレに対する懸念だが、これは単なる杞憂だ。

 

実体経済の動きに疎い連中は、「バラマキ=金利高騰」だと騒ぎ立てるが、コンロにやかんをかけるとすぐに沸騰するかのように、勝手に公式化し、勘違いしていないか?

 

経済の動きは複雑怪奇であり、“コーヒーに砂糖を入れると甘くなる”ような訳には行かない。

 

なるほど、家庭用の小さなやかんの水なら、数分のうちに沸騰するだろうが、ドラム缶やプールの水、石油タンクレベルの膨大な量の水は、ちょっとばかりの熱エネルギーでは、到底沸騰させられない。

 

長引くデフレ不況下で、家計にしろ、企業にしろ、預金超過の量は膨大になる。

 

家計の金融資産は1,900兆円に迫り債務を除いた純資産は1,600兆円近くにもなる。

また、日本企業全体の借入残高は600兆円近かったピーク時より3割程度もダウンし、逆に現預金残高は200兆円超え、利益剰余金は400兆円超えと何れも過去最高を記録するなど、手元資金は有り余っている。

 

これは、国内銀行の預貸差が290兆円近くにも増え続けている(カウント外の郵貯、農協、信託、労金などを加味すれば、差額はさらに増える)のを見ても明らかで、世は空前のカネ余り現象の様相を呈している。

これは、とりもなおさず“巨額の貸出需要(需資)不足”を意味しており、財政政策で毎年十数兆円程度をバラまいたところで、急激に金利が上昇するような環境にはない。

 

“バラマキ→即、金利高騰”と怯えるのは、頭でっかちな妄想家の早合点に過ぎず、少々多目に資金を撒いても、銀行の融資金利が1%から5%とか10%に急騰する訳がなかろう。

 

バラマキで景気が良くなれば、実体経済を巡る資金の流れも良くなり、資金循環のスピードも上がるから、企業の手元流動性は潤沢になり、運転資金需要は思ったほど増えないと見込まれ、金利上昇のスピードはマイルド化するから、急激な金利高騰やコストプッシュ型のインフレは考えづらい。

 

ついでに、「バラマキは永遠に続けられない」という緊縮バカの決まり文句のアホらしさも指摘しておく。

 

財政支出は、実体経済活動のエネルギーやパワーの源泉となる「所得や売上に直結するおカネ」を産み出す経済の源流であり、これを堰き止めるのは「文明社会の放棄」にも等しい大愚行だと言える。

 

緊縮信者は新自由主義者の連中は、民間にあるマネーだけで経済成長できると勘違いしているが、貨幣を創造できない民間経済主体同士の商取引をいくら繰り返しても、世の中にある貨幣の総量(=所得や売上に直結する貨幣の量)は増えないから、やがて、カネの奪い合いと富の偏在に苦しむことになるだろう。

 

バラマキの経済効果が一年あるいは一年半もつなら、バラマキを100年続ければ100~150年経済が活性化されるはずだ。

つまり、バラマキをやり続けるだけ経済効果が持続するのだから、何も無理やり止める必要などない。

 

格好つけてバラマキを止めデフレ不況に苦しむよりも、間断なきバラマキと聖域なき財政支出を続け、経済が活況を呈する好環境下で、生産性UPや技術革新といった必要な改革に取り組む方が、社会的ダメージは遥かに軽微だし、改革の成果も出やすいだろう。

 

家屋を修理するなら、荒天の闇夜の最中よりも、たとえ猛暑であっても陽の高いうちにやる方が、はるかに楽なはずだ。

リスク論を感情で騙る反原発ゴロ

みなかみ町:町長自動失職前田氏 最後まで反省や謝罪なく』(9/18 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20180919/k00/00m/040/086000c

「セクハラ問題が浮上している群馬県みなかみ町前田善成町長(51)に対し、町議会は18日、辞職ではなく全会一致で失職を突きつけた。セクハラ問題の発覚から4カ月半。前田氏からはセクハラ問題についての反省や謝罪の言葉は最後まで聞かれなかった。(略)」

 

件のセクハラ町長というよりも、「卑しい痴漢野郎」と呼ぶべきバカ者がようやく失職したようだ。

 

この事件は、今年4月18日に群馬県みなかみ町内で開かれた団体の送別会に参加した前田氏が、トイレから出てきた団体職員の女性(前田氏の娘と同じくらいの年齢)に無理矢理抱き着きキスをしたとして被害者の女性から訴えられたもので、こともあろうか、この痴漢野郎は事実関係を認める発言をしておきながら、反省の色すら見せず、逆に、女性に対し新聞への謝罪広告掲載や損害賠償を求める訴えを起こしたというのだから、呆れ果てて開いた口が塞がらない。

 

言い逃れできない証拠を眼前に突き付けられても、自らの行為がもたらした落ち度が公然の事実となっても、都合の悪い事は一切認めようとしない卑怯者は後を絶たない。

 

前田氏の醜態ぶりを見ると、前代未聞のブラックアウトを惹き起こしておきながら反省も謝罪の言葉も一切なく、北海道電力にすべての責任を擦り付けようとする反原発のゴロツキ連中と瓜二つだ。

 

原発アレルギー患者という生き物(だいたい緊縮主義者と“≒”なのだが…)には、理性もなく、国家全体を俯瞰する視点もない。

 

彼らは、自分が好まぬ“特定のリスク”をこの世から根絶やしにせねば気が済まないという「差別主義者」や「弾圧主義者」であり、理性的な議論を嫌う。

 

彼らが推す再生エネルギーの脆弱性や不安定さ、自然環境に及ぼす悪影響などのデメリットから目を背け、自分たちが忌み嫌う原発の安全性や電力安定供給性を認めたくないばかりに、「原発=リスクの塊」という事実無根かつ根拠ゼロのレッテル貼りをし、世論を総動員して言論封殺するしか打つ手がない。

 

合理性や論理性に劣るがゆえに、最後は暴力的なポリティカル・コレクトネスを振りかざして周囲を威圧するしかない未開の野蛮人そのものだ。

 

そんな野蛮人のひとりがイキって創作した“KYな汚物”が、いわれなき風評被害に苦しむ福島の方々の怒りを買い撤去された。

 

『防護服着た像、福島市が撤去へ 「賛否分かれ設置困難」』(8/28 朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASL8X4SLSL8XUTIL01R.html?ref=yahoo

東京電力福島第一原発事故を受けて制作され、今月初めに福島市内に展示された子どもの像「サン・チャイルド」について、福島市の木幡浩市長は28日、撤去すると発表した。「賛否が分かれる作品を『復興の象徴』として設置し続けるのは困難」と述べた。(略)

市が18~27日に実施したアンケートでは訪れた110人中、移設・撤去を求める意見が75人、存続が22人だったという。(略)」

 

子供をダシに使うのは、エセ平和主義者気取りの反原発ゴロの常套句だが、子供に厳つい防護服を着せ、さも放射能汚染の危険性を煽るような虚像は、放射能被害など微塵もない福島市内に飾るモニュメントとしてまったく相応しくないことくらい一般常識で解るはずだ。

 

その程度の常識すらないのが、原発を敵視するゴロツキの教養レベルであり、人品の卑しさが滲み出ている。

 

作者のヤノベケンジ氏は、自身のHPで一連の事態を釈明している。

だが、型通りの謝罪文はあるものの、自分が反原発活動に目覚めた経緯を長々と謳い、防護服やガイガーカウンターといった「原発放射能リスク」をいたずらに強調するアイテムを用いて根拠不明なレッテル貼りを意図した醜い行為を正当化しようとする痛々しい言い訳ばかりが並び、反省の色がまったく見受けられない。

【参照先】http://www.yanobe.com/

 

福島第一原発事故発生当初こそ、現場に近づくには厳しい規制が課され、皆が仰々しい防護服を着せられていたが、数ヶ月もすると、現場取材に行くマスコミは一様に防護服を脱ぎ、普通の格好をして原発施設内や周辺をうろついていたではないか?

 

また、福島第一原発に近い浪江町南相馬市でも、野生のイノシシや猿が以前の10倍以上も捕獲されたとの記録もあるし、野生化した牛が数を増やして元気に草を食む様子も確認されている。

 

原発アレルギー患者の妄想どおりなら、事故現場となった浪江町内は市の街と化して然るべきだが、事実は見てのとおりで、動物たちの逞しい姿からは放射能の影響など微塵も確認できないではないか?

 

放射能バカのゴロツキどもは、自分の脳内という狭小な世界から外界に出て、事実と現実をじっくり見つめ直すべきだ。

妄想に溺れるのは勝手だが、野良電波や違法電波を外に向けて堂々と発信するのは止めてもらいたい。

 

原発に限らないが、この世に存在するあらゆるものにはリスクはつきもので、完全にゼロ化するのは絶対に不可能だ。

 

昨年我が国では自動車事故による死者は3,694名にもなり、世界中で飛行機事故は過去十年間の平均で26.6件発生し546.3人ずつの死者を出している。

また、2016年の大学病院や国立病院機構で起きた医療事故は3,428件あり、うち死亡事例は281件にもなる。

 

これだけ多数の事故や死者を出しておきながら、「自動車や飛行機の使用を止めろ、医者を監獄に入れろ」という声が上がらないのは、それらがもたらす社会的便益の大きさに皆が相応の経緯を払っているからだろう。

 

原発の事故リスクはこれらと比べて著しく低く、ほぼノーリスクと言っても差し支えないが、病的な原発アレルギー患者からいわれなき誹謗中傷を受け、世界で最も危険な破壊装置であるかのようなレッテルを貼られている。

 

だが、原発が社会生活や産業基盤の維持に欠かせない電力の安定供給を、数十年の長きに亘り続けてきた実績を推して、社会に与えた便益は自動車や飛行機、医療に引けを取らぬくらい大きなものだから、国民は原発やその稼働に携わってきた方々に対して謝意を表し、きちんとした敬意を払うべきだ。

 

リスクに怯え、リスクから逃げ回るのは、禁断の地の入り口に結界を貼り祈祷と生贄を捧げる未開の野蛮人か猿の所業であり、科学技術を以って明日を切り開こうとする先進国たる国家に暮らす国民の態度ではない。

 

筆者は、福島や福島第一原発を“フクシマ”や“フクイチ”と呼ぶことを忌み嫌う。

 

そうした軽率で心ない言い回しを安易に使うのは、福島を放射能汚染されたか土地であるかのように蔑視し、醜悪な差別や偏見を助長することにつながる。

 

今回の北海道胆振東部地震で起きたブラックアウトという大事故の再来を防ぐためには、北海道のみならず、全国的な電力供給体制の整備を理性的に論じなければならない。

 

なにせ、事故後の北電の発電構成には、北本連系による本州方面からの電力供給が組みこまれており、仮に本州で一時的な電力不足が発生すれば、北海道内で再度ブラックアウトが起きる事態に直結してしまう。

 

大規模リスクを防ぐ基本中の基本は、「分散による最適なポートフォリオ」を確立することである。

 

エネルギー政策であれば、火力(LNG・石油・石炭)と原発、水力、再生エネによるバランスの取れたエネルギーミックスを実現することが何より重要であり、東日本大震災以前の我が国のエネルギー構成は、これが高次元で具現化され理想的な状態だった。

 

しかし、反原発派の煽情的な放射能リスクに踊らされた国民が熱狂的にゴロツキどもを支持し、全原発の稼働を止めたため、エネルギー構成は極めて歪で不格好に変貌し、安全保障リスクは急激に高まっている。

 

さらに、原発全廃により増える化石燃料費は年間4.5兆円程度と推計されるから、この8年間で35~40兆円もの富が無駄に流出してしまったが、ゴロツキどもはこうした大失態にも知らぬ顔をし、原発稼働に反対し続けるなど、その態度は無責任極まりない。

 

エネルギー政策における原発稼働は、即効性と確実性を兼ね備えている点で、経済政策における財政政策の役割と共通するところがあるものの、狂信的な反原発論者や緊縮主義者の抵抗や妨害に遭い、日陰者扱いされているのは、我が国にとって大いなる損失である。

 

祈祷や念仏は、病人の治療に何の効果もないばかりか、症状を悪化させ重篤化するだけだ。

狂信者どもは、一刻も早く非科学的な迷信や妄信と手を切り、目の前にある現実や事実を直視すべきではないか。

原発再稼働は必然〜他人の不幸につけ込もうとする反原発ゴロの醜態

地震の農林水産被害397億円 林地崩壊や漁港損壊』(9/17 北海道新聞

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/228988

「道は16日、胆振東部地震による1次産業被害について、現時点で約397億円に上ると明らかにした。内訳は、林業胆振管内厚真、安平、むかわの3町の林地崩壊などで273億円、農業が厚真町の農地への土砂堆積などで114億円、水産業が漁港損壊で10億円。今後、畜舎の損壊や大規模停電による冷凍水産物などの被害の詳細が判明する予定で、金額はさらに膨らむ見通しだ。

 道は、宿泊予約のキャンセルに飲食、交通費を含めた観光消費影響額が292億円になるとの推計を発表している。1次産業を合わせた産業被害額は、現時点で689億円に達した。

 林業被害は、林地の大規模崩壊が225億円、林道損壊が48億円。このほかキノコ生産で死滅や菌床の傷みが発生している。

 農業被害は、土砂堆積や用排水路の損壊で93億円。停電による搾乳への支障や乳業メーカーの受け入れ停止で21億円。水産業では漁港損壊や冷凍品に加え、養殖施設でも被害が出ている。商工業は調査中。」

 

北海道胆振東部地震に伴い、反原発思想が惹き起こしたブラックアウトという“大人災”による損害は現時点で700億円近くにも及ぶ。

 

今回の大停電を「たった1~2日の停電くらいで」と軽く見るバカ者もいるが、現実は惨憺たるありさまだ。

社会の仕組みを知らぬ引きニートには解らぬかもしれぬが、実体経済やリアルな社会生活の運営を支える膨大な生産・流通機構は電気やエネルギーの供給なくして成り立たないという現実にきちんと向き合うべきだ。

 

「たった1~2日の停電」とやらが、700億円もの大損害を生み、調査中の商工業関連の被害額が判明すれば、全体の損害額は2,000億円近くまで膨れ上がるだろう。

 

これだけの被害を出しておきながら、いまだにネット上では、「今回の停電を機に原発再稼働派が跋扈している!」、「泊原発で事故が確認されていないのは“不幸中の幸い”と言うべき」云々と吐き散らかすクズが散見される。

 

クズどもには、「見苦しい言い訳や詭弁は聞き飽きた。現実を直視し、自らの過ちを認め、起きてしまった被害に対しておとなしく謝罪と賠償をしろ!」と言っておく。

この手に詭弁師たちに“good loserたれ”とまでは期待しないが、せめて“silent loser”として隅っこで黙っていろと忠告しておきたい。

 

北海道電力は、緊急停止中の苫東厚真火力発電所の全3基のうち、1号機を18日中に、2号機を月内に稼働すると発表(残りの4号機は11月以降)し、ピーク期となる冬期間の発電供給量確保に何とか目途を付けた。

 

しかし、その実態は、泊原発より10~20年以上も老朽化したおんぼろ火力発電所と、北本連系線による本州からの送電に依存したキッツキツの綱渡りにも似た発電体制であり、いつ事故が起きても不思議じゃない。

あたかも、“肘と肩と腰に爆弾を抱えたロートル投手陣”と“他球団から借りた外人部隊”で構成された弱小寄せ集めチームで真夏の死のロードを戦うようなものだろう。

 

原発ゴロの連中は、“苫東厚真の復旧で必要な電力は確保できた、泊再稼働なんて不要”と目尻を釣り上げてキーキー騒ぐだろうが、外気温がマイナス10~30℃にも下がり、真冬日が当たり前の北海道の冬を舐めていると痛い目に遭う。

 

北海道内の暖房機器は、電気が必須のFF式暖房(ファンヒーター)が主流で、本州みたいにポータブル石油ストーブはほとんど普及していないから、いざ停電となると、速攻で暖房機能が停止してしまう。

 

健康な人なら布団を被ってやり過ごせるかもしれないが、健康を害した人や高齢者はそうもいかない。

大量の凍死者や健康悪化による二次的な死者は想像を絶する規模になるだろう。

本州みたいにカイロで何とかなると高を括っているとしたら、思い違いも甚だしいと警告しておく。

 

おまけに、室内の暖房が止まったまま一晩経過すると水道管が破裂し、あちこちで断水が多発するだろう。(※地震や停電のゴタゴタで水道管の水抜きを忘れる人も多いと思われる)

 

また、今回の大停電でも石油の汲み上げポンプが動かず、石油タンカーから港への陸揚げが不能となり、北海道内のガソリン需給が一時的に逼迫し、物流トラックが機能不全に陥り大混乱が生じた。

 

これと同じことが真冬に起きると、道路や施設、駐車場などの除排雪作業がストップし、場所によっては1~2mもの積雪が行く手を阻むから、混乱の度合いは今回の比ではあるまい。

物流や生産は、またも完全停止を余儀なくされ、電気の復旧後も元の生産体制に戻すのに今回の倍以上の期間が必要となり、産業被害額は4,000~5,000億円に達し、北海道経済は谷底に突き落とされ、瀕死の重傷を負うだろう。

 

北海道電力の電力供給体制は、継ぎ接ぎだらけのボロ布で何とか暖を取るようなもので誠に心許ない。

本来なら、老朽化した発電施設の修繕期間とコストを確保するため、速やかに泊原発を再稼働させるのが、真のリアリズムを理解する大人の決断と態度だと思うが、原発アレルギー患者のバカどもは、「活断層の存在が疑われる泊の再稼働なんてあり得ない」と金切り声を上げてヒステリーを起こし、現実のリスクから目を背け続けている。

 

そもそも安全面に何の問題もない原発を止める必要なんて一mmもないのに、北電は泊原発再稼働に向けて、他の電力各社のPWR(加圧水型原子炉)と歩調を合わせ新規制基準に適合するよう追加的な安全対策をきちんと進めてきた。

 

にも拘らず、原子力研究でも、地質学でも素人揃いの原子力規制委員会の連中は、“泊原発のある積丹半島西岸の海底に活断層の存在を否定できない”と、北電側に非合理かつ非科学的な「悪魔の証明」を強要したまま、再稼働問題からバックレる始末だ。

 

原発アレルギー患者は、打つ手に困ると活断層云々と言い訳を始めるが、活断層なんて日本中のそこかしこに存在が確認されており、特に京阪神~中京地域に密集している。

子供みたいに活断層を怖がるだけでは何の建設物も立てられず事業もできない。

 

リスクに現実的に向き合い、自然災害で被害を受けたなら、国の責任でいち早く復旧・復興に取り組むとともに、被災の原因を科学的に分析し、必要な対策に十二分の予算と人員を配置して次の災害に備えるのが理性ある大人の態度だろう。

 

リスクの発生を覚悟し、それを限りなくゼロに近づける不断の努力を払うのが先進国に生きる国民たる者のあり方であり、リスクに怯え、禁断の地に踏み入ってはならぬとばかりにリスクからひたすら逃げ続けるのは未開の土人でしかない。

我が国の国民は、いつからそんな卑怯な土人に為り下がったのか‼

 

活断層のリスクを盾に反原発の論陣を張るつもりなら、危険な活断層上に新幹線や主要高速道路を敷設している事実をどう説明するつもりなのか?

活断層があるから、東海道新幹線名神高速道路をいますぐに止めろ!」と、なぜ叫ばないのか?

 

ちなみに、今回の地震で損傷し緊急停止した苫東厚真火力発電所活断層上にはなく、最も近い活断層から直線距離で6~12kmも離れているが見事に被弾してしまった。

活断層の存在が地震被害と何の関係があると言うのか、反原発ゴロは明確に説明してもらいたい

 

事実、原発は高度な安全性能を確保しており、再稼働に何の支障もない。

現に、我が国では2012年以降、大飯、高浜、玄海、川内、伊方など9基の原発が再稼働しており、その間、多くの自然災害が勃発したが、稼働中の原発は一度も大きな事故を起こしておらず、強風のたびにプロペラが壊れ、豪雨のたびにパネルが流出する事故を起こしまくっているどこぞの再生エネとは大違いの安全性や安定度を誇っている。

 

原発の安全性については、下記のコラムを参照いただくとして、国民は、再度のブラックアウトという悲劇を起こさぬため、エネルギーベストミックスの重要性と、その一翼を担う原発の再稼働の必然性をきちんと認識すべきだ。

『「原発を止めるリスク」北海道大停電が教えてくれた再稼動の意義』https://ironna.jp/article/10685?p=1

 

原発再稼働論議を巡っては、「原発推進を主張するなら、再稼働に慎重な発言を繰り返す安倍首相と菅官房長官だけを批判しろ」と見当違いな文句を垂れる偏執病患者もいるが、足を引っ張ることだけを目的に、論点をすり替え、問題を局所化したがるバカは、単なる足手まといにしかならない。

 

「真の戦犯は首相と官房長官だから、反原発大魔王に騙された哀れな国民を責めるな」と、いい格好をしたつもりで甘っちょろいセリフを吐く青臭い学級委員長気取りのクズには大局観がまったくない。

 

経済政策論議における緊縮派や構造改革派の害虫と同じく、反原発のゴロツキを見つけ次第、首相だろうが、官房長官だろうが、まとめて批判するだけのことだ。

行政のツートップを潰せば世論を変えられるとイキり立つのは、社会や世相の難解さや奇怪さを知らぬ赤ん坊の妄想に過ぎない。

 

さて、これだけの大事故を起こしておきながら、反原発派の連中には反省の色がまったくない。

彼らはマスコミの全面支援を受け強気の姿勢を崩しておらず、世間一般的に原発再稼働論議が盛り上がっているとはとても言えない。

 

しかし、ネット上ではリアルな世界よりは数段議論が盛んで、議論が熱を帯びれば、原発論議をガン無視し続けるマスコミの連中も放置できなくなる。

 

現に、北海道の地元紙である北海道新聞には小さな扱いながらも、「地震でくすぶる泊再稼働論」とのコラムが掲載され、『インターネット上では議論が活発化。著名な経済評論家が「(北海道は)電力需要が増える冬を迎えなければならない。政府が決定すれば早期再稼働は可能」と主張し、「冬までに泊原発を稼働すべきだ」との意見も目立ってきた』と原発再稼働論の勢いに抗し切れないもどかしさと焦燥感を露わにし始めている。

 

ネット上の反原発ゴロツキ叩きもまったく無意味ではない。

問題は財布の中身のキャッシュレス化

補助金でキャッシュレス社会は実現できる?韓国にみる荒療治』(9/9 アゴラ 有地浩: 株式会社日本決済情報センター顧問)

http://agora-web.jp/archives/2034623.html

「来年度予算の概算要求が8月末に締め切られた。その概算要求の中で経産省は、キャッシュレス決済の普及に向け、中小企業での端末導入の支援などに30億円を求めたと報じられている(略)

 もし専用端末ではなくQRコード決済に使うスマホタブレットの購入代金を補助するのであれば、今ではかなり安価なスマホタブレットがあるので、お店の負担はほぼゼロになるかもしれない。しかし、仮にそうだとしても、10億円の予算で1台2万円のタブレットを全額補助したら、5万台しか手当てできない。加盟店が少ないと言われているJデビットでさえ全国に約45万店舗あるのだから、5万台では大海の一滴でしかない。

たしかに、これまで述べてきたように、日本のクレジットカード決済や電子マネー決済の普及のボトルネックの一つが高い端末代にあることは間違いないが、単に補助金を支給して安く端末をばらまくだけでは、キャッシュレス化は進展しない。(略)」

 

経済誌や場末のブロガーを含めて、クレジットカードや電子マネーの普及によるキャッシュレス化をやたらと持ち上げる論者が後を絶たない。

 

彼らが何を目的にキャッシュレス化を信奉するのか、筆者には解せない。

現金と電子決済を共存させ、低額商品は現金で、高額商品は電子決済でと使い分けすればよいだけだと思うが、“電子マネー教の信者”たちは、世の中の資金決済が120%電子化されないと納得できぬご様子だから呆れるよりほかない。

 

そもそも、政府や一部企業が電子決済やキャッシュレス化を推進する目的は、次のように整理される。

①実店舗の無人化や省力化によるコストダウン

②不透明な現金資産や現金流通の見える化による税収向上

③支払データの蓄積や分析によるマーケティング力向上

 

政府や経済界を挙げてキャッシュレス化の旗が振られ続けている割に、我が国のキャッシュレス決済比率は、下記実績のとおり、他国に比べて著しく低い。(2015年時点)

韓国 89.1%

中国 60.0%

カナダ 55.4%

イギリス 54.9%

オーストラリア 51.0%

スウェーデン 48.6%

アメリカ 45.0%

フランス 39.1%

インド 38.4%

日本 18.4%(※アメリカが50%未満なのは意外…)

 

日本より低いのはドイツ(14.9%)くらいというありさまで、キャッシュレス決済比率の内訳も、クレジットカード18.0%、電子マネー1.7%、デビットカード0.3%(※2016年の数値)といった具合で、電子マネー教徒おススメのEdynanaco、Applepayなどの利用度はお寒い限りだ。

 

ちなみに、日本は一人当たり7.7枚のカード(クレジットカード・デビットカード電子マネー)を保有しており、これは約10枚のシンガポールに次ぐ2位に位置する。

キャッシュレス化が進んでいる韓国でも5枚強、米国・中国の約4枚、ドイツ・オーストラリア・カナダの約3枚より、カード類を多く持っている。

 

にも関わらず、日本人のキャッシュレス決済利用頻度が格段に低いのは、単にキャッシュレス決済に大した利便性を感じていないだけのことだ。

 

電子マネー信者たちは、「世界基準はキャッシュレス」、「いまどき現金で財布膨らませてるの(笑)」と懸命に揶揄するが、彼らがいくらキャンキャン吠えても世の体制は揺るぎない。

 

いまや大手企業が運営する小売店や飲食店で電子マネーやクレカが使えぬ場所は皆無であるにも関わらず、日本のキャッシュレス決済が一向に進まないのは、電子マネーの野放図な乱立(楽天Edy1億480万枚、WAON6,660万枚、Suica6,371万枚、nanaco5,609万枚、PASMO3,399万枚、iD2,541万枚等々)と、「どれだけお金を使ったか把握できなくなるから」、「カード払いにすると使いすぎてしまうから」という現金派の素朴な不満を解消できぬからに過ぎない。

 

何より電子マネー信者が見落としているのは、現金派の不満や懸念の奥底にある真の問題、つまり「財布の中身のキャッシュレス化」である。

 

キャッシュレス決済を敬遠する層が一様に感じているのは、“少ない収入や貯蓄がいたずらに目減りすることに対する強い不安”であり、それは決済手段を電子化したところで何も解決できない。

 

正直言って、一般消費者にとって、支払い手段が現金だろうが、電子マネーだろうが、どうでもよいことで、最大の関心事は支払いに使える財布の中身が潤沢かどうかに尽きる。

 

収入が増え、今後も増え続けると確信できさえすれば、気前よくクレカを切れるし、残高を気にせず電子マネーを使えるのだが、肝心のおカネが無ければ、怖くてクレカなど使えない。

 

電子マネー教やキャッシュレス教の間抜けな信徒たちは、現金使用を止めれば世の中が発展するかのようなバカ論に酔っているが、世の消費者の使えるカネに限度がある以上、現金から電子マネー決済手段の置き換えが進んでも、何の意味もないことに気付くべきだ。

 

愚か者の眼は、大きな問題を見逃し、小さな問題ばかりに焦点が合うようにできている。

 

いま重要なのは、消費者の財布の中身を「キャッシュレス化」させる病原菌、つまり需要不足による長期不況を早急に退治することであり、決済手段の電子化といったチマチマした施策に拘泥することではなかろう。