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うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

経済財政諮問会議に巣食うクズ

近頃、江戸時代や幕府の行政システムの評価を見直す動きがあり、TVや雑誌で盛んに特集が組まれている。

これまでの「明治維新=改革・開国=文明開化・近代化⇒暗黒時代の江戸幕府の終焉」という誤った知識が見直されるのは大いに結構なこと(ついでに、坂本龍馬西郷隆盛勝海舟ほか、功績のスケール感が小さすぎる“上げ底偉人”の評価も見直すべき)だが、いまだに、国と地方自治体との関係を、江戸時代の幕藩体制と同じように捉え誤解している識者が多いことに唖然とさせられる。

江戸時代の幕府と諸藩との関係性は、実際には、幕府が日本全土の統治権を有し、諸大名を各地に封じて統治させるという中央集権的体制であったが、連邦制に準えて説明されるケースも多い。
こうした見方が影響しているのか、いまだに国と地方自治体とを、相互に独立した存在であるかのように誤解する識者もいる。

我が国を自治体の集合体や連邦国家であるかのように騙る輩は、国(中央)が各自治体(地方)を財政的に支援し、あたかも、カネを恵んでやってるかのように吹聴する。
そして、東京都や鎌倉市豊田市みたいな普通交付税不交付団体を褒めそやす一方で、他の交付団体を“お荷物・集り集団・金喰い虫”と非難するのが常だ。

5月11日に開催された平成29年第7回経済財政諮問会議の議事にも、地方と国との関係性を勘違いした識者(民間委員)から、首を傾げたくなるようなバカげた指摘が記されている。

以下、彼らの発言をピックアップしてみる。

日本総合研究所理事長 高橋氏〉
「自治体の基金積立残高は、21兆円に達している」
「財政力指数の低い村や離島が上位に挙がっており、財政力が弱いところで基金が積み上がる理由がよくわからない」
基金積立残高21兆円というのは、新たな埋蔵金と言われかねない状況ではないか」
「徹底した実態把握、自治体の説明責任を果たす仕組みを構築すべき」

学習院大学国際社会科学部教授 伊藤氏〉
地方公営企業について申し上げると、9,000弱の企業に年間3兆円の繰越金、塵も積もれば山となるということだろうと思う」

東レ㈱相談役最高顧問 榊原氏〉
地方交付税で財政移転を行っている中で、自治体の基金積立残高が21兆円にも達しているのは、地方では使い切れない財源が積み上がっているからではないか」

彼らの主張を要約すると、
地方自治体が21兆円もの基金を積み上げている
②これは無駄な埋蔵金ではないか
③こんなものを放置すると、納税負担を強いている国民に申し訳が立たない
④各自治体の責任で国民にきちんと説明しろ‼
ということになる。

地方自治体が血の滲むような努力の末に積み重ねてきた21兆円の基金を“隠し金扱い、ムダ金扱い”する神経は、まことに信じがたい。
彼らの頭の中は、いったいどういう構造をしているのか?
バカとかアホとかいう言葉では表現しがたいほど根が深く、度し難い、“キチガイじみたクレーマー”とでも言うべきか。

経済諮問会議の民間三馬鹿トリオの指摘に対して、高市総務相から、「人口減少等による税収の減少に備えた財源の確保、あるいは社会保障関係について将来を見通すことが困難な面があること、公共施設の老朽化対策等の今後見込まれる財政需要への対処、合併団体における普通交付税の合併算定替による特例措置の適用期限の終了による交付税の減少を念頭に置いて、(略)それぞれの団体の御判断に基づいて基金の積立てを行っている」との回答があったが、まさにそのとおりで、そもそも、こんなレベルの低い質問や指摘をする方がどうかしている。

地方自治体は、『公共インフラ整備更新・官公立病院運営・介護福祉サービス・公費医療負担・教育サービス・廃棄物処理上下水道管理・警察・消防・農林漁業振興・産業育成etc』と膨大な行政サービスを担っており、これに掛かる費用は莫大なものになる。

全国の官公立病院は合わせて3.3兆円ほどの収入に対して約5千億円の不足がある。
また、公共インフラの整備更新には、2037年度で新設をゼロにしたとしても、国家ベースでは毎年10兆円近い維持更新費が必要とされる。
地方自治体においても、ピーク時には、市町村ベースで2033年に8.9兆円、都道府県ベースで2045年に5.4兆円もの維持更新費が掛かると見込まれている。
(※いずれも、2010年以降の新設投資をゼロと見積もった場合であることに注意)

地方自治体が21兆円もの基金を貯め込まざるを得ないのは、将来見込まれる公的サービスの支出増加に対する地方の危機感の表れであり、そうした自助努力や基金積み増し(=支出減)の裏側に、地域経済の疲弊という多大なる犠牲が払われていることを忘れてはならない。

経済財政諮問会議における三馬鹿トリオの指摘は、地方の努力や犠牲を足蹴にし、踏みにじる許しがたい言動であり、件の馬鹿トリオには、いますぐ公職を辞して小学校からやり直せと窘めておきたい。

政府や財務省の連中は、小泉バカ政権による三位一体改革を旗印に2001年から地方交付税の削減を本格化させ、地方交付税は2000年の21.4兆円から2016年には16.7兆円まで22%減と大幅に削減されてきた。
(※最終的に地方の負担になるだけの「臨時財政対策債」を除く数値)

しかも、安倍政権誕生後も、2013年~2016年まで四年連続で削減されるありさまで、お得意の“地方再生”が聞いて呆れる。

本来なら、地方交付税交付金の総額は30兆円に届いていて然るべきだが、現実はその55%程度でしかなく、地方の財政運営が火の車になるのも仕方あるまい。

経済財政諮問会議の連中は、地方自治体が爪に灯を点すような努力と節約の末に積み上げた基金をムダ金扱いするのではなく、地方創生の看板と明らかに矛盾する地方交付財源の縮減にメスを入れ、誤った緊縮政策を主導する政府や財務省に対して異を唱えるべきではないか。

彼らに限らず、地方を“金喰い虫&足手まとい扱い”するバカ者は、地方を国の子分と見下し、国をそうしたお荷物(東京都を除く)の集合体だと勘違いしていないか?

これは、国全体を、都道府県単位に分断・分割された地域の集合体だと見做すもので、その根底には、国と地方とを主従関係や隷従関係に置く発想ある。

彼らにとって、東京や首都圏、あとは、せいぜい大阪圏と中京圏辺りまでが“日本国”であり、青森や高知、鳥取みたいな辺境地に住む物好きは、何の生産性もなく大した付加価値も生まないくせに、国(中央)にカネを無心するだけの物乞い程度にしか思っていない。

よって、地方経済の疲弊なんて完全に他人事で、鳥取県の人口が60万人を割り込み、自治体消滅の危機に晒されても、「日本の国土の一部が欠落してしまう」という切迫感はまったく無く、「どうせ田舎に住む物好きが困るだけだろ? 交付税負担が減ってせいせいするわ」と冷たく見放すのがオチだ。

日本という国は一つの国土の上に成り立つ国家であり、地方自治体は、中央政府に成り代わって、その一部の地域で、便宜的に行政行為を執行しているに過ぎない。
よって、行政行為に必要な資金が足りなければ、国(中央)にカネを要求するのは当たり前で、それに疑義を唱え、地方が国から施しを受けるかのように考える方がどうかしている。

これは人間の身体に置き換えれば、すぐに解る話である。

自分の体の何処かに異変が生じれば、コスト云々に係わりなく、健康体を維持するために治療を施そうとするのが普通の神経を持つ人間だろう。

酷い頭痛がすれば頭痛薬を飲むし、足を骨折すれば整形外科や整骨院に行き治療する。
足は要らぬからと言って、骨折した足を放置するバカ者など何処にもいない。

国と地方との関係とて、これと同じことだ。

経産省若手官僚の着想力が中二病レベルだという現実

経産省若手官僚による省内プロジェクト「次官・若手プロジェクト」が作成した提言ペーパーが、最近、ネットでちょっとした話題になっている。

資料は『不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~』と銘打たれ、ネットで公開されている。
【参照先】http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

資料の冒頭には、
・昨年8月、本プロジェクトに参画する者を省内公募。20代、30代の若手30人で構成。
メンバーは担当業務を行いつつ、本プロジェクトに参画。
・国内外の社会構造の変化を把握するとともに、中長期的な政策の軸となる考え方を検討し、世の中に広く問いかけることを目指すプロジェクト。
・国内外の有識者ヒア、文献調査に加え、2つの定期的な意見交換の場を設定。
と、プロジェクトの趣旨が明記されている。

ペーパーに目を通したうえで、筆者の結論を先に言わせてもらうと、“いかにも、経産省若手官僚が作りそうな、旧来型の新自由主義者的発想に染まった幼稚かつ発展性ゼロの学級壁新聞レベル”でしかない。

「改革・規制緩和・民尊官卑・グローバル化・緊縮主義」が大好物の経産省若手官僚のことだから、資料の中身を読まずとも、その結論の行く先はおおよそ見当がつくが、“若手”というハンディを考慮しても、彼らの問題意識と解決策に関する着想の低レベルさに改めてがっかりさせられた。

だが、ネット上では、この程度のペーパーがおおむね好意的に受け止められており、
「ざっと読んだが問題意識の高さに驚く。これを具体的に解決していく方策を迅速に取れば日本は今よりも良くなると感じた。」
「いつまでも既得権益にしがみつく老害ジジィ達に負けないで欲しい。じゃないとホントにこの国の未来はないです。」
等々、手放しで褒める意見も散見されることに、さらに憂鬱な気分になる。

件の資料の問題点をいくつか列記してみる。

【ヒアリング対象の偏り】
資料の冒頭に明記されているとおり、作成に当たり国内外の有識者へのヒアリングや意見交換会を行ったとある。

だが、その対象は大学教授や起業家といった功成り名を遂げた“名士”ばかりで、この手の人種は、日本が抱える問題点に対する感度が得てして鈍い。

【問題意識のスケールの小ささ】
彼らが資料の中で焦点を当てているのは、『高齢者の医療と雇用、母子家庭の貧困、教育格差、若者の社会貢献、ネット情報の取り扱い、教育投資、公的サービス民営化』に偏っており、そうした諸問題の根幹を支える『経済政策や国民所得の向上、適切な貿易体制、国内産業の保護育成、通貨政策、外交防衛、公共インフラの維持更新、雇用の質の改善、食糧エネルギー政策』といった重要なイシューを見事にスルーしている。

そして、「一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ」と尤もらしいセリフを吐き、社会保障の梯子を外し、年金や医療費の削減を正当化しようとしている。

正直言って、高齢者層が過度に保護されているという思い込みや妬みからくる“高齢者へのルサンチマン”に基づく、性質の悪い憂さ晴らしとしか思えない。

厚労省の資料によると、高齢者世帯の年間平均所得(平成25年)は300.5万円、世帯人員一人当たりで192.8万円と、全世帯平均(205.3万円)との間に大きな差はみられず、高齢者層が特段贅沢をしているわけじゃない。
また、高齢者世帯の貯蓄は全世帯平均の1.4倍とされているが、病気や介護への備えもあろうし、長年働いて得た所得が積みあがったものと考えれば、この程度は当然だろう。

また、資料の中で、「シルバー民主主義の下で高齢者に関する予算は当然のように増額される一方」なんて聞き捨てならぬ記述があったが、少なくとも平成12年年以降、高齢者一人当たりの社会保障費(年金・医療・介護)は、これっぽっちも増えていない。
社会保障費総額こそ増えているが、これは高齢者人口増加に伴う自然増によるものであり、世界に冠たる先進国たる我が国の国民として、当然享受して然るべき最低限の保障だろう。

また、1981~2008年までの一人当たりの実質GDPと生活満足度のデータを持ち出して、「約30年で一人あたりGDPは2倍近く伸びたにもかかわらず、生活満足度は横ばい」だから「一人当たりGDPが伸びても、かつてのように個人は幸せにならない」はずだと勝手に結論付けているが、事実誤認も甚だしい。

だいたい、時間軸を30年も取るのは長すぎるし、生活実態に近い名目GDPの成長率で比較すると、1995~2015年の20年間で僅か1.02倍、2005~2015年の10年間で1.01倍とほとんど増えていない。

10~20年もかけて所得が伸びないのだから、人々の生活満足度が上がらないのも当然であり、個々人の幸福度が上がらない最大の原因は、『GDP(所得)が増えないこと』に他ならない。

【結論の幼稚さ&安易さ】
資料の末尾に、彼らの結論が3点にまとめられている。

①一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
⇒年金支給開始年齢を引き上げられるよう、働ける高齢者をもっと働かせろ!

②子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
~もはや特定の成功モデルは作れない。今ある大企業も、いつ無くなるか判らないから、変化に対応できる人材(=自由放任主義のシード権社会に文句を言わない奴隷)が育つよう教育(=洗脳)しろ!

③「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に
~財源不足の中、旧来型の財政政策をやっても官業の肥大化を招くだけ。“民活”の美名を利用して、公的サービスや公共事業の負担を民間に押し付けろ!

彼らの主張をまとめると、
高齢者みたいなカネ喰い虫のお荷物を養うのは面倒だから、もっと働かせろよ。
・グローバル人材の教育には興味あるけど、国内に雇用の場を創る気なんてないから、卒業後はテキトーに海外にでも行ってもらおうか。そっちの方がカッコイイじゃん。
・官主導で国家を引っ張る気概なんてないから、面倒な仕事は民間に丸投げしろ。その方が、国民受けも良さそうだし。
といったところか。

要するに、「国家は、もう国民の生活の面倒を見る気なんてないから、各々勝手にやろうよ。そのためには、既存のセーフティネットを壊して、国民の甘えの根を断つべきだよね。いっそのこと、シンガポールみたいにグローバル人材だらけの国にしちゃえばいいじゃね?」くらいの軽いノリなのだ。

若手官僚の連中は、「(日本は)人類がこれまで経験したことのない変化に直面し、 個人の生き方や価値観も 急速に変化しつつあるにもかかわらず、 日本の社会システムはちっとも変化できていない。 (略)なぜ日本は、大きな発想の転換や思い切った選択が できないままなのだろうか。」と偉そうに嘆いているが、変化を頑なに拒み、大胆な発想の転換や選択が出来ていないのは、当の官僚たち自身であろう。

彼らの問題意識や課題の捉え方は極めて表面的であり、まったく深掘りがなされていない。

さらに、その提言内容は、2000年代以降に蔓延した旧来型の新自由主義的価値観、端的に言えば、『結果を出せないポンコツ経典』に隷属し、そこから一歩も抜け出せていない。

経産省若手官僚による低レベルな“学級壁新聞”の最大の欠陥は、発想のスケールが、我が国の人口1億2千万人分を定員とする仕様になっていない点にある。

国民を誰一人置き去りにせず、国際情勢や経済環境の変化がもたらす荒波を緩和できる大型タンカーを造ろうとするのではなく、船の揺れに耐えられる人材だけが生き残ればよい。

つまり、国民全員を収容できる大型船ではなく、ごく一握りの高度人材や富裕層が快適に過ごせる高級クルーザーこそ必要だという発想なのだ。

国家の経済政策や産業政策の根幹を握る経産省若手官僚の着想力が中学生レベルであること、それを手放しで褒める識者や国民が多数存在することに暗澹たる思いがする。

我が国に必要なのは「おカネを使う人」

ここ数年、厚生年金や国民年金保険料の料率改定に伴う負担増が相次ぎ、“第二の税”と呼ばれる社会保険料の負担が家計や企業に重く圧し掛かっている。

(公財)生命保険文化センターのHPによると、勤労者世帯の実収入に占める非消費支出(=社保+直接税)の割合は、2005年/15.7%→2010年/17.4%→2015年/18.8%と右肩上がりに増えている。

一方の収入(月収)はというと、2005年/473,260円→2010年/471,727円→2015年/469,200円と右肩下がりに減っている。(※安倍政権時の収入水準が、いつもバカにされている民主党政権時より低いのは“ご愛敬”)

つまり、家計は『収入源と負担増』の下で収入がGROSSでもNETでも減るという惨事に見舞われているのだ。
【参照先】http://www.jili.or.jp/lifeplan/houseeconomy/asset/9.html

社保料と直接税(住民税など)で構成される非消費支出は、2005年/74,404円→2015年/88,007円と14,000円余り増えているが、うち、社保料増加分が9,000円、直接税増加分が5,000円という内訳で、特に社保料負担が家計の重荷となっている。

政府をはじめ厚労省財務省の連中は、いつまで経っても、高齢者を現役世代が支えるという崩壊モデルに固執したままだから、今後も社会保険料負担が増すことはあっても軽くなることはない。

高齢世代(65歳以上)と現役世代(15~64歳)の人口比率の推移を見ると、1950年時点では12.1人の生産年齢人口で1人の高齢者を支えていたのに、1990年入は5.8人、2000年には3.9人、2015年時点では2.3人と神輿の担ぎ手が激減し、2060年には1.3人 (およそ4人で3人を支える計算) にまで減少する見通しだ。

これとて、現役世代の幅を64歳までかなり広く取ったうえでの数値であり、本来の退職年齢(60歳)でカウントすれば、さらに深刻な数値になるだろう。

これだけハイペースで支え手が減少し続けてきた以上、遅くとも1990年辺りで社会保険制度の在り方を根本的に見直す必要があったはずだが、政官財ともに面倒な問題を先送りしてきたわけだ。

そればかりか、昨今、自民党厚労省辺りから、年金支給開始年齢を70~75歳にまで、さらに引き上げようとする動きもあるから、頭のおかしな連中のバカさ加減は底知れない。

「最近の高齢者は元気だから」とか、「日本人の平均寿命は延びているから」とかいう根拠不明な幻想を理由にして年金支給を渋るのは絶対に許されない。

「年金制度改革、受給開始年齢引き上げより厚生年金適用拡大を」(BLOGOS 室橋裕貴氏)
http://blogos.com/article/206368/という記事には次のような指摘がある。
高齢者の平均余命は意外と伸びていない。
いわゆる平均寿命というのは、0歳時点から見た平均余命のことだが、これには長生きだけではなく、乳幼児死亡率も大きく関係する。
実際、1891~98年の平均寿命は42.8歳、2010年には79.6歳だが、75歳時点の平均余命で見ると、1891~98年は6.2年(=81.2歳)、2010年は11.5年(=86.5歳)と5年程度しか伸びていない(既に受給開始年齢を60歳から65歳へ引き上げており、肉体的な理由でさらに上げる必要性は低い)。
つまり、平均寿命が大幅に伸びたのは乳幼児死亡率が大きく改善されたからで、肉体的に長生きできるようになったからではない(高齢化が進んでいるのは乳幼児死亡率を上回るレベルで少子化が進んでいるからである)。
さらに、健康年齢に関していえば、現在でも71歳である(健康寿命も2001年から2013年で1年しか伸びていない)。」

つまり、平均寿命が延びているとか、お年寄りが元気だから年金支給を遅らせても構わない、なんて愚論は、年金を支払いたくないだけの単なる守銭奴論でしかないことが判る。

年金財源の収支がアンバランス化したのは、長期不況による現役世代の雇用悪化や収入減少、経済不安による晩婚化や少子化、経済悪化による消費や投資の減退がもたらす資金需要の低迷、金利の落ち込みによる年金基金の運用難といった経済不調によるものだ。

このまま指を咥えて不況を放置し続ければ、「不況→減収→消費低迷→業績不振→ゼロ金利継続→基金運用難→年金支給条件厳格化→消費低迷→不況…」という負のループを堕ち続けるしかない。

少なくとも、向こう数十年間は人口構成のアンバランス解消の見込みがない以上、年金や医療といった社会保険財源の負担を現役世代や高齢者自身に押し付けるやり方は、もはや通用しない。

現役世代の実収入をグングン上げる政策が必要なのは無論のこと、国庫負担割合を大幅に増やして、非消費支出の割合を現行の18~19%あまりから、半減させる、あるいは1/3くらいまで思い切って縮減する(=月額4~5万円の増収)ような大胆な増収策が必要だ。

さらに、年金支給開始時期を60歳に戻し、一般的な退職年齢に合わせるとともに、現役世代の収入と年金支給水準とのリンクを止めて、国民に支給する年金額を一律に均すべきだ。

平成25年度の年金平均受給額(月額)は、国民年金で54,000円、厚生年金で145,000円とまことにみすぼらしい。
こんな額では安心して老後を送ることなどできず、現役時代から老後資金の貯蓄に励まざるを得なくなり、その分だけ実体経済の消費が抑制されてしまい、内需拡大の重荷となる。

先の社会保険料の国庫負担割合UPとともに、国債増発や通貨発行を財源に、年金基金に大量の原資を投じて、現役世代の収入に係わりなく、誰もが月に25万円くらい受け取れるような年金モデルが必要だろう。

現役世代の収入が多い者は余剰分を貯蓄すればよいし、60歳以降も働きたい者は、年金を受け取りつつ、再雇用で得た収入を加えて優雅に暮らせばよいだけの話だ。

極度の需要不足に苦しむ我が国に必要なのは、“元気に働く高齢者”ではなく、“気前よくお金を使ってくれる高齢者”なのだ。

プライドばかり高くて手足の動かぬ口うるさいご老体が、いつまでも職場でふんぞり返っていては、現役世代も堪らない。
高齢者が職場でとぐろを巻き、カネも使わず昭和の自慢話ばかりする暇があるのなら、街に出て飲み食いでもしてもらう方が社会にとってよほど有益だろう。

既得権益者に変革を期待する愚

先のフランス大統領選で勝利したマクロン氏が、今月14日、正式に大統領に就任し、新自由主義者が大好きな新聞各紙から大きな賛辞が送られている。
(仮にルペン氏が勝利していたなら、トランプ氏の時と同様、誹謗中傷記事で埋め尽くされていたに違いない)

とある新聞を眺めていると、マクロン氏が齢39歳という異例の若さであること、大統領職に就任する以前にビジネスで輝かしい成功を収めていることなどを意識して、各界で活躍する若きリーダー(自称)による同氏に対する共感の声を紹介する記事があった。

〈医療法人理事長/39歳〉
「政治経験がなければ、大統領になれないという既成概念を壊した」
メガバンク支店長/36歳〉
「(30代という年齢は)自分たちの将来に責任を持てる世代。課題を先送りせずに取り組むはず」
〈大学教授/42歳〉
「既成政治への不満から議員経験がないマクロン氏が支持された」
等々、若さ(だけ)が売り物の新大統領に期待の声を寄せている。

この手のリーダー気取りの人種は、えてして、経歴の華やかさの割に小学生並みの対人観察力しか持っていない。

まず、マクロン氏に政治経験が無いというのは初歩的な認識ミスで、彼は、議員経験こそないが、オランド政権時に経済相という重責を担っており、人並み以上に立派な政治経験を有している。

本当の意味で“政治経験が無い大統領”という表現は、トランプ米大統領のような人物に用いるべきだろう。

また、マクロン氏に「課題を先送りしないこと」を期待するのは、泥棒に警察官役を期待するようなものだ。
“課題”を撒き散らしてきた張本人に、その解決を期待するほどアテにならぬことはない。

フランス社会は次のような課題を抱えている。
①高い失業率…EUの平均(8%)を上回る約10%の失業率。特に、24歳以下の若者の失業率は23.6%と、ほぼ4人に1人が無職の状態
②高い税負担…社会保障費捻出のための付加価値税率は19.5%(品目により税率に差異あり)
③移民や難民問題…人口の10%を超える700万人近い移民(中東系・アフリカ系・東欧系など) が惹き起こす犯罪や失業の増加、福祉の圧迫
④EU・ユーロの呪縛…マーストリヒト条約による財政政策の縛り、ユーロによる金融政策の縛り

こうした諸問題を世に蔓延させたのは、他でもない新自由主義者の連中であり、マクロン氏もその先導役の一端を担ってきた。

新自由主義者の連中にとって、これらは“問題や課題”ですらなく、強い者がより勝ち残りやすくなる“シード権社会”という理想郷を実現するための重要なファクターでしかないから、彼らに課題解決を期待すること自体がナンセンスなのだ。

フランス社会に山積する諸問題こそ、新自由主義者既得権益を強固にガードするための参入障壁であり、だからこそ、こうした諸問題の解決に正面から取り組もうとするルペン氏のような人材は、「過激な排外主義者」のレッテルを貼られて徹底的に排除しようとするのだろう。

彼らは、硬直的な労働規制や企業の社会保障費負担の重さこそ問題の原因だと主張し、移民流入制限やEU・ユーロからの離脱はヨーロッパの平和と協調を阻害するという大義を持ち出して反対するのが常だ。

だが、労働規制云々だけでなく移民受入れにつても、労働コストの圧縮にしか興味が無い企業サイドの我儘に過ぎないし、EUやユーロの問題は、自国民の所得や雇用を蔑ろにし、生活安寧を犠牲にして、腹の足しにもならぬ大義を貪ろうとする雲上人のエゴとしか言えない。

先に紹介したマクロン氏への賛辞にも、「既成政治への不満から議員経験がないマクロン氏が支持された」なる妄言があったが、フランス国民が不満を募らせた“既成政治”に巣食う既得権益者こそ、マクロン氏をはじめとする新自由主義者の連中なのだ。

このように、世間的に“若きリーダー”とか“識者”と呼ばれる連中の観察眼や洞察力など知れたもので、大したことはない。
そこいらにいるオバちゃん連中とほとんどレベルの差はない。

新聞やマスコミの評価につられて、政治家や著名人を評価し、その背景を深く探ろうとする意思も力もない。

識者層がこんな体たらくだから、マクロン氏みたいに、自らがやらかした失敗を他人のせいにし、その失敗を解決するフリをして失敗から甘い蜜を吸い続ける“マッチポンプ型の政治家”が跋扈することになるのだ。

新自由主義という既得権益に巣食う旧来型の政治家を革新的なリーダーだと持ち上げて迎い入れたフランスは、間違いなく周回遅れの国家運営を余儀なくされるだろう。

アクセルを踏み込む勇気

『デフレの淵か? コンビニ、スーパー、値下げ続々 消費者心理5か月ぶり悪化』
J-CASTニュース 5/14)
https://www.j-cast.com/2017/05/14297864.html?p=all
「実感なき好景気なのか――。消費者心理が晴れない状況が続くなか、日用品の値下げが相次いでいる。
2017年3月の家計調査によると、1世帯(2人以上)当たりの消費支出は29万7942円で、物価変動の影響を除いた実質ベースで前年同月比1.3%減。これでマイナスは13か月連続だ。前月比(季節調整値)では実質2.0%の減少だった。(略)
原料の牛乳の価格高騰を理由に、雪印メグミルクでは5月の出荷分から、バターやチーズを値上げ。大王製紙王子ネピアの製紙大手も5月から、トイレットペーパーなどの家庭紙の値段を10% 程度引き上げた。(略)
そうしたなか、勃発したのがコンビニエンスストアの値下げ競争だ。先手を打ったセブン‐イレブン・ジャパンは2017年4月19日から、ナショナルブランドの洗濯用洗剤やオーラルケア用品、掃除用品、紙製品などの61商品を平均で5%値下げした。 (略)」

アベノミクスを評価する向きからは、経済好調で安倍政権も盤石などと恍けた声も聞こえてくる。

「最低・最悪状態」からの脱却を以って“好景気”呼ばわりするような変わり者の真意は測りかねるが、多くの国民は、長期トレンドベースの賃金水準低迷や日用品を中心とする諸物価の値上がり、社会保険料・税負担の増加といった「不況下の収入減&負担増」に苦しめられ、1年半にもわたり実質消費を減らす結果となっている。

また、内閣府による「消費動向調査(H29/4)」の消費者態度指数は43.2ポイントと、昨年11月以来、前月比で0.7ポイント低下した。
個別項目では、「耐久消費財の買い時判断」が1.6ポイント低下し42.2、「暮らし向き」が1.2ポイント低下し41.5、「収入の増え方」が0.8ポイント低下し41.4、「資産価値」が1.7ポイント低下し41.1と軒並み低下している。
唯一上昇したのは「雇用環境」(+0.8ポイント)だが、これとて47.7ポイントと、半分の50ポイントに届いていない。

巷では、アベノミクス春闘相場を先導しているかのように喧伝されているが、大手各社のベースアップ率は2年連続の前年比割れとなり、2017年の一時金は5.76月と2016年実績(5.98月)を下回っている。

一部の中小企業では、人手不足解消のため大手を上回る賃上げを示唆するケースもあるが、そんな奇特な企業はごく一部でしかなく、国内事業所の99%を占める中小企業の大半は、販売の頭打ちや仕入れコスト高騰などの厳しい台所事情から、賃金据え置きを余儀なくされている。(※大阪シティ信金の調査では、取引先の中小企業のうち70.2%が「据え置き」と回答)

厚労省の毎月勤労統計調査によると、3月の実質賃金は前年同月比で▲0.3%、名目賃金は▲0.4%と冴えない数字で、何れも長期トレンドで比較するとピーク時(1996~1997年)の水準から12~13%も低下している。

我が国が、せめて他国並みのペースで経済成長を遂げていれば、今頃は20年前の1.5倍近い賃金水準に達していても何の不思議もないのだが、現実には増えるどころか、20年も前の賃金より1割以上も減っているのだから、あまりにも情けない。
先進国で、20年前と比べて収入が減っている国なんて日本以外にはないだろう。

“10年ひとむかし”とはよく言ったものだが、ふたむかし分も賃金が減り続けた国の消費者心理の冷え込み加減は永久凍土並みで、アベノミクス礼賛者はその強固さを軽く見すぎている。

収入や賃金に対する消費者の見方は「疑念と不安と不満」しかなく、ほんの2~3年ばかり、1~2%の賃上げがあったところで財布の紐が簡単に緩むはずがない。
僅かな賃上げによる果実の大半は既に貯蓄要員としてカウントされ、余暇を楽しむための消費や小遣いに廻されることはない。

冒頭にご紹介した記事で、大手メーカーやコンビニ・流通各社が、製造コストや仕入れコスト増加という負担を抱える中で、思い切って食品や日配品の値下げに踏み切る背景には、流通現場における買い控え圧力が想像以上に強烈であることによるものだ。

今回の値下げは、洗剤やシャンプー、食用油などが中心のようだが、メーカーや流通各社は、恐らく消費者の不満を満足させられぬまま、買い控えの荒波の第二波を喰らうことになるだろう。

なぜなら、消費者の不満の根源は、購入頻度の低い日配品ではなく、毎日消費する食品(青果・食肉・鮮魚等)の高騰や内容量を減らした実質値上げにあるからだ。

各社の値下げは、比較的利益率の低い日配品の値下げで消費者の気を惹こうという作戦のようだが、これは、購入頻度の高い食料品の値下げを求める消費者ニーズにダイレクトに応えたものではなく、消費者の不満を鎮静化できずに終わるだろう。

安倍政権が、官製春闘との批判を余所に、大手企業に賃上げ要請をするのは良いが、大手企業に限らず中小企業を含めて、賃上げの原資を生む売上や収益をしっかり確保し続けられる経済環境無くして思い切った賃上げに踏み切ることは難しい。

また、賃金低下に慣れ切った国民の消費心理のベクトルを積極的なものに転換させるには、年1~2%程度のチマチマした賃上げ(現実にはこれすら難しいのだが…)ではなく、7~8%くらいの伸びを期待させるようなサプライズが必要になる。

今まで20年間も賃金が上がっていない現実を踏まえて、「急激な賃上げなど非現実的だから、少しずつ上げていくしかない」と諦めるのか、「過去の逸失利益を取り戻すために、思い切って賃上げのアクセルを踏み込むべき」と決断するかは個々人の意志によるだろう。

しかし、大負けしている試合で敢えて慎重策を採ることの無意味さとバカバカしさを勘案すれば、どちらを選択すべきか、自然に答えが出るはずだ。

国債をもっと刷れ!

日本の壊国に熱心な連中ほど、社会構造や経済基盤を破壊する“暴力的な改革”を好み、それが思うように進まぬと、すぐに「外圧」に頼ろうとするものだ。

外圧の形は様々だが、自らの願望や主張を一旦輸出し、海外の政府機関高官やエコノミスト、学者らの口を通じて逆輸入するのが一般的だ。
世界銀行事務局長○○氏が、日本の財政危機に懸念を表明した」、「ドイツ銀行チーフ・エコノミストの○○氏は、閉鎖的な日本の労働市場の活力向上のため、移民推進を提言した」等々、外人の口を借りた“マイク・パフォーマンス”がポンコツ経済紙を賑わさぬ日はない。

生来“外タレ”に弱い日本人は、こんな安っぽい手にすぐ引っ掛かるから、彼らも何かとそれを悪用する。

『日銀の市場経済を止める施策を、海外は厳しい目で見ている』
(DIAMOND online 5/10 宿輪純一/経済学博士・エコノミスト )
http://diamond.jp/articles/-/127340
国債市場の仮死状態が発生している。4月28日(金)の朝に値がついて5月2日(火)の午後まで、指標銘柄である新発10年物国債に1日半値がつかなかった(取引が発生しなかった)のだ。1999年に当該国債長期金利の指標に指定されたから初めてのことである。時期的に大型連休で参加者が取引を手控えたためであるが、それ以前に日銀が国債を大量購入しており、購入可能な国債が減少したため、市場機能が著しく低下している。
 このように、中央銀行が資産を大量に購入するなどして官製市場となり、市場機能が止まり経済に悪影響が出ることを海外では“JAPANAIZATION(ジャパナイゼーション、日本化)”と呼んでいる。先日、米国出張でFRBIMFを始め金融機関等のエコノミストと意見交換をして驚いたのは、日本以上に日本の金融政策に厳しい見方をしていたことだ。(略)
現在、財政赤字が国民の将来に対する気持ちに悪影響を与え、日本の景気回復・経済成長のカギとなる個人消費に影を落としている。日銀は量的金融緩和という形で、新発債の2倍もの大量の国債の購入を継続し、日本国債発行量の約半分を保有しようとしている。こうして日本の財政赤字の拡大を助長する姿勢に、大変残念ではあるが、その使命と矜持、そして真面目さは感じられない。」

宿輪氏は、
・異次元金融緩和政策により、日銀が市場から国債を大量に買い漁る「官製市場」が常態化している
アメリカ共和党の保守強硬派(フリーダムコーカス/自由議員連盟)のように財政規律の弛みを厳しくチェックする者がいない
・日銀の量的金融緩和による官製市場が、国債や株式マーケットの市場機能を実質的に止めており、海外投資家が敬遠している
・政府・日銀の財政赤字拡大を助長する姿勢が、財政赤字を懸念する国民の消費心理に悪影響を与えている
などと批判し、金融緩和政策の出口戦略を探るよう求めている。

そもそも、4年以上に亘る異次元金融緩和政策(黒田バズーカ)が、官製化から一向に抜け出せないのは、デフレ不況(不景気)が常態化し、実体経済下にある魅力的な投資商品や投資物件が、あまりにも少な過ぎるからにほかならない。

投資リスクとリターンを天秤にかけた場合に、程よくバランスする商品が少ないからこそ、最高ランクの低リスク商品である日本国債が求められるのであり、法律上政府から国債を直接的に購入できない日銀が、それを粛々と買い取っているだけの話だ。

官製市場が嫌なら、魅力的な投資商品が溢れ返るような経済政策が必要だが、PB目標や財出改革に縛られ、緊縮的な財政運営を旨とする安倍政権にそれを求めても、どだい無理な話だろう。

宿輪氏みたいな幼稚な新自由主義者&緊縮主義者は、「緊縮財政・暴力的な構造改革・野放図な規制緩和グローバル化」という四バカ政策を声高に叫びつつ、官に頼らぬマーケットの活性化が成立すると本気で思い込んでいる。
だが、現実は、彼が夢想するほど甘くない。

彼のように、「私たちの税金を無駄遣いして財政金融政策による施しをせずとも、グローバル・マーケットには魅力的な投資商品が幾らでも転がっており、それが見えないのは単に感度が低いだけ」なんて恍けたことをいう連中は、たいがい、金融・債券・株式市場といった金融商品マーケットと、実需に基づく実体経済の動きとを別世界のものと捉えているフシがある。

あたかも、世の中が金融マーケットを中心に動いており、金融マーケットそれ自体が自立的に利潤を生みだす力を有し自己増殖し続けるかのように騙る。
だが、現実にそんな都合のよいことは起こり得ない。

金融マーケットは取引される資金量の膨大さゆえに実力を過大視されがちだが、所詮、個々の金融商品は何らかの債権債務を源泉とする性格上、実体経済の支配下から逃れることはできない。

宿輪氏は、コラムの中で、「日銀の量的緩和にしても、そもそも実態は日本の巨額の財政赤字をカバーする国債の購入であり、(略)(日銀が)日本の財政赤字の拡大を助長する姿勢に、大変残念ではあるが、その使命と矜持、そして真面目さは感じられない。」と、あたかも、日銀と政府が結託して多額の財政政策を断行しているかのようなデマを垂れ流しているが、現実は真逆である。

ご紹介したコラムの冒頭にあった、国債市場の閑散さも、元を糺せば、政府の財政政策があまりにショボすぎるゆえに市場へ出てくる新発債が不足しているだけのことだ。

国債市場が仮死状態になって困るのなら、積極的な財政政策を行い、新発債という新鮮な血液を市場へどんどん供給すればよい。

新発債の発行により得られた資金が、公共事業などを通じて実体経済に流れ、様々な所得を生み、マーケットに魅力的な金融商品を産み出す原資となる。
これこそ、実体経済と金融マーケットにとってWin-Winの状況と言えるだろう

宿輪氏をはじめとする新自由主義者の連中は、そんなに官製市場が嫌なら、民間経済が活性化できるよう具体的かつ効果的な経済政策を提言すべきだ。

医療費削減しか言わぬポンコツ新聞

世の中には様々な問題や課題が山積し、人々は常に不満を抱えているものだが、産業・雇用・所得・教育・科学技術・文化・国防・インフラ・医療・介護・食等々、数多ある課題の大半は、「財源(予算)不足」が問題を拗らせる主因になっている。

要するに、“問題の根幹はカネがないから…”というわけだ。
Ex.)待機児童問題→劣悪な待遇による保育士不足→保育士給与をUPさせる財源の不足
Ex.)下水道の老朽化による漏水問題→公共インフラの点検・更新予算不足→各自治体のインフラ整備予算の不足
等々、大概の問題は、突き詰めていくと必ず最後は“カネがない”というゴールに辿り着く。

筆者は重度の積極財政金融政策主義者だから、「おカネがないなら、国債でも発行すれば…。それでも足りないなら、創ればいいんじゃない?」と気楽なものだが、常識的な一般人は、こうはいかない。

中でも、日経新聞のような新自由主義&緊縮主義に拘泥する時代遅れのポンコツ新聞は、国家財政と自分の財布とを混同しているのか、とにかく国家がカネを使うのを忌み嫌う。
ポンコツ新聞にとっては、国民生活の向上よりも、国家財政の財布の紐を縛り上げる方が遥かに大切なことらしい。

見える化で見えてくるもの』(日経新聞「大機小機」 5/9 執筆者/追分)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO16104680Y7A500C1EN2000/
「日本の財政再建を進めるうえでの最大の課題は、社会保障費の伸びの抑制である。高齢化とともに社会保障費が増加するのは避けられない。しかし、現在の医療費と介護費は高齢化要因を上回って増加している。医療・介護費を見える化するとその実態が見えてくる。
 最近になり、レセプトなどのデータの詳細な分析が可能になり、今まで見えなかったものが見えるようになった。例えば、人工透析は患者にとって命綱の治療法だが、医療費がかさむ要因の一つになっている。研究者の分析により、この人工透析の件数が都道府県で大きなばらつきがあることが分かってきた。食生活など地域特性だけでは説明できない。生活習慣病予防のための健康づくりや、糖尿病の重症化予防への取り組みの違いが反映しているとみられる。(略)」

執筆者の追分氏が言いたいのは、「高齢化に伴う医療費や介護費の増加は財政再建にとってガンのようなもの。予防医療を徹底させ、とにかく医療費を削れ!」ということだ。
“健康や生命よりも財政再建の方が大事”、“お金のためなら死んでも構わない”といったところか…

さて、日本の医療費は確かに増え続けている。
【参照先】http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/280711/shiryou3.pdf

厚労省の資料によると、
・1990年度:20.6兆円/5.9兆円[医療費/うち後期高齢者医療費(以下、同じ)]
・2000年度:30.1兆円/11.2兆円
・2010年度:37.4兆円/12.7兆円
・2014年度:40.8兆円/14.5兆円
と右肩上がりで増えており、2003年度以降2014年度まで、12期連続で対前年比プラスにて推移している。
また、診療種別でも、「歯科」、「入院外+調剤」、「入院」のいずれも増えている。

一方、薬剤費はというと、
・1993年度:6.9兆円
・1998年度:6.0兆円
・2003年度:6.9兆円
・2008年度:7.4兆円
・2012年度:8.5兆円
と、こちらも増えてはいるが、医療費ほど急激な伸びにはなっていない。

最後に、介護費用については、
・2001年度:4.6兆円
・2006年度:6.4兆円
・2011年度:8.2兆円
・2016年度:10.4兆円
と、医療費以上のペースで増えているものの、ここ3~4年の伸び率はかなり鈍化している。

こうした医療費や介護費の実状を見て、「高齢化の進行が日本を押しつぶしてしまう」、「社会保障費負担で日本の財政はクラッシュする」と狼狽えるバカ者が多い。

件の追分氏も、この手の気が小さい“緊縮病患者”の一人で、「財政再建金科玉条である我が国において、医療費や介護費の無駄遣いなんてモッタイナイ」、「何の付加価値もない老人のために多額のカネが使われるなんて以ての外だ」と叫んでいる。

上記のコラムで、追分氏は「医療技術の進歩や高額医薬品の増加も、高齢化以外で医療費が増加している要因である」と決めつけているが、医療費の伸び率要因を分解すると、2014年度の対前年伸び率1.8%のうち、「診療報酬改定」▲1.26%、「人口増加」▲0.2%、「高齢化」+1.2%、「消費税増税」+1.36%、「医療の高度化等」+0.6%となっており、医療費増加要因の二大要因は「高齢化」と「消費税増税」というのが現実だ。

つまり、「高齢化」という人智を超えたファクターと、追分氏を含むポンコツ新聞らが熱心に推進した「消費税増税」こそが、医療費増加の主犯なのだ。

また、追分氏は、医療費や介護費を抑制するために、それらを“見える化”し、予防医療の先進事例を横展開し標準化しろと主張する。

しかし、予防医療なんてのは、生活習慣病予防のための食習慣改善指導や筋トレ程度の取り組みで、そんなものは、企業側が労働環境を改善し、労働年齢世代を過度なストレスと長時間労働から解放してやれば、忽ち解決する類の問題だろう。

緊縮病患者の連中は、幾らでも創れるおカネを崇めて、医療費や介護費に費やされる費用を“無駄な悪銭”だと決めつけるが、勘違いも甚だしい。

たとえ40兆円を超える多額の医療が費やされたとしても、それが医療関係者や医療機器、薬品、医療設備などの関連事業者の所得となって国内市場に還元しているなら、GDPの増加を通じて対内所得の増進に寄与しているのだから何の問題もない。

この段階で進めるべきは、医療費などの削減ではなく、費やされた予算の国内における乗数効果を高めるため(=海外への所得の漏出最小化)の医療機器や薬剤などの内製化への取組みだろう。(無論、介護にも同じことが言える)

多額の医療費が掛かったということは、その分だけ治療を受けた国民の生活向上がなされたということの裏返しなのだ。
財務省ポンコツ新聞の連中は、医療費を減らすことにばかり熱中するが、国民が治療を我慢し、却って病状を悪化させるようでは、文明社会を生きる現代人として本末転倒だ。

併せて50兆円を超える医療費や介護費は、無駄遣いどころか、将来に我々が受けるべき社会保障レベルの維持向上に絶対必要な“未来への投資”に他ならない。

医療費を削って医者や薬品のレベルが上がるはずがない。
医療技術がオンデマンドで提供できると思っているのなら、とんでもない幼稚な勘違いだ。
日ごろから水をやり肥料をやり続けて初めて、高度な医療技術が維持できるのだ。

病院が老人サロン化しているとの批判も、こうした観点から見るとまったく的外れな意見で、一見無駄に見える診療行為の積み重ねが、医療従事者に様々な治験を提供し、彼らの技術向上の糧になっていることを忘れてはならない。

あなたが急病で駆け込んだ病院で、そこにいたのが、医療費削減の煽りを受け、大した診療経験のない医者ばかりだとしたらどう思うだろうか?

日経のような緊縮信者のポンコツ新聞は、目先の医療費ばかりでなく、医療の質の向上にもしっかりと目を向けるべきだろう。