うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

打ち出の小槌? あるよ

『うちでのこづち(打ち出の小槌、打出の小槌)は、振ることにより様々なものが出てくるとされる伝説上の槌(つち)。日本の説話や昔話に登場している宝物のひとつである。鬼の持つ宝物であるとされるほか、大黒天(だいこくてん)の持ち物であるともいわれ、富をもたらす象徴として描かれている(Wikipediaより)』

 

“打ち出の小槌”という言葉は、ご存じのとおり、緊縮バカが積極財政策を攻撃する際の常套句で、お金を使うのが大嫌いな能無しどもは、この言葉こそ積極財政派を黙らせる伝家の宝刀や必殺技だと勘違いしている。

 

実際、MMT論争の際にも、国家債務無限論や政府通貨発行論に話が及ぶと、「経済にフリーランチはない」とか「財政赤字に問題がないなら政府債務が5,000兆円になってもいいのか」、「財政に打ち出の小槌はない」と見苦しい捨て台詞を吐くアホを幾人も見かけた。

 

緊縮バカの連中は小学生レベルの豆腐メンタルゆえ、経済論争で窮地に追い込まれると、すぐに極論で対抗しようとする。

 

経済活動でフリーランチを貪っているのは、国民の勤労と中小企業の努力に適正な対価を支払わず、年がら年中「財政再建最優先!」、「増税不可避‼」、「年金削減!!!」と国民にタカってタダ飯を喰らうゴロツキどもの方だろう。

 

また、政府債務5,000兆円程度で脅しが効くと思ったら大間違いだ。

政府債務5,000兆円の向こう側には、5,000兆円の国民(企業)資産が厳然と存在しているのだから、何の問題もない。

 

国家予算が1億円にも満たなかった明治初期ならいざ知らず、政府債務が1,000兆円の大台に乗っても、国債金利の利回りがマイナスに落ち込んでいる現代の感覚で、たかが5,000兆円程度の国債額にビビるなんて、どこの田舎者かと冷笑するほかない。

 

そんなに5,000兆円が怖いなら、政府通貨発行権を発動し、少々余裕を見て1京円くらい国債償還基金を積み立てておけば済む程度の話ではないか?

 

本当に、緊縮バカはいたずらに騒ぐだけで、何の対策も対案も出そうとしない卑怯者だ。

 

挙句に果てに、反論に困ると、“打ち出の小槌”という逃げ口上で煙に巻こうとするが、そんなカビの生えた姑息な手段は通用しない。

 

『安倍首相「年金を増やす打ち出の小づちはない」 国会閉会で会見』(毎日新聞)

https://mainichi.jp/articles/20190626/k00/00m/010/156000c

安倍晋三首相は26日、国会閉会を受けて記者会見し、「年金を増やす打ち出の小づちはない。今から年金給付額を調整していくことが必要だ。そのためには(年金給付の水準を抑制する)『マクロ経済スライド』は必要だ」と強調した。(略)」

 

安倍首相をはじめ、打ち出の小槌という言葉を乱用する輩は、例外なく、経世済民の発想もやる気もない、国民にタカるだけの醜悪なフリーライダーだ。

 

タカり屋のフリーライダーどもは、「財政破綻・将来世代へのツケ回し・ハイパーインフレ」の3点セットで国民を脅しつければ、増税でも社保削減でも何でもできる、つまり、“日本の財政再建は待ったなし”という呪詛を唱え、「どす黒い打ち出の小槌」を振り回せば、国民からいくらでもカネを巻き上げられると高を括っている。

 

我が国は、江戸幕府から明治政府へ時代が変わり、近代国家へ歩みを進めてからわずか150年ほどで、明治初期の人々が見れば卒倒しかねないほど高度な技術力や先進的なサービスを手に入れてきた。

 

もし、現代に明治時代の日本人を連れてきたとしたら、スーパーや自販機を見ただけで、「未来に日本人は、いったいどうやって、こんな凄いものを手に入れたんだ!? 打ち出の小槌でも振ったのか???」と感嘆するに違いない。

 

そう、打ち出の小槌は存在するのだ。

日本人特有の勤勉さと研究開発意欲、遵法精神、規律を重視する精神構造に対して、通貨を発行し、きちんとした対価を支払い続けさえすれば、持ち前の技術力やサービス提供力という「国富」が刺激され、人々の生活をより豊かで便利にするモノやサービスが滾々と湧き出てくる。

まさに打ち出の小槌ではないか。

 

“打ち出の小槌など振らぬ”、“そもそもそんなものは存在しない”と知ったかぶりする輩は、国の発展を嫌い、文明生活すら放棄しようとする痛々しい原始人でしかなかろう。

選挙なんて、もう止めたら?

7月4日に参議院選挙が公示され、本来なら選挙戦も真っ盛りという時期のはずですが、衆院解散話が吹っ飛んだせいか、いまいち盛り上がりませんね。

 

ネット上でも、山本太郎だ、野党だ、自民だと様々な声が上がっていますが、私自身、与野党双方の候補者の低レベルぶりに呆れ返っており、選挙に行くことすら苦痛に感じています。

 

それでも、毎回、近所の投票所に足を運んでいますが、投票用紙の記入台の前に掲載された候補者リストを見るにつけ、「いくらなんでも酷すぎる、こんな奴らしかいないのか…」と嘆息せざるを得ません。

 

正直言って、候補者の中に政治信条や経済観念が、おおまかにでも一致する者は一人もおらず、投票用紙に名前を書くのさえ頭痛を覚えます。

 

まぁ、せっかくの機会ですから、皆さんは自らの思想信条に従い、よりマシな政党や政治家に投票すればよいと思いますよ。

 

『首相「イエスかノーかは印象操作」 党首討論で挙手せず 手法に疑問』(毎日新聞)

https://mainichi.jp/senkyo/articles/20190703/k00/00m/010/201000c

参院選を前に3日にあった日本記者クラブ主催の党首討論会で、クラブ側から該当する場合に挙手を求められた質問で、「原発の新増設を認めない」「選択的夫婦別姓を認める」の2項目で、安倍晋三首相のみ手を挙げなかった。また、「LGBTなど性的少数者への法的権利を認める」については、安倍首相と公明党山口那津男代表の2人が挙手しなかった。

一方、「女系天皇を認める」については、共産党志位和夫委員長と社民党の吉川元幹事長の2人が挙手した。

 ただ、これらの質問については、安倍首相は「政策的な議論をしなければならない。政治はイエスかノーかではない。今の段階で答えられなくても直ちにノーではない。印象操作をするのはやめてほしい」と苦言を呈した。」

 

記事にある党首討論会で、安倍首相はマスゴミに対して、印象操作を止めろとブチ切れたそうですが、別に回答に窮するような質問ではありませんよね。

 

彼や、自身が率いる自民党は、新自由主義者や構造改悪主義者の巣窟であることは周知の事実なんですから、いつも口にしているとおり、

女性天皇→△(二階は○)

女系天皇→×

③選択的夫婦別姓→○

LGBTの法的権利→◎

原発新増設→×

と答えればいいんじゃないですか?

 

Yahooニュースのコメント欄には、「100か0かという質問は、どうかと思う。揚げ足取りも多いし」といった安倍擁護コメントもありますが、政治家たるもの諸問題に対するおおまかな賛否を示すことくらいなんでもないはずです。

 

「YES or NO?」という問いから逃げ回るようでは政治家失格です。

100か0かの話になるのが嫌なら、先ずYESかNOかを答えた後に、自身の真意が80なのか20なのかを追加で説明するだけのことでしょう。

 

本来なら安倍首相は、国政選挙を前にした注目度の高い党首討論の場で、“女性天皇女系天皇・選択的夫婦別姓LGBTの法的権利・原発新増設”の5項目しか挙手を求めなかった日本記者クラブの連中のバカさ加減に対してブチ切れるべきでした。

 

参院選の投票判断で国民が重視する政策課題のツートップは、常に「年金・社会保障の充実」と「景気回復(経済政策)」であり、女性・女系天皇論やLGBT原発廃止云々などコンマ未満の些事にすぎません。

 

安倍首相は、マスゴミ連中の国民の政策ニーズとかけ離れ、まったく見当違いな政治経済観を指さし、その時代錯誤ぶりを厳しく批判すべきでしたが、所詮は彼も同じ穴の狢ですから、そこまで頭が回らなかったのでしょう。

 

それにしても、マスゴミ連中の経済観って、本当に世間一般レベルとは大きくズレていますよね。

 

日銀の「生活意識に関するアンケート調査」(第77回<2019年3月調査>)によると、一年前と比べた景況感について、

2018/9:「良くなった」7.4%、「悪くなった」20.7%

2019/3:「良くなった」4.8%、「悪くなった」24.0%

と、元々重症だったのに、わずか半年余りでさらに悪化しています。

 

また、「内閣府が1日発表した6月の消費動向調査で、消費者心理を示す消費者態度指数(2人以上の世帯、季節調整済み)は前月より0.7ポイント下がって38.7となった。前月を下回るのは9カ月連続。水準は2014年11月以来4年7カ月ぶりの低さだった。」(7/1日経新聞)といった具合に、経済環境や景気に関する指標は悪いものしか見当たりません。

 

なのに、記者クラブ党首討論の場で議論された経済課題は消費税率引き上げの話だけで、他の課題はスルーされ、マスゴミが強い関心を寄せたのは、憲法改正や身を切る改革、自衛隊が血を流す云々といった類いの、緊急性もレベルも低い問題ばかりでした。

 

国民は社会保障や景気問題に強い関心を寄せているのに、選挙に係る争点や情報を統制するマスゴミ連中は、そうはさせじと、憲法を護れだの原発を潰せだのアホ丸出しの大合唱で、経済問題の音量や声量を相対的に下げようと必死です。

 

国政選挙の立候補者のレベル低下が著しいうえに、それを報じる報道界の恣意的な情報制御や誘導が罷り通るようでは、まともな政治家の誕生を期待する方がどうかしています。

 

以前に、自ブログでも書いたことがありますが、私は、国会議員の選出方法に関して、選挙という消費期限切れかつ融通の利かぬシステムを廃し、

①国会議員定数を大幅に増員(現行の3倍程度)

裁判員制度と同様に無作為に抽出

③再任を一切認めない

という制度に変えるべきだと思います。

 

一見乱暴なやり方に思えますが、国民の常識・良識・ニーズを国政へダイレクトに反映させることができるだけ、選挙という大雑把すぎるシステムより遥かにマシでしょう。

 

いまより多数の人材を国政に送り込むことにより、左巻きの連中が大好きな「民意」を汲み取れますし、新自由主義者が大好物の「民間の知恵」を注入することもできますよ。

 

何といっても、国会議員の地位にしがみつくことが目的化した“政治屋”を排除できまし、投票用紙に名前を書いただけで、有権者の意に染まぬ政策まで白紙委任を受けたかのように振る舞う政治屋の専横も防げますね。

 

まぁ、こんな提案は、バラマキ好きのうずらの野郎の戯言だと笑い飛ばしていただいても結構ですが、せめて、現行の選挙システムにおいて、完全比例制を敷き、無投票や白票の割合分だけ国会の議席を国民に譲り渡す、つまり、既存政党に与える議席は、有効票を含めた投票率で割った分だけとし、残りの議席は、国民から無作為に抽出した者に与えるというシステムに変えるべきです。

 

投票の権利を放棄する者は政治に口出しするなとのアホな意見も散見されますが、棄権も白票も、既存の政党や立候補者の不甲斐なさやバカさ加減に「NO」を突き付ける明確な意思表示ですから、そうした民意を政治の場から排除してよい理由にはなりません。

 

昭和の時代は70%超えが当たり前だった国政選挙の投票率も、平成時代に入ってから低落が続き、平成28年参院選は54.7%、平成29年衆院選は53.6%にまで落ち込み、50%を切る日も近いでしょう。

 

有権者の半数が投票を拒否るようでは、もはや、“選挙というシステム”そのものの命脈が尽きかけていると理解すべきで、「選挙=民主主義の根幹」という思い込みや古ぼけた慣習にしがみつき続ける暗愚さに気付かねばなりません。

 

“民”が見放した制度に、民主主義の大義を見出すことはできません。

ベーシックインカムなんて当たり前

『今、「ベーシックインカム」とは何か? 欧米の実験が話題となる理由』(現代ビジネス 同志社大教授 山森亮)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/64167

ベーシックインカムという妖怪が世界に出没している。

ベーシックインカムとは一言でいうと、「すべての人に無条件で一定の額のお金を給付する」制度のことだ。

そんな「うまい話」があるわけないと思う人もいるだろう。実際、ごくごく低額であればともかく、そのお金だけで生活できるほどの額を給付するベーシックインカムは世界のどこを探しても持続的な形では導入されていない。(略)

いったい何故、一見夢物語のようにも思えるアイデアについて、世界のあちこちでニュースとなるような出来事が起こっているのだろうか。

結論を先取りすると、おおよそ5つの理由が挙げられる。

(1)技術革新による雇用の減少への対応、(2)いわゆる福祉の罠、(3)人びとの創造性を解き放つ可能性、(4)アンペイドワークの認知と公平な分担、(5)有限な地球環境を維持できる仕組みへの希求。(略)」

 

ベーシックインカムという文字を見るだけで、「荒唐無稽」とか「うまい話」、「日本人から労働意欲を奪う詐欺話」といった類いの批判を浴びせる連中が多い。

 

どうも日本人は苦労性というか、幸福嫌悪症というか、カネを毟り取られるのには唯々諾々と従うくせに、懐にカネが入ってくる話になると、急に遠慮したり、拒絶したりし始めるから不思議で仕方ない。

 

山森氏は、ベーシックインカム(以下、BI)を「すべての人に無条件で一定の額のお金を給付する」=「あり得ないレベルのうまい話」というニュアンスで表現している。

実際、市井の人々に聞いても同じような反応が返ってくるだろう。

 

カネが入ってくる話になった途端、「これは悪い夢だろ? 俺にこんな幸運が舞い込んでくるはずがない(他の人にも舞い込んでいるのだが…)」、「あとで税金の倍返しを要求されるんじゃないか」と疑心暗鬼になるくせに、逆に、カネを取られる段になると、なぜか大人しくなる輩も多い。

 

世の中には、“すべての人から、ほぼ無条件で一定の額のお金を徴収する”“制度が当たり前のように運用されている。

消費税しかり、FIT賦課金しかり、住民税しかり、社会保険料しかり…

日本という国に普通に暮らす以上、ほぼ呼吸レベルでカネを持っていかれる税や社保の負担があるではないか。

 

働いている人なら解ると思うが、給与明細の総支給額から、税や社保負担名目で2割前後が持っていかれ、手元に残った僅かな手取り額から、消費税や賦課金が飛んでいく。

 

我々は日常的に、こんな“あり得ないレベルの過酷で辛い話”に晒され続けているのだから、真逆のうまい話があったって罰が当たることはない。

 

元来、日本人は困難や苦労を背負い込み、それを努力で克服する苦労話が大好きだが、平成不況も20年を超え、非正規雇用者が4割に迫るような歪な雇用・所得環境が蔓延する惨状を鑑みると、日本を覆いつくす問題点や課題の深刻さは、もはや“努力・根性・我慢”という精神論で克服できるほどヤワなものではない。

 

緊縮脳に凝り固まった連中が、これまで“甘え”の一言で切り捨ててきた実質所得増加策や需要刺激策なくして、我が国の貧困問題や内需弱体化はいかんともしがたいレベルにまで悪化している。

 

先ごろ話題になった老後資金2,000万円不足問題にしろ、時給1,000円で中小企業が悲鳴を上げるとの日本商工会議所会頭の発言にしろ、日本経済の基盤や土台が緊縮主義者というシロアリに喰われ、崩壊しつつある証しに過ぎない。

 

緊縮主義者のバカどもが、「BIだって? 甘えるな! お前は乞食か‼」と、いい気になって罵倒している間に、国民はどんどん貧困化し、需要力は衰え、巡り巡って供給サイドの体力を奪い取ってきたのに、根性論や精神論に縋る愚か者は、眼前で起きている惨状を直視しようともしない。

 

経済動向に鈍感な連中は、規制緩和だ、技術革新だ、ゾンビ企業をぶっ潰せだのと供給サイドの強化ばかり叫ぶが、需要という食糧や栄養なき経済に、供給の生きる術など残っていないことに、いい加減気づいたらどうだ。

 

AIだ、IOTだ、ロボット化だ、宇宙開発だのといくら力んでも、“そんなものに、いったい誰がカネを払えるの?”の一言で終了だ。

 

逆に、消費者が潤沢な資金を持ち、カネの使い道に困るような“需要超過型・需要過多”の経済になれば、あらゆるモノやサービスに対する引き合いが増え、個々の付加価値も上昇し、供給サイドの収益力も強化され、労働分配の原資に事欠くこともなくなるだろう。

 

「需要力強化→供給サイドの付加価値UP→労働分配率上昇→さらなる需要力強化→供給サイドの生産性UP…」という正の経済サイクルを回すためには、まず、疲弊しきった需要サイドへの手厚い保護が先決だ。

 

BIを蔑み、馬鹿にするアホな連中には、“20年不況による膨大な経済ロスを1~2年のうちに取り返せる妙案を具体的に提示してみろ”と問い質したい。

 

これまで何度も述べてきたが、筆者はBIに賛成の立場を堅持する。

以前から、既存の社会保障制度を改善したうえで、国民一人当たり月額3~4万のBI支給を提言してきたし、さらに、消費税の即時撤廃と国民の社保・医療費負担の半減も併せて主張する。

 

「なんだ、うずらの野郎は意外とみみっちいな。月3万円と言わず、思い切って10万円くらい払ったらどうだ」といった前向きかつ積極的な意見を期待したい。

エセ分配カルトのバカどもは、庶民の生活を真面目に考えない低脳児ぞろい

コメントA 「GDPがすべてではない」

コメントB 「そのとおり! 私も、GDPを伸ばしさえすればOKという風潮に違和感がありました!!」

 

バカ者ぞろいのエセ分配カルト系ブログを眺めていると、いまだに、こんな周回遅れのコメントが交わされているのを目にする。

 

筆者は、新自由主義者安倍信者系のブログまで目を通しているが、さすがの彼らの中にも、「GDPこそ全能の神、GDP成長がすべて!」なんて叫んでいる変わり者はいないし、筆者と同様、積極的な財政金融政策を通じた国民生活向上と国富強化を訴える論者にも、GDPだけにすべての解を求める者は見当たらない。

 

“存在しない敵を勝手に妄想し、それを攻撃して悦に入る”

あたかも、電気のヒモ相手にシャドーボクシングに励む妄想ニートみたいなもんだが、いい年して恥ずかしくないのか??

 

(バカコメント①)『人間の幸せは数字だけで計れるものではないですし、それでもGDPや経済成長にこだわる理由が分かりません』

 

(バカコメント②)『名目GDPなんかはカネの動きですから、大企業や金持ち間で沢山カネが動いてGDPが上がっても仕方がない。そんなことより、庶民労働者の生活を良くすれば、景気は回ります』

 

(バカコメント③)『“GDPが上昇しました。経済成長しました。生産性上がりました。終わり”じゃダメです』

こんなくだらぬ愚痴を持ち寄り、本人たちは、いっぱしの経済論をぶったつもりなんだろうが、はっきり言って、社会の何たるかを知らぬ小中学生レベルの経済認識だ。

 

エセ分配村の低能児らには、まず、GDPの意味を勉強し直して来いっ!と言っておこう。

 

GDPは、経済活動の結果として創出された国民(家計)や企業、政府の所得の総和であり、その最大の受益者は国民であり、また、国民でなければならない。

 

現に、2017年度のGDP545兆円を分配面から分解すると、国民に分配される雇用者報酬は274兆円と50%に達し、支出面では民間最終消費支出(国民・企業)が302兆円と55%を占める。

 

筆者も自ブログで経済成長の重要さをさんざん説いてきたが、その思想の根底には、国の柱である国民の所得や中小企業の収益を目に見える形で増やし、需要力を高め、その結果として経済が成長し、GDPも増加する(=嫌でも増加してしまう)という波及経路が思い描かれている。

 

これは、筆者のみならず、積極財政金融政策で経世済民を実現させようと願う論者に共通する思いであり、基本中の基本といってよい。

 

GDPさえ伸ばせば、国民は幸せになれる”なんていうバカはいない。

国民所得を増やせば、GDPは黙っていても増えてしまう”という厳然たる事実があるだけだ。

 

“人間の幸せは数字だけで計れない”なんてとぼけたことをぬかすアホには、「お前は幸せの国ブータンか、南海の楽園にでも移住しろっ(# ゚Д゚)」と言っておく。

市井の人々の生活上の悩みの大半は、残念ながらおカネで解決可能なものがほとんどだ。

当のエセ分配乞食とて、十二分な所得があれば、わざわざカルトブログにコメントする気にもなるまい。

【参照先】

『悩みの大半は「お金が解決」してくれる?女性が半数超えの理由』

https://sirabee.com/2017/03/06/20161071452/

 

また、“大企業や金持ち間で沢山カネが動いてGDPが上がっても仕方がない”という戯言に頷く者もいるかもしれないが、勉強がまったく足りていない。

 

大企業とか金持ちが日本経済の成長を牛耳っているかのような陰謀論を信じるバカは、社会勉強が不足気味だ。

もう一度統計を見直し、大企業や金持ちがどれくらい存在するのか確かめてこいと言っておく。

 

安倍政権下の超低金利政策・雇用条件緩和・消費税率UP・法人税率引き下げなどの大企業優遇策により、大企業は史上空前の営業利益を上げているが、GDPがその分だけ爆上げしているかというとそうでもない。

かえって、心ある論者から“アベノミクスは統計操作による改竄”とか、“アゲゾコノミクス”と批判されており、一般家計や中小企業のGDPに占める割合の高さを再認識させられる事態となったではないか?

 

落ちぶれたとはいえ、500兆円を超える我が国において、大企業や金持ち連中の間だけで沢山カネが動く程度では、GDPをグッと成長させることは不可能であり、“大企業と金持ちだけでGDPを上げる云々”という前提条件自体がありえないし、そんなものはユダヤ陰謀論並みの妄想でしかない。

 

最後の『“GDPが上昇しました。経済成長しました。生産性上がりました。終わり”じゃダメです』の”低脳三段活用“もバカバカしい。

 

大企業や金持ち層だけの所得UPでは、満足のいく経済成長なんてできないし、経世済民を唱える論者にそんなことを望んでいる者は一人もいない。

 

我々の主張する積極財政金融論を長期間継続的にきちんと実行すれば、“GDPが上昇しました。経済成長しました”の前段階で、すでに国民の所得が高レベルで引き上げられ、生活満足度も相当向上しているはずだ。

 

分配カルトのバカどもは、

GDPと国民の生活とは無関係

②経済成長を目指す必要はなく、経済政策なんて無意味

③積極財政金融政策は大企業や金持ちを潤すだけ

④ただし、国民への分配策は財政政策に頼らず、大企業や金持ちへの課税強化のみとすべし

と叫ぶが、その低能ぶりに失笑を禁じ得ない。

 

国民所得の総和がGDPであり、庶民の所得UPの結果が経済(GDP)成長である以上、国民生活とGDPとは切っても切れない関係にあり、この基本を理解できない低能児は、経済無知の最たるもの。


❷経済成長とは国民の生活向上の結果そのものであり、それを放棄するなら、一生無職ニートの貧乏暮らしに甘んじていろっ!


❸大企業や金持ちにカネを渡すのが嫌なら、足りない頭を使って、ベーシックインカム定額給付金、医療・社保負担割合の低減といった具体的提案を一つでもしてみろっ!(結局、庶民の所得UP→庶民の消費増加→大企業の売上UP→富裕層の所得UPというカネの流れは止めようがないが…)


❹金持ちや大企業への課税強化は、筆者をはじめとする積極財政論者がとうの昔から主張しており、他人の案にタダ乗りするのは止めてもらいたい。また、増税案だけでなく、積極財政策の発動により、給付金や公共投資、社保負担の低減といった大規模な歳出を併せて実行する方が、遥かに効果的なのは誰の目にも明らかだから、彼らが、本当に庶民の懐を潤したいのなら、積極財政策に反対する理由など一かけらもあるまい。

 

バカのくせに、「GDPは人間を幸せにしない」云々を騙るなど百年早い。


GDPと庶民の生活の関係性を論じるのは、せめてGDP1000兆円超えのまともな水準を一度でも達成してからにしてもらいたい。


いつまで経っても500兆円付近をチョロつくようなレベルで、庶民の生活を救えるはずがなかろう。

 

以上、かの低能児どもには、庶民の生活向上を謳いながら積極財政策に反対することの正当性について、日本語を使ったうえで合理的に述べよ(ただし、積極財政金融論者への嫉妬心や妬み以外の理由で)、と命じておく。

緊縮バカの三原則「我慢しろ、負担しろ、諦めろ」

緊縮主義者って生き物は、物事を深く考えようとしないから、彼らの主張はいつも単純明快だ。

そう、「国民に“我慢させろ・負担させろ・諦めさせろ”」の三原則しか言わない。

 

年金問題で安倍政権は堂々と反論を』(中村仁)

http://agora-web.jp/archives/2039661.html

「老後の生活設計に欠かせない年金問題について、極めて正直、的確な報告書を金融審議会がまとめたのに、政権与党は撤回するという。野党は選挙対策で追及できる失点が浮上したと大喜びです。ともに国民不在です。与党も与党、野党も野党です。(略)

 「老後に年金収入以外に2000万円の資金が必要」とした金融審議会の報告書は、高齢者の年金設計に対する正直な問題提起です。(略)

「老後の生活は年金収入だけでは成り立たない」というのが共有されている常識です。貯蓄取り崩し、個人年金の活用、あるいは個人資産の運用が必要です。

高齢者がどんどん増え、若い世代の負担は増え続けています。年金の支給開始年齢の引き上げ、年金給付額の引き下げ(年金スライドの発動)、在職老齢年金の見直し、保険料の納付率(現在66%)アップなど、できることはたくさんあります。(略)

「できれば現役世代から早めに資産形成を始めたい。少額でも少しづつ積み立てる。引退後に上手に取り崩す」(日経社説、13日)ことでしょう。また、自宅を担保に金融機関から資金を借りやすくする。もちろん、年金の支給開始年齢を70歳まで遅らせることも避けて通れますまい。(略)」

 

中村氏のコラムなど、タイトルさえ読めば、中身を見ずとも何が書いてあるか手に取るようにわかる。

上記コラムも、「年寄りは年金が足りないからと泣き言を言うな」、「もっと年金を減らせ、国民に負担させろ」の暴論・愚論まみれで、彼の知的レベルの低さが窺い知れる。

 

件の年金2000万円不足問題で政府や与党の連中がなすべきは、報告書の受け取り拒否でも、国民にさらなる負担を求めることでもない。

 

足りない年金財源を創出し、現役世代の社会保険料負担をもっと減らすために、大規模かつ積極的な財政支出を検討し、即実行に移すことだ。

その程度の財源は、機能的財政論による国債増発や紙幣発行で苦も無く調達できる。

 

いずれも緊縮バカ揃いの現政権や自公のポンコツ議員にそれを期待しても無駄なことだが、安心できる年金制度を国民負担なしでしっかり構築することは、歪な人口構成に悩まされる我が国の労働者のモチベーション維持という意味からも、非常に重要な政策のはずだ。

 

中村氏は、現役世代が自己責任で早めに資産形成しろ、と無責任なことを言うが、偉そうなコラムを書いているくせに、年収ピークを迎えるはずの50歳代の平均年収が大幅に下落(H9/737万円→H25/649万円へ12%ダウン)している惨状を知らないのか?

【参照先】https://nensyu-labo.com/nendai_50.htm

 

本来なら、50歳代の平均年収は、いまごろ1,100~1,200万円に達していてもおかしくないのに、想定の半額に近い650万円を切る水準にまで落ち込んでいる。

この間の逸失所得は3,000万円超にもなるから、資産形成どころではない。

 

“少額でも少しずつ積み立てる”云々は、世の中の厳しさを知らぬ経済素人のたわ言であり、世間一般の家庭では下がり続ける給料でいかにやりくりするかに忙殺され、積み立てに回せる余裕など一円もないのだ。

 

しかも、この不況下で国民に貯蓄を強要するのは、需要不足(供給余剰・貯蓄過多)による長期不況をますます深刻化・悪化させるだけの逆噴射政策であり、到底受け容れられない。

 

自宅を担保に金融機関から金を借りろ、年金支給開始年齢を70歳に引き上げろ、なんて愚論も無責任極まりない。

まるで、「年金が足りないなら家を売れ!」、「年金をもらおうなんて思うなよ(# ゚Д゚)」と言い放つようなものだ。

 

いまや日本人の所得環境は先進国たるレベルに達していない。

勤労世帯のうち、年収500万円以下の割合が4分の3以上に達しており、全体の22%が貯蓄もできず常に赤字の危機にある「貧困層」に堕ちている。

【参照先】https://twitter.com/sativa_high/status/1092249311318929408

 

また、“年金暮らしの高齢者は恵まれている”、“年寄りに社保料や医療費をもっと負担させろ”と叫ぶ大バカ論者も見かけるが、世代間闘争を煽りたがるアホには、今回の年金2,000万円不足問題をどう捉えているのか問い質したい。

 

いまや、高齢者の無貯蓄世帯割合は60歳代で30%、70歳代で28%にも達し、「高齢者=金持ち」なんてのは、思い込みの激しい低能児か、データすら確認しようとしないナマケモノでしかなかろう。

 

世界に類を見ない長期不況に苦しめられてきた国民に負担を求めるのは愚策中の愚策であり、絶対に選択してはならない。

そんなことをすれば、間違いなく令和時代は不況とともに終焉を迎えるだろう。

 

年金不足問題をきっかけに政府が選択すべき政策は、不足する年金の財源を国債や貨幣増発で賄うという極めてシンプルかつ合理性も即効性も高い手段であるべきだ。

反原発ゴロの阿蘇山信仰

世の中には、反原発ゴロ、差別利権にすがる似非同和や似非アイヌ、暴力的な環境保護団体等々、常識すら通じない頭のおかしい連中が履いて捨てるほどいるが、こうしたゴロツキどもを相手にするほど無駄で有害なことはない。

川内原発、設置取り消し認めず 住民側の請求棄却 福岡地裁 「火山影響評価ガイド」が争点に』(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20190617/k00/00m/040/080000c
九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)が新規制基準に適合するとした原子力規制委員会の設置変更許可は違法として、地元住民らが国を相手に許可取り消しを求めた行政訴訟で、福岡地裁(倉沢守春裁判長)は17日、住民側の請求を棄却した。(略)
 訴訟では、新規制基準に基づく火山の噴火リスク審査の指針として規制委がまとめた「火山影響評価ガイド」の合理性が争点となった。
 倉沢裁判長は、社会通念上、合理的に予測される範囲を超える危険性への対策は講じなくても、相応の根拠を示さない限りは容認されると指摘。(略)
 住民側は、最新の科学的知見に基づいても、噴火予測はできないとする火山学者の意見を十分踏まえていないなどと主張。また、ガイドは原発から160キロ圏内の火山から火砕流が到達する可能性があれば立地不適としているが、規制委は五つのカルデラが巨大噴火を起こす可能性を過小評価していると訴えた。(略)」

近頃の裁判所は、刑事裁判において、醜悪な加害者に対する無罪判決や減刑といった不当かつあり得ない判決を連発するなど、加害者にばかり寄り添ったバカすぎる判断が目立っていたゆえ、今回の判決もどうなることかと懸念していたが、さすがに、阿蘇山大噴火というファンタジアをネタに原発稼働差し止めを強請ろうとするゴロツキを相手にする気はなかったようだ。

伊方原発の再稼働差し止め訴訟の判決でも、「伊方原発から約百三十キロ離れた熊本県阿蘇カルデラの火山リスクは、大規模な破局的噴火が起きる可能性が根拠をもって示されておらず、原発火砕流が到達する可能性は小さい」と全否定され、アホな原告の大敗北に終わったが、まだ懲りていないようだ。

人間の理を以って駄犬を諭すのは不可能だ。
以後、裁判所は、火山とか隕石、ミサイル攻撃といった空想上のリスクをネタにした原発差し止め訴訟の類いはすべて門前払いにすべきだ。
司法は常識人だけを相手にしておればよい。

先の伊方原発訴訟の原告は、
伊方町から海を隔てて130kmも彼方の阿蘇山破局的大噴火を起こす
②噴火による火砕流(火山岩ではなく…)が豊後水道を突っ切って伊方原発まで到達する
という到底あり得ない想定(空想)をネタに四国電力を強請ろうとしたゴロツキ以外の何者でもない。

まず、ゴロツキどもには、“阿蘇山破局的大噴火を起こす確率を正確に提示してみろ”と言っておきたいし、“阿蘇山から流れ出た火砕流が、130kmにもわたる陸→海→陸の長い長い行程を経て、伊方原発を正確に破壊できるプロセスを学術的に説明しろ”と叱り飛ばしたい。

彼らが、阿蘇山大噴火を口にする以上、向こう数十年以内という相当程度の確率での噴火リスクを想定しているはずだ。
それならば、伊方原発云々の前に、途中にある竹田市豊後大野市臼杵市津久見市大分市別府市由布市といった地域の住民に避難を呼びかけないのはなぜか?

阿蘇山伊方原発を結ぶ直線上には、大分県の半数以上の人口が密集しており、100km以上も彼方の町を覆い尽すほどの壊滅的な大火砕流が発生するなら、海の向こうの原発に文句をつける前に、阿蘇山の足元にある地域の住民の生命と安全を真っ先に心配すべきではないか。

同じく、阿蘇山川内原発でも行程の途中に、熊本市八代市水俣市人吉市、出水市、阿久根市といった町が点在しており、八代市には石油化学コンビナートを有する臨海工業地帯があるし、阿蘇山大噴火による火砕流火山岩に、川内原発にまで到達するほどの威力があるなら、当然、鹿児島市も甚大な被害にあるだろう。

原発のゴロツキどもは、そういった被害には目もくれず、ひたすら原発が破壊されると言い張るだけだ。
160kmも離れた場所で起きる(まず起きるリスクはゼロ未満なのだが…)大噴火が、川内原発だけをピンポイントで破壊するという絶対にありえない空想を基に裁判を起こすなど、もってのほかの暴挙であり、強請り集りにしか興味がないゴロツキどもを威力業務妨害として厳しく処断すべきだ。

与党の連中もグズグズせずに、ゴロツキどもの強請りに免罪符を与えるだけの原子力規制委員会を即時解散させ、全国の原発を速やかに再稼働すべきだ。
再稼働が遅れるだけ、原発関連技術が衰亡し、我が国のエネルギー安全保障が脅かされ、国民はFITみたいな無駄飯喰らいの制度につき合わされ、高いエネルギーコストを負担させられる。

太陽光発電の買い取り終了へ…「市場取引」導入検討』(読売新聞)
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20190613-OYT1T50003/
経済産業省は、太陽光や風力でつくった電気を、電力会社が決められた価格で買い取る「固定価格買い取り制度(FIT)」を終了する検討に入った。太陽光など再生可能エネルギーの発電コストが年々安くなる一方、FITによる買い取り費用の一部は電気料金に転嫁され、国民負担が増している。(略)
 買い取り費用は増え続け、電気料金に転嫁される「賦課金」は今年度、2.4兆円に上る見通しだ。(略)」

原発運動を支えてきたFITの終了も決まり、一歩前進と言える。

2.4兆円といえば消費税率1%分に相当し、ゴロツキどものくだらぬ自負心を満足させるために、家計は余計な巨額の負担を強いられてきたわけだ。

国民は、ゴロツキやマスコミが垂れ流す間違った思想や情報を鵜呑みにせず、きちんと自分の頭を使って考えないといけない。
でないと、FITみたいな利権のゴリ押しに遭い、払わずともよいコストを負担させられることになる。

MMT(積極財政策)は政策論であるべき

これまでMMTに対する緊縮主義者の批判は、「積極財政はハイパーインフレをもたらすぞ~(威嚇)」というポンコツ論か、「貨幣増発は国家権力の専横につながる」という理解不能な妄想論に終始していた。

 

しかし、緊縮主義者の連中もなかなかしぶといもので、批判のバリエーションを少しづつ変化させつつある。

 

『現代貨幣論MMT)はどこが間違っているのか<ゼロから始める経済学・第7回>』(ハーバー・ビジネス・オンライン 結城剛志:埼玉大学大学院人文社会科学研究科・教授)

https://hbol.jp/195466

「(略)MMT貨幣論です。これを財政・金融政策を論ずる政策論の次元で評価しても空振りに終わります。既存のMMT批判は、政策論の根幹にある貨幣論に届いていません。

MMT貨幣論とその問題点】

MMTの主な主張は次の通りです。

・政府は通貨を発行する権限を有する。

・政府には返済能力の制約がないため、国債の返済ができなくなることはない。

・したがって、財政収支を均衡させる必要はない。

しかし本稿は、次のように考えます。

・政府は通貨を発行する権限を有さない。

・政府には返済能力の制約があるため、国債の返済ができなくなることがある。

・したがって、財政収支を均衡させる必要がある。(略)」

 

結城氏は、

“MMTは財政・金融政策といった政策論ではなく貨幣論だ”

“政府に通貨発行権限がない”

“政府の自国通貨建て債務の返済能力には制約がある”

と、とぼけたことをぬかしている。

 

筆者は、MMTの根幹は「政府は通貨を発行する権限を有する。政府には返済能力の制約がないため、国債の返済ができなくなることはない。したがって、財政収支を均衡させる必要はない」という部分にあり、これが、政策執行財源を税に依存しない(=税は政府支出の財源ではない)という基本思想につながると考えている。(※貨幣負債論や租税貨幣論みたいな根拠ゼロの空論は全否定)

 

よって、結城氏の見解にはまったく同意できないし、彼には、「政府に通貨発行権がないのなら、お前の財布に入っている硬貨は、いったい誰が造ったの? 夏休みの宿題として、一から調べてこいっ!」と叱りつけたい。

 

政府が通貨発行権を持つのは誰の目にも明らかな動かしがたい事実であり、通貨発行権に限度がない以上、自国通貨建て債務の返済能力は無限であり、無限でなければ通貨としての意味がない。

 

よって、政府は、通貨という国民共有の財産(負債ではない)の唯一の発行機関であり、通貨発行という行為が、需要力増大→供給力(国富)の高度化という経済連関に欠かせぬ経済要素である以上、通貨発行の縮小や停止は経済活動の貧弱化を意味するから、財政収支の均衡なんてまったく意味がない、というより有害とすら言える。

 

この辺りのMMT否定論は、すでに何度も論破済みであり、たいしたことないが、問題は結城氏のコラムの後半部分にある。

 

彼は、コラムの中でMMT論者の「貨幣負債論」と「租税貨幣論」に言及し、とりわけ租税貨幣論に対して、

「税を課し、税を支払わなければ罰するという権力関係と、商品の売り買いから生じる信用関係とは本質的に異なるものです」

「納税義務の全うを至上とするような、意識の高い国民ばかりではないでしょう。かりにMMTが主張するように、国定貨幣が税債務の支払手段としての価値をもつのだとしても、その貨幣は国と国民の間でのみ循環するだけです。税債務としての貨幣が、信用貨幣のように私人間で広範に流通する根拠が示されていません。MMTは、国と国民の間の権力関係から生まれる徴税と納税の関係と、私人間の商品売買関係から生まれる債権債務関係という、まったく含意の異なる社会関係を同じものとみなしている点で決定的に誤っている」

と攻撃している。

 

以前から筆者は、拙ブログや進撃の庶民の投稿記事で、MMTの積極財政論を訴えるに当たり、「貨幣負債論」と「租税貨幣論」というクズ論が足を引っ張ることになると批判してきたが、いよいよこれらをネタにMMT批判を展開する論者が出始めた。

 

「納税義務の全うを至上とするような、意識の高い国民ばかりではない」、「税債務としての貨幣が、信用貨幣のように私人間で広範に流通する根拠が示されていません」という結城氏の租税貨幣論批判は的を射ており、筆者も異論はない。

 

貧富の差に関わらず、ほとんどの国民は納税を嫌悪しており、納税義務の履行のための貨幣を必死に集める者はいないし、納税に使えるか否かを貨幣価値の判断基準にする変わり者もいない。

人々が貨幣を欲するのは、納税するためではなく、自分の生活を豊かにするモノやサービスを手に入れたいからであり、貨幣価値を信じるのは、それが法定貨幣であるからに過ぎない。

 

貨幣に対するニーズや価値観と納税義務との間には、ほとんど何の関係もないと言ってよかろう。

 

MMT論者は、粗悪な「貨幣負債論」や「租税貨幣論」と手を切るべきだ。

こんなヘボ論に頼らずとも、MMTの根幹たる積極財政による社会的課題解決という主張は十分に説明できる。

 

MMTを貨幣負債論や租税貨幣論から論じたり、乗数貨幣論の否定に躍起になったりする国内のにわかMMT論者の姿勢は、MMT貨幣論(=政策論ではなく)を勢いづかせるだけで、税収の多寡に左右されず、国債や貨幣発行で社会的課題解決に必要な財源を無限に調達し、財源確保や財政再建よりも政策遂行を優先させるという“スペンディング・ファースト”の思想が蔑ろにされかねない。

 

MMT貨幣論という主張は、緊縮財政派と同じ土俵に乗る愚行でしかない。

 

MMT(積極財政論)は、空想家を自己満足させるための陳腐な貨幣論ではなく、積極財政を後押しするための政策論でなければならない。