うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

諂米主義者の卑屈な根性

『入念指示で「事故防げた」=ボ社任せ、責任否定-送検16人供述全容・日航機墜落』(8/11 時事通信社

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018081100369&g=soc

「520人の犠牲者を出した1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故で、群馬県警が業務上過失致死傷容疑で書類送検した20人のうち、ボーイング社の4人を除く日本航空運輸省(現・国土交通省)の16人の供述の全容が11日、明らかになった。「ボ社に任せた」とする責任回避の姿勢が目立ち、整備で入念に指示すれば「事故を防げた」との複数の供述が存在していた。(略)」

 

今夏は日航ジャンボ機墜落事故から33年目となる。

単独航空機による事故としては史上最悪となる520名もの死者を出した同事故の原因は諸説あるが、1978年に同機が伊丹空港で起こした尻もち事故後に、後部圧力隔壁を修理したボーイング社の修理ミスというのが公式見解であり、同社もこれを認めている。

 

であれば、一義的な責任は飛行機を製造し、修理責任者であるボーイング社にあり、重大な事故を引き起こした“犯人”として責めを負い、被害者に土下座して詫びるべきは同社であるはずだ。

 

例えば、2015年に発生したカーフェリー「さんふらわあ だいせつ」の火災事故(乗員1名死亡)では、火元となったトラックの冷凍機モーターを交換した整備士の男が業務上過失致死などの容疑で書類送検されている。

 

事故の規模が違うとはいえ、事故を起こしたトラックの運転手の点検ミスではなく、トラックの整備責任者の責任を問うたもので、整備不良が惹き起こした事故の責任の所在は、一義的に整備責任者が負うべきものという原則に従えば、日航機の事故責任を厳しく問われるべきは、やはり、いい加減な修理で重大な修理ミスを犯したボーイング社であろう。

 

しかも、自動車やトラックと違い、数百万もの部品で構成され、メーカー以外にその構造を詳しく検証できない飛行機ならば、メーカー側の整備ミスを運航会社が点検で発見できる確率は相当低く、日航に必要以上の責任を負わせるのはお門違いも甚だしい。

 

なのに、多くの国民やマスコミは日航を目の敵とし、ボーイング社の修理ミスを完全スルーして点検責任者ばかりに責任を押し付けようとする。

 

ボーイングは、遺族の前で薄っぺらな弔辞を読んだだけで事を済ませ平気な顔をしているが、当時のマスコミだけでなく、今に至ってもボーイングの責任を口にしないマスコミがゴロゴロいることに強い憤りを覚える。

 

えてして、日本人は外国人の圧力に弱く、外に向かって文句を言えない腹いせに、自国民を必要以上に攻め立てる醜悪な癖がある。

 

日航ジャンボ機事故を巡るマスコミの偏った論調も、トヨタ車のブレーキ故障問題でアメリカ司法省から言い掛かりをつけられ、事実は、バカなアメリカ人ドライバーによるアクセルとブレーキとの踏み間違いによる「自爆事故」であったにもかかわらず、1,200億ドルもの和解金を支払わされた事例とよく似ている。

 

マスコミの連中は、トヨタの事件でも自国メーカーを庇うどころか、アメリカと一緒になってトヨタ車のブレーキに欠陥があるかのように騒ぎ立てていたが、同事件の公聴会で証言した被害者を騙るオバサンの不可解な言い分(下記参照)を聞いて怪しいと思わなかったのか?

 

アメリカの狂言オバサンの言い訳〉

①走行中のレクサスが加速開始

②ギアを「ニュートラル」に入れても減速せず、「リバース」には入らない

サイドブレーキも機能せず時速145キロに

④「ガードレールか木にぶつけて止めるしかない」と考えた

⑤時速160キロに達し、夫に「最後の電話」をした

⑥その後、特に新しいことをしないうちに徐々に減速

⑦時速53キロに落ちたところで、中央分離帯に寄せてエンジンを切った

 

こんなものは、誰がどう見ても、アクセルを間違ってベタ踏みしたスピード狂の見苦しい狂言だろう。

 

常に日本人の粗探しに躍起になり、誰かを蹴落としたい、誰かの足を引っ張りたいと舌なめずりするマスコミ連中の卑しい根性が見え隠れする。

 

これは、原爆投下や終戦記念日などの集会で、アメリカの戦争犯罪や虐殺行為を非難せず、ひたすら不戦の誓いとやらを唱え、先の敗戦の原因や責任を、戦争を選択せざるを得なかった日本人の無謀さのみに帰結させようとするマスコミの論調に通じるものがある。

 

第二次世界大戦中にアメリカが日本各地を空襲し、それらによる死者は41万人以上(原爆被害者を含む)にも上る。

 

先日、北海道に出張した際に地元の人と雑談の中で、戦争当時、函館市小樽市帯広市旭川市といった戦略上まったく意味のない都市や農村部もアメリカ軍によって空襲され、一般市民を中心に死者2,000人を超える被害を出したとの話を聞いた。

 

筆者も幼い時に、母からアメリカ軍の爆撃機が襲来し、空襲警報が鳴って避難した時の体験を聞いたことがある。

その時は何気なく、「これが空襲警報の話か」と聞いていたが、よく考えると、東北地方の山奥にあった母の生家にまでアメリカの空襲が迫っていたことに強い違和感を覚えた。

 

戦略的見地からは、人気も乏しい農村地帯を爆撃するなんて、爆弾と燃料の無駄遣いでしかないはずだが、当時のアメリカ軍は全国180カ所もの爆撃リストを作り、軍事的要所でもなんでもない都市や農村部まで爆撃している。

 

これは、戦争を超えた「殺戮」であり、東洋人に対する強い差別意識や恨みに裏打ちされた虐殺行為にほかならない。

 

本来、日本人たる我々が、原爆投下の日や終戦記念日(※こうした名称自体も見直す必要があるが…)に唱えるべきは、当時のアメリカが犯した醜い戦争犯罪や虐殺行為に対する強い非難である。

 

いつまで経っても“従米根性”や“諂米主義”から抜け出せぬバカマスコミに踊らされ、日本人の真の敵を見誤ってはならない。

国家を分断したがる輩

(※)お盆休暇のため、次回は8月17日(金)の予定です

 

政治の世界や論壇には、新自由主義者がウヨウヨ跋扈している。

実社会で揉まれた経験の少ない彼らの言葉は、一見勇ましく聞こえるが、どこか空虚で冷酷だ。

 

彼らはいつもリーダー気取りで、自分を一般人より上位に位置付け、他人を叱咤したがるが、社会の重しとなる核心的な課題には決して触れようとはせず、バカでも動かせる軽少な課題を、さも重大ごとであるかのように騒ぎ立て、それを攻撃する自分の地位を高めることに腐心する。

 

新自由主義者の刃は、常にか弱い民衆に向けられているのだが、当の民衆は眼前に突き付けられている刃先と脅し文句を「宣託」だと勘違いしているから手に負えない。

 

『「地方はもっと責任を引き受けろ」~東京都に"中核市"が少ない根本原因』(7/25 PRESIDENT Online 橋下徹/前大阪市長

http://president.jp/articles/-/25672

「(略)待機児童問題解消のための保育士増、教員の負担軽減のための教員増、いじめ問題に対応するスクールカウンセラーの増員、治安維持のための警察官増、領海を守るための海上保安官増……とにかく人員増のオンパレードだ。

人を増やすことに表立って反対する人はいないだろう。そして無責任な政治家、自称インテリ連中は、そればかり言う。問題は、カネ・財源をどうするか、である。(略)

何か問題があるたびに、政府が旗を振って、人員増の対策を進めれば、政府の予算は無限に膨張していく。しかし日本にはそこまでの余裕がないし、もっと違うところにカネを使わなければならないという優先順位もあるはずだ。(略)

この国を適切に引っ張っていくための組織マネジメントとして最も重要なキーは、中央政府地方自治体の仕事の役割分担を明確化し、地方自治体がやるべき仕事については、首相や中央政府が、「それは地方の責任だ! カネの用意も含めてしっかりやれ!」と地方を突き放すことである。」

 

国家運営を、「中央vs地方」という二項対立や上下階層の分断視点でしか考えられないド素人は、あらゆる課題や問題を“カネ不足”と“やる気の問題”で片づけたがる。

 

大阪府の経済力は1970年の万博以降下降の一途を辿り、長期的地盤沈下が叫ばれて久しく、大阪府がとりまとめたレポート「大阪の改革を評価する(報告書)2014年9月」でも、

●今や大阪は、低所得者の割合が他都市に比べてかなり高く、犯罪、雇用、離婚、自殺などの社会指標も軒並み全国ワーストレベルにある。加えてこれらが複合して、他の指標を一層悪化させるという悪循環に陥っている(いわゆる「大阪問題」)。

●社会問題の深化と拡大と同時に、都市の経済力や財政力も低下・・・府庁・市役所も次第に余裕を失い、状況対応に追われ、抜本策が打ち出せないままに、都市問題が一層深刻化。

と強い危機感をもって総括されているが、そういった状況は今でも一向に改善されていない。

 

帝国データバンクの調査(1994年→2014年)による企業本社数(従業者50人以上かつ資本金又は出資金3,000万円以上)の推移を見ると、東京都が約5,600社→約8,500社と右肩上がりなのに対し、大阪府は3,000社前後でほぼ横ばいという体たらくで、その間に東京都へ200社、隣県の兵庫県へ120社余り流出するなど、首都との格差は開く一方だ。

 

大阪が地盤沈下の泥沼から抜け出せないのも、「地方は中央に甘えるな」、「必要な金は地方が自分で稼いで来い」と叫び散らす無能知事や無能市長を甘やかして当選させ続けてきた報いだろう。

 

橋下のバカが決定的に見落としているのは、

①カネを惜しみ財政再建を優先するあまり、諸課題・諸問題解決がもたらす国民的な福利や厚生の向上を蔑ろにしていること

②行政機構を「中央vs地方」という対立構造や上下階層でしか理解していないこと

③カネ(貨幣)を創造し、津々浦々に流通させるのは、国家にのみ負託された大権であるが、それをまったく理解できていないこと

の3点だろう。

 

橋本のバカは“児童相談所の体制強化、待機児童問題解消のための保育士増、教員の負担軽減のための教員増、いじめ問題に対応するスクールカウンセラー増員、治安維持のための警察官増、領海を守るための海上保安官増…”等々を例に挙げ、「人を増やせというのは簡単だが、予算(カネ)はどうするんだ?」と息巻いている。

 

しかし、「財源をどうする」、「予算がないぞ」というセリフは、山積する諸問題を放り出したいだけの無能なクズの常套句だ。

 

カネが無いなら国家が必要なだけ造ればよいだけのことだ。

最も大切なのは、問題や課題を一分でも早く解決できる人材を育成することや、必要な法整備を施し、行政手続きを改善してやることだ。

 

児童虐待によりただでさえ貴重な幼子の命が奪われるのは、もはや国家的損失と言えるが、マスコミ連中は児童相談所の手落ちを責めるだけで、法整備や人員増といった根本的な問題解決にまで手を付けようとはしない。

 

こんなありさまでは、この先も悲運な幼子は見殺しにされ、放置されるだけだろう。

「中央に頼るな。地方で何とかしろ」とほざくバカ者の自尊心を満たしている間にも、貴重な人命が次々と踏みにじられるのだ。

 

カネさえあれば人員を確保できるのに、敢えてそれをせず、地方の自助を強要し、くだらぬ根性論を押し付けるバカの論に正当性は一mmもない。

 

そもそも、中央(政府)が地方にカネをめぐんでやるという意識が根本的に間違っている。

 

広大な日本という国家を統治し運営・発展させるためには、“中央にカネを集め、中央が権限を握り、もったいぶって地方にカネを恵み、箸の上げ下げまで事細かに指図を出す”という構図ではダメだ。

 

本来、行政に中央も地方もない。

 

島根県庁は、たまたま日本国の山陰地方にある島根という地域の行政を、大田原市庁は、たまたま日本国の北関東地方にある栃木県大田原という地域の行政を司る役割を担っているだけで、国家の一部であることに何ら変わりはない。

 

各々の地方行政機構を「一地方」だと切り捨て、カネは自分たちで用意しろなんて幼稚なセリフを吐くのは、右手の人差し指や大腸に向かって「お前たちに喰わせる飯はない」、「栄養分や血が足りないなら、自分たちで何とかしろ」と言い放つようなものだ。

 

新自由主義者という人種は、得てして国家観が皆無で人間(他者)を嫌っている。

 

彼らは、他者の幸福を嫉み、その不幸に無上の快感を覚える人非人だから、他者の苦境を救うカネなど、たとえそのカネが自分の懐を痛めるものではなくとも、ビタ一文使う気はない。

 

カネ(貨幣)なんて、国家がその気になれば幾らでも創れる程度のモノに過ぎない。

そんなものを後生大事に崇めるよりも、国民に多大な不幸とストレスを課し続ける社会問題を解決する方が、国民にとって遥かに莫大な利益をもたらすだろう。

 

この程度の理屈すら理解できない新自由主義者のバカどもは、社会常識を叩きこむため初等教育からやり直させる必要があるのではないか。

JRは再統合すべき

JR北海道の苦境は一体どこに原因があるのか』(7/2 DIAMOND Online 枝久保達也/鉄道ジャーナリスト)

https://diamond.jp/articles/-/173703

JR北海道の苦境が続いている。2017年度の連結決算は106億円の経常赤字となり、2016年度の103億円に続いて、2期連続で過去最悪を更新する大変厳しい結果となった。(略)

今年4月からJR北海道は経営再生に向けて、国土交通省、北海道、北海道市長会、北海道町村会、JR貨物との6者協議を開催している。6月17日に行われた第2回協議で発表された「経営再生の見通し」で、北海道新幹線の札幌開業が予定される2030年度まで国と北海道、沿線自治体に対して支援を求めたが、沿線自治体の財政状況は厳しく、財務省も長期の支援に難色を示しているという報道もある。(略)」

 

筆者も北海道へ出張する際に、年に何度かJR北海道を利用して広大な北海道を移動している。

ご存知のように、北海道の面積の広さは想像以上で、九州の二倍にもなり、北方領土を除いても、そこいらの都府県が軽く12~13個は入るくらい大きい。

 

空路で新千歳空港に降り立ち、そこから出張先がある釧路や北見、稚内、函館といった道内主要都市に移動するのだが、なにせ移動距離が300~600㎞にもなるから、特急列車を使っても4~6時間掛かり、ほぼ一日移動に費やされてしまい、訪問先の最寄り駅についた途端、仕事をする気も失せるくらいだ。

 

正直言って、JR北海道の特急列車に乗るのは苦痛でしかない。

 

運行本数の少なさに加えて、老朽化した車両の乗り心地はお世辞にも良いとは言えず、特に冬期間は空調調整が難しいのか、極端に暑かったり寒かったりと温度調節に苦労させられる。

 

おまけに、社内Wifiが未整備なのは当然として、電源プラグの類いもないうえに、路線の多くを占める山間部ではWifiどころかデータ通信や携帯の電波すら入らぬ場所も多い。

 

また、ほとんどの列車で車内販売が廃止され、飲み物や食べ物を買い忘れると、最悪6~7時間も飲まず食わずの苦行を強いられることになる

 

有り体に言えば、もはや乗車というよりも、単なるモノとして運ばれている感覚と表現すべきか…

 

元々、北海道の人は列車や飛行機よりも車で長距離を移動する方が多く、筆者の取引先の経営者も、そもそも列車を使うという考えなど毛頭なく、商用の際にも、道北地方の果てから札幌まで400㎞近い距離を車で飛ばして(平均時速は軽く100キロ越えだそうな)移動している。

 

本州のビジネスマンなら、新幹線や飛行機での移動が日常だが、道民の多くは、本数も少ないうえに雪害や水害、故障でしょっちゅう運休になる列車を当てにしていないようだ。

 

冒頭の記事では、万年赤字に苦しむJR北海道が、赤字路線の廃止を巡って道庁や自治体との折衝に苦労している様子が書かれているが、さもありなんといった感想しかない。

 

JR北海道の直近決算では、営業利益▲416億円、経常利益▲106億円とまったく冴えない。

同じくお荷物と言われてきたJR九州(営業利益639億円)やJR四国(営業利益▲117億円)と比べても著しく見劣りするが、なんといってもJR北海道営業キロ総延長距離は約2,500㎞と群を抜き、その多くが峻烈な山間部や海岸沿いに配置され、冬には▲20~30℃にもなる凍てつく大地を走る都合上、除排雪作業も加わるから、保守点検に多大なコストが掛かるのは致し方なかろう。

むしろ、この程度の赤字で済んでいることに感心している。

 

JR四国も同じことだが、これだけの地理的あるいは人口集積面のハンデを背負わされたJR北海道が、そもそも黒字化できるはずがない。

 

JR北海道には黒字路線が一つもなく(※JR九州・四国は一路線のみ黒字)、輸送密度4千人未満の線区が営業キロ総延長の74%を占めているほど経営資源に恵まれず、この会社を黒字化できる経営者など、おそらくこの世に一人もおるまい。

 

幸い、JR東日本・東海・西日本の本州三社の決算を合計すると、営業利益ベースで1兆3,450億円、経常利益ベースで1兆2,570億円にもなり、JR北海道JR四国の赤字など余裕で吸収できる。

 

元の国鉄みたいに一つに統合するもよし、NTTみたいに東と西の2社に、あるいは、NEXCOのように東日本・中日本・西日本の3社に統合するもよし。

いずれのケースでも、盤石な経営基盤を十二分に維持できるはずだ。

 

そうすれば、実りのないローカル赤字路線の廃止問題に貴重な時間や労力、経営資源を削ぐ必要もなくなるし、駄々をこねる自治体との折衝で社員が精神的に追い込まれることもない。

 

特に、JR北海道には、函館本線室蘭本線根室本線釧網線などといった周回ルートを組める路線を多数抱えているのだから、国内外ともに人気の高い道産品や観光地とのコラボによるハイグレードな観光商品を打ち出すことも可能になる。

 

このままコストカットや路線カットばかりの撤退戦略だけに終始すれば、早晩経営はじり貧となり、日本一の観光地を縦断する公共交通機関を永遠に失ってしまう。

 

少なくとも、JR東日本と合併させれば、経常利益で4千億円を超える超優良企業の傘下に入ることができ、運行車両の更新や本数の増発といった攻めの経営に転じることができ、道内観光をより魅力的なものに変える力を持てるようになる。

 

北海道はお荷物だ、四国に列車なんて要らない、などと弱った部分だけを切り捨て続けていけば、国土は末端から空白化し、“領土はあれども人住まず”といった具合に地方から壊死してしまうだろう。

 

地方を蔑み切り捨てるのは容易いが、そうした愚かで無責任な行為が、やがて己の身を蝕むことに気付くべきだ。

交通インフラの需要は増すばかり

民間調査会社の「ブランド総合研究所」が毎年秋に発表している『都道府県魅力度ランキング』。

このランキングで、最下位の常連(昨年も最下位で5年連続‼)として有名なのは“茨城県”であり、TVのバラエティー番組でも散々ネタにされ弄られている。

 

茨城県は今年4月時点で人口286万人と静岡県に次ぐ全国第11位(広島や京都、宮城、新潟よりも、実は人口が多い)を誇り、工業出荷額も11兆1千億円(H28年)と全国第8位にランクされ、また、全国屈指の農業県&漁業県でもあり、全国一位の収穫量や生産量、漁獲量を誇る品目を挙げると、干し芋、レンコン、栗、メロン、ビール、サバ、マイワシ、芝、ピーマン、白菜、レタス、水菜、鶏卵等々、その実力たるや目を見張るものがある。

 

だが、茨城や栃木、群馬といった北関東三県のように、大都市圏に近接する県はどうしても影が薄くなりがちで、岐阜や和歌山、山口、佐賀といった地域も同じことだが、全国ニュースで採り上げられる機会もなく他県の人々の印象に残りづらいのだろう。

 

えてして、こうした“都会の隣県”は、隣接する都心からの交通の便こそ良いものの、それ以外の地域との交通手段が貧弱なケースが多く、せっかく魅力的な観光資源を持っていても、わざわざ遠方から訪れるには物理的な負担が大きすぎ、足を運ぶ機会が少なくなってしまい、魅力度低下の主因となる。

 

茨城県は平成20年まで、京都府奈良県滋賀県山梨県、埼玉県、群馬県、栃木県、岐阜県、神奈川県、三重県の10府県と並び、空港のない県の一つに数えられ、一時は山梨・三重と同じく“空港も新幹線の駅もないド田舎”という汚名を拝していたが、平成21年3月の茨城空港開港により、他県との玄関口が大きく開かれることになった。

 

茨城空港は、開港当初こそ「無駄な公共事業の象徴」、「我田引空」だと散々批判され、唯一の就航便であったスカイマーク平成27年民事再生法申請による破綻の憂き目に遭うという不幸も重なった。

 

しかし、関係者や地元の努力もあって、現在、国内線4路線6往復(新千歳・神戸・福岡・那覇)、国際線3路線(ソウル・上海・台北)が就航し、着実に旅客実績を伸ばしており、平成29年度の旅客数は国内外合わせて68万人に上り、実質開港一年目の平成22年度実績20.3万人の3.3倍に膨張している。

 

旅客実績は8年連続右肩上がり、しかも、国際便よりも国内便の伸び率が大きく、また、旅客数を運航便の隻数で割り返した搭乗率も73%程度を維持していると思われ、地方空港の実績としてはかなり健闘している。

 

自家用車を主な移動手段とする茨城県民にとって、1,300台もの無料駐車場を要する茨城空港は、非常に利便性が高く、それが空港の利用促進に一役買ったのだろうが、県庁や各市町村の担当者による観光PRを通じた地道な努力が実を結び、県外からの利用客が増加している点も見逃せない。

 

こうした実績は、地方空港の運営にとって大いに参考になるケースであり、もはや茨城空港を問題児扱いする意見を耳にすることは少なくなった。

 

とかく、空港や新幹線、高速道路といった交通インフラを整備する話になると、無駄づかいだの、誰も利用しないだのと文句ばかりタレる能無しが出てくるが、いざ造ってみると、結構便利に利用されるものだ。

 

造る前に大騒ぎしていた文句タレどもが、いそいそと大きなスーツケースを転がして空港から海外旅行に出かける様を眺めて、筆者は苦笑いしか出ない。

 

現在、我が国には空港新設の計画はなく、その主軸は既存施設の機能強化や運営の民営化に重点が置かれている。

 

一方、中国では、華北、華東など全国の6大地域の空港群を整備し、2025年までに民間空港136カ所を新設、世界レベルの3つの大空港群と国際ハブ空港10カ所、地域ハブ空港29カ所を構築する計画をぶち上げるなど意気盛んで、二言目には、財源がない~、少子高齢化だ~、人口減少社会だ~と逃げ腰の言い訳ばかりする日本とかの国との差は拡がるばかりだ。

 

我が国でも、まずは、国内の空港未整備府県を解消し、全都道府県に新幹線を通すくらいの気概が欲しい。

 

造った後の利用の有無に気をもむ暇があるなら、利用促進に向けた計画を練り、周辺の観光資源やビジネス需要の掘り起こし策に精力を注ぐべきだ。

 

一日数本ではダメだが、まともな運行本数さえ確保できれば住民にも利便性が理解され、利用拡大につながるものだ。

 

消極的な縮小策で国が発展することはなく、国民の生活レベルが向上することもない。

少子高齢化社会に直面する我が国で生産性を維持向上させるためには、交通インフラの充実や緻密化による移動効率の大幅な改善が不可欠である。

 

地方空港の新設や新幹線や高速道路の新設といったインフラ整備計画は、人口減少社会にとって不要どころか、その必要性は益々高まるばかりだと言えよう。

潜在労働人材を活用せよ

『侍たちは週休5日が当たり前だった!?』(江戸時代Campus)

http://www.edojidai.info/category1/samurai-kyuuka.html

「現代の日本では週休2日が当たり前となっていますが、昭和の時代には休みは週休1日が一般的でしたし、世界的にも日本人は勤勉であると言われ続けてきました。

しかし、そんな多忙な現代人にとってはなんとも羨ましい限りですが、江戸時代の武士たちの中にはなんと週休5日でのんびり勤務の人も大勢いたのです。(略)

江戸城の護衛や雑務に従事する御家人たちは「三日勤め」という勤務形態になっていました。「三日勤め」というのは、当番一日に対して非番が二日のサイクルで公務をおこなうものです。しかも、当番の日も朝番・夕番・不寝番の三交代制でした。(略)

幕末には、本丸に月に1日勤め、その他の勤番が五日という「六日勤め」という番方もあったようです。この場合ですと、まさに週休五日の計算になります。

このように、江戸の下級武士たちには毎月20日前後の休暇があったことになり、彼らにはたっぷりと余暇がありました。(略)」

 

江戸時代の役人は、さしずめ公務員やサラリーマンに該当するが、地震や豪雨で電車が止まっても「言い訳するな! 這ってでも会社に出てこい(# ゚Д゚)」とパワハラ上司に怒鳴りつけられる現代のサラリーマンから見ると、ずいぶんのんびりしたものだ。(※ただし、商家の丁稚奉公なんかは12時間以上働かせられたとの記録あり)

 

江戸末期に紀州藩下級武士の酒井伴四郎が記した「酒井伴四郎日記」を読むと、藩邸勤務は月10日前後で、7月は一日も勤めに出ず、勤務時間は午前中の3~4時間のみとあり、暇を持て余した伴四郎たちが、寺社見物、B級グルメ、吉原見物と余暇を楽しむ様子が克明に描かれている。

 

江戸時代が終焉を迎え、サラリーマンの勤務時間も徐々に長期化していくが、それでも明治初期の官庁の勤務実態は、「暑い夏には仕事の能率が落ちるので休む習慣も、長く残された。江戸時代のサムライの伝統を受け継いで、明治期の日本の官庁の就業時間は短かった。1892年の記録では、春(4ー6月)が8ー16時、夏(7・8月)は8ー12時と午前のみ、秋冬(9ー3月)は9ー17時、さらに夏には約20日間の夏期休暇があった。」(http://netizen.html.xdomain.jp/Leisure.html)といった具合に、まだまだ呑気なものだった。

 

その後、明治の富国強兵や殖産興業政策による労働強化が図られたが、それでも昭和初期のサラリーマンの平均勤務時間は6時間程度との記録があり、ほぼフランス並みの労働環境だったようだ。

 

戦前に至るまでの数百年もの間、世界一の過労大国日本の国民性は、驚くほどユルユルで、“勤労は美徳”を通り越し、“過労は当然”の域に達したいまの労働感覚が信じられぬほどだ。

 

以前、進撃の庶民に投稿したエントリーで、我が国は戦後間もない時代まで一般庶民が当たり前に刀や弓矢、重火器を所持する世界一の武器大国であったが、時代の変遷を経て大きなパラダイムシフトが起き、いまや世界一安全な国と言われるようになったことをご紹介したことがある。

(参照先)https://ameblo.jp/shingekinosyomin/entry-12255442744.html

 

現代と戦前までの労働観が180度転換してしまったのも、これと同じことで、環境さえ変われば、多くの人間は過去の姿や因習に関わりなく、それまでのライフスタイルや行動規範を容易に変化させるものだ。

 

現代の労働市場では、経済界を中心に、しきりと労働者不足を喧伝し、日本人はきつい仕事をやりたがらない、人手不足倒産が増えている等と訴え、奴隷労働を意に介さない外国移民を輸入しようと謀っている。

 

こうした愚行や売国行為に対して、筆者は、ロスジェネ世代などのミッシングワーカーやニート層などの潜在労働力(百万人単位で存在)をもっと活用しろと訴えてきた。

 

しかし、移民が大好きな連中からは、「ニートなんて働けるわけがない。彼らをモノの数に入れるのは無駄なこと」といった幼稚な批判を受けることもある。

 

現状を変える気もなく、課題を解決する気もない穀つぶしのナマケモノは、日本人の人材を育成や活用を拒絶し、安価だが有害な移民という麻薬に頼ろうとする。

移民を推進・容認したがる売国奴は、一国の行く末を大きく左右する人材育成の重要さをまったく理解できていない。

 

かつて一日4時間の月10日間勤務で暇を持て余していた江戸時代の侍たちが、ろくな休みも取らずに毎日15~16時間間近く働く現代のサラリーマンの姿を見たならば、日本人は何時からこれほど労働ガチ勢になったのかと腰を抜かすに違いない。

 

日本のミッシングワーカー活用とて、これと同じで、一見たいした労働スキルもなく、働く意欲もマイナスにしか見えないニート層であっても、きちんとした待遇を呈示し、働くことの目的意識を与えてやれば、こちらが期待し、想像する以上の力を発揮してくれるだろう。

 

端から彼らを見下し、役立たずだの、寄生虫だのと蔑んでも、人材の枯渇と社会の荒廃を招くだけで何のメリットもない。

 

労働市場から弾き出された潜在労働力を受け容れる努力を怠らなければ、少子高齢化による人口の長期減少に直面する我が国は、再び成長への道を歩みはじめるだろう。

「ゴミか、クズか」という不毛な議論

安倍政権の支持率がなかなか落ちない。

それどころか、今月10日のNHK世論調査では、安倍内閣「支持」44%、「不支持」39%と4か月ぶりに支持と不支持が逆転してしまった。

 

米朝交渉では完全に蚊帳の外に置かれ拉致問題は何の進展も成果もナシ、我が国に250万人を超える外国人移民を輸入して雇用や労働待遇を悪化させ、国民に不利益にしかならぬカジノや高プロ法案をゴリ押し、極めつけは、西日本豪雨対策を放り出して酒宴に興じる大失態を犯した“亡国内閣”を支持する国民の不真面目さに、心底呆れ強い憤りを覚える。

 

いくら野党のクズどもがだらしないからと言って、安倍内閣を支持する理由にはならぬ。

日ごろから国民は、「社会保障を何とかしろ」、「景気を良くしろ」と文句ばかり垂れているのだから、自分たちの要求にまったく耳を貸さぬどころか、それを無慈悲な態度で足蹴にしてきた安倍内閣に対してハッキリと「NO!」を突き付けるべきだ。

 

安倍ちゃんの後釜のことなど、いちいち気にする必要はない。

どうせ、国民が総理大臣を直接選出することはできないのだから、内閣の政策が気に喰わぬなら、遠慮せずに不満を述べればよいだけだ。

 

自民党の後継候補がだらしない”、“野党がまったく頼りにならない”との声も大きい。

筆者もまったく同感だ。

 

正直言って、与党も野党も、その大半は緊縮主義者や新自由主義者のハイブリット議員ばかりで、彼らには、後進国化しつつある衰退国家を立て直す実力も気概も一mmも感じられない。

安倍亡き後も、緊縮財政と野放図な開放政策を軸とする「身の丈政治&縮小主義」が横行するであろうことは火を見るより明らかだ。

 

 

『「高速料金無料化」にもう一度挑戦したい~「国民民主党」が目指すもの:後編』(7/11 PRESIDENTOnline 塩田潮/作家・評論家)

http://president.jp/articles/-/25568

〈聞き手〉塩田潮 〈語り手〉玉木雄一郎/国民民主党共同代表(元大蔵官僚)

 

【塩田】国民民主党が目指す政策、路線についてお尋ねします。まず経済政策は。

【玉木】(略)もう一回、挑戦したいのは、高速道路料金の劇的な値下げです。今、小口の大量の物流が多くなっている中で、高コストが日本の産業の足かせになっています。最新のIT、人工知能のテクノロジーを使って物流のコストを下げたい。(略)

 

【塩田】19年10月に予定されている消費税の10%への引き上げは必要ですか。

【玉木】このまま行くと、2040年代に社会保障給付が190兆円になる。換算すると、消費税は22%くらいが必要です。財源を消費税だけに頼る必要はないけど、給付と負担のバランスが取れた政策を一体的に推し進めることが不可欠です。今、安倍政権は財源の議論から逃げまくっています。全部、赤字国債の発行でまかなっているのが安倍政権の現状ですが、逃げたって無理なんですよ。消費税を上げたときにどんな安心社会を実現するかという形を示すことが大事です。われわれは財源の議論から逃げずに議論していきたい。

 

巷には「国会議員は野党になると成長する」といきり立つ頭でっかちな小皇帝(中二病)もいるが、あまりにも人間というものの性質を知らなすぎる。

 

はっきり言って、40歳を過ぎると人の性格なんて変わらない。

性根の腐りきったクズ議員は、与党だろうが野党だろうが、落選するまでクズのままだ。

 

その程度の理屈は、かつて与党から野党への転落を経験した自民党公明党旧民主党、旧社会党の連中の掲げてきた政策や言動を見れば、幼児でも解るだろう。

 

ましてや、大蔵省→衆議院議員というエリート街道をひた走ってきた玉木氏に、国民や庶民の生活に寄り添った政策を期待する方がどうかしている。

 

さて、玉木氏はインタビューの中で、旧民主党時代に話題となった「高速道路料金の無料化」を主張しており、これには筆者も賛成する。

 

ガソリンや軽油価格は長期高止まり傾向にあり、荷主に転嫁要求できない運送業界から悲鳴が上がっている。

また、地方の観光誘客推進のためにも、移動コスト軽減は大きな力になるだろう。

 

高速無料化には、渋滞悪化等の批判がつきものだが、その分一般道は空くはずだし、高い高速料金が無料になる(メリット)のだから、多少の渋滞(デメリット)は甘受してもらうしかない。

 

玉木氏の「最新のIT、人工知能のテクノロジーを使って物流のコストを下げたい」が、具体的に何を指すのか不明だが、こんなものは既存のカーナビやGoogleマップの性能向上で何とでもなる。

 

問題は、無料化を実現するための財源捻出だが、玉木氏は何も答えていない。

高速無料化に要する金額は、旧民主党時代に1.3~2兆円程度と試算されていた。

たったの2兆円くらい、国債増発でさっさと調達すればよいのだが、彼はインタビューでそれすら言及していない。

 

彼は、元来、緊縮主義や新自由主義的性格の強い人物だから、玉木流の財源捻出方法くらい簡単に忖度できる。

それは、インタビュー中盤の消費税率引き上げに関する彼の言を聞けばすぐに判る。

 

彼は、消費増税に賛成の立場であることを明言し、どう考えても増税推進の立場を採る安倍首相が増税に逃げ腰であるかのように批判している。

彼の批判はまったく的外れで、社会保障費膨張を言い訳にした“増税断行の先陣争い”をしているにすぎない。

 

「消費税を上げたときにどんな安心社会を実現するかという形を示すことが大事です」という彼のセリフを聞くにつけ、経済に無知で国民生活など歯牙にもかけぬ五流のジャンクでしかないことが判る。

 

いまや単身世帯の5割近く、二人以上世帯の3割強が無貯金状態に陥り、ただでさえ生活苦に苦しむ国民が多い中、消費税率を上げて安心社会を実現できるなんて5000%ありえない。

 

消費税率UPが惹き起こすのは、個人消費壊滅→生産低迷→企業業績DOWN→所得低迷→デフレ深刻化→日本の後進国化でしかない。

こんなバカげたことを20年間も繰り返してきたのに、まだ理解できぬとは、玉木氏の無能ぶりに唖然とさせられる。

 

所詮は彼も、安倍首相や石破・岸田・河野・野田といった後継候補者の連中と同じ系譜に連なる「周回遅れの緊縮バカ」でしかない。

 

国会に巣食うクズ議員を持ち上げ、彼らの成長に期待するほど無意味で無益なことはない。

 

クズ議員の能力を遥かに凌駕する人材は広く市井に埋もれているはずだから、与党か、野党かという狭い選択肢だけで物事を考えてはならないし、安倍首相が気に喰わぬからと言って、無理して別のゴミを祭り上げる必要もない。

 

国民は議員に対して、もっと厳しいワガママをぶつけるべきだ。

安倍はクズ、野党もゴミなら、双方とも下野させねばならない。

 

与党であれ、野党であれ、経済成長や国民生活向上への逆噴射政策ばかりを打ち続ける有害無益なゴミ議員を思い切って一掃し、立法府の人心一新を図らないと、我が国は間違いない先進国の地位を失うことになるだろう。

人命はカネより軽い

先月の西日本豪雨による被害は、本原稿を書いている7/18時点で、死者・行方不明者229名、負傷者252名、住宅被害34,189棟という未曽有の規模に拡大した。

 

個々の被災者の生活再建や建物・公共インフラなどの復旧・復興までに、いったいどのくらいの期間や費用を要するのかと思うと溜息しか出ない。

 

東日本大震災の折りにも、被災者や被災地への資金支援を後回しにした復興税という負担の強要を強いられ愕然としたが、今回も、カネを惜しんで被災地復興や防災・減災対策を蔑ろにする醜い守銭奴が跋扈しているようだ。

 

『財政が背負う三重苦を乗り切れるか』(7/14 アゴラ 中村仁 元読売新聞記者)

http://agora-web.jp/archives/2033716.html

「西日本の豪雨災害の総被害額は1兆円を上回るそうです。相次ぐ台風・豪雨災害に加え、何年かに一度の周期で震災が発生しています。さらに北朝鮮の非核化費用の分担、米国から要請されている国防予算の増額や非核化費用も待ち構えています。日本の財政はすでに先進国最悪といわれ、そこに新たな負担が覆いかぶさってきます。どうするのでしょうか。(略)

今朝の新聞によると、土木関係の識者が自分たちの出番が巡ってきたとばかり、「国を挙げて治水対策を急げ」(藤井京大教授、読売新聞)と、主張しています。(略)

日本の財政はすでに1000兆円もの国債を発行し、将来世代の負担になります。将来の負担は減らさなければならない時なのに、この論者は逆に「増やせばいい」といいうのです。(略)

かりに首都直下型大震災が起きれば、復興、復旧に必要な財政資金(国債)を調達するために、外債を発行しなければならなくなるかもしれません。今のような限りなくゼロ金利による発行とはいかなくなるでしょう。そういうことを想定して、財政状態を健全にしておき、日本国債を海外で発行しても、海外における市場金利で消化されるようにしておくのが政治の役目です。(略)」

 

国民の生命財産を護るよりも、国庫の収支を優先したがる論者の頭の仲は、いったいどうなっているのだろうか?

 

中村氏みたいな緊縮絶対主義者は別段珍しくないが、彼らがそこまで財政破綻に怯えるのは何ゆえか、筆者はいつも不思議でならない。

 

1995年に当時の武村蔵相が日本政府の財政危機宣言をしてから、もう23年も経つが、10年国債の平均利回りは3.473%→0.056%と、国債の信認は高まる一方だ。

しかも、金融緩和政策により、政府発行国債の日銀保有率は44%近くに達し、その分だけ実質的な債務が消滅するから、政府の財政健全度は近年になく高まっている。

 

緊縮派の論者は、日銀の国債保有を、あたかも禁じ手やインチキであるかのように批判するが、欧米諸国をはじめ先進国ですでに一般化した手法であり、これを問題視する方がどうかしている。

 

実際に、日銀は20年以上前から国債保有してきたが、それで問題があったかと言えば、何もなく、国債金利の安定化と政務債務の実質無効化による財政支出の余地拡大というメリットばかりではないか。

 

財政問題もなく、財政破綻も起き得ない我が国で、たかが1兆円の豪雨被害額を出し渋り、復興や防災対策を後回しにして財政健全化をゴリ押しするのは、灼熱のアフリカ大陸で寒波到来に怯えるようなもので、緊縮バカの倒錯した心理には呆れるよりほかない。

 

中村氏は、これ以上の国債発行は将来世代の負担になると不満顔だが、毎年のように頻発する自然災害は現に多数の人命と多額の財産被害をもたらしており、必要な災害対策に予算付けせず放置することは、現役世代のみならず将来世代に対する甚大な被害のツケ回しにしかならない。

 

彼は何を勘違いしたのか、首都直下型地震による災害復興資金を国内で調達できず、外債発行に頼らねばならなくなると心配しているが、レベルの低すぎる妄想に囚われる前に、国債発行や貨幣発行の仕組みを勉強すべきだ。

 

国債は0.1%にも満たぬ超低金利で腐るほど発行できるのに、わざわざ高い金利を払って外債発行するバカがどこにいるのか、論理的に説明してもらいたい。

 

中村氏は。国家が好きなだけ国債を発行するのが気に喰わぬようだが、国家の基本的かつ最大の構成要因である国民の生命財産を護るために国債や貨幣を発行することの何処に問題があるのか、筆者にはまったく理解できない。

 

カネなんてものは、国民が豊かで安全に社会生活を送るためのツールや方便に過ぎないのだから、必要に応じて柔軟かつ大量に発行すればよいだけの話だろう。

 

「カネを惜しんで、人命財産を惜しまず」という危機感が欠如した緊縮主義者の発想は、まことに忌むべき暴論である。