うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

狂豚に無慈悲な鉄槌を

『<北朝鮮ミサイル>米朝対立、沈静化探る』(8/15 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170815-00000099-mai-int
「激化の一途をたどってきた米朝対立に、沈静化の兆しが見えている。金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は、米国との緊張緩和に言及。(略)
朝鮮中央通信は15日、北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長は14日に朝鮮人民軍戦略軍が発表したグアム包囲射撃作戦案について報告を受け、「(実行するかどうか)米国の行動や態度をしばらく見守る」と表明したと報じた。(略)」

『米長官、対話は金委員長次第=北朝鮮核、外交が解決策』(8/16 時事通信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000010-jij-n_ame
「ティラーソン米国務長官は15日、北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長が米領グアム周辺への弾道ミサイル発射計画の実施を保留したことを受け、記者団に「われわれは対話に至る道を見つけることに関心を持ち続けている」と述べた。(略)
 ティラーソン氏はこれまで、北朝鮮がミサイル発射や核実験を停止すれば、「交渉に応じる用意がある」との立場を示している。(略)」

 今月6日に、石炭や鉄鉱石、海産物等の輸出禁止措置を含む国連の対北朝鮮制裁決議の採択を受けて動揺を隠せないのか、北朝鮮は、中距離弾道ミサイル「火星12」四基を米領グアム付近に発射する準備を今月半ばまでに完了すると発表し、米朝間の緊張が再び高まっていた。

しかし、ASEAN外相会議で北朝鮮 李外相が日本側に対話を申し出たことや、15日に北朝鮮側が態度をやや軟化させたことから、一転して、緊張の糸が解れつつある。
トランプ大統領の本気度に戦慄を覚えたのか、北朝鮮側は、見苦しい負け惜しみを口にして、勝手に始めたチキンレースから一方的に離脱しようとしている。

 今回の騒動の責任も150%北朝鮮サイドにあるのは明白だが、何を血迷ったのか、内外のマスコミは、一連の動きを“米朝間の挑発の応酬が戦争リスクを高める”、“トランプ大統領の過剰な反応が北朝鮮をいたずらに刺激している”と騒ぎ立て、「北鮮の黒電話」こと金某を擁護し、軍事的緊迫の責任が、さも、米国サイドにあるかの如く報じている。

 トランプ憎しのあまり、基本的な事の善悪すら見失い、朝鮮半島に巣食う暴君に肩入れする各国報道機関の白痴ぶりには心底呆れている。

 言うまでもなく、米朝間に挑発の応酬などなく、北東アジアのキチガイ国家から一方的に噛みつかれた米国が、飛んできた火の粉を振り払うために仕方なく相手してやっているだけのことだ。

 ましてや、キチガイ国家に絡まれてミサイルを向けられているのは米国である。
気の毒な被害者たる米国が、北朝鮮を挑発し刺激しているなんて、性質の悪い言い掛かりでしかなく、米国は、頭のおかしい狂豚に纏わりつかれイラつきながらも、かなり冷静に対処してきたというのが事実だろう。

 北朝鮮は、以前からグアムや米国本土にいつでもミサイルを撃ち込めるぞと公言して憚らず、もはや、恫喝というレベルを踏み越えて宣戦布告の域に達している。
 事ここに至っては、米国が敵基地攻撃などの軍事行動を起こしても文句はないが、トランプ大統領は、狂豚からの無慈悲な挑発に直接的な懲罰を与えることなく、警告を発するに止めるなどかなり抑制的に対応してきたと言えよう。

 お盆休みにお国入りし、地元の盆踊り大会で羽を伸ばしていた呑気な安倍首相とは対照的に、トランプ大統領は、KKK教団関連騒動でバカマスコミから足を引っ張られながらも、休暇先からも矢継ぎ早にメッセージを発信し続けるなど精力的に対応している。

 筆者には、両国の緊張がどのような結末を迎えるのか、皆目見当がつかない。
 巷には、9月9日の北朝鮮建国記念日こそXデーだという噂が飛び交っているが、軍事外交話に疎い筆者にはあまりピンとこない。

 まぁ、これまでの経緯からして、建国記念日とやらに向けた国威発揚の手土産として、当日、あるいは、数日前までにグアムやサイパン近海の50~100㎞辺りの範囲にミサイルを撃ち込むくらいはやりかねない。

 だが、冒頭の記事のとおり、残念ながら、両国から“対話や交渉”という言葉が出てきた以上、このまま沈静化してしまう可能性も強い。
 その時には、“我が国の破壊的火力の前に愚かな米帝が屈した”とでも大宣伝し、建国記念日の格好の土産話にするつもりだろう。

 ここ半年ほどの北朝鮮の恫喝外交は、既に挑発や恫喝の範疇を超えて軍事的攻撃の域に足を踏み入れたと判断されかねないが、事なかれ主義の日中韓露は問題外として、銃口を突き付けられた格好の米国が、軍事的行動を伴う報復措置を起こせないとしたら、後に大きな禍根を残すことになろう。

 トランプ大統領が、このまま生ぬるい国際世論に従うつもりなら、北朝鮮の恫喝ごっこに付き合い続けるか、さもなくば、北朝鮮の先制攻撃によりグアムやハワイ、アラスカ、西海岸など米国領に実害が生じてからゆるゆると軍事行動を起こす方が得策かもしれない。
 
だが、そうなると、米国人や旅行客の生命・財産に甚大な被害が生じ、それまでさんざん厭戦ムードを煽ってきたマスコミの連中が急に手のひらを返して、“無辜の米国民の血が流れた責任は決断を躊躇した弱腰大統領にある”と糾弾されかねない。
 
さらに、21世紀版真珠湾攻撃に成功した北朝鮮首脳部は、“米帝に正義の鉄槌を下した”だの、“我が正義の放火は侵略を目論む醜悪な豚を焼き尽くした”だのと大いに喧伝し、その国威をいたずらに発揚させ、その後の戦局をより困難なものにしかねない。

自家の庭先に放火されてなお、頭のおかしい犯人との対話を望むようなら、そんな役立たずを抱えていても無意味ゆえ、いますぐ日本国内の米軍基地をすべて撤収してもらいたい。

 だが、自国の誇りを守護するよりも、面倒事の忌避を優先させ、屈辱的な外交的妥協すら容認する動きが米国でも出始めている。

『北の核、米に容認論も…「抑止力で対応可能」』(8/15 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/20170815-OYT1T50038.html
「(略)「歴史的に見て、我々は北朝鮮核兵器に耐えることができる。冷戦期に数千に及ぶソ連核兵器という、より大きな脅威に耐えたように」
 「核なき世界」を唱えていたオバマ前政権で国家安全保障担当大統領補佐官を務めたスーザン・ライス氏は、ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿でこう訴えた。北朝鮮の核保有はやむを得ないとの立場だ。(略)」

 ライス氏のように、自国民の生命・財産・権益を死守する気概も気迫も無く、厄介な強盗の要求に屈服したがる売国奴には、何度でも反吐を吐き掛けたい。
仮にライス氏の言い分を認めるなら、我が国をはじめ、世界各国が核兵器保有に走っても米国は何も文句を言えぬことにならないか?

 北朝鮮の度を越した挑発行為は、既に国際社会が容認できるレッドラインを大きく踏み越している。

彼らの次の“悪戯”の結果如何を問わず、米国は即座に軍事行動を起こし、平壌ほか政治や軍事拠点を一気に攻撃し、緒戦で相手の機先を大きく削ぐべきだ。
 北朝鮮軍など張子の虎に過ぎないから、序盤で軍事的優位を見せつけ、戦後の開放社会を約束し、兵士たちに首領の首を持参するよう促せば終局も早い。
 軍事パレードや反米集会に駆り出された北朝鮮兵士の生気もやる気もない顔を見れば、彼らの戦意が異様に低いことがすぐに解る。
 
 さて、今回の事態を受け、日本政府は、中四国4県に航空自衛隊の地上配備型迎撃ミサイル「パトリオット」(PAC3)を緊急配備したが、へっぴり腰の地元住民は、「軍事的な挑発に対し、日本が行動を取ることが、北朝鮮に刺激を与え、核戦争へとつながるかもしれない。政府には国民の心配をあおらず、冷静になれと言いたい。話し合いで、北朝鮮に『このような行為はやめろ』と伝えてほしい」(72歳男性)、「通過せずに落ちたらおしまいで怖い。でも、ミサイルを防ぐためと言って戦争になるのはいやだ」(61歳女性)〈いずれも8/12毎日新聞記事より抜粋〉と文句をつけるありさまで、自らの生命や地域の安全を守ろうとする気概も無く、危機意識の欠片も感じられない。。

 我が国には、好き好んで戦争をしたがる者などほとんどおるまいが、好むと好まざるとにかかわらず、理性も対話も常識も通じない“外道国家”の横暴が招く戦渦に巻き込まれてしまう事態は十分に想定し得る。

 今回の事態がそこまで行き着くかどうかは判らない。
だが、「平和だ、対話だ」と祈るだけで、見たくもない現実から目を背けても、現実の方が勝手ににじり忍び寄ってきてはどうしようもない。

 「厄介な現実」の襲来に備え、その被害を最小限に抑えるためにも、軍事行動というオプションを完全否定するなんて以ての外で、それが最大限の防御効果を発揮できるよう、行動を起こすなら1分でも早い方が良い。

 凶器をこちらに向け殺傷をも厭わない相手との対話を望んだり、酒を酌み交わせば何とかなると勘違いするのは、空想好きの幼稚なバカのすることだ。

終身雇用の破壊は、付加価値や生産性を低下させる

『働き方改革、目先の残業対策に走るのは間違いだ~生産性の向上は付加価値の拡大で実現すべき~』(8/1 JBPRESS加谷珪一)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50650
「働き方改革がクローズアップされてきたことから、大企業を中心に長時間残業を抑制する動きが顕著となっている。日本人が働き過ぎであるという問題は以前から指摘されてきたことだが、これまでのところ、目立った成果を上げることはできなかった。その点からすると、今回の残業抑制に対する各社の本気度は高く、これまでにない成果が得られる可能性も出てきたといってよいだろう。
一方で、各社の取り組みの中には、本末転倒なケースも散見される。正式な統計がないのではっきりした事は分からないが、数字上、残業を抑制するため、派遣社員フリーランスに仕事を丸投げするケースが大企業を中心に増えているという。(略)
働き方改革において重要なことは、社会全体の総労働時間を減らすことである。社会全体の労働時間を減らすためには、業務全体のムダを省くことが必須となる。特定の労働者の労働時間を減らしても、他の労働者の時間が増えてしまっては、社会全体での生産性は向上しない。(略)」

上記コラムの“働き方改革において重要なことは社会全体の総労働時間を減らすこと”という加谷氏の指摘には同意する。
氏が例に挙げたように、正社員の残業抑制を取り繕うために派遣社員や外注先へシワ寄せが行くようでは、働き方改革は掛け声倒れに終わってしまう。

また、マクロレベルでの労働時間削減には業務全体のムダを省くことが重要との指摘にも首肯できる。
我が国の労働現場、特に事務系の仕事にはムダな社内調整や決裁手続き、資料作成等が山積しており、各社や各現場でそうしたムダを省き、現場レベルへの決裁権限委譲を進めるだけで、全体の作業量の30%くらいは忽ち効率化できると思う。

と、ここまでの導入部分は良いのだが、このコラム、中盤以降、結論があらぬ方向へ脱線してしまう。

コラム後半から加谷氏の主張を抜き出してみると、次のような塩梅だ。

「(略)実は生産性を決めるパラメーターとしては、労働時間要因よりも付加価値要因の方が圧倒的に寄与度が大きい。生産性を向上させたいのであれば、本来は、時間短縮ではなく付加価値拡大に力を入れる方が合理的なのだ。
 ではなぜ、日本社会はもっとも効果的に生産性を向上できる付加価値要因に目を向けないのだろうか。おそらくその理由は、日本の労働市場が抱えるある課題について、無意識的に議論を避けようとしているからである。その課題とは、終身雇用と長時間残業(および強制的な転勤)との密接な関係性についてである。(略)
日本企業における、滅私奉公的な長時間残業や、個人の生活を無視した強制的な転勤は、すべて終身雇用を維持するための手段として機能していたというのが現実なのである。(略)
生産性を向上させたいのであれば、諸外国のように、付加価値の方を高めるべきだと考えている。付加価値の高いビジネスに取り組めば、必然的に労働時間は短くなり、働き方改革はごく自然に実現できるはずだ。」

加谷氏の主張を要約すると、次のようになろう。
①日本企業が付加価値向上に踏み込もうとしないのは、「終身雇用・長時間残業・転勤辞令」といった課題を是正する気が無いからだ。
②終身雇用を守ろうとする限り、滅私奉公的な長時間残業や、個人の生活を無視した強制的な転勤は避けれない。
③生産性向上には、長時間労働よりも付加価値向上を目指すべき。付加価値向上こそ、労働時間削減に役立つ。

氏は、よほど終身雇用がお気に召さないのか、終身雇用への固執こそが無理な労働体系を生む元凶だと妙に故事付けたがっているが、そんなものは根も葉もない詭弁や妄想の類だ。

彼は、終身雇用と長時間、転勤をトリレンマの関係に置き、長時間残業や転勤を理不尽だと思うなら終身雇用制度に見切りをつけるしかないかのように騙っているが、無論のこと、これら三者間に明確な因果関係などない。

長時間残業が無くならないのは、
団塊周辺世代の引退と、これまでの採用抑制による人口動態的な労働人口不足
長時間労働を当然視し、美徳とする日本人のバカげた労働観
③不況下で業務上の成果を出せぬ穴埋めに長時間労働という対価を支払おうとする労働慣行
などが原因であり、終身雇用制云々はまったく関係ない。

そもそも、この世の中には、終身雇用制を採りながら定時退社や転勤の無い職場なんて掃いて棄てるほどあり、加谷氏の意見は机上で生まれた妄想でしかない。

また、彼は、コラムの中で、
「企業は時代や市場の変化に合わせて古い事業を捨て、新しい事業を開拓していかなければならない。この時、新しい事業を行うたびに新規雇用を増やしていては、企業はたちまち余剰人員を抱えてしまうことになる。(略)人手が足りない時に、安易に人を増やしてしまうと、不景気の時に人件費が経営を圧迫してしまう」
と述べ、終身雇用制の下では柔軟な人員配置ができないから、最小限の人員を維持したうえで社員に無理な働き方を強いるしかない(=終身雇用制を廃し雇用を流動化させろ‼)、と主張している。

だが、こうした意見は、問題の本質を意図的にズラし、単に終身雇用制の破壊を目的とする“低レベルの議論”に過ぎない。

普通に考えれば、企業が余剰人員の敏感にならざるを得ないのは終身雇用制のせいではなく、単に不況の長期化による将来見通しの悪化のせいに他ならない。

加谷氏の終身雇用悪玉論は、将来に亘る不況の固定化や永続化を前提に騙られており、経済のパイが拡大しづらい環境下でのサバイバル策としての雇用流動化(終身雇用制の廃止)を勧めているが、質の悪い詭弁の化けの皮はすぐに剥がれてしまうものだ。

彼は、「生産性を向上させたいのであれば、諸外国のように付加価値を高めるべき」なんて偉そうに語っているが、不況を前提にした議論をしておきながら、付加価値を高めるための原資や源泉をどこから調達するつもりなのか?

彼のような経済素人は、夢を語り気合を入れれば、“付加価値や生産性がポンッと産まれる”と勘違いしているようだが、付加価値も、生産性も、供給に対する実需の量的&質的拡大無くしてこの世に産み出されることはない。

そして、その実需の源泉になるのは、人々の所得に他ならない。

終身雇用制を足蹴にし、雇用や所得を不安定化させておきながら、実需が増えるはずがないし、付加価値や生産性が高まるはずもない。

加谷氏のような観念論者は、世の中の仕組みをもっと勉強すべきだろう。

蒙昧な大衆見透かす緊縮亡者

7月18日に行われた経済財政諮問会議(第12 回会議)では、
(1)中長期の経済財政に関する試算について
(2)平成 30 年度予算の全体像及び平成 30 年度予算の概算要求基準について
といった二点の議事が行われ、
相変わらず、
“2020年度の基礎的財政収支黒字化を堅持しろ”
“人材投資や働き方改革、企業の新陳代謝促進等を通じて潜在成長率を引き上げろ”
外国人労働者受入を真剣に議論しろ”
社会保障費をカットしろ”
だのと、失策必至の逆噴射政策ばかりが論じられている。

一方、マスコミの連中は、加計・森友問題で支持率低下に見舞われた安倍政権が、失地回復を狙って財政出動に舵を切るのではと警戒しているが、いったい何処を見ているのかと呆れるよりほかない。

バカマスコミの懸念は、まさに杞憂そのものだ。
安倍政権や与党は、「緊縮・改革・規制緩和」の三点セットこそ国民のニーズを擽り、支持率回復の特効薬になることを熟知しており、財政出動どころか、ますます支出の蛇口を閉めに掛かり、愚かな国民の歓心を買おうとしている。

現に、経済財政諮問会議で安倍首相は、次のように議事を締め括っている。
「財政健全化のためには、歳出改革の着実な推進とともに、持続的な経済成長が不可欠であることが確認された。
また、経済成長を持続するためには、潜在成長力の引上げが課題であり、働き方改革や人材投資・生産性向上を通じたサプライサイドの改革が最重要課題である。
平成30年度予算編成においては、本日取りまとめていただいた「平成30年度予算の全体像」を踏まえ、無駄な予算を排除するとともに、人材投資や生産性向上など真に必要な施策に予算が重点配分されるよう、メリハリのついた予算編成を進めていきたい。」

安倍首相の発言を素直に読み解けば、最終・最大の目的は「財政健全化(財政再建)」であり、「歳出改革(=聖域なき歳出削減)」を財政健全化の切り札として明確に位置づけている。

後段の「持続的な経済成長」という語句は、経済成長への取り組みを放棄はしないという姿勢をアピールするための“アリバイ”に過ぎず、しかも、経済成長実現のためというよりも、「サプライサイド改革断行の導火線」として悪用するつもりだ。

彼は、平成30年度予算編成を語るに当たり“無駄な予算の排除”と、改革臭の強い“人材投資・生産性向上”といった施策への予算重点配分を重視する意志を明らかにしており、実体経済成長へ現ナマを投じる気はサラサラないようだ。

なにせ、“人材投資”とは、お得意の「リカレント教育(生涯に亘り教育と就労を交互に行うことを勧める教育システム)」を指し、お友達のパソナや加計学園周辺への利益誘導策に過ぎない。
また、“生産性向上”とは、ICTやAI促進を通じた省力化や、雇用流動化による雇用や賃金の不安定化と抑制でしかない。

こんなもので持続的な経済成長が叶うなら、とっくの昔に我が国はデフレ不況を脱しているはずだが、現実は見てのとおりだ。

経済財政諮問会議で周回遅れのバカ論議に興じている連中は、「リカレント教育、オープンイノベーション社会保障費削減、生産性向上」といった言葉を口清く使いたがるが、それらは何れも国民に更なる負担と努力を強いるものばかりだ。

特に、人材投資の名を借りたリカレント教育なんて、残業後のプライベートタイムや休日返上での自己研鑽を強いる(&学費も自腹必至)ものになりかねず、働き方改革などどこ吹く風かといった不遜な態度が覗える。

しかも、リカレント教育の受入業務や教育プログラム作成業務を、国際医療福祉大や吉備国際大やパソナ云々といった安倍ちゃんのお友達がビジネス化する、という構図が透けて見える。

巷には、安倍政権や与党の連中が財政出動へ経済政策の舵を切ったなどと歓喜する、あるいは、懸念するおめでたい者もいるが、彼らの方針は、「緊縮政策を柱とする改革・規制緩和の更なる促進」という軸から一mmたりともブレていない。

しかも、彼らは、稲田氏の失態や所属議員の不祥事続出により支持率低下が常態化しつつある現状を挽回しようと、緊縮と改革好きの国民に擦り寄り、財政出動をエサに票集めをするどころか、逆に、財出に大ナタを振るって改革の成果とやらをアピールするだろう。

橋本行革や小泉バカ政権以降の政権担当者は、経済政策実行能力はゼロかマイナスでしかないくせに、国民の“経済無知”や“不況下の緊縮・改革好み”という倒錯した性癖を巧みに嗅ぎ取り、見透かす能力だけは長けているから手に負えない。

マスコミの煽りに乗せられ、国民が安倍批判をするのは一向に構わないが、批判の的や理由を勘違いしたままでは、次の政権を担う為政者に誤ったメッセージを送ることになりかねない。

「お友達への依怙贔屓」だけではく、不況や所得低迷を放置して緊縮ゴッコや改革ゴッコに興じてきた安倍政権や与党の経済無策や経済失政に対して、もっと激烈な批判を浴びせるべきだ。
間違っても、「安倍ちゃんには、改革が足りない」なんて叫んではならない。

緊縮政策という打ち出の小槌を振っても、毒しか出ない

財政再建/成長頼み行き詰まり明らか』(7/21 河北新報社説)
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20170721_01.html
「国と地方の基礎的財政収支を2020年度に黒字にする政府の財政健全化目標の達成は、極めて難しい。そのことが、内閣府が18日に公表した中長期の経済財政試算で改めて鮮明となった。
 収支は、政策経費が借金に頼らず主に税金でどの程度賄えているかを示す。名目で3%以上の、近年にない高成長が続く前提でも20年度の収支は8.2兆円もの赤字だ。
 安倍政権が掲げる経済財政運営の看板は「経済再生なくして財政健全化なし」。経済成長に伴う税収増を頼みとした財政再建路線である。
 だが、この試算が物語るのは、その路線が十分な効果を上げておらず、看板倒れとなる現実だ。成長頼みの行き詰まりを政権は直視したい。
 収支の改善には歳出を抑えるか、増税を軸に歳入を増やすしかない。歳出と歳入の不断の改革だ。財政を立て直すのに「打ち出の小づち」はないことを肝に銘ずるべきだ。(略)
成長頼みの財政再建路線からの転換を図り、借金依存にもメスを入れ財政規律を厳格化する。新たな目標とその道筋・手だてを巡る、そうした議論が深まることを望む。
 もう、これ以上、将来世代にツケを回してはならない。」

新聞各社は、どこの社説を覗いても、緊縮政策による財政再建路線一本槍で、まったく代り映えしない。
まるで、マスコミ全社が「緊縮政策カルテル」でも結んでいるかの如く横並びの論調で飽き飽きする。

上記の河北新報の社説も、「歳出抑制」、「増税を軸とした歳入増」、「財政規律厳格化」といった厳しい語句を並べ立て、国債増発が“将来世代へのツケ回し”に直結するかのような悪質な法螺話を吹聴している。

彼らは、“財政を立て直すのに「打ち出の小づち」はないことを肝に銘ずるべきだ”などと偉そうに宣うが、いつものことながら、新聞社説とやらは呆れるほど程度が低い。

新聞各社の社説は、バブル崩壊以降のデフレ不況期に、一貫して“歳出抑制&増税こそが財政再建の王道だ”との主張を繰り返してきたが、その間になされた歳出削減や消費増税は、消費に冷や水を浴びせて経済成長の重い足枷となり、財政再建どころか悉くそれを妨害してきたではないか。

緊縮脳のバカ者が、「緊縮政策・社会保障削減・増税」を財政再建の打ち出の小づちだと勘違いしてむやみに降り続けた結果、日本経済は成長の起爆剤を失い、企業も家計もカネの使い方すら忘れかけている。

最近も、来年度の各省庁の概算要求額が4年連続で100兆円超えになったことを受けて、「バラマキを許すな」、「財政再建はどうした」、「財源は何処にあるのか」、「公務員と政治家の給料を減らせ」と厳しい批判の大合唱が起きているが、少なくとも当初予算ベースでは、1997年以降極めて抑制的な財政運営が続いている。

国債費を除く政策経費ベースではほとんど増えておらず、2015年度予算(当初ベース)の政策経費なんて、ピーク時の2011年以降右肩下がりで減っており、17年も前の1998年と同程度でしかない。
【参照先】http://www.nikkei.com/edit/interactive/budget2015/#!/mode=spending

国家予算というものは右肩上がりで増え続けるのが当たり前で、日本みたいに緊縮ごっこが大好きな頭のおかしい国を除けば、世界中の国々が歳出を増やし続けている。

残念ながら我が国には、緊縮政策こそ財政再建の切り札であり、打ち出の小づちだ、と妄信する狂信者が政官報財のみならず、市井の至る所にウヨウヨ棲息している。
そのせいで、歳出は増え続けるものだという“グローバルスタンダード”を踏み外し、歳出を起点とする民需隆盛により経済成長を続ける“世界の潮流”から完全に取り残され、惨めな“世界の孤児”になり果ててしまった。

緊縮バカを代表するマスコミの連中には、「緊縮政策は財政再建の打ち出の小づちではないことを肝に命じろ‼」と強く言っておく。

そもそも、筆者は、財政再建なんてまったく興味がないし、必要性も感じていない。
経済成長と適切な富の配分がなされ、国内の需要力と供給力が高次元でバランスしさえすれば、国家財政(政府のB/S)の良し悪しなど取るに足らぬ些事に過ぎない。

財政再建を焦るあまり、民間経済主体(企業や家計)から過度に税を徴収し、歳出抑制により実体経済への資金注入を怠れば、民間経済主体の投資・消費意欲はネガティブにしかならず、国内投資が敬遠され海外への富の流出を招くだけだ。
その結果、経済活動は停滞し、財政再建は年々遠のくばかりとなろう。

財政再建は経済成長の実現が絶対不可欠の条件であること、経済成長とは、消費と投資、つまりカネを使うという行為の間断なき拡大抜きには成し得ないことを、緊縮バカどもは肝に銘じるべきだろう。

GoogleやAppleを凌ぐ公務員人気

『大学1~2年生が働きたい企業ランキングがカオス 上位は公務員が占める、理由は「カッコイイから」』(7/26 キャリコネ
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170726/Careerconnection_6770.html
「リスクモンスターは7月26日、「大学1、2年生が就職したいと思う企業・業種ランキング」を発表した。企業ランキングと言いつつも、地方公務員と国家公務員が上位を独占した。(略)
1位は地方公務員(8.8%)だった。自由回答で理由を尋ねたところ、「収入が安定していて、休みも取れる」(1年、文系、女性)、「地方の地域活性化に貢献したい」(1年、男性、文系)といった回答が多かった。
2位は国家公務員(7.2%)で、「安定している」(2年、女性、文系)「日本のために貢献したい」(1年、男性、理系)といった理由が挙げられた。学年別に集計しても、男女別に集計しても、いずれも地方公務員が1位、国家公務員が2位となっており、学生の安定志向が伺える結果となった。(略)
就職したくない業種の1位は小売・外食(13.4%)で、自動車・重機械(8.8%)、運輸・物流(7.6%)も不人気だった。
最低限実現したい生涯最高年収は、500~600万円が18.2%と最も多く、次いで400~500万円が14.2%だった。(略)」

公務員人気は衰えを知らない。
何かと世間様から嫉みの標的にされがちな“公務員”だが、学生にとっては、相変わらず、憧れの就職先として高い人気を誇っている。
しかも、任天堂JALANAソニー日本郵便タカラトミー、サンリオなど国内の人気企業はおろか、GoogleAppleなど世界に名だたるグローバル企業を抑えてのトップ独占という偉業には脱帽するほかない。

リスクモンスター社による同調査では、地方公務員と国家公務員が、ずっと不動のワン・ツー・フィニッシュを決め続けているし、ソニー生命クラレによる「親が子どもに就いてほしい職業ランキング」でも、医者や薬剤師などを抑えて、公務員は不動の1位の座を守り続けている。

つまり、公務員という職業は日本人にとって垂涎の的であり、口先では公務員を蔑み、嫉みつつも、親子揃って公務員に憧れるという有り様だ。

それほど憧れるなら、国民は、自分や自分の子が公務員の職に就きやすくなるよう定員を増やし、門戸を拡げろ、と国に強く求めればよいものを、何を遠慮しているのか、口を開けば「公務員は無駄飯喰らい」、「公務員を減らせ、給料を減らせ」とケチをつけ、逆に公務員を狭き門にしようとする愚者の狭量さには呆れるよりほかない。

さて、ご紹介した記事では、相変わらず「公務員=安定・気楽」というイメージの回答が多かったようだが、地方や国家の区別なく、「公務員」という職場は、部署や上司により、小売・外食以上のブラック職場と化すケースも散見されるから、よくよく気を付けた方がよい。

人事院が公表した国家公務員の勤務環境に関する資料を見ると、「近年、心の健康の問題による長期病休者の数が長期病休者全体の数の6割を超える状況が続いている」、「平成25年度における精神及び行動の障害による長期病休者は3,450人(全職員の1.26%)であり、平成24年度調査に比べ74人増加」といった記述がある。

この長期病休者の休職率1.26%という水準は、民間の大企業並みとも、2~3倍にもなるとも言われており、昭和50~60年代の0.16%や平成3年頃の0.18%といった水準に比べて、7~8倍にも膨張するなど事態は深刻化している。

筆者も業務上でやり取りしていた県職員が、鬱病を発し、期中で交替した例を何度か経験しているし、彼らから送られるメールの発信日や時刻が土日の深夜や早朝であることも珍しくはない。

“公務員はメンタルヘルス対策が充実し過ぎているから、気軽にズル休みするのではないか?”といった下衆なやっかみも聞くが、単に民間企業のメンタルヘルス制度がいい加減すぎるだけのことではないか。

公務員のメンタルヘルス制度は、確かに機能しているように見えるが、制度が充実しているのを良いことに、鬱病を発症するギリギリまで部下を追い詰め、いざとなったら休職させ、別の者に挿げ替えればよいという甘えた発想のパワハラ馬鹿上司が多いのが実状だ。

この手の調査で公務員に人気が集中するのは珍しくないが、筆者が意外だったのは、「地方公務員」が「国家公務員」を抑えて1位に輝いたことと、不人気業種の常連である「小売・外食」に並び「自動車・重機械」が「就職したくない業種」の2位にランクインしたことだ。

トヨタやホンダといった日本が誇るグローバル企業を擁する自動車産業が、ブラック企業が乱立する小売・外食同様に不人気だったのは、昔みたいに消費財としての自動車に対する憧憬感が低下したのと、QC活動や英語の公用化といった意識高過ぎな就業環境が敬遠されたのか?

また、巷では、今の若者は都会志向が強く田舎に行きたがらないと決めつけられているが、そんな思い込みは単なる妄想であることがよく判る。

国家公務員とて省庁や担当部署によりド田舎での勤務を拝命することはあるが、政令市未満の地方都市や田舎で働かざるを得ない確率は、地方公務員の方が圧倒的に高い。
そんな地方で働くリスクを厭わないどころか、それを進んで希望する若者が思いのほか多くいることに、もっと着目すべきだろう。

いまや、ちょっとした田舎なら、少し車を飛ばせば買い物に困らぬだけの商業施設が幾らでもあり、安定した雇用と収入さえあれば、地方で堅実に働きたいというニーズは底堅く、都心部への一極集中是正に向けた大きなヒントになる。

それにしても、若者が希望する“最低限実現したい生涯最高年収”は「500~600万円」との回答が最も多かったらしいが、あまりの慎ましさに嘆息を禁じ得ない。
年収で500~600万円なら、手取りで400~500万円にしかならず、地方で暮らしたとしても、妻子を抱えると、ろくに旅行もできない汲々とした生活を余儀なくされる。

筆者は、国民が親子揃って憧れる“公務員”という人気職業の門戸をもっと拡げ、地方定住者の増加や地域活性化の一翼を担わせればよいと考えるが、公務員に憧れながらそれを嫉むことしか知らぬ下賤な連中が圧倒的多数を占める以上、実現可能性はゼロに近いだろう。

シロウト社説の戯言

『物価2%目標、好循環伴う実現目指せ』(7/21 日経社説)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO19079590Q7A720C1EA1000/
「日銀が、消費者物価の上昇率が安定的に2%に達する時期を、従来の予想から1年先送りして「2019年度ごろ」とすることを決めた。収益が好調な企業が賃金を引き上げ、それが個人消費の拡大につながり、物価も上がるという好循環の実現に政府・日銀は粘り強く取り組む必要がある。
 黒田東彦日銀総裁が2013年4月にいわゆる異次元緩和を始めてから物価安定目標の達成時期を先送りするのはこれで6回目になる。(略)」

日銀首脳部やリフレ派の“物価目標やるやる詐欺”も6回目ともなると、もはや、失笑や侮蔑を通り越して同情を禁じ得ない。
経済成長や分配に興味のない安倍首相の威光に縋り、金融緩和政策やマイナス金利という片肺飛行に固執して「物価目標」という蜃気楼を追い続ける彼らの姿には憐憫の情さえ湧いてくる。

一方で、日銀のノルマ未達に業を煮やした論者やマスコミから、金融緩和政策の出口戦略を求める声が日に日に高まっている。
米連邦準備理事会に続き欧州中央銀行量的緩和策の出口を探り始めたとの観測が強まるにつけ、財政政策はおろか金融緩和政策すら「経済構造の贅肉」呼ばわりしたがる緊縮脳な連中は、ここぞとばかりに金融政策の失敗を攻撃し、早期の出口戦略着手を求め始めた。

金融緩和政策の是非に関しては、過去のエントリーでも散々指摘してきたが、
・金融緩和政策は経済成長のサポート役として欠かせない
・意味不明だった日銀券ルールを破棄し、日銀が大量の国債保有を通じて政府債務を実質無効化した功績は大きい
・市場金利の低位安定化に一定の効果は認められる
・ただし、財政政策の本格的な実施がなされぬ限り、金融政策がその真価を発揮することはできない
というのが筆者の意見だ。

特に、経済停滞が長引き、アベノミクスとやらの果実を受け取れるものがほんの僅かしかいない状態で、景気回復へのサポート役を務める金融緩和政策をベンチに引っ込めるなんて、意図的な敗戦を目論む敗退行為としか言えない。

現時点での性急な出口戦略の方針転換は、予期せぬ為替や金利の変動を招くだけでなく、歳出改革の旗印を掲げて緊縮政策に前のめりになっている政府や財務省に、さらなる政策経費縮減の口実を与えかねない。

上記の日経社説では、“経済が成長し人手不足にもかかわらず、賃金・物価がなかなか上がらない”という事実を認めながらも、その要因を規制改革や労働市場改革を含めた構造改革不足のせいだと捏造した挙句、
・賃上げ原資の捻出には企業の生産性向上が不可欠
・生産性向上には既得権益者の抵抗を排する雇用市場改革が必要
といった具合に安っぽい詭弁を弄している

だが、日経流の“雇用改革→生産性向上→賃上げ”ルートは緒戦から敗色濃厚だ。
なにせ、雇用改革とは“雇用の不安定化と雇用報酬の低下”と同義語だから、こんなものが生産性向上につながるはずがないし、賃上げどころか賃下げにしかなるまい。

そもそも、雇用改革が進まないことを生産性低下の言い訳にすること自体がおかしい。

財務省の法人企業統計のデータを見ると、平成29年1-3月期の売上高(金融・保険業を除く)は350兆6,366億円と前年同期(332兆874億円)を18兆5,492億円も上回り、対前年同期比で+5.6%、また、経常利益も20兆1,314億円と前年同期(15兆8,997億円)を4兆2,317億円上回り、対年々同期比で+26.6%と大幅な増収増益を記録している。

しかも、この傾向はこの期に限ったものではなく、特に「経常利益」は平成20年辺りの5兆円程度をボトムに、それ以降一貫して増加しており、日経が固執する生産性とやらは十分に上がっており、賃上げや下請けへの利益還元に廻せる原資は腐るほどある。

これ以上企業サイドを甘やかして、雇用改革だの生産性だのと言いたいことを言わせておけば、賃上げなんて永遠に不可能だろう。

政府が積極的な財政金融政策を通じてマクロ経済へ資金と潤沢に投じるから、企業サイドは黙ってそれに従い、きちんと賃上げし、下請け業者への利益配分も忘れるな、と叱りつけておけばよい。

また、日経社説では、物価が上がらないことを前提にした家計や企業の購買行動が物価目標未達の要因だという趣旨の記述があるが、これも経済シロウトの勘違いだろう。

日銀の「生活意識に関するアンケート調査」(第70回)によると、1年後の物価見通しについて、「かなり上がる」7.7%、「少し上がる」67.7%(合計75.4%)と、物価が下がるどころか上がるとの見方が大半を占めている。
しかも、物価上昇を予想する回答割合は、同調査の昨年12月実績値(64.7%)と比べても大幅に増加しており、体感レベルの物価上昇率も、1年前に比べた現在の上昇率は4.3%、1年後のそれは3.9%と、家計の肌感覚では、政府公表値以上の物価高騰に怯えている。

いつまで経っても消費や投資が低迷し、物価目標未達がマンネリ化するのは、家計や企業の物価見通しがネガティブなせいではない。
事実は、まったくその逆で、所得や売上増加が見通せぬ厳しい状況下で、食料品や原材料の高騰に耐えかねた家計や企業が消費や投資を抑えざるを得ないためなのだ。

日経レベルのシロウト新聞みたいに、○○改革ありきで経済を語っても、何も解決できないどころか、現状をさらに悪化させるだけだ。

改革で飯が食えるほど現実は甘くない。

開業率の高さが生産性を高めるという妄想

経済に関するデマ話や性質の悪い思い込みは多々あるが、「起業家主導の経済活性化論」も、その一つだろう。

『高齢化で起業家が減る日本の深刻な「悪循環」~成長が見込める企業が生まれない国の顛末~』(7/16 東洋経済ONLINE リチャード・カッツ/特約記者)
http://toyokeizai.net/articles/-/179774?
「経済成長を刺激する革新的企業が大量に生まれなければ、日本は増え続ける高齢者を養っていけない。だが、まさに少子高齢化が、起業の障害になっている。具体的には、係長や課長といった管理職を経験したことのある28〜43歳の若者が減っているのである。低成長のせいで企業も管理職となるチャンスを若者に十分提供できておらず、起業家予備軍が減少してきている。(略)
どの先進国にも当てはまることだが、生産性を伸ばすカギは、生産性の高い新事業を育むことだ。
米国では、過去20年間で35万社を超す会社が新たに生まれ、設立当初は10人程度だったとみられる平均従業員数は70人に増加した。2000万人の雇用を創り出した計算だ。日本ではすさまじく大量の中小企業が生まれているが、そのほとんどが成長することなく中小企業にとどまっている。(略)」

カッツ氏のコラム内容は起業家の役割を過大評価した“妄想”の類と言えるが、特に、「生産性を伸ばすカギは、生産性の高い新事業を育むことだ」の記述部分は、まったく答えになっていない。
「革新的かつ魅力的なモノやサービスさえ創れば、必ず買い手がつくはず」という初歩的な思い込みは、経済論を語るうえで厄介な障害になる。

これでは、「売上や収益伸長のカギは、利益率の高い商品を育てることだ」という精神論の域を出ず、“自社に高い利益率をもたらす顧客が、いったい、何処にいるのか”さっぱり分からない。

「生産性の高い新事業」という言葉には、“高い利益率を誇る新事業”という結論だけがビルドインされているが、そもそも、デフレ不況下の競合激化で需要不足に悩む状況で、高い利益率を獲得できる事業なんて、そう簡単に創造できるものではない。

「高得点を採るには、高得点を採れる勉強をすべきだ」なんてドヤ顔で説教されても、「だから、その高得点を採る勉強法を具体的に教えろよ‼(# ゚Д゚)」と反発を喰らうだけだ。

また、カッツ氏は、日本は欧米諸国と比較して開業率が低すぎるから、何時まで経っても経済成長できないんだと言う文脈で偉そうに語っているが、開業率の高さは高度経済成長をもたらす起爆剤にはなり得るわけじゃない。

日本の開業率(企業単位)は2012~2014年で4.6%と、欧米の水準(8~15%程度)と比べて著しく低く、こうした「アニマルスピリッツの不足」こそが経済停滞の原因だと指摘する識者が多く、おまけに、偉そうに御高説を垂れる本人は、たいがい、官僚や学者、大手企業役員、エコノミスト等という安定した地位に胡坐をかいたまま、というケースが散見される。

しかし、我が国の開業率は高度成長期でさえ5.9%ほどに甘んじており、バブル期でも3.5%と、今より低かったくらいだ。
また、起業のロールモデルとも言えるアメリカの開業率は、1980年代以降、12~15%のレンジ内でほぼ横ばいに推移してきたが、その間の名目GDPは6.7倍にも拡大しており、開業率の水準がGDPを先導するかのような言説には、何の根拠もないことがよく判る。

開業→廃業という新陳代謝の中で、革新的な技術やサービスが想像されるという意見を頭ごなしに否定するつもりはないが、開業率の高さが生産性の高さを決めるかのような“サプライサイド神格化論”は、単なる妄想や幻想に過ぎず意味がない。

また、カッツ氏は、アメリカの例(起業時の従業員数10名→70名規模に拡大)を引き合いに出して、起業後の成長加速が順調だと主張するが、アメリカの場合、グーグルやアップルみたいな一部のお化け企業が平均値を嵩上げしていることを考慮すれば、大半が中小企業のまま一生を終えると言っても過言ではない。
また、廃業率の方も常に10%前後をキープしており、健康状態に喩えれば“入退院を繰り返している状態”と言えるのではないか。

最後に、カッツ氏は、高齢化に伴う歪な労働人口構成のせいで、日本の若者は若くして管理職に就き企業運営スキルを磨く機会に恵まれず、それが起業予備軍たる人材を減らし、せっかく起業してもほとんどが成長できず中小企業のままだと指摘している。

この点について、前半部分は筆者もおおむね同意できるが、起業後の中小零細企業が成長できぬ要因を起業家の経営スキルや人脈不足のせいにして片付けるのではなく、マクロ経済環境が過酷すぎることにもっと留意すべきだろう。

日本の全産業ベースの付加価値額に占める中小企業の割合は50%程度とされるが、経済成長率の高かった1975~1985年代の58~59%という水準と比べると、ジリジリ縮小している感を否めない。
しかも、企業の研究開発費投資額は、2008年時点で大企業の15兆円に対して、企業数の99.7%を占める中小企業全体でも1兆円にすら届かないといったありさまでは、付加価値を高めようがない。

我が国でグーグルやアップル、アマゾンのような夢の起業を当て込み、愚痴をこぼしても何も始まらない。
開業率だけを捉えて一喜一憂するのではなく、マクロ経済全体を成長軌道に乗せて実体経済を活性化させ、既存企業と起業家がWin-Winの関係の下で互いに成長できるような環境を創造することこそが重要なのだ。