うずらのブログ

積極的な財政金融政策による豊かで成長力に満ちた社会を目指します

実弾は100回の雨乞いに勝る

『好景気でも鈍い物価、日銀内で省力化対応など背景との見方』(6/21 ロイター発World&Business)
http://diamond.jp/articles/-/132871?page=2
「景気が好調にもかかわらず、物価の足取りが鈍い理由として、賃金上昇圧力が価格上乗せへと波及するルートが細くなっているとの見方が日銀内で浮上している。深刻な人手不足に対応した企業の営業時間やサービスのカット、省力化投資の推進などが背景にあるとみられる。 
日銀が21日公表した4月26・27日の金融政策決定会合の議事要旨によると、労働需給の引き締まりに比べて物価が緩慢な理由について、企業が労働力確保のために賃上げを行う一方、「コストの増加を価格に転嫁するのではなく、営業時間の短縮や提供するサービスの見直しなどによって対応する動きがみられる」との見解を何人かの政策委員が示した。
 深刻な人手不足を背景に、外食や小売業を中心に営業時間を短縮する動きが出ているほか、宅配便の配送時間の見直しなど対応策を講じる企業が相次いでいる。(略)
マクロ的には、需給ギャップのプラス転換が実現し、プラス幅もさらに拡大傾向を示している。そこに人手不足による賃金上昇圧力が継続すれば、いずれ物価上昇圧力が高まる──というのが、日銀内の多数意見と言える。
 黒田東彦総裁は16日の会見で、足元の物価の弱さを認めながらも、さらなる需給ギャップの改善が「賃金・物価の押上げ圧力になっていくことは間違いない」とし、「賃金の上昇は、次第に販売価格やサービス価格の上昇につながっていく」と価格転嫁の実現に期待感をにじませた。(略)」

日経をはじめとする新聞各社や経済誌を読むと、現状認識の第一ボタンを掛け違えている記事やコラムをよく見かけるが、上記の記事は、その典型と言える。

当該記事では、大きなボタンを掛け違えが二つある。

一つ目は、現状の景気判断を勝手に「好調」だと言い切り、それを前提に物価云々を語っている点だ。
二つ目は、このまま黙って待っておれば需給ギャップが拡大し、賃上げ→物価上昇にまで波及するはずだと妄想している点だろう。

先ず、これほど経済指標のパフォーマンスがだらしないのに、「好景気」とか「好況」なる言葉を使うこと自体の神経を疑う。

あたかも、打率200、打点35点、本塁打6本くらいのヘッポコバッターをつかまえて「不動の四番」とか「チームの柱」と持ち上げるようなものだ。

日銀の生活意識アンケートでも、ここ1年以上、景気が良くなったとの回答は常に1割未満(直近で6.9%)でしかなかったし、景況感DIに至っては、「1年後の景気は良くなる」とのDI値がプラス化(とは言っても0~1程度だったが…)したのは、ここ20年で8回あったが、蓋を開けてみると、実際にプラス化したのは、たったの1回だけという有り様で、人々の期待は裏切られ続けてきた。

また、家計消費支出も、1年7カ月以上も対前年マイナス続き(うるう年効果除く)という体たらくで、サラリーマンの平均年収も20年前より50万円以上も低いままという惨状だ。

この期に及んで、「アベノミクスのおかげで空前の好景気が到来したが、なぜか物価が上がらない」と嘆く輩は、単なるバカ者か、不況や現実を認めたくないだけの詭弁師でしかない。

民主党政権時よりマシ”、“リーマンショックの頃よりマシ”、“石破を総理にするよりはマシ”等々、最低・最悪との比較には、まったく意味がない。
思い出したくもない過去と比べたところで、目の前にある飢餓感が癒される訳ではないからだ。

次に、“もうしばらく辛抱すれば、需給ギャップの拡大が賃上げを後押しして物価も上がるはず”という日銀の見方は、根拠ゼロの雨乞いか祈祷の類としか思えない。

当該コラムによると、日銀金融政策決定会合の議事要旨では、『企業が人件費上昇を価格に転嫁できない理由として「人々のデフレマインドが根強く残っており、企業が価格引き上げに動きにくい状況にある」との意見が示された』そうだが、そこまで解っていて、需給ギャップ拡大が賃金UPにつながると期待する方がどうかしている。

残念ながら、多くの企業が直面している課題は、ディマンドプル型の需要拡大による供給力不足(人手不足)ではなく、原材料高による仕入コストUPや、人口動態要因による大量の定年退職者と絶対数の少ない新卒求職者とのアンバランスがもたらす高度スキル人材不足なのだ。

これを補うのに、IT化や省力化、自動化に取り組む企業も多いが、日銀首脳部が指摘しているとおり、国民のデフレマインドはかなり重症で、それらに掛かる投資コストを回収できるだけの収益を上げるのはほとんど不可能に近い。

市場占有力の強いナショナルブランドを中心に、末端価格引き上げや内容量減による実質値上げを強行する例も相次いでいるが、価格変動に敏感な消費者から強烈な反発を喰らい、返り討ちに遭っている。
ユニクロ日清食品マクドナルド、ロイヤルホストワタミなどが良い事例だ。

需給ギャップ拡大が賃上げの導火線となるのを期待しても無駄なことで、緊縮&金融政策頼みの経済政策下では、「需要>供給」状態になるきっかけすら見えないし、需要を先行させるなんて絶対に不可能だろう。

そもそも需給ギャップ拡大→賃金UP→物価上昇というシナリオの、第一幕が始まらないのだから、以降のシナリオが演じられるはずもない。

加えて、賃金上昇とは言っても、今年の春闘のベアやボーナス要求・回答水準は昨年度を下回る惨状であり、また、パートやバイト人材についても、人手不足による若干の時給UPは認められるが、それとて、せいぜい数十円単位と所得上昇効果を期待できるほどの物量にはなり得ず、奥様方のヘソクリを増やすだけに終わるだろう。

金融政策決定会合における日銀首脳部の「人々のデフレマインドが根強く残っており、企業が価格引き上げに動きにくい状況にある」という認識自体は正しいのだから、それを解決し、根治するためには、家計のデフレマインドを払拭する、つまり、需要サイドに内在する問題を真っ先に解決する必要がある。

家計の消費心理を委縮させ、需要サイドの体温を低下させている原因は何かと言えば、これまでの収入(財布の中身)や雇用に対する不満と不安であろう。

雨乞いや祈祷で不満や不安を払拭するできるわけがないから、採るべき政策は、不満を霧散させるだけの実弾(収入)を家計の懐にねじ込んでやることだ。

端的に言うと、
①家計の給与明細の総支給額を増やすこと(積極財金政策による企業経済活動の刺激)
②給与明細の控除額を減らすこと(税や社保負担の減額)
③預金口座に入金された給料を使う際の実質額を増やすこと(消費税の廃止等)
の三点に尽きる。

緊縮派や構造改革派による、くだらぬ御託や観念論、供給制約論、財政制約論は、もう聞き飽きた。
文句があるなら、人々の成長マインドを可及的速やかに刺激できる政策を持ってこいと言っておく。

消え失せろ 日本のマクロン

『出でよ日本のマクロン』(6/20 日経新聞 大機小機 執筆者:仙境)
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO17857070Z10C17A6EN2000/
「大統領選挙の第3ラウンドといわれるフランス国民議会(下院)選挙で、マクロン大統領の新党「共和国前進」の勢力単独過半数を握った。(略)
第5共和制で最低の投票率も大統領の厳しい前途を予感させる。だが、欧州連合(EU)の基軸国が「まっとうな改革」への一歩を進める意味は大きい。(略)
マクロン氏が支持を得た最大の理由は、経済再生への一貫した熱意だろう。
2014年に経済産業デジタル相に就くと「フランスは病気だ」と言い放ち、店の日曜営業拡大などの規制緩和に動いた。(略)
労働者の権利が強すぎて企業が人を雇うのをためらう。仏経済の泣きどころである高失業率はこの悪循環からくる。
マクロン政権は柔軟性を高めるための労働法の改正案を今夏に成立させる方針を明言する。社会保障改革や法人税率の引き下げも公約した。(略)
そんなマクロン氏のような人物を最も必要としているのは、わが日本ではないか。
アベノミクスの4年間で人々のデフレ心理はある程度は克服され、ほどほどの成長に戻った。一方、短期で痛みを伴うが、中長期で財政や社会保障を安定させる構造改革には光が当たらない。(略)
ゲームチェンジャー(流れを変える者)が待たれる。(略)出(い)でよ、日本のマクロン。」

我が国の新自由主義の総本山たる日経が、同族のマクロンを手放しで褒めたがるのはよく解る。

確かに、仏国政選挙におけるマクロン派の勝利は予想以上だったが、42%という史上最低の投票率マクロン新党は社会党共和党からの脱出組とポッと出の新人との寄せ集め集団という情勢を冷静に判断すると、その行く末は非常に心許ない。

恐らく、マクロンは、国政選大勝利の余勢を駆って強権発動し、「移民融和・規制緩和・労働改革・社会保障改革」的な政策をゴリ押しするだろう。
そうした愚策は、雇用の流動化や質の悪化、先進技術や高度人材の海外流出、不良移民増加によるテロや犯罪の頻発、社会保障コストの高騰、農林漁業や中小企業の衰退などを招き、国内は大きく動揺することになる。

マクロン新党は、所詮、利害の相反する寄せ集めのうえ、政治経験に乏しいマクロンチルドレンばかりだから、様々な争議の仲裁や利害調整に長けた人材に乏しく、最後はくだらぬ内部抗争の末に分裂を余儀なくさせられるだろう。

欧米諸国は、新自由主義思想に安易に乗っかったばかりに、 “国内産業の空洞化や若年失業者の急増、低中間層の没落、移民による雇用や治安の悪化”などの弊害に直面し、新自由主義グローバル化を見直す動きが萌芽する一方で、我が国では、そうした欧米の教訓を無視するかのように、安倍政権による更なる新自由主義&緊縮政策が進められている。

筆者は、“ポスト新自由主義やポストグローバル化思想”において、欧米の後塵を拝し、彼らより何週も周回遅れの我が国の経済政策を散々くさしてきたが、どうやらフランス国民の意識レベルは、そんな我が国より、更に数週遅れているようだ。

この期に及んで、弊害と失策だらけの新自由主義信奉者に政治権力を白紙委任するフランス国民のバカさ加減を見るにつけ、まさに「フランスは病気だ」と言うしかない。
フランスが先進国の地位から滑り落ちるのも、そう遠くはないだろう。

さて、冒頭にご紹介した大機小機のコラムだが、相変わらず痛々しい勘違いぶりで、とても論評に堪えるレベルではない。

フランスの高失業率は労働者の権利が強すぎて企業が人を雇うのを躊躇うせいだとの下りは、デタラメと詭弁の最たるもので、同国の経済指標を見ても、労働規制が遥かに強かった80年代の方が、今よりも名目GDP成長率は高く、失業率は低かったという事実をまったく説明できていない。

コラム執筆者の仙境氏は、労働者の権利の弱体化と雇用流動化がフランス病の特効薬だと豪語するが、「フランスにおける仕事と家庭生活に関するアンケート調査2010」というレポートによると、フランス人が非正規雇用を選択する理由として、「趣味や自由な時間を持ちたい」云々という積極的理由を挙げたのは1割未満に過ぎず、ほとんどは、「フルタイム雇用を見つかられなかった」、「雇用主から指示された」という消極的理由であった。
また、正規雇用者と比較した非正規雇用者の待遇は、労働時間こそ66~70%なのに、年収は55%程度でしかなく、生活困窮を招く要因となり、総じて仕事に対する満足度も低い。

こうした現状を顧みることなく、マクロンは、更なる労働法改正(=雇用条件の悪化)に踏み切り、社会保障負担の引き上げを断行しようとする始末だから、頭がおかしいとしか思えない。
国民、とりわけ低中間層の痛みの上に、更に激痛を重ねようとする様は、フランスという国家の土台を躍起になって破壊しようとする醜悪な反逆者の所業と言える。

仙境氏は、日本にもマクロン並みのクラッシャー(破壊主義者)出現を期待したいと汚い唾を飛ばして熱弁するが、我が国の為政者は既に20年前からクラッシャーだらけだったのを忘れていないか?

マスコミや国民は、橋本、小泉(バカ)、安倍、福田、菅に野田、橋下、小池等々、錚々たる破壊者を熱狂的に支持し、自らの生活や雇用を脅かす痛みを倍増させてきたではないか。
この20年間、平均所得は激減し、非正規雇用ばかりが増え、消費支出が減っているのは、改革者の皮を被った“醜悪な反逆者”が為政者の座に座り続けてきたせいだ。

彼らは、日本を“力強い成長国からデフレ病を抱えた停滞国”へと貶めた招かれざるゲームチェンジャーであり、そんなクズはもう要らない。

人口で経済騙るエセ論者

様々な経済系記事やコラム、ブログなどに目を通すと、アベノミクスを実感できているか否かに個々人で大きな差異があることが判る。
差異があるとは言っても、決してYesとNoが拮抗しているわけではなく、圧倒的多数の「No」に、少数の「Yes」が紛れ込んでいるという方が正確だろう。

日銀が3か月ごとに行う「生活意識に関するアンケート調査(第 69 回)2017年3月調査」によると、現在の景況感(1年前対比)について「良くなった」との回答は6.2%(前回比+1.8%Pt)、現在の景気水準について「良いorどちらかといえば良い」との回答は合わせて11.5%(前回比+3.1%Pt)と若干改善したが、現状の景気状態を積極的に評価する回答は1割程度か、それ未満に止まる。

アベノミクス効果(そもそも、こんなものは無いというのが筆者の意見だが…)には、東京を初めとする大都市圏と地方との間で大きな地域格差があるとよく言われる。

しかし、上記の日銀調査は全国規模で行われているにもかかわらず、景況感を消極的に捉える意見が9割にも達しているところを見ると、バブル期並みの好景気だと言われる首都圏でも、アベノミクスの果実とやらにありつけているのは、ごく一部に過ぎないことが判る。

それを証拠に、東京都産業労働局の「東京都中小企業の景況(H29/5)」によると、4月の都内中小企業の業況DIは、当月▲26(前月▲33)と7ポイント増加、今後3か月間の業況見通しDIは、当月▲15(前月▲14)とほぼ横ばいと非常に冴えない。
特に、業況DIは直近ピークのH26前半頃の▲12という水準に遠く及ばない。

何より驚かされたのは、東京都下という非常に恵まれた事業環境にある企業ですら、業況DI・業況見通しDIの値が、少なくとも10年前から一度たりともプラス化していないという事実である。

これは、内閣府景気ウォッチャー調査でも同じで、南関東地域の景気判断結果を見ると◎(とても良い)や○(良い)の合計37個に対して、□(普通)や▲(悪い)・×(とても悪い)の合計は101個と圧倒している。

個別の回答でも、
「暑くなってきたので、1人1品という感じで水だけ、アイスだけという客が増えている」(東京/コンビニ)
「販売量は伸びつつあるが、その分買上単価が落ち込み始め、トータルするとほぼ同じという状況」(東京/スーパー)
「天候にも恵まれ、人出もそこそこあるが、売上、来客数共に落ちてきている」(東京/小売)
「新車、中古車、サービスとも需要の落ち込みが激しく、厳しい状態が続いている」(自動車販売)
等といった具合で元気がない。

たまに、“東京や首都圏は景気回復を実感している者がほとんど”なんて寝言も聞くが、アベノミクスの恩恵に浴しているはずの首都圏ですらこの体たらくだから、地方の疲弊ぶりは推して知るべしだろう。

安倍内閣は、選挙対策の表看板用に「地方創生」を掲げているが、その実態はお寒いものだ。

政府の「まち・ひと・しごと創生本部」がまとめた「総合戦略」では、2020年に向けた地方創生の目標として、
(1)地方にしごとをつくり、安心して働けるようにする
(2)地方への新しいひとの流れをつくる
(3)若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる
(4)時代に合った地域をつくり、安心な暮らしを守るとともに、地域と地域を連携する
という4つの基本目標を掲げている。

しかし、実際に政府がやったことといえば、TPP交渉で農業や建設業に関する関税や規制の撤廃を掲げて地方経済を恫喝し、働き方改革と称して非正規雇用を増やし雇用を不安定化させ、外国人材の活用と称して賃金上昇にタガを嵌めるなど、地方創生と逆行する施策ばかりではないか。

内閣府特命担当大臣山本幸三(地方創生担当)は、自身の講話資料で『地方創生』=『地方の平均所得を上げること』と定義し、 “稼ぐ”取組が重要だと言い放ったそうだが、他人の苦労を知らぬドシロウト大臣のKY発言には激しい憤りを覚える。

いまどき、稼ぐための努力を怠る企業なんて、ごく僅かしかいない。
どの企業も必死になって売上確保や収益捻出に奔走し、四苦八苦しているが、20年以上にも亘りマクロ経済が停滞する中では、どれだけ努力しても結果に結び付くとは限らない。

何かと失言の多い山本大臣辺りの本音は、
「地方の中小企業は、公共事業頼みの体質が抜け切れていない」、
「いつか政府が何とかしてくれるという甘えの構造を断ち切らねば」、
「経済にフリーランチはない」、
といったところか。

しかし、マクロ視点で見て、きちんと仕事をこなしている国内企業の収益が一向に上がらないのは、政府のマクロ経済運営が根本的に間違っていることにその原因を求めるべきで、個別企業の経営能力の所為ではない。

つまり、長期に亘る一国単位の経済不況をもたらしているのは、地方企業の甘え体質ではなく、国民の労働や企業の経済活動が適切な水準の付加価値を産み出せないような経済環境を放置して、国民や企業の努力にタダ乗りしてタダ飯を喰うだけの政府の経済失政であり、「経済にフリーランチはない」というセリフは、国民や企業から、ナマケモノの為政者に対して吐き掛けるべきものなのだ。

政府に、国民や企業の努力へのタダ乗りをさせてはならない。

国民や企業は、経済活動に見合った対価を産み出せる経済環境を整えるよう、積極的な財政金融政策の実行を強く政府に要求すべきで、地方創生はその橋頭保としての役割を期待されている。

だが、世の中には頭の悪い論者もいるもので、
「いまの産業構造は第三次産業(サービス業)主体で、サービス業の本質は、“その場で生産→その場で消費”という「人対人」によるものだから、人がいない地方で商売が成り立つわけがない。地方には人がいないし、少子化対策をいくらやっても人は増えないから、地方が衰退するのは当然。いくらカネをつぎ込んでも、結局はムダになる」
と嘯き、地方創生の足を引っ張ろうとする。

都道府県別の産業構造別就業者割合を見ると、三次産業の割合が高いのは「東京84.3%」、「沖縄82.1%」、「神奈川78.3%」と大都市圏を抱える地域が目立つが、北海道や高知、鹿児島、長崎辺りの地方でも73~77%と高い数値になっている。

一方、三次産業の割合が低いのは「山形62.5%」、「長野62.6%」など地方が目立つが、茨城や栃木、群馬、山梨、静岡、岐阜、兵庫、新潟、奈良など大都市圏近郊で人口規模の大きい県でも割合が低い(63~66%ほど)地域は存在しており、三次産業の割合と人口規模との間に明確な相関関係は認められない。

経済を推し量る物差しとして、条件反射的に「人口」を用いたがるのは、経済シロウトと言える。
彼らは想像力が貧困ゆえに、人がモノやサービスを購入する際に使う金の量は未来永劫一定だと思い込んでいる。

彼らの頭の中には“経済成長や所得増加”という概念が無い。

経済シロウトの連中は、いまのサラリーマンの小遣いが月3万円だとすると、10年後も20年後も3万円のままだという、本来あってはならない状態を前提に経済を騙るから、いつまで経っても「胃袋経済論(人の数や胃袋の数が経済規模を決めるという妄想)」から抜け出せないし、人口縮小に見舞われる地方経済は衰退するしかないと決めつけるのだろう。

以前のエントリーでも述べたが、経済成長の原動力となる“需要力”を決めるのは単純な人口や胃袋の数ではなく、「人口×消費に廻せる所得の多寡×消費回数」であろう。

通常なら経済成長は所得向上を伴うから、経済規模の拡大に沿って国民所得や企業収益も増加するし、一人当たりや一社当たりの購買力も当然拡大するはずだ。
今は昼飯を300円未満の牛丼で我慢せざるを得ないサラリーマン諸氏も所得が増え、小遣いが増えれば、500円の弁当や900円のランチといった“より高付加価値のサービス”を消費できるようになり、供給制約云々に関係なく経済規模を拡大させることができる。

こうした現実を顧みないシロウトが、胃袋経済論を盾に地方への資金還流や地方創生を否定したがるが、公共事業や地方交付税交付金の増額により、地方に多額の資金を投じ続けてやれば、地方に雇用や人の流れを呼び込むことは十二分に可能だ。

その際に留意すべきことは、国家戦略特区みたいに、やたらと高いハードルを地方に課さぬことだ。
地域の特性を活かすとか、他にはない強みを発揮できる事業や産業云々といった面倒な規制を設けず、“誰にでもでき、何処ででもできる”ありきたりな産業で善しとせぬ限り、人材や経営資源に制約がある地方経済を活性化させることはできない。

たとえ、それが土木工事や介護職でもよいし、林業や農業、公務員でもよい。
都心から地方へのU・Iターン就職を目指す者、地方で職にあぶれた者であっても、すぐにチャンスを掴めるような就業ハードルの低い職種を大量に供給することが、より実効性の高い地方創生につながるのだ。

経済なんて、所詮、きれいごとでは語れない。

経済の本質を知らぬ観念論者

『2018年以降、「世界同時不況」が始まる理由 バブル崩壊の「引き金」はどこが弾くのか』
(6/12東洋経済ONLINE 中原 圭介/経営コンサルタント・経済アナリスト)
http://toyokeizai.net/articles/-/175234

経済の本質を知りもせずに経済学者や経済アナリストを称する者(シロウト経済本を自費出版する“エセ教諭”も含めて)は数多いる。

貨幣という媒体を介して、経済主体間で行われる生産活動や消費活動を通じたモノやサービスの間断なき移動の永続的な拡大こそが「経済」であり、モノやサービスの受領により個々の経済主体は物質的あるいは精神的な満足を得ることになる。
そして、経済活動を円滑拡大させるために欠かせないのが、個々の経済主体に配分される所得としての貨幣の膨張である。

こうした本質や実態を踏まえずに、いくら、きれいごとや観念論を並べ立てて経済を論じても、永久に適切な回答に辿り着くことはできない。

上記コラムの中原氏は、観念論で経済を騙ろうとする軽輩者の典型で、その提言は、何の具体性も無い『努力・根性・我慢』だらけの精神論に終始している。

中原氏の主張を要約すると次のようになる。

①2008年のリーマンショック後の世界的な金融緩和の弊害で、先進国・新興国を問わず、世界中の国々で債務が膨張し過ぎており、2020年までに世界経済に激震が走る懸念がある。

FRBの総資産規模はGDP比で20%超に、ECBは30%近くにまで膨張し、歴史的に見ても高水準だ。日銀のそれは90%を超えており、このまま出口戦略を迎えると、保有国債の評価損が顕在化する。量的緩和政策の副作用で市場に出回る国債が減少しており、2020年頃までに、日銀が市場から国債を買えなくなる恐れがある。「金融緩和はコストのかからない政策」というのはまったくの幻想だ。

③新興20カ国や地域企業の債務総額は、2008年末の9兆ドルから2016年3月末には25兆ドルへと3倍近い水準に増えているが、同じ期間にこれらの国・地域の名目GDPは1.5倍しか増えておらず、債務の増加率は異常で、非常に非効率な経済構造だ。このままでは、通貨危機バブル崩壊の再来が懸念される。

④世界各国で金融緩和の限界が指摘される一方、政治の世界では財政出動を声高に唱える人が増えている。各国で債務増加が重荷となっているのに、景気浮揚のために財出を増やそうという発想は、目先のことしか考えていない愚策だ。国家も企業も債務は地道に返済するしかない。「国家の財政再建と景気拡大の両立」なんて、過去数百年の資本主義経済では起こり得なかった。

⑤日本で若い世代を中心に消費が増えないのは、国民が国の社会保障制度を信用せず、いずれ行き詰まるだろうと考えて、老後のために貯蓄を増やす傾向を強めているからだ。財政再建を実行しなければ、将来の景気回復はあり得ない。長い時間が掛かるかもしれないが、構造改革と成長戦略、歳出削減のみが景気回復に有効な政策だ。

先ず、①③の世界各国で債務が膨張している割にGDPの伸びが鈍いという中原氏の指摘に異論はない。

ここ20~30年というもの、先進諸国の政官界のリーダーは新自由主義者だらけとなってしまい、利権や政治的介入の余地が少ない金融政策が重宝され、緊縮財政の強行により実体経済に投じられる“所得に変換できる資金”の供給量が減らされ、消費や投資活動の動きにブレーキが掛かってしまった。

金融政策偏重気味の経済構造下で、すっかり低成長体質が染みついた先進国では、投融資向けの資金需要が冷え込み、運用先探しに困った余剰資金が新興国になだれ込んだが、そこでも満足に成長を実現できていないということだろう。

一般的に、投じられた負債(借入)や資本(出資)の量と、収益や所得(GDP)の増加率との間でアンバランスが起きるのは、負債と消費活動(売上や所得)との変換効率が悪すぎる所為である。
平たく言えば、多額の借金を調達して始めた事業が、期待をかなり下回る売上や収益しか得られなかったということだ。

そして、マクロ単位で見て、売上や収益が期待以下だったということは、その国の実体経済が低体温症を発症し、経済主体の消費意欲がネガティブになっていると言うほかない。
つまり、先進国のみならず、新興諸国でも緊縮政策や極端な富の偏在、過度な通貨安による低成長病に罹患しているのではないか。

続く②の日銀のバランスシート棄損や市場の国債枯渇問題は、経済シバキ上げ論に固執し、金融政策すら“甘えの構造”を生む愚策として排除しようとする中原氏の意図的な杞憂や誤解でしかない。

日銀の平成28年度末の総資産規模は490兆円と前年度比で85兆円、うち国債分で68兆円増えており、『円の源泉や化身』たる日銀のB/Sをやたらと気にしたがる緊縮病患者どもから、出口戦略(国債売却)時の金利高騰により多額の評価損が生じると強い非難を浴びている。

論壇には日銀保有国債は永久国債化すべきとの議論もあり、筆者もそれに賛同するが、そもそも、出口戦略の必要性自体がさっぱり理解できない。

不況の出口はまったく見通せず、市中の資金需要もほとんど盛り上がっていない現状で、日銀が保有国債を売却して金融引き締め策を講じなければならない理由も必要性もまったく無いし、評価損が気になる(そもそも、円の発行主体である日銀の財務を気にすること自体がどうかしてるのだが…)なら、満期保有すれば済む話だ。

また、国債枯渇問題も非常にバカげた話で、市場に国債が不足しているなら、政府が積極財政に舵を切り、新発債を市場に投じてやればよいだけだ。
現状行われている、既発債と日銀当座預金との両替業務で、「両替用の国債が足りません(´;ω;`)」ビビっている暇があるなら、政府から国債を引っ張り出して来い、と言っておく。

金融政策の出口論者たちは、出口戦略の必要性を論理的に説明できていない。
彼らは、財政規律を弛緩させかねない金融政策が邪魔になり、感情的かつ観念的に出口戦略を急いでいるだけなのだ。

最後の④⑤に、中原氏の本音がはっきりと表れている。

要は、改革ごっこや戦略ごっこをしたい観念主義者が、理想社会の邪魔になる財政金融政策を排除したいと言うだけの話なのだ。

氏は、「国家の財政再建と景気拡大の両立」なんて、過去数百年の資本主義経済では起こり得なかったと大嘘をついているが、高度成長期やバブル期の日本だけでなく、クリントン政権期のアメリカなど、景気拡大が自律的に国家財政を改善させた事例は豊富にある。

また、若者の消費不振を社会保障への不信感のせいにするインチキ論も聞き飽きた。

いったい何処の世界に、遠い将来の年金額を気にして、今日の昼飯をケチる若者がいると言うのか?

若者が消費に消極的にならざるを得ないのは、日用品や食料品が値上がりする中で、自分の収入が増えないからに過ぎない。
どうしても納得できない(したくない)なら、その辺に歩いている若者を捕まえて実際に話を聞いてみれば、たちどころに判るだろう。

中原氏おススメの「構造改革・成長戦略・歳出削減」の景気回復三点セットは、何れも病原性大腸菌入りの危険な政策で、景気回復どころか、“体調不良→即入院コース”必至の毒薬でしかない。

氏のように、“財政再建と改革の理想と信念を以ってすれば景気は必ず回復する”と思い込んでいる観念論者は、経済を動かすには何が必要か、景気が回復するとはどういった状況か、という定義が曖昧で、その提言には何の具体性も無い。
理想を掲げて祈れば物事が解決すると信じる幼稚なバカ者である。

重篤状態の日本経済に必要なのは、くだらぬ理想を掲げて国民に無駄な我慢を強いることではなく、実体経済を回転させるための実弾(所得となるおカネ)をふんだんに、かつ、遍く広く行き渡らせることだ。

リフレ派の懺悔は聞き飽きた

アメリカの前FRB議長ベン・バーナンキ氏が、先月、日本の金融政策がもたらした経済的効用に関して、自らの見通しの甘さを懺悔した。
(翻訳文の参照先:http://econdays.net/?p=9121

上記サイトから、バーナンキの発言を掻い摘んで紹介すると、
・インフレ目標達成の重要性に変わりはないが、日銀の金融政策だけでは、達成は極めて困難な状況だ
・これを打破するには、政府の積極的な財政政策による追加の総需要創出が必要だが、政府は債務対GDP比の制約下にあり、これに及び腰にならざるを得ない
・デフレ脱却のためには、財政政策の拡大が債務残高対GDP比の悪化に結びつかぬよう配慮する必要があり、財政政策と金融政策の連携が欠かせない
・追加の財政支出や減税によって生じる債務残高対GDP比の悪化は、金融当局による将来のインフレ誘導によって相殺すべき
といったところか。

それにしても、リフレ派の御大は懺悔や反省がお好きなようだ。

以前に、P.クルーグマンが、これまでのインフレターゲット万能論を撤回し、2015年10月の自身のブログ記事「日本再考(Rethinking Japan)」で、「日本はインフレ率を上げるために拡張的な財政政策をもう一度大いに試すべき」と財政政策の有効性を認め、他の寄稿記事でも、アメリカのリーマン危機脱出の要因について、FRB量的緩和が有効だったとしつつも財政政策が主たる効果を上げたとの見方を示している。

また、昨年11月には、浜田内閣参与が、「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない。今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ」と金融政策一本足打法の限界を吐露したのは記憶に新しい。

彼らの反省文に共通するのは、
①デフレ脱却なんて、金融政策だけで十分だと高を括っていた(=利権の温床になりかねず、国民を甘やかすだけの財政政策なんてやるべきじゃない)
②だが、何年金融緩和を続けても、家計や企業の消費・投資意欲は盛り上がらず、インフレ率は一向に上昇しなかった
③民間のインフレ期待を押し上げて、実質利子率を引き下げ、将来の成長見込みを醸成する試みは失敗に終わった
④この上は財政政策(財出や減税)の協力を頼むしかない
といった点だ。

リフレ派の連中は、金融政策一本足打法なるニセモノのインフレターゲット政策が、株式市場や長期利子率、為替レートに好影響を与え、労働市場の改善にも一役買ったと必死に喧伝してきたが、肝心要の国民の平均所得はほとんど改善させられず、消費支出は1年半以上も対前年マイナスと低迷したままだ。
ご自慢の労働市場改善云々についても、そのほとんどが人口動態の変化によるもので、単に非正規雇用とパートが増えただけに終わっている。

財金両輪の経済政策の有効性を説く機能的財政論を理解する論者にしてみれば、彼らの反省文の内容なんて、既に何年も前から厳しく指摘してきたものであり、何を今更という感が強い。
ノーベル賞学者が揃っていながら、この程度の初歩的なミスを何年も無視し続けた事実に呆れ返っている。

財政支出の蛇口を閉めたまま消費税増税に賛成し、量的緩和政策によって数百兆円もの既発債を買い漁った挙句に、「何でインフレ率が上がらないんだ? インフレ期待が起きないのは、ひょっとして、財出が足りないからなんじゃないか?」と今頃になって気付くようでは遅すぎる。

こちらにしてみれば、真顔で『自動車って、ガソリンを入れないと走らないものなの?』というレベルの質問をされた気分だ。

バーナンキは、財政政策と金融政策との連携を唱えながらも、財政政策の拡大が債務残高対GDP比の悪化に結び付く云々と愚図愚図言っているが、余計な心配をせず、力強い経済成長と適切な分配構造の構築に邁進すればよい。

世界トップクラスの対外債権国で、政府債務が自国通貨建ての内国債主体の我が国において、国債の対GDP比率など気に掛ける方がバカげている。
ましてや、極度の長期デフレと史上空前の超低金利下で、債務の発散や高インフレ、金利の急上昇を懸念するなんて杞憂もいいところだ。

成長したくない理由を並べて財政政策に足枷を嵌めようとするなら、財政と金融の連携なんて夢物語で終わってしまうだろう。

債務残高の対GDP比率が気になるなら、日銀が保有する国債を債務残高から差し引けばたちどころに解決する話であり、それでも心配なら、政府紙幣を発行して財出に直接投入してもよいし、国債整理基金として積み立てて、国の借金とやらが気になって眠れない神経質な連中を黙らせる手もある。

今回、クルーグマンや浜田参与に続き、バーナンキが財政政策に助けを求めたのは良い傾向と言えるが、リフレ派の連中は何かと詭弁を弄してすぐに前言を撤回し、金融政策一本足打法に回帰する癖があるから、バーナンキの懺悔も話半分で聞いておくつもりだ。

金融機関を脅しても、問題は解決しない

金融庁、地銀の債券保有に新規制 金利変動に備え』(日経新聞電子版 6/8)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO17441650Y7A600C1MM8000/
金融庁地方銀行などに債券の金利変動に備える新規制を2019年3月期から導入する。保有する国債や外債の金利変動リスクを厳しく見積もり、損失を吸収できる自己資本の20%以内に収めさせる。債券による運用への依存度を下げ、地元の融資企業の開拓やベンチャー企業の育成といった事業に注力するよう促す。(略)」

今回の規制の動きを受けて、「地銀やメガバンクによる国債買い増しにストップがかかり、国債がリスク資産化する。このままでは財政破綻が現実化してしまう‼」と怯える臆病者のバカもいるが、為替リスクを内包する外債ならともかく、本来ならリスクゼロの国債を、わざわざリスク化させようという愚かな規制を止めればよいだけの話だ。

金融緩和政策の邪魔にしかならないバーゼル規制を唯々諾々と受け容れること自体が間違っており、自らの手足を縛り、金融政策に足枷を嵌めようとする愚かな行為に手を出してはいけない。

上記記事にある金融庁の新規制には、2018年度から始まるバーゼル規制(銀行が過度な金利変動リスクを抱えるのを防ぐ目的で、6パターンの金利変動ごとに円建てなら上下1%、米ドル建てなら同2%の変動を想定し、最大のリスク量を中核的自己資本の15%以内に収めるよう求めるもの)を先取りするというお題目がある。

だが、規制の狙いは、金融機関による企業向け融資の増加にあり、4年にもわたる量的金融緩和やマイナス金利政策の成果が一向に出ないことに業を煮やした政官サイドによる金融機関への八つ当たりでしかない。

経済シロウトだらけの政権首脳部や経済財政系官僚の連中に限って、企業融資が伸びない原因を金融機関の貸し渋りのせいにしたがるが、現実がまったく見えていない。

経産省の「中小企業景況調査」や日本政策金融公の「全国中小企業動向調査」によると、企業にとっての借入難易度を示す借入DIは、いずれも、ボトムの2008年~2017年にかけて一貫して改善しており、いまだマイナス値を示しながらも、右肩上がりの曲線を描いている。
(経産省データ▲15→▲1.7、日本公庫データ▲28.1→▲5.6)

さらに、金融機関からみた貸出態度DIも、リーマンショック期に▲20程度であった値が、2011年頃からプラス値を超え、ここ数年は、中小企業でも+10を超えており、金融機関が貸し渋りしているなんていう政府や官僚のやっかみは、まったくの大嘘だ。

業績が極度に悪化した企業や、業態のいかがわしい企業は別として、金融機関が融資に消極的になる理由なんてない。
融資が伸びない真因は、業績の先行きが読めない企業サイドが借入に消極的になっているからにほかならない。

金融機関の現場では、いずこも支店レベルに厳しい融資先開拓のノルマを課され、担当者はノイローゼ気味になっているのが実情だ。
営業担当者がいくら企業回りに精を出しても、取引先がカネを借りてくれないから、仕方なくアパートローンの開拓に活路を見出さざるを得ず、それを証拠に、2016年の銀行・信用金庫による不動産融資は対前年比15・2%増とバブル期並みとなり、金融庁が規制を検討しているほどに膨れ上がっているではないか。

企業が借入に慎重になっている姿勢は、データにもはっきり表れている。

中小企業庁の資料から、中小企業の借入金依存度(金融機関借入÷総資産)の推移を見ると、1993年の46.2%から2014年には29.8%にまでかなりの勢いで低下している。
よく“日本の企業は直接金融(資本金)よりも間接金融(借入)頼みだ”なんて言われてきたが、そうした常識が覆されつつある。

企業の借入依存度低下と並行して無借金経営企業の割合も増えており、中小企業のうち無借金の企業割合は1983年頃に17.2%に過ぎなかったのが、2014年には35.4%にまで倍増している。

この数値は筆者の実感を遥かに凌駕するもので、これほど多くの企業が無借金経営を続けているのかと驚いている。

さらに、中小企業の設備投資の推移(1993年=100とした指数)を見ると、製造業・非製造業ともに、1995年、1999年、2002年辺りに三度のボトム期があり60程度まで低下し、その後2007年頃に一旦110まで上昇したものの、以後は長期間の低迷期を迎え、2015年には80程度に止まっている。

これだけ企業サイドが借金恐怖症や借金忌避症に陥っている以上、いくら金融機関が血眼になっても、融資が簡単に増える訳がない。
バブル期には100%を軽く超えていた預貸率(融資残高÷預金残高)も、現在では、地銀で70%、信金で50%ほどでしかなく、メガバンクですら60%を切るほどの惨状なのだ。

金融機関が融資に積極的になっているにもかかわらず企業が借入を増やさぬ理由は非常に簡単かつシンプルで、「業績が思わしくなく、将来の見通しも立てづらいから」に過ぎない。
そして、企業の業績見通しに暗雲をもたらす真犯人は、20年以上にも及ぶ緊縮財政主義に基づく経済失政がもたらした内需の不振である。

だが、経済政策の舵を握る政権首脳部や与党幹部、官僚、日銀の連中だけでなく、野党やマスコミ、財界等々、周囲を固める階層も、新自由主義者や緊縮主義者の亡者の集団と化しており、経済失政や需要不足を決して認めようとはしない。

彼らが、つまらぬ規制を振りかざして金融機関を追い立てても、肝心の需要サイド(=貸出を望む企業)が融資を望まぬ以上、事態が改善するはずがない。
国債や外債規制のプレッシャーは、金融機関を無理な追い貸しに走らせ、不良債権の悪夢が再来することになりかねない。

政府や関係官庁は、自らの経済失政を金融機関にツケ回しするような悪足掻きを止め、企業サイドの資金需要を自然に刺激する健全な政策(=積極的な財政金融政策)をきちんと打つべきだ。

カネを惜しんで医療の衰退を招くなかれ

日本の医療費は平成27年度に41兆円となり、ここ4~5年で3.7兆円も増加し、その伸び率も3.8%と加速気味だ。

特に、75歳以上の後期高齢者向けの医療費は15兆円超と4割近くを占めており、財務省厚労省辺りの緊縮教信者から悲鳴が上がっている。

国のカネをびた一文使いたくない緊縮教徒たちは、医療費削減のために、WHOが提唱する「健康寿命(心身ともに自立し、健康的に生活できる期間)」をゴリ押ししようと必死になり、「禁煙対策・メタボ検診・がん検診」といった予防医療の普及を進めている。

最近、厚労省受動喫煙防止を謳って、日本中の飲食店を禁煙エリア化しようとバカな法案をつくり自民党とひと悶着あったが、こうした拙速な動きも、財務省のような守銭奴から、医療費削減の強いプレッシャーを受けてのことだろう。

健康寿命推進による医療費削減については、みずほ総研のレポートに、
『この健康寿命が延伸されることによって個々人の生涯医療費の抑制につながり、医療費適正化に貢献できるという推計がある。「健康長寿であってもいずれは医療機関にかかることになるため、必ずしも医療費抑制につながらない」という指摘もあるが、厚生労働省の研究報告によれば、健康寿命の延びが平均寿命の延びを上回った場合、要介護2以下の人の状況如何により2011~2020年の累計で最小約2.5兆円、最大約5.3兆円の医療費・介護費が削減されると推定されている』との報告がある。(『「健康長寿社会の実現」による成長戦略』より)

だが、約10年間で最大5.3兆円の削減幅なら年間5,000億円程度でしかなく、大した効果は望めない。

厚労省の資料によると、癌や心疾患など特定死因を除去した場合の平均余命の延びは、男性で3.86年、女性で2.96年にもなるそうだ。
男性で約4年、女性で約3年平均寿命が延びるのならば、当然、その間の年金支給総額も増えるし、ちょっとした風邪や歯の治療に係わる医療費も当然増えるだろう。

健康寿命の伸長に伴い、平均寿命が男性で80歳→84歳へ、女性で87歳→90歳へ伸びる訳だが、年金支給開始から平均寿命までの支給期間も、男性で15年→19年、女性で22年→25年に延長される訳であり、年間55兆円ほどの年金支給額が4~5兆円は増えると思われ、予防医療とやらでチマチマ削った年間5,000億円ほどの医療費など軽く吹っ飛んでしまう。

つまり、目先の医療費削減を目的に健康寿命推進の旗を振っても、その効果は極めて限定的で、却って他の費用増大につながるとの指摘もある。

ニッセイ基礎研究所のレポートでも、
『適度な運動とバランスのとれた食事は、運動機能が低下する「ロコモ」を予防し、健康寿命を伸ばす。しかし、それにより「不健康な期間」が短縮されるという医学的根拠はなく、「メタボ検診」同様に医療費や介護費がかかる時期が先送りされるのだ。
また、がん対策の基本は早期発見・早期治療であるが、「がん検診」が普及すれば「過剰診断」などにより確実に総医療費は増大するとしている。(略)国民の健康寿命を伸ばす予防医療は、長寿化による国民医療費の増大をもたらす』と指摘している。(『「健康寿命」伸ばす予防医療-「国民医療費」増加というパラドクスの解消』より)

一個人にとって、病床で晩年を過ごすよりも、健康寿命を全うできる方が良いに決まっている。
だが、それは、医療費をケチりたいだけの守銭奴から強制されるのではなく、健康を望む個々人の努力の延長線上に存在すべきだ。

医療費削減に躍起になる財務省のケチなオバちゃん連中の顔色を窺いながら、禁煙を強いられ、メタボ検査を強要される筋合いなんてない。

国の厚生行政が取り組むべき仕事は、医療費をケチるために国民に健康維持を強制することではなく、国民が不慮の体調不良に直面した際に、安心して治療を受けることができる医療体制の構築と、貧富の差に係わりなく受診できる保険制度の整備であるはずだ。

国民一人ひとりは、それぞれの人生や生活を全うするのに忙しく、また、年金支給年齢が引き上げられ、雇用や所得が不安定化する厳しい環境下で、予防医療とか健康寿命なんて気に掛けている余裕もない。

医療費や社会保障関連費用の増大を理由に、国民負担の嵩上げや再度の増税を迫られた日には、国民のストレスはさらに増すばかりだ。

最新の医療研究によると、ストレスは身体の治癒能力低下、脳の萎縮、染色体の変化をもたらし、生活習慣病や癌、心疾患、脳卒中、腎不全など万病の元となるそうだから、財務省厚労省の連中の意図とは逆に、更なる医療費の増大を招くだけに終わるだろう。

人間の都合で幾らでも創り出せるカネを出し惜しむあまり、国民と医療との間に高い壁や深い溝を造り、国民から医療を遠ざけてはならない。

医療技術の維持向上や医療体制の整備には、医療関係者の弛まぬ努力と、それを支える莫大な資金が必要だが、国を挙げて“医療・保健力”を充実させることにより、病に悩まされない生活や難病の克服等々、国民に直接的な福利となって戻ってくるのだから、カネなんて幾ら使われても惜しくはあるまい。